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循環型社会の形成に向けて



7月 9日 染野憲治


 環境省の染野です。私は今までの先生と違って、行政官ということで、かなり実務的な面からお話をさせていただこうと思います。今日は「環境の世紀」の講義ということで、環境省がどんなことをやっているかをお話したいと思います。

循環型社会白書

 白書は色々ありますが、環境省が出している白書は2つあります。1つは環境白書で、これは昔公害白書と呼ばれていまして、環境省が環境庁の頃からのもので、かなり歴史がある白書です。もう1つの白書は循環型社会白書と言いまして、平成12年に循環型社会形成推進法という法律ができ、その法律に基づいて毎年国会に報告するということが決められまして、去年初めて出しました。それが1回目でして、今年2回目です。歴史の浅い白書なんですが、5月の末に発表しまして、新聞などにも紹介されたのでご存知の方がいるかもしれません。今日の話はこの中に書いてあることを中心にお話をさせて頂きますので、関心のある方は後で、図書館などでご覧下さい。

イントロダクション

 白書で最初に書いた話が、20世紀の時代、昭和の初めから平成にかけて、わが国が色々得てきたものがある、それは豊かさという言葉でかえられると思いますが、そのようなことです。今日講義を受けていらっしゃる方々は20歳前後だと思います。僕はこう見えても35歳なんですが、たかだか15年の差しかありません。その15年の差でもライフスタイルはかなり違うと思うんですね。僕らの頃に当然であったものが今なくなっていたり、僕らの頃には考えられなかったことが、今大学や、小学校でさえ見られている。例えばインターネットですが、自分のアドレスが学校にあるというのは考えられなかったし、自分のアドレスがもらえたのは、環境省に入って5年目くらいだったと思います。ですから、今から高々10年くらいです。一方で僕らの頃にあったのは、今この辺りで見られないのは例えば豆腐を売りに来るとか、そういうスローなライフスタイル、また、僕らが子供の頃は東京でもカブトムシが捕まえられたし、自然が残っていました。今は、子供自体が少なくなっているというのもあるでしょうが、公園で遊ぶ子供も見かけなくなった。まあ僕らの頃にはテレビゲームなんて無かったですから、例えば野球やドッヂボールなんかをやっていましたが、そういうことをやっている子供も見かけなくなりました。小さい子供から大きい大人までライフスタイルが全部変わりつつあるのかな、というのを感じています。それは豊かになったということの一面ではあります。

昭和30年代

 例えば、昭和30年代、この時代はもはや戦後ではないという有名な経済白書の言葉がありますけれども、これから高度経済成長を遂げていくんだ、という時代でした。この時代は消費は美徳であるという見方で、ものを大量に作って大量に消費して大量に廃棄して、ということが世の中が豊かになることだと考えられていました。この時代には三種の神器という言葉がありまして、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ、これが入ってくるということが豊かになると見られていました。こういういことが悪いことばっかりではなくて、例えば今年の白書にも書いたんですが、それまで女性は朝5時くらいに起きてご飯を炊いていました。電気釜が女性の睡眠時間を1時間延ばし、また、社会進出を促しました。そういう良い面もあるのです。こういうことを考えると、電気とかそういったものが必ずしも悪いとばかりは言えません。

昭和40年代

 昭和40年代に入っても一緒で、三種の神器がさらに進んでカラーテレビ、自動車(カー)、クーラーです。一方で、昭和40年代に入ると、これで良いのかと考える人が出てきました。ちょうど昭和46年に世論調査を行った時に、経済成長があなたの生活をどう変えたかとかそのような質問に対して、生活が豊かになったとか、働く機会が増えたとか、そういう回答もありますが、一方で、公害の問題、交通事故の問題など、そういうものを取り上げた人も多かったです。暮し向きについても、同じようなものですと答えた人が圧倒的に多く、楽になったという人と半々です。右肩上がりの経済成長の中で、楽しいということばかりではありませんでした。その1つの原因に物価などの問題もあると思います。

