環境の世紀VII  [HOME] > [講義録] > プレゼンテーション[2]

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Introduction...

  1 自然と人間との関わり

■ 人間活動の拡大

プレゼンテーション 一つ目は、「自然と人間との関わり」についてです。農業の開始以来、人間は、自然を自分の都合に合うように作り変えてきました。農地、人工林をつくり、家畜を飼育するなど人工の生態系を作り、それに依存して生きるようになったのです。そして、自然から資源を搾取しながら活動範囲を拡大しつづけてきました。当たり前のことですが、人間の生活は自然から資源を搾取することでなりたっているのです。割り箸も木なのです。このシャープペンも石油だったのです。この教官紹介冊子も、もともとはどこかに生えていた木なのです。

 しかし、人間活動は無限にその範囲を広げられるわけではありません。有限な地球の中で、安定した人間活動のサイズを考えなければいけません。

■ 人間と自然の二項対立では×!

 ここで一つ重要なのが、「資源を搾取される自然」と「搾取する人間」というふうに、人間と自然を対立するものとばかり捉えていてはいけないということです。なぜなら、対立の図式では、どちらかを否定しかねないからです。

■ 共存

共存 ここで出てくるキーワードが「共存」「共生」です。人間と自然が両方とも生きていける方法、共存できる方法を探していかなければなりません。
 例えば、先ほどの割り箸の例でいうと、昔ながらの林業は、自然と人間が共存してたいい例だといえるでしょう。「間伐」を思い出してください。人間が自然に手をつけることで人間も自然の恵みを得ることができ、自然も間伐されることで成長率がのびます。人間と自然のつながりによって人間も自然も利益を得るという、自然と人間の二項対立を超えた「共存」の一つの形と言えるでしょう。

 昔から現実の人間と自然の関係は二項対立のような単純な関係ではありませんでした。本当に回復しようとしなければならないのは、自然そのものではなく、昔から人間が培ってきた、自然と人間の関係なのではないでしょうか。そのことを考慮しつつ、自然が再生できる範囲で自然の資源を利用しなければなりません。
以上、1つ目は人間と自然の関わりについてでした。




  2 人間社会の中での物質の循環

■ 自然からの資源の搾取:資源の限界

 2つ目の要素は、「人間社会の中での物質の循環」です。先ほども述べたように、人間は自然を搾取してきたのですが、搾取する資源にも限界があります。地球という星では、次から次へと石油や石炭が湧いてくるわけでもなければ、一年で大きな木が生えてくるわけでもありません。これ以上搾取できないとすると、今人間社会にある物質を循環させるしかありません。そのために、生産、消費、廃棄という一方通行の流れを変え、廃棄物をもう一度生産材料として、あるいは商品として、商品としてというのはフリーマーケットのようなことですが、材料や商品に戻すことが必要になります。

■ 循環の例:使い捨てカメラ

 例えば、「使い捨てカメラ」を考えてみてください。「使い捨て」とはいっても、実際に捨てるのではなく、現像する際に回収したは、製造元に集められ、本体や、レンズのほとんどが、また新しいカメラに生まれ変わるのです。「使い捨てカメラ」ではなく、「リサイクルカメラ」といってもいいかもしれません。

■ 生産、消費、廃棄の各段階で「循環」

 しかし、ここで考えなければならないのは、消費者がリサイクルされた商品を買わなければリサイクルのシステムは完結しないということです。その対策としては、例えば「エコラベル」があります。みなさんのノートの裏にエコマークはついてませんか?エコマークとはこのマークです。エコマークもエコラベルの一つで、消費者はエコマークによって、より環境負荷の小さい商品を知ることができるのです。

こういった生産、消費、廃棄の各段階で「循環」を目指したシステムでないといけないのです。
以上、2つ目の「人間社会の中での循環」についてでした。




  3 南北問題

 3つ目の要素は、「南北問題」です。南北の経済格差や人口問題、貧困問題、自然破壊は、それぞれが解決されなければいけない問題であると同時に、互いに複雑に絡まりあって悪循環をおこしています。途上国の貧困層が、食べるものを求めて無計画な焼畑を行い、急傾斜地でも耕作をし、その結果森林破壊、土壌の流出が進むという話はよく聞くと思います。環境の劣化はさらに収穫を低減させ、貧困を永続化させます。また働き手として子供を多く産むため、人口が増加しますます貧困になってしまいます。

 貧困が環境問題を起こしているということを抜きにしても、南北格差という世界規模の不平等が存在している社会は持続させる意味もありません。持続に値する社会を作っていかなければなりません。3つ目、「南北問題」の解決も持続的社会には必須の用件です。




