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 矢坂先生「農業と自然・社会環境の関係」
 ゼミ生の発表「山形県長井市レインボープランの理念と課題
 授業の補足 2002年12月12日 「地域循環型農業」研究会より
   竹田義一「循環型農業で地域を変える─台所と農業をつなぐながい計画(レインボープラン)─」
  現在地矢坂雅充「地域循環型農業の基本的論点」
   総合討論





地域循環型農業の基本的論点

矢坂雅充

目次

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1.循環型社会を支えるモチベーション
2.循環型農業を支える流通チャンネル
3.循環型社会の安定性と隘路
4.地域循環型農業への期待

0.コメント

柳澤

 時間になりましたので、早速始めさせていただきます。
 それでは、矢坂先生、コメントをひとつよろしくお願いいたします。

矢坂(東京大学大学院経済学研究科助教授)

 それでは、私のほうから、先ほどの竹田さんが報告されたレインボープランの概要、問題点、評価を踏まえてお話ししたいと思います。
 最初に、これまでの経緯について少しお話ししたいと思います。
 3年ほど前に、私の学部のゼミの農業実態調査で生ゴミの堆肥リサイクルを勉強したいということが提案され、東北農政局のご紹介でレインボープランに出会いました。その後、これも縁があって、いろいろなところでレインボープランについて話をする機会がありました。国際学会(ポランニー学会)や大学での自主講座の講義でも、環境と農業をテーマにしてレインボープランを事例としてお話しする機会がありました。私自身は他の地域の地域循環型農業をそれほど詳しく勉強しているわけではありませんが、折に触れて長井市に伺って教えていただきながら考えてまいりました。
 きょうは、レインボープランをつうじて、私が考えてきたことをご披露させていただいて、後のディスカッションのたたき台、糸口にさせていただければありがたいと思います。

1.循環型社会を支えるモチベーション

 最初に、レジュメに「循環型社会を支えるモチベーション」と書いてあります。レインボープランは大きく分けて家庭とコンポストセンターと農業生産者の3つの主体がつながって活動しており、そのそれぞれの主体は一体何をモチベーション(動機)として活動しているのだろうかということです。
 かなり単純化していますが、最初の「家庭での生ゴミ分別収集」で環境への関心であったり、またそれを資源にできることへの社会貢献ということになります。当然ながら直接的な利益を得ようというものではなくて、ボランティアとしての動機です。地域での一種の社会規制というか、隣人同士での相互監視という側面もあるのでしょうが、しかし、それはいわゆる市場での評価とは関わっていません。
 コンポストセンターは行政の所管ですから、公共的な目的のもとで運営されています。問題になるのはゴミ処理をめぐる手法・施設の選択ということになります。
 しかし、農業生産のほうは市場評価と無関係ではいられません。もちろん生ゴミ堆肥を使って、レインボープランの農産物を栽培することによって、地域社会や環境の面で役に立ちたいという動機も当然あります。同時に、少なくとも小遣い程度の収益を得たい、逆にいえば、経済的な収益性を無視してまで参加したくないという意識も強いのです。
 したがって、農業生産者がこのレインボープランの3つの主体の中では、ある意味では一番揺れ動く主体、弱いつながりにならざるを得ないのです。非市場的なところで結束しているものであれば、市場環境や市場価格がどのように変わったとしても、活動の持続性にはそれほど影響はないのですけれども、農業生産の場合は必ずしもそのようにはならないということになります。一般的な農産物のほうがよく売れるとなれば、そちらに傾いてしまうというように、レインボープランにおける農業生産そのものの自立性が問われることになります。
 さらに補足的に申し上げますと、先ほど竹田さんから若干ご説明がありましたが、レインボープランの農産物を栽培している農業生産者の多くは、高齢者または兼業農家の主婦、女性になっています。少なくとも当初は、専業農家よりも、高齢者農家、第二種兼業農家がレインボー農産物の栽培を担うという形で展開してきたのです。こういう新しい試みへは、リスクが高くて専業農家はなかなか入れない。しかし、年金をもらっている高齢者兼業農家や非農業からの所得を得ている農家の主婦からすれば、多少の小遣い、自分の自由になるお金が得られるのであれば、レインボープランの試みにも、比較的飛び込みやすいということになります。こうして限界的な農業生産者が重要な役割を果たしてきたと言えるかもしれません。
 以上のように、両面からレインボープランの農業生産を担っている主体というのは客観的に不安定な性格を持っているわけです。
 さて、この三者を全体として見ると、市場の論理でつながっているのではなくて、非市場的な動機でつながっており、その中では、農業生産の担い手が市場との接点を排除しえないだけに、循環の安定性、規模を制約するということがあり得るわけです。
 次に、レインボー農産物生産者と市民(消費者)のつながり方にも非常に難しいところがあると思っております。循環型農業を支える流通チャンネル、つまりレインボー農産物を長井市の消費者に販売していくための流通チャンネルの設計です。これまでの程過をふまえると、最大の問題は次の点にあると思うのです。
 レインボー農産物は一般的な農産物に比べて格段においしいかというと、それほど差がないというべきでしょう。外見はといえば、むしろ一般的な農産物のほうが見映えがよいかもしれません。また有機農産物の認証を受けている農産物と異なって、レインボー農産物は有機農産物の認証は受けていません。慣行農法にたいして農薬や肥料の使用を制限している特別栽培作物にすぎません。それは有機農産物認証を受けられるような厳しい栽培基準を設定してしまうと、生産量の確保がいっそう難しくなるからです。その意味では農産物のモノとしてのメリットとしてアピールするところはそれほどないわけです。重要なのは循環システムのなかで生産されているということで、その農産物が市内でできた生ゴミを醗酵させてつくった堆肥からつくられ、それを消費することが、新たな循環の出発点をなしているという価値であるわけです。そういう農産物の「情報」に対して価値を見出してくれる消費者をどのように見出すのか、また、そういう情報はどのような流通チャンネルが伝えられるのかということが一番難しい点なのです。