昭和50年代

 昭和50年代に入ると、重厚長大産業から軽薄短小の産業へと転換し、半導体やICなど、そういうものが市場で大勢を占めるようになってきました。エネルギー消費量とGDPを比べますと、、昔はエネルギーをたくさん使ってこそ、GDPが伸びていたというような相関関係が、50年代くらいからエネルギーをあまり使わないで、世界的に見ても、環境問題、エネルギー問題を克服しつつ、経済成長を遂げたということで良い形で注目されるという時代でした。

昭和60年代

 60年代に入ると、低経済成長時代ということですが、色々な資本ストックも成熟化し、公共的な事業で行われたものも含めて非常に充実してきます。こういう社会ができたというのは、これが我々の20世紀の的確さであってこれを一概に否定する気はありません。
 環境問題を考えると、よく昭和の何年代までならとか昔に戻れとか、そういう話もありますが、それを国民皆が合意するならそれも考えられますが、後で話をしますが、生活水準を落としたり、経済が下がってくるというのは中々抵抗が強いです。ともすると環境問題というのは、環境と経済の対立として捉えられがちです。先週講義をされた倉阪さんも話をされたと思いますが、環境と経済というのは必ずしも対立関係にあるのではないんじゃないのかというのが我々の見方です。イントロダクションはこれくらいにしまして、循環資源の発生利用処分の状況という話にいきたいと思います。


 実際に我々が日本でどのような物質の使い方としているのかということで、毎年調査をしているのですが、物質収支のマテリアルフローというのを見てください。物質投入量21.3億トンで、21.3億トンの物質が入ってきます。7.8億トン輸入されてきます。鉱山など、国内の資源として出てくるのは11.2億トンです。国内で再生されて投入される資源というのが2.3億トンあります。この数字を聞いてどう思うか、意外と再生がそんなに多くないなと思うかもしれません。一割くらいが再生されていくわけですが、ストックとして蓄積されていくのが11.5億トン、一方輸出されていくのが1億トンあります。両方合わせて12.5億トンで半分くらいが投入されたものが使われて、この国に残ったり輸出されたりしていきます。そうすると残りの半分はロスされることになります。何でロスされるかというと、エネルギーという形でロスされるのが一番多くて4.2億トン。エネルギーの話ですから温暖化の話とも関わってきて、エネルギー消費がもっと減れば、CO2の問題のももっと解決していくと思います。5分の1くらいがこの形でロスされていきます。ごみはどうかというと、一廃(一般廃棄物)、つまり家庭から出るごみ、産廃(産業廃棄物)、つまり工場から出るごみ、それを合わせて2.9億トンです。食糧というのは我々が食べている分で、1.3億トンでこれはしょうがない分です。あと散布とか揮発とかこれもちょっと自然に消費されてしまうのですが、これが0.9億トン。そうすると、4.2億トンのエネルギーと3億トン近くのごみをどうするのか。じゃあ21.3億トン自体を減らすのか、それとも21.3億トンのうちの2.3億トンを増やせば良いのか、エネルギーをもっと減らせば良いのか、どこをどういうふうに抑えていけば良いのかということをこれから我々は考えていかなければならない、というのを1つの考えとして持っていてください。21.3億トンというのはどういう数字かといいますと、ちなみに昭和45年は今から約30年前でした。15.4億トンでした。僕達の今は1.4倍くらいで、高度経済成長の時期よりさらに多いということになります。