  4 エネルギー

■ 非枯渇生資源へ

 4つ目の要素は、「エネルギー」です。現在のエネルギーは石油、石炭という化石燃料に頼っていますが、現在、化石燃料の利用速度はその生成速度をはるかに越えています。あと30年、50年で枯渇すると言われつづけていると思うのですが、いずれにせよ、そう遠くない将来に枯渇することは間違いありません。そのような化石燃料ではなく、半永久的に供給可能なエネルギー、たとえば太陽光発電、風力発電、潮力発電、地熱発電などがあるのですが、そのような非枯渇性エネルギーに、最終的には移っていかなければならないでしょう。

■ エネルギー消費量が多い

 しかし、現在消費されている量のエネルギーを、すべて非枯渇性エネルギーでまかなうことは難しいのです。仮に、地球上の砂漠に太陽光発電のパネルをしきつめたとしても、全世界のエネルギーはまかなえないと言われています。つまり、人間の使っているエネルギーがもはや余りにも多いのです。

 つまり、必要となるのは、「非枯渇性資源への移行」と「エネルギー消費量の削減」が必要となってくるでしょう。「エネルギー消費量の削減」のためには、「発電の効率化」と、現在エネルギーを大量消費している一人一人の「省エネルギー」が必要です。以上、4つ目、「エネルギー」に関してでした。

■ 4つの再確認:⇒地方への分権と分散

 以上、4つの要素を、繰り返しますと、「自然と人間との関わり」、「人間社会の中での物質循環」、「南北問題」、「エネルギー」という4つの要素について話してきました。これらのそれぞれについて問題点を解決する1つの手段として「地方への分権と分散」ということを考えました。




  5 地方への分権と分散

■ 物質的な自立と意思決定の面での自立

 これはひとつの持続的社会の形として私たちが考えたものです。その具体的な形としては中規模都市と農村との組み合わせによる自立的な区域を設けるといった形です。ここでの自立的とは、物質的な自立意思決定の面での自立を意味します。

 物質的な自立というのは、都市と農村という単位で資源の採取・生産活動・廃棄までをその中で担えるということで、意思決定の面というのは都市と農村というひとつの単位の中で意思決定を行えることです。このようなことをすることには主に次の3つの側面での意味があります。

■ 生態系

 1つ目は生態系での側面です。農村や都市において人の手の加わった自然、例えば、街路樹や花壇の緑、畑や田んぼなど、いわゆる半自然生態系を、緑道で結んだり、川の水を田んぼに引いたりして、有機的につなげることで、それぞれの地区の生態系としての豊かさが増します。そのような点から、中小規模都市を農村と隣接させることで半自然生態系を豊かにすることができます。

■ 物質循環

 2番目は物質循環の側面です。隣接する農村で出来た作物や工芸品を都市に持ち込み、その都市の中で消費し廃棄する、といった流れができれば、資源の有限性やごみ問題が自分の問題として、より身近に考えることができます。また、交通による環境汚染も、移動距離が身近ければ、公共の乗り物を使ったりして軽減されます。

■ 意思決定

 3番目は意思決定の側面です。比較的狭いコミュニティーだと、自分たちの町のことを良く考えるようになり、環境に配慮した意思決定がされやすくなります。そうすると、先ほど言っていたような「対策が効果的に行われない」という状態も、地方にその地方のことを決める権力があれば、比較的対策も行われやすいと思います。

 以上、私たちがこの講義を作る上で考えた「持続的社会」を実現させるために考えなければいけない要素とそのヴィジョンを話させていただきました。




■ 環境三四郎からのメッセージ

 さて、これから全12回、様々な分野の先生方に環境問題について講義をしていただきます。そして、それぞれの知見を元に「持続的社会」というのはどのようなものかというところまで踏み込んで講義をされます。その中には、皆さんが環境問題,ひいては持続的社会について考えていくヒントとなるキーワードがちりばめられているでしょう。

 さて、来週から展開される各講義の内容はどのような部分でつながり、どのような部分でぶつかるのか。環境問題の解決を難しくしているのは何なのか。根本的な解決とはいったい何なのか。環境問題とはそもそも何なのか。

 残念ながら「持続的社会」に対する明確な答えというものは、まだありません。今日お配りした教官紹介冊子を少しめくってみてください。各教官が考える「持続的社会」について書いてあるとおもいます。しかし、それぞれの違ったことが書かれていますよね。それら1つ1つの「持続的社会像」をつなげるのは、受講生の皆さん、私たち環境三四郎、責任教官の先生方、出講いただく先生方、1人1人がしていくことだと思います。

 繰り返しになりますが、「持続的社会とは何なのか」、「環境問題とは何なのか」ということを、受講生である皆さん一人一人が、全12回の講義を通して考え、自分なりのヴィジョンを作りあげていただきたいと思います。


2000/4/14 環境三四郎


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