2.循環型農業を支える流通チャンネル

 ここでは主な流通チャネルとして、3つのルートを指摘しています。第1は、卸売市場を通じて、市内の青果店や量販店に販売していくという方法です。しかし、実際にはそれほど取り扱い数量が伸びていかないという事態に直面しました。その理由は生産量が安定してない、また品目のバラエティについても量販店側の要望どおりにそろわないということが指摘されてきました。
 最大の問題は、セルフ販売だからではないかと考えます。一般的な農産物と並べて置いてあると、レインボー農産物は、見た目も悪く、味も大差ない。さらに言えば、兼業農家、いわばプロフェッショナルではない人が栽培している可能性もあるわけですから、味も少し劣っているものが含まれているかもしれない。にもかかわらず、これは生ゴミ堆肥からつくられ、市内で流通するレインボー農産物だということを伝えて、それを評価してもらうということが、セルフ販売ではほとんど期待できない。セルフ販売では、価格と外見で農産物は売れてしまう。作物の背景にある思想や考え方、つまり循環の価値を伝えるには適していないチャンネルです。そこでレインボープランは新たな流通チャンネルを模索してきたのだろうと思います。
 そこで第2の流通チャネルとして対面販売が登場しました。産直店やファーマーズマーケットのようにいくつかの地区にレインボー農産物の生産者が核になっているグループが道路脇などに直売場を出している。レインボープランの直営店というわけではありませんが、レインボープランに協賛しているお店でもレインボー農産物を取り扱っています。そこで大事なのは、どういう素姓であるか、有機農産物かどうかといった栽培方法にとどまらず、栽培の背景や意義についても伝えられる人が必要だったのではないかと思うのです。
 さらに進んで、先ほどキッズファームのお話もありましたが、実際に生産に参加してもらうということが大きな情報提供になり、第3の流通チャネルになっていく。たとえば、オーナーシップ制というのも利用されています。これはレインボープランとしての活動ではないのかもしれませんが、この活動に触発されて、そばの畑でオーナーシップ制度を導入している集落も登場しました。収穫作業をはじめとする農作業に参加して、その農産物を分かち合い、またイベントに参加して交流する。それが実は生ゴミを堆肥にして循環させていくということの情報を伝える重要なルート、循環型農業を支える重要なポイントになったと思います。まさに人をどうやって介在させていくか、物ではなくて人だというところが重要だったのだろうと思います。