 今一廃と産廃という話が出たので、廃棄物処理法という法律での話をしますと、産業廃棄物は事業者が処理をします。特別管理産業廃棄物というのはPCBなど毒性や危険性が高いもので、こういうものは特別に処理をします。もう一方は一般廃棄物でこの中にし尿などの処理も含まれます。特別管理一般廃棄物というのは先程の産業廃棄物の時と同じで危険性の高いものです。事業系ごみと家庭系ごみというのは何かといいますと、事業系ごみというのは例えばその辺のラーメン屋さんとかオフィスとか商売しているところから出るごみも一般廃棄物です。産業廃棄物とどう違うかといいますと、産業廃棄物は工場から出たら、その工場主が責任を持って処理するんですが、一般廃棄物は市町村が処理をします。ですから、街中で商売を行っている人というのは自分が出すごみに事業系ごみのシールを貼ってその分の費用を負担した上でごみを出しています。この事業系ごみがとても多く、それを市町村が処理をするべきかどうかという問題もあります。あとは家庭系ごみで、粗大ごみと一般ごみに分かれています。今言った廃棄物がどのくらい出るか、先程よりもう少し細かい統計で見ると、家庭から出る一般廃棄物の方は、年間で5145万トンで1人辺りになおすと1日辺り1.1キロです。昭和40年は700グラムでした。これが明治の時代だと東京で大体200グラムくらいで、今は非常に量が増えています。これらのごみは焼却されたりし、最終的に埋め立てに行くのは1087万トンで5分の1くらいです。産業廃棄物は桁がもう1つ違って4億トンで、再生利用されるのが1億7千万トンで最終的に埋め立てにいくのが5千万トンくらいです。一般廃棄物に比べて廃棄物のリサイクルが進んでいますが、それでも5千万トン最終処分です。これで何も改善されていないのかというと、そんなに悪いことばかりでもないです。例えば昭和60年には産業廃棄物は、GDP1単位につき26万トンごみとして埋め立てしていましたが、平成11年の同じ数字は、10.38、約10万トンです。ですから少なくとも昭和60年代に比べて、少ないごみの量で同じだけのGDPを得られるというような産業が育成されているということの証になります。これで全て良いというわけでもないですが、1つの方向として改善される方向にあるというのは事実です

 では、こういうごみを処理する時どういう考え方で取り組んでいるのかというと、まず、産業廃棄物に関しては、排出者責任という考え方があります。排出者責任というのは字を見れば分かると思いますが出した人が責任を取るということです。この考え方の基になっているのは汚染者負担の原則で、Polluter Pays Principleということで、公害問題の原則になる考え方です。OECDで1970年代に発展してきた考え方なのですが、廃棄物に関してもこういう考え方を基本にしています。ごみを出した人が最後まで具体的な処理に関する責任を負うべきだという考え方です。これを具体的なことに関して話しますと、産業廃棄物は全て排出者責任で処理するという考え方ですから、例えば工場内で出たごみを自分で処理する場合は廃棄物処理法上の処理の責任に関する規則などに関して許可はいりません。自分で出したものを工場内で自ら処理するわけですから、それにいちいち国が公共的に関与するということはしません。一方で逆に言えば、産業廃棄物として出てきたごみを国が補助金などを出して施設を作ったりして処理するということはできないということになります。それは非常にフェアじゃないことになります。ですから、産業廃棄物に関しては国は補助金などそのような制度は持ち合わせていないことになります。例外的にどうやっても処理が進まないもの(例:PCB)、非常に先進的な事例のトップバッター(エコタウンなど、例:北九州市)などは財政的に関与する場合もありますが、原則的にはそういうことはありません。

