環境の世紀VIII  [HOME] > [教官紹介] > 宇井純

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宇井 純




氏名

宇井 純(Ui Jun)

所属

沖縄大学教授

参考文献

日本の水はよみがえるか(NHKライブラリー)
公害原論合本(亜紀書房)《もし余力があれば》

講義内容要旨

私の歩んだ道の成功と失敗、理論的限界についての40年の体験


環境問題をどうとらえるか

 内部環境(クロード・ベルナール)から地球規模の環境問題まで連続した対象として把握する。おそらく多数の要因が密接に関連していて、正解が一つでない。あるいは正解がなくて行動で選択しなければならない種類の問題が多い。


講義までに学生に考えてほしいこと

 現代の学生が未知の世界で生きるために、これまでの銀行型学習(パウロ・フレイレ被抑圧者のための教育学)はあまり役立たなくて、おそらく学生一人一人の問題意識から出発する問題解決型学習が必要になるであろうこと、その場合に出発点となる信頼できるデータ集としてテキストの必要性。ここで先行したアメリカの大学教育での環境科学の教科書を参考にして、日本でも学生によって環境科学の教科書が作られてもよいのではないか。公教育の果たした教訓、現場へ出ること、わからなくなったら現場で考える。現場の一つは自然である。環境の地域性。


私にとっての環境問題

 まず水俣病、栃木の河川水質、日本の公害の歴史、開拓農家の子弟としての体験


環境問題に取り組んだ動機は(原体験)

 工場で水銀流した体験、加害者としての動機、学生諸君は特に動機をよく聞くが、これによって行動の中味が変わってくるのであろうか。


未来予測(10年、20年、100年など)

 都会(特に東京)に居て考えると悲観的になり、10年後は大変なことになるだろうと感じる。しかし現場へ出て、特に地方の色々な試みを見ると、日本が全部ダメになることはなさそうだと考える。50年、100年後については、日本が戦争をしないことをひたすら願う。この4つの島で日本人が平和に生きることが(人種構成は変わるかもしれないが)議論の大前提であって、最近の好戦的なナショナリズムの活動は我々の全ての建設的な労力を無にして、取り返しのつかない状態をもたらすことを沖縄という現場において痛感するものである。


先生の学生時代の「環境問題」と現在の「環境問題」

 私の学生時代は1950年代の前半で、公害問題の始まりであった。この後60年代に日本の公害研究は少なくとも欧米を10年リードしていたように思う。これが70年代の後半から政治的条件の差で20年の遅れがあり、環境問題の広がりの中でが逆に10年に差がついたと感じる。


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