3.循環型社会の安定性と隘路

 それでは、こういう循環型社会とか地域循環型農業はどういう形で安定的に、継続的に維持されていくのでしょうか。実はそれはそう簡単ではない。レインボープランが長い時間をかけてやっと今のような組織基盤と成果を実現してきたわけで、短時間で他の地域がレインボープランをまねすることは難しいと言われることからも推察されます。後で少し触れますように、各地で同じ取り組みをしようとしているところがふえてきてますけれども、やはりそれには多くの時間がかかる。
 そこで循環型社会の安定性を担保する鍵、言い換えればその課題について幾つか整理しました。1つは、「循環」ということの意義、意味を消費者や流通業者等に理解し、信頼してもらうための仕組みです。この点に深くかかわっているのが先ほどのレインボー農産物の認証システムです。認証システムは、レインボープランの認証委員会のメンバーが実際に出向いて監査し、チェックする。認証委員会は第三者機関とは言えず、自己監査、内部監査になりますが、それでも消費者や生産者や行政が一緒になってレインボー農産物の栽培記録を第三者的に見ているようです。それがこの認証システムの透明性を確保しているわけです。さらに、本当は物量会計あるいは数量管理と言ってもいいのかもしれませんが、本当にこのシステムのもとで生産されたものが消費されているのか、出荷・流通段階で一般的な農産物が混入して、レインボー農産物の出回り量がふえたりしていないか。100トン生産されて150トン流通しているということがないことを確認する努力をしているようです。たんに顔と顔の見える売買という素朴な信頼関係に安住せず、こうした監査システムを組み込み、生産・流通の透明性を確保し、それを広く知らしめていくということが重要な点になります。まさにレインボープランの誇りや考え方を体現する認証システムが欠かせなくなっていくのだろうと思います。
 2番目が、レインボー農産物生産の担い手をどうやって再生産していくかということです。長井市でも、日本の多くの農村と同様に、次世代の高齢者を確保するのはそれほど難しくないようです。それをどういう形で立証するかは容易ではないのですが、次世代の高齢者、つまり現在40歳代ぐらいの世代には、自分たちが退職したらやってみようと考えている人も、少なからずいるようです。レインボー農産物生産の担い手として、高齢者や女性がどのようにバトンタッチしていくのか。それは大規模専業農家をレインボー農産物生産の核に据えていくよりはずっと容易で、現実的なことかもしれません。
 一方で、生ゴミ堆肥の原料生産者である消費者を安定的に再生産していくことが求められていて、先ほどのキッズファーマーズや学校給食にも大きな関心を寄せてきたのだろうと思うのです。レインボープランの仕組みに共鳴してくれる消費者、市民をどうやってつくっていくか。それをレインボープランはいろいろな方法で模索し、実践してきたわけです。
 3番目が、循環のバランスです。循環という仕組みは、1か所が狭くなれば、その狭くなった規模でしか動かなくなります。消費者、コンポストセンター、農業生産者の三者をどのようにバランスよく発展させていくかということが常に求められているわけです。どれか一つが突出して拡大しても、循環の規模は変わりません。循環のバランスを図りながら活動を拡げていくための協調、協議に、レインボープランは相当多くの時間を費やしてきたと言ってよいでしょう。それは今後も続いていく課題です。
 4番目は、循環の規模です。たとえ、循環を構成する主体の活動がバランスよく拡大してきても、絶対的な制限というのが出てくる可能性があります。例えば、家庭の生ゴミを収集しようとしても、遠方から収集すれば、収集コストが余りにも高くなってしまいます。長井市でも中心市街地の5,000戸からしか生ゴミを集めていない。全市の家庭から集めるということもできませんし、まして他市町村から広域的に収集することは現実的ではありません。いわば'循環'にはそういう規模の制約がつきまとうのです。生ゴミの量からコンポストの量が制約され、その限りでは循環の規模の上限がみえてくるということにもなるのです。
 こういう4つのポイントを踏まえて、レインボープランはかじ取りに苦労を重ねながら今のシステムをつくってきました。その中でとくに私自身が興味深く思っていますのは、農業というのは非常にのりしろが多い産業だということです。先ほどの竹田さんのお話では、食というところで皆がつながっているということでした。私はもう少し視点を変えて、それぞれが農業でつながっているところに着目しています。最近、都市では「まちづくり」運動が各地で繰り広げられています。農村でもまちづくり、むらづくりが取り組まれていますけれども、その接点になるのが農業です。どこにでも農業があって、農業はすぐに身近に見ることができる。その農業の「のりしろ」がこのレインボープランでも大きなカギを握っていると思います。
 しかし、レインボープランの中での農業の位置づけは、どんどん拡大し、膨張していく産地、広域的に農産物を販売して発展を遂げる産地にはなりえないという基本的性格をもっています。さらに言えば、膨張型の農業とか社会ではなくて、定常的な社会を目指していると言っていいと思うのです。循環という非市場的な価値を評価してくれる範囲というのはおのずから定まってしまう。例えば地域通貨を導入した地域住民の事例が最近よく紹介されますけれども、レインボー農産物は地域通貨に似ているのではないかと私自身は思います。地域通貨はお互いの信頼関係の中で発行され、利用されていくわけですが、それと似たようにお互いの信頼関係、共働関係を踏まえた社会の中でこのレインボープランのシステムが機能していくからだと思います。
 しかし、こうしたレインボープランの仕組みは、常に協議して、常に参加を求めて、常に信頼できる透明なシステムのもとで運営し、外部にそれを証明し続けていかなければいけない。言い方を変えますと、レインボープランの成果は、レインボー農産物が何トン売れたというような物差しで測られるのではなくて、レインボープランを継続的に運営していく活動のプロセスそのものが重要であって、それに意義があるということです。常に多くの人のエネルギーを投入し続けることが活動の安定性を維持する最も重要な条件であり、また一番難しい点でもあります。いずれ事業システムの完成点に到達して、あとは自動的に活動が展開していくということにはならないのだと思うのです。
 津守先生が以前訳された『農業の大転換』では、コンバージョン理論がドメスティックな調整とインダストリアルな調整を区別していることが紹介されています。産直はよくドメスティックな調整と言われますが、レインボープランは産直とは違う。インダストリアルな調整をしているローカルなシステムといってよいと思います。先ほど申し上げたように不断に協議して、ルールをつくり、契約や認承にもとづいて活動を行なうということを基本としているからです。

