環境の世紀VII  [HOME] > [講義録] > 6/2 「インターミッション−中間総括」環境三四郎[1]

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環境三四郎による中間総括

インターミッション
−中間総括

  ※環境三四郎による、4・5月の講義の
   大きな流れをまとめた中間総括です。

第2回 地球温暖化・資源エネルギー問題と政治・経済(石谷久)

石谷久
講義録教官紹介

 まず、第2回の講義では、工学系研究科地球システム工学専攻の石谷久先生に講義をしていただきました。温暖化や資源エネルギー問題の解決策としては、まず科学技術による解決が考えられがちですが、その技術と同時に経済的・政治的な要素も考えなければならないということを講義していただきました。

 地球温暖化はそれが起こったときの被害の予測が難しく、経済的に評価されにくいので、対策を立てることが難しいということを、地震と温暖化を比較することで説明していただきました。

 対策を立てるときに考えるコストの種類として、Avoiding CostDamage Costというものがありました。Avoiding Costというのは起こりうるダメージを避けるために投資するコストのこと、Damage Costというのは被害が起こってしまった時に、その被害を回復させるためのコストのことです。このようなコストを考える際には、正確に現象を予測して、それに基づいて計算しなければなりません。しかし、地球温暖化など、被害が取り返しのつかないほど大きいと考えられている問題は、起こってからでは手遅れで、コストがかかっても、今対策を立てなければなりません。

 環境問題の対策を行うに当たって、経済的な負担をより軽くするような技術開発が必要だということ、さらには国際的な対策をおこなうにあたり、政治的要素も同時に考える必要がある、ということをお話していただきました。




第3回 二次的自然の持続性(武内和彦)

武内和彦
講義録教官紹介

 第3回に講義して下さったのは農学生命科学研究科 生圏システム学専攻の武内和彦先生です。講義の中の重要なポイントは、人間が手を加えた自然、すなわち二次的自然というものは人間が適切に手を加える続けることでその生物多様性が増し、人間も自然も利益を得ることができるということについてでした。

 自然と人間というものは完全に別々の物ではなく連続的なものであり、少なくとも日本においては、全く人間の手の入っていない自然はないと言われています。一度人間が手を加え、変質した自然は、人間が手を加えつづけることによって維持されます。昔の武蔵野の雑木林、じつは今の渋谷郊外にあったそうですが、この雑木林では、人間と自然がうまく利用し合える関係が保たれていました。人間は自然から資源をえることができ、自然は人間の手が加わることによってより多様性が増します。

 こういった考えから、人間と自然とが分断されていない里山を見なおそうという「里山ルネッサンス」が始まろうとしています。そこでは、森林を手入れした時にでる木材を、資源やエネルギーといったバイオマスとして利用する技術と社会の仕組みつくりも重要です。資源としての自然は、自然の再生能力を考慮して利用する限り、CO2の固定と放出を繰り返すといった、循環利用ができるのです。また、里山に介入する主体としては、市民が重要視されているということを講義されました。




第4回 環境保全と貧困緩和(中西徹)

中西徹
教官紹介

 その次の第4回は大学院総合文化研究科の開発経済学を研究しておられる中西徹先生に講義していただきました。中西先生の講義では、環境保全と貧困緩和を両立させる政策を扱っていただきました。

 環境政策を行う際には様々な社会的階層間の調整が必要になります。その調整役をフィリピンでやっているのがNGOです。NGOは貧困層の情報も持っているので、貧困層と政府の橋渡し的な役割を果たしているということでした。




第5回 一体誰が決定するのか(鬼頭秀一)

鬼頭秀一
講義録教官紹介

 そして前回、第5回の講義にいらっしゃったのは、東京農工大学農学部で環境倫理学や科学技術社会論を研究しておられる鬼頭秀一先生でした。鬼頭先生の講義では、「いったい誰が決定するのか」という問題提起をした上で、様々な具体例にふれながら、持続的な社会を実現するための方法としてローカルな範囲での自発性が重要なのではないかということを講義していただきました。

 持続的な社会を実現するための方法として上からの1元的な管理と、ローカルな社会での自発的な決定が考えられます。1元的な管理による問題点は、強制によって自由が抑圧されてしまったり、マイノリティの声が無視されてしまうということです。これに対して構成員の自発性に基づくローカルなシステムでは、自分自身に関係する事柄は自分達で決めることができ、そうやって決まったことは、構成員の関係性によって規制しうるものとなるのです。

 人間と自然のかかわりを持続させていく社会では、宗教的・文化的リンクと経済的・社会的リンクは切り離せないものです。現在のような、宗教的・文化的リンクだけを重要視した自然保護や、経済的・社会的リンクだけからみた自然からの資源の収奪では、自然と人間が分断された関係、いわゆる切り身の関係です。そうではなくて、人間と自然の双方向の関係、いわゆる生身の関係が重要です。こういった考えはコミュナリズム、共同体主義といわれており、人間と自然の二分法を超えた概念として強調されていました。

 また環境持続性だけではなく、社会的公正と存在の豊かさというものも考えなければなりません。持続可能な社会の中でどういうふうに豊かに生きていくのか。いま、何が豊かなのかということを問い直すことが必要です。

 環境の持続性を考えるときに、重要なのは一元的な管理ではなくて、ローカルな管理、意思決定なのです。



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