 もう1つの基本理念に、拡大生産者責任という考え方があります。拡大生産者責任というのは英語でEPR(Extended Producer Responsibility)と書きまして、これは元々スウェーデンの人が提唱したと聞いています。これは生産者が全責任を負うと言っているわけではなく、生産者が生産した製品が使用され廃棄された後に、製品のリサイクルや処分について一定の責任があるという考えです。責任に関してはシェアするという考え方ですから、消費者も責任がある、生産者も責任があるということです。何となく作ったものは、全部生産者が悪い、全部費用も持つということではなく、この辺りも誤解されやすいのですが、責任を持つということと、費用を払うということはこれはまた別の話になります。責任に関してはメーカーなり生産者も責任を持ちますが、全部持つわけでもなく、費用も全て払うわけでもありません。この考えで作られた法律に家電リサイクル法という法律があります。知っている人もいるかと思いますが、捨てる時にお金を今度は払わなければなりません。家電をリサイクルするためにメーカーは何の責任を果たしたかといいますと、色々なリサイクルの工場を整備したり、それを引き取るための物流を整備したりしました。こういう責任は全部メーカーが果たしました。責任に関して言えば、捨てる人は分別したり場合によっては持ち込んだりとシェアされており、費用に関してはご承知の通り処理代を払っています。ですが、処理代を全て払っているかというと、実際には一部メーカーが負担している面もあります。こういう考えで容器や家電のリサイクルを進めていっています。こういう制度を進めていくと、何が起こるかといいますと製品設計に影響を与えます。例えば、家電リサイクルをすることによって引き取ることが前提になってくると、メーカーからからすると最終的に自分のところに戻ってくるわけですから解体しやすい製品を作るようになります。数十種類のプラスチックを使うのでなくて数種類で作るなどします。容器リサイクル法に関しても、最近のペットボトルを見れば分かると思いますが、一番最初のものに比べて3分の1くらいの軽さになっています。それはあの法律の中でどのような材料を使っているか、どれくらいの重さであるかに応じて処理のための費用を徴収する仕組みになっています。3分の1の軽さにすれば同じ値段で3本作れるわけですからメーカーも努力します。それができなくても例えば、アルミ缶のペットボトルがありますが、アルミ缶になりますと、容器包装リサイクル法で費用を払わなくて良いというシステムがありますので、材質転換が行われます。それからリサイクルするためにメーカーも自主的に色のついた容器を使わなくなります。こういうように、一気に変わっていくわけではなく、即日効果が出るわけではありませんが、徐々にメーカーが一番自分達が都合の良くやりやすい方向で対応を考えて緩やかに変わっていくという効果があります

 法律の中には色々な法律があります。例えば廃棄物処理法資源有効利用促進法容器包装リサイクル法特定家電用機器再商品化法、これでは何のことだか分かりませんが、これが家電リサイクル法です。それから循環型社会形成推進基本法があります。他にも法律があるのですが、質問をしようと思いますが、家電リサイクル法という法律を知っていなかった人いらっしゃいますか?(誰も手をあげず)優秀ですね。誰もいない。では廃棄物処理法というのを知らなかった人はいますか?恥ずかしがらず手を挙げましょう。(7、8人手を挙げる)やっぱりこれくらい知らないですね。ちなみに去年世論調査をしたところ、家電リサイクル法を知っている人は85%でした。さっきは100%でしたので非常に優秀ですね。廃棄物処理法は44%でしたので、2人に1人くらいです。容器リサイクル法を知らなかった人はいますか?(数人手を挙げる)これは35%ですから3人に1人くらいです。それでは循環型社会形成推進基本法を知っている人手を挙げていただけますか。(10人弱手を挙げる)一度環境省へ来た人を除けば大体5、6人くらいですね。これは大体11%くらいでしたので10人に1人です。色々法律はありますが、大体法律というのはやってはいけないことを知っていれば十分で、家電リサイクル法などは料金を払うので分かるんですね。容リ法(容器包装リサイクル法)は、義務はあまりありませんが、最近缶やペットでこういうのが使われているなということで知っている人は知っている。廃棄物処理法なんかもあんまり一般には関係なく、普通は市町村や事業者がどうするか決めていまして、これも名前がわりとスタンダードだから知っているだけで、さほど生活に影響はありません。循環型社会形成推進法は誰の生活にも影響が無くて、事業者の生活にも影響がなければ、守ろうが守るまいが知ろうが知るまいが、本当に関係ないんですね。なぜそうなるかというと、法律は作る時に国民の権利制限や義務を課すという面がないと作ってはいけないんですね。それを法律事項といいます。それで唯一権利制限しなくて良い法律で基本法というのがあるんです。わが国はこういうふうに進む、こういう問題はこういう体系でやるというような理念をまとめて作る法律です。この基本法に基づいて循環白書を作ったり、循環型社会形成推進基本計画を作るというのが政府に対するオブリゲーションになっています。国民や事業者に対しては、こうしたほうがいいよ、こうするべきだという努力規定や義務規定ですが、知られにくいです。困ってしまうのは、理念の統一なので逆に本当は一番知っていてもらいたいんです。全ての廃棄物処理法やリサイクル法というのはこういう考え方の理念体系の基で作られるわけですから、法律について意見する場合はこれを知っておいてもらわなければなりません。他にもこの法律にはわが国のリサイクルというのはReduce、Reuse、Recycleで進めていくと書いてあります。こういう概念を知っておかないと話が進まないので是非知っておいてほしいと思います。

