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社会的ジレンマとしての環境問題−放射性廃棄物を事例に−

0.イントロ

 私の専門は、環境社会学で、現在法政大学の社会学部で講座を開いております。私が大学院を卒業する頃は、「環境社会学」という言葉はほとんど聞かれませんでした。最初は社会学をやっていたのですが、自分の問題意識を突き詰めていくうちに、80年代ころに環境社会学にたどり着いていました。今日は、自分の思考過程を振り返りつつ講義していきたいと思います。


6月29日 舩橋晴俊

舩橋晴俊
舩橋先生のホームページ

1.5つの論点


Q1.環境問題解決のために、環境社会学はどのような方法意識を重視しているか。




<社会学の扱うこと=公平性>

 法学や、経済学とは異なる社会学の特色とはなんでしょうか。環境政策を考える際に重要な視点として、

・公正(「手続きの」公正)←法学
・公平(「財の配分の」公平性)←社会学
・効率(「資源使用の」効率)←経済学

があげられます。社会学は、他の学問と比較して、「公平」についてより敏感にアプローチする学問といえると考えます。


<T字型の研究戦略>

ジャーナリストの社会認識と、社会学者の社会認識、どう異なると思いますか。それは、「理論形成」ができているかどうかによります。これは、他の学問にもいえます。私の仕事は、実証的というよりも理論的だといえると思います。私は2年間フランスで学んだことがありますが、理論形成の創造性という点で、フランスの社会学は日本より実績があると認めざるを得ません。日本は、施設も研究費も条件はいいです。研究者も真剣に研究しています。なぜ、研究が劣っているのだろう。あるとき、フランスと日本では「方法意識」が決定的に違うことに気づきました。フランスでは、「実証研究」を積み重ねて「理論形成」を行うのですが、日本の社会学では、「学説研究」を積み重ねて「理論形成」を行おうとしていることが多いのです。本当にオリジナリティーや説得力のある理論のためには、「実証研究」に裏付けられている必要があるのです。これに、45歳くらいのとき気づきました。

 一般性のある理論を形成しようという目標を持ったとき、フィールドに入って広く対象を調べ、その後対象を狭くしぼり徹底的につきつめて考え、そこから理論を形成しようという手続きをとることが重要になります。これをT字型の理論形成といいます。



Q2.戦後日本の環境問題の歴史的段階を、「公害・開発問題期」(戦後〜1980年代前半まで)と、「環境問題の普遍化期」(1980年代後半以後)に分けるのであれば、「環境問題の普遍化期」における環境問題の特色はなにか。




<「公害・開発問題期」と「環境問題の普遍化期」>

 1970年前後四大公害訴訟があり、環境問題に対する意識が高まります。1970年12月の国会で環境に関する法律が一斉に作られたり、その後環境庁ができたりします。1990年以降、第2次環境ブームが起こります。このとき出てきた新しい重要概念として「環境負荷」(環境に対するマイナスの影響)があります。公害問題期には、自動車の排気ガスとして削減するべきとなったのは、CO、HC、NOxなどの汚染物質ですが、環境問題の普遍化期には、CO2が削減対象になるのです。言うまでもなく温暖化=地球環境問題の対策のためです。

 また、原因の拡散性のレベルが異なっています(特色1)。公害の原因主体は企業など特定できましたが、現在の温暖化などは原因主体が個々の市民一人一人なのです(特色2)。さらに、汚染の自覚の困難性があります(特色3)。現在、自動車の排気ガスを普段吸っていたって、すぐに死ぬわけでもありませんよね。しかし、このような微量な負荷が累積すると人類社会に甚大な影響を及ぼすことになります(特色4)。

 また、現前している事態と、予想される事態のギャップがあるということもあります(特色5)。公害の頃は、現前している被害があり、対策は緊急性を要しました。しかし、地球環境問題といわれる温暖化や資源枯渇問題などは、被害は予測されるにとどまります。被害が現前していないとは言っても、対処の緊急性は勿論要求されるべきなのです。なぜなら、例えば今の時点でCO2の排出量を押さえたとしても、温室効果というのはどんどん進んでいくのです。今ブレーキをかけてもすぐにはとまらないということです。しかし、解決の圧力は微弱にしか働きません。しばしば言葉だけになります。