4.地域循環型農業への期待

 最後に、レインボープランの評価について話を進めます。3点ほど指摘したいと思います。
 1つは、農村には最低限1つのユニットが必要だということをレインボープランは示唆しているのではなかろうか。そのユニットがだんだん崩れてきていることが、農業の衰退・農村の疲弊への危機感の背後にあると思うのです。
 そのユニットというのは、数戸の専業農家が地域の農地を集中的に借りて効率性を上げるということではなく、兼業農家や、加工業者、外食産業といった多様な業種の人たちを含めた1つの農村社会というイメージに近い。地域社会が若い人がそこに住み続けたいという魅力を失ったり、または住民が地域にたいする誇りを失いつつある。そのなかで、どうやって地域社会の基本的なユニットを残していくか。レインボープランはそれを残すために一つのめどをつけようとしてきているのだと思います。繰り返しになりますけれども、特定部門の生産性を上げるだけでは地域社会の活性化は展望できないという点がとても重要です。そこで協同や、参画の波及効果として社会のユニットを維持、あるいは再生していくことが求められています。言い換えると、農村や農業のセーフティネットを模索する試みでもあります。地域社会・農村の最低ユニットが守られて初めて農業においても広域的な市場での農産物販売とか、グローバリゼーションが進展していく国際市場にも対抗していくことが可能になる。そういう意味で地域社会のセーフティネットが求められてきていると思っております。
 2番目が、新しい産地ブランド形成への展望です。長井市で生産される農産物を全部レインボーの農産物に変えていくというのは到底不可能で、現状でも生ゴミ堆肥製造、レインボー農産物栽培の担い手の制約から、全体の1割にも満たないわけです。しかし、レインボープランの浸透、定着とともに残りの大半を占める一般農産物生産への影響が現われてくるに違いない。レインボープランのように環境や土や人を重視している地域の農産物として新たな栽培認証産地ブランドが培われていくようになれば、消費者へのメッセージも広く伝えられる。それがこれからの新しい産地の性格になっていくかもしれない。市場流通への間接的なインパクトに期待がかけられます。
 3番目が、日本社会に埋め込まれつつある市場万能主義的な考え方を変えていく原動力としての意義です。都市から変わらないのではないか。レインボープラン同様の試みが地方各地に少しずつひろがっています。地方の農業や農村の危機を背景にして運動が起こり、それに共鳴する地元の住民、さらに都市の住民をつくっていく。やや大袈裟に言えば、農村から発信されるメッセージによって、都市の社会の変革が迫られていくということになります。
 じつは農村でも農業にシンパシーを持っている人々がだんだん少なくなっているのが現状です。それは農業と住民の生活との距離が非常に離れてきているからです。農村に住んでいても農業との距離が離れてしまっている。その距離を縮める1つの手法がレインボープランの試みではないか。一定の制度を導入すればすぐにレインボープランのような仕組みができるわけではないのですけれども、地方が先導的な役割を果しうる活動、自立性のあるメッセージを発信しうる活動として非常に魅力的でもあって、東北でも紫波町をはじめとして、いろいろなところがレインボープランをモデルとした活動をすでに始めております。欧米でも都市ではなく、農村からこういう社会変革活動が出てきているのだという話を伺います。日本でも農村での地域循環型社会、循環型農業の取り組みがいろいろなネットワークを張る中で、日本の個々のつながりが見えなくなった都市中心の社会が変わっていく。さらにこうした社会変革によって都市が農村に目を向けるようになり、日本の農業そのものの見方も変わっていくのではないかと私自身は期待しているわけです。
 以上、これからのディスカッションのたたき台にしていただければと思って、印象にとどまっている部分を含めて申し上げました。
 これで私のコメントを終わります。

柳澤

 どうもありがとうございました。
 竹田さんのお話に対して、側面からいろいろな形でコメントしていただきましたので、ある意味では竹田さんのお話がよりよくおわかりになった面もありましょうし、また地域循環型農業についていろいろと理解を深めることができたものと思います。
それでは、これらの基本的論点もふまえて、総括研究討議に進むことにしたいと思います。

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