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環境学におけるデータの不充分性と意思決定

6月8日 松原望

1、イントロ:研究の背景

 皆さんこんにちは。私の学生時代の所属は基礎科学科の物性物理でした。しかし、社会問題の解決に貢献するために理科系の文転もいいかなと思って、統計学の勉強を始めました。スタンフォードで4年間、そして帰ってきてから世の中のためになるように、私の理科系の学問知識と、社会科学系の知識を生かしたいと考え、研究を進めてきました。その後、原子力のリスクや環境リスクについての研究を橋本道夫先生から進められて始めることになりました。環境問題そのものを総合的に研究することは本当に難しいので、何か1つ専門を持って取り組んでいきたいと考えています。


松原望

2、今日の主題

 今日は、環境学におけるデータの不充分性と意思決定判断の問題について、講義していきたいと思います。例えば、昨日、ハンセン病に関わる国家の責任を正式に国民に謝罪しました。これは大事件であります。国民のための政策の主体である国家が謝罪したのですよ。政策は、大きな信頼によって国家に任せられており、不誤謬であるという前提のもとになされているのです。したがって、もし間違ってしまった際にも、その信頼を損ねることになるので、簡単に謝ることはできません。そこで、国家が謝らない状況が必要になってきます。そこにでてくるのが、「データの不十分性」です。十分なデータがない場合、国家が間違っているという決定的な証拠がないのです。

 統計学では、データをもとに様々な意思決定を行っていきます。しかし、環境問題にこの論理を持ってくると、対応が手遅れになってしまうことになります。被害の結果が出ているにも関わらず、何もしない、というおかしなことになってくるのです。私の疑問は、科学的な厳密性というものはそんなに必要なのかということです。ここで出てきている「科学的」ということは、対応を行わない根拠として使われているのです。私は統計学者として、こういう問題に対してモノを申したい!と強く思っています。人の命が関わっているときに、「科学的なデータがないから何もできません」という論理が通用するのでしょうか。だから、環境学におけるデータの不十分性と意思決定の問題について考えています。

 環境問題については、データは不十分、より正確に言えば、「データを出さない」という場合が往々にしてみられます。どうかみなさん、「データがないから何もしない」ということは、科学の悪のイデオロギーとしてとらえてください。


3、水俣病を例に

 さて、今日は、水俣病を事例にこの問題について考えていきます。原田先生とは違った視点から、つまり、行政の意思決定という視点から考えてみたいと思います。今後、皆さんは、この「意思決定」の問題には必ずぶつかるはずです。

 私は水俣には3度ばかり行ったことがあります。様々な資料から分かった当時の化学工業に対する人々の考え方は、「有害排水でも大海に排出すれば稀釈されて問題ではなくなる」というものでした。チッソの工場立地場所の候補は、当初延岡(外海に面している)でした。しかし、水俣の誘致により、内海に面した場所に作られることになったのです。


3−1、水俣病概観・問題提起

 水俣という場所を統計学的に分析してみました。15から20歳の人は、他の県に比べて少なくなっています。高齢者は逆に多くなっています。高齢化している訳ですね。産業3部門の就業人口比は、8:33:58で、これは川崎市と類似しています。「統計」というからには、このような地域のデータについても詳しく調べる必要があります。当時の水俣の写真を御覧下さい。大きい工場が駅前にドーンとあります。「ピカピカの工場がきた!」と地元の人々は大喜びだったそうです。この水俣で何が起こっていたかというと、以下のようなことです。アセチレンからアセドアルデヒドをつくっていたのです。このとき、アセチレンに水をくっつけるのですが、その触媒に無機水銀を使っていたのです。ここで触媒作用を果たした無機水銀が有機化して、メチル水銀の形になって排出されることになったのが、水俣病の原因でした。チッソは、「私たちは無機水銀を使っているからメチル水銀被害とは関係ない」ということを言っていました。したがって、チッソを追求するためには患者側が「無機水銀とメチル水銀」との関係を証明しなければいけなくなったのです。こんなこと、患者側が研究することができるはずないでしょう。というわけで原因は「わからない」ということになったのです。「データが不十分」な状態ですね。したがって、厚生省は患者が出ていながら規制をかけないという期間を30年も費やすことになったのです。

 水俣病は最終的にはとても悲惨な結果になりました。患者の被害が悲惨になっただけではなく、コミュニティーがズタズタになってしまったのです。原田先生からお聞きになったかもしれませんが、家族の中で父親は補償金をもらい母親がもらわない、お隣さんはもらったが、誰々はもらってない。こういうお金の問題がからんでくることによって、コミュニティーの関係が壊されていったのです。水俣病の保証をもらうべきで、認定されていない人たち(=症状はあるが、認定に該当せず、補償がもらえない)もいました。この人々が訴訟を起こし、それに対して、平成1年、行政により陳謝がなされました。未認定患者の救済を政治的に解決しようということです。しかし、これがなされたのは平成1年ですよ。猫が死に、水俣の被害が見られ始めたのが昭和10年ですよ。平成1年まで何年かかりましたか?50年以上も経って、やっとです。この50年間、行政は何をしてきたのでしょうか。


3−2、『水俣病の悲劇を繰り返さないために』

 最近『水俣病の悲劇を繰り返さないために』(平成11年12月)がまとめられました。水俣病に関する社会科学的研究会をつくり、橋本先生始め、法学、医学、経済、社会学・・・の研究者が共同でこの問題について考えてきました。この中にこう書いてあります。