Q3.現在の環境問題を悪化させている社会的メカニズムは、どのようなものか。




環境社会学の問題領域
・原因論、加害論
・被害論 (飯島伸子氏が先駆的な研究)
・解決論
今日のテーマは、原因論・加害論にしぼります。

(1)社会的ジレンマ論

 集合財(=共有環境、共有資源、共有施設)は、非排除性と競合性を持ちます。(非排除性と非競合性を持つのは公共財と定義されます)。たとえば、公園。少ない使用者であれば、競合状態にはなりませんが、たくさんの人が使用しようとすると競合性を持ちます。環境破壊は、少ない集合財をめぐって起こる競合によります。みんなが自分の利益を目指して行動すると、その行動が累積すると自分の首をしめることになる。(例:「共有地の悲劇」byハーディン)


(2)環境負荷の外部転嫁論

 環境負荷を内部化するのか外部化するのか、ということは、かなり重要です。環境負荷の外部転嫁とは、「ごみは他人に、ごみな田舎に、ごみは子孫に」という文句に象徴されます。放射性廃棄物はその典型ですね。また、経済成長は貿易のグローバル化によってもたらされましたが、それは環境負荷の外部転嫁を推し進めることになります。石油などの資源が足りなくなる→外国から持ってくる、木材がない→外国から持ってくるという状態が続くからです。環境負荷の外部転嫁は、環境負荷の際限のない増大を導きます。自分に直接被害は帰ってこないのですから、どんどん資源を使うことができるのです。


(3)環境高負荷随伴的な「構造化された選択肢」への「通常の主体」の巻き込み

 ちょっとした買い物をすれば、必然的にごみがでてしまいます。ちょっとした食品がビニールや紙袋に包まれていたりしますよね。環境高負荷的な構造の中に、消費の選択肢が置かれているのです。社会変革として必要なのは、環境低負荷随伴的な構造を作ることです。しかし、現在は個人の心構えと、技術主義的対策の二つばかりが強調される傾向があります。
 しかし、「共有地の悲劇」などの社会的ジレンマ問題は、技術的な解決ができない問題といわれます。そのとき、社会的規範の変革が必要になります。技術向上と社会的規範の変革は、別個のものとして論じる必要があります。



Q4.放射性廃棄物にはどのような種類があり、日本では、どのように「処分」されようとしているのか。
→青森県六ヶ所村のの核燃料サイクル施設。




 放射性廃棄物
・低レベルの放射性廃棄物
・使用済み燃料=高レベルの放射性廃棄物
・再処理に伴う高レベルの放射性廃棄物
・廃炉に伴う放射性廃棄物

 これらの廃棄物は、どこにいくのでしょう。今、青森県六ヶ所村に続々と搬入されています。(地図参照)
 85年の段階では、2工場(再処理工場、ウラン濃縮工場)と1埋立センター(低レベル廃棄物)だけが作られる予定だったのですが、2001年の現在、低レベル、高レベルの廃棄物、使用済み核燃料が運び込まれ、工場は未完成、廃炉廃棄物もやってくるかもしれない、という状況です。日常の感覚では捉えきれないくらいの量です。歴代の青森県知事はこの企画を推進しています。(もちろん世論は反対です)計画を断れない力関係が存在しているのです。永久埋設処分はしない、という契約が結ばれていますが、50年後、暫定埋設の期限が切れたあと、いったいどこに運ぶというのでしょう。現地の人々は済し崩し的に永久埋設となると恐れています。廃炉廃棄物をどうするか、ということも大きな問題です。



Q5.社会問題としての「放射性廃棄物」はどのような論点を提起しているか。




(1)将来世代が抱える危険性の増大
(2)地域格差の増大 (過疎の村に誘致されたりします)
(3)受益者の無自覚性の増大 (電力使用者は間接的加害者だと考えられますが、往々にしてこの話題に無知。)
(4)無責任性 (発電所建設の際、廃棄物について考えていない)
(5)再処理路線の維持 (廃棄物のはけぐちを確保するための再処理工場の建設)
(6)民主的意思決定をしていない

さいごに

 環境負荷の外部転嫁のメカニズムが一番極端な形であらわれているのが、六ヶ所村の問題です。公平性の問題を考慮しないと環境問題を考えることはできません。触れられなかった点については、参考図書などでどうぞ補足していただきたいとおもいます。

補)講義で触れられなかった論点
Q6.
6−1
放射性廃棄物問題について、今後の政策選択肢にはどのようなものがあるか。
6−2
「持続可能性」の概念からは、どのような選択をすべきなのか。
Q7.
現代の環境問題を解決するための、戦略的な社会変革の方向は何か。


舩橋先生事後企画
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