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廣野 喜幸


氏名

廣野 喜幸 (ひろの よしゆき)

所属

東京大学総合文化研究科

講義内容のイントロダクション

 かつての公害問題と現在の環境問題の違いは何だろうか。私たちはその違いをいくつかあげることができるだろうが、その一つは、公害は現に被害が生じてから問題になったのに対し、環境問題は現実の被害が精確に確定せず、被害予測の段階で問題視されている点にあるだろう。地球の平均気温が上昇しているとして、それが本当に人為によるかどうかはよくは分かっていないし、地球の平均気温の上昇が総体として害をもたらすか利益をもたらすかについても、様々な意見がある。環境ホルモンは確かに被害が予想されるが、現実の被害はなかなか確定できずにいる。このように私たちは、いくつかの環境問題に対して不確実性のもとで意志決定しなければならない。また、被害が確定できたとしても、解決は容易ではない。環境保全か開発か−−往々にして環境と経済は対立する。つまり、環境保全をはかると経済的に潤わない。だが、地球温暖化問題における南北対立からも分かるとおり、貧困がある程度克服されないと環境保全もおぼつかない。かくして私たちは、いくつかの環境問題に対してトレードオフ状況のもとで意志決定し、環境保全を図らなければならない。これらの状況のもとで私たちが意志決定するためには、まず公共空間が創出されなければならない。
本講義では、環境問題における公共空間の創出という課題について検討し、環境にかかわる意思決定はいかにあるべきかを再考する予定である。


参考文献

自然保護を問いなおす』鬼頭秀一(ちくま新書)
「生態工学は河川を救えるか――科学/技術と社会の新たな関係を求めて」廣野喜幸・清野聡子・堂前雅史『科学』69(3):38-58(1999)


講義までに考えてきてほしいこと

 公共空間の創出とは、さしあたり、他人の考えを真摯に受け止め、自分の考えを陶冶することにあるのではないだろうか。自分が、異なる意見に対してどれほど柔軟にとらえることができるかを考えてみてほしい。


先生にとって環境問題とは何か

 公的見解を述べれば、環境問題とは真の民主主義の試金石である。私的なことを言えば、私はもともと動物行動学者・進化生態学者であり、いろいろな生き物をただ眺めているのが好きである。できるだけ多くの生物種が、不要な人為的滅亡を避け、存続してほしい。つまるところ、種の多様性保全が私の環境問題の核にある。


人生に大きな影響を与えた書物

 デカルト『方法序説』。よくも悪くも近代思想の原点であろう。本書は動物機械論でも有名である。生物が機械と違わないとしたら、それを保全する意味はどこにあるのだろうか。環境問題に関心のある人は、そんなことを考えながら読んでもいいかもしれない。一般に哲学の本は、読んでは考え、考えては読むことになる。こうすることによって、自らの思考が鍛えられるのである。受験勉強に比べたら緩慢に思えるこうしたリズムを学生時代に身につけておくことは、何よりの生涯の財産となるのではないだろうか。私の文体は、しらずしらずのうちにデカルトの影響を受けているようだ。


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