 「科学的知見が問題となっている行政課題について、行政は科学者の論争やコンセンサスを適正に判断する必要がある。行政が科学論争を超えて政策判断を行うためには、行政内部に論争を理解・咀嚼していく力量が求められる。しかし、際限なく不毛な科学的論争が続き、問題の解決が遅れていると行政が判断する場合は、行政は考えられる選択肢とその帰結を示して政治の決断を求め、時期を失せず政策を決定する必要がある

 これがなされなかったのが、まさに水俣病です。企業は自分に都合の悪いデータは出さないものです。データが出るまで永遠に待つのですか?そのときに行政が何をすべきなのでしょうか。データがなくても、どのような論争が起こっているかを見て、解決策を示さなければなりません。それをできるのが、政治なのです。


3−3、科学と政治

 科学は真理の追究のためにあるものです。科学者は口をそろえて「真理の追究のために研究している」というでしょう。社会問題の外で研究していても許される側面も持っているのです。しかし、行政にはゆるされません。行政が「科学」を口にするのは間違っているのです。「科学的に何も分からないから、何もしません」このセリフを行政がいってはいけないのです。ゆるされないのです。

  「真相の解明のために、一〇年や二〇年もかけて争うことは、迅速な紛争解決の見地から言っても、決して許されることではない。四大公害裁判によって、自明のこの理が、一般市民の間にも浸透したことは、大変よいことである。
 では、疫学的な因果関係は、どのようにして判断されるのであろうか。・・・中略・・・ 
  第一は、その因子が発病の前に作用するものであること。
  第二は、その因子の作用する程度が著しいほど、その疫病の罹患率が高まること。これは量と効果の関係とよばれている。
  第三は、その因子が除去されるか少なくなれば、疫病の罹患率、または程度が低下すること。   
  そして、第四は、その因子が原因として作用するメカニズムが、生物学的に矛盾なく説明できること。このことは、必ずしも厳密な動物実験を必要としない。」(『ジュリスト』より)

 要するに、統計的に説明できればそれで充分だと言っているのです。水俣の場合、統計データはそろいすぎるほどそろっていました。患者の数、アセドアルデヒドの生産量、、、これらのデータを見れば、一目瞭然ですよ。しかし、当時原因をチッソに特定するために「無機水銀がメチル水銀にどのように変化するか」ということの証明必要とされていたのです。これは、世界の第1線の科学的知見を用いても難しいことですよ。それを待っていてどうするんですか。

 「僕が教授だった頃は、水俣の問題はやってはいけないことだった。当時水俣のチッソは非常に有能な工場であって、第一線の研究者が働いている場所であり、それを否定する研究は行うことができなかった。」これは、西村肇先生の言葉です。最近になって西村先生は、退官後、科学工学的に水俣病に関する研究成果を発表しました。これは、大変細かい内容で、水俣病に関する全メカニズムが記されています。しかし水俣病が起こっていた当時は、東大工学部でチッソを研究する研究はタブーだったわけです。わたしは、大学における研究者の責任とはなんだろうということを考えさせられました。何千人と言う被害者を出しながら、研究ができなかったのです。「科学的な解明」は不可能だったのではなく、遅らせられたのです。


3−4、ネコ400号実験

 次に、ネコ400号実験という有名な実験を紹介したいと思います。チッソ水俣病院の細川院長がネコにチッソの工場廃水をまぜたエサを与えつづけた結果、水俣病患者と同じ症状をしめしたという研究です。ネコ400号実験は水俣病が起こっている最中の実験ですから、ここまで分かっているのだから、この時点で排水がとめられるべきでした。しかし、排水はとまりませんでした。工場の利益、水俣市の経済状況に重大な影響がでるためでしょうが、ネコ400号実験は、排水をとめる大きなチャンスだったのに、とめることができなかったのです。さらに、細川院長がこの後研究を続けるためには、「この実験の結果を外にもらさない」条件を工場長であった市川正さんに言い渡されました。

 「一例でもってね、判断するというのは非常に危険ですからね」(NHKの番組より)

 これは、その場面を振り返って言った市川さんの言葉です。「1例で判断するな」ということは、私がいつも統計学の授業で学生に言っていることです。私は統計学の論理をこのような場面に持ってくるのは、統計学者として甚だ迷惑だと考えています。だって、統計学の立場からすると「1例で判断するな」ということは、ごくあたりまえのことなのですから。しかしこの論理を水俣病のような場合に使ってはいけない、のです。また、「1例で判断するな」というセオリーと同時に、「1例でも非常に重要なことだったら、その1例をうたがうべきだ」と統計学は考えるべきです。

 細川院長はこの後研究を続けることになったのですが、しかし、実験に使う液は、自分で採取するものではなく工場長から渡されることになりました。後で分かったことですが、この液は、排水口のはるか遠くで採取されたものだったわけです。


3−5、メッセージ

 今日も、同じことがどんどん繰り返されています。HIV訴訟でも同じ論理が繰り返されています。
 「なんのためにサイエンスを勉強しているのか」これを意識しなければいけないと考えています。科学が、環境問題など人間の命にとっての重要な問題に関わる今日、このことを忘れてはいけない。最後のメッセージとしてみなさんに伝えたいと思います。






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