 ということで今から説明していこうと思います。まず、循環型社会とは何かということです。1つは廃棄物等の発生抑制をしようということです。廃棄物等というのはごみだけでなく、在庫で余っているものや副産物などもで、Reduceをしよう、それで、循環資源を適正に循環的に利用しましょう、Reduce、Reuse、Recycleしましょうということです。どうしても循環できないものに関しては適正に処分しましょうというのが、定義です。これをやることによって物質投入が抑えられて環境負荷が低減されるというのが循環型社会の考え方です。他には何があるかというと、例えば、7条の基本原則、何が循環でやっていこうかということです。一番初めは発生抑制から進めようということでReduce、次がReuseでこれはビンなどですね、洗って回したりします。次にマテリアルリサイクル、これは例えばペットボトルを繊維にして商品を作ったりする、もう1つがサーマルリサイクルでこれは物にするのではなくて熱にしてリサイクルを進めるということです。そして適正処分で5段階で基本的に回していこうというものです。これを作る時にドイツの法律を参考にしていまして、ドイツの法律ではマテリアルリサイクルやサーマルリサイクルは順序付けではなくて条件付けになっていまして、一定上の基準を満たせばサーマルリサイクルをやったりなどです。マテリアルリサイクルとサーマルリサイクルの順序をつけるのは正しいかどうかですが、サーマルリサイクルをもっと評価すべきでないかという声もあります。その辺りはものによるというのが正直なところです。燃やさざるを得ないものを捨てたり、質の悪いものを作ってしまうよりはサーマルリサイクルした方が良いですし、かといってサーマルリサイクルをどんどん推奨してしまうとマテリアルリサイクルできるものがそのようにリサイクルされなくなってしまいます。絶対にこれでなければというと固くなってしまいますので、法律の中にもこの順位によらない方が環境負荷の低減に有効である場合はこの限りでないとあります。

 法律に関してもう1つ話すと循環型社会形成推進基本計画というのを作ります。環境基本法に基づいても環境基本計画というのを作ります。これは自然保護はこうしようとか、地球環境問題はこうしようとか、今後わが国はこういう形で環境問題に取り組むということが書いてあります。そのようなものを作るのですが、この前法律上は来年の10月末までに作るということになっていましたが、半年前倒しして来年の3月までに作ることになりました。作って閣議決定、国会報告です。色々調整がありますので、12月くらいには原案を作って、そしてパブリックコメントが1ヶ月くらいかかりまして、概ね今年度末までに作ろうと思っています。作った後は5年毎の見直しです。その後は他の計画はこの計画に沿った形のものになります。法律ができた後に中央環境審議会で計画を作るための指針を作り、環境大臣に意見書を渡し、パブリックコメントを行い、その後に各界からヒアリングをし、その後に案を作っていきます。そして基本計画を協議して閣議決定、国会報告というような手続きになります。以上が循環型社会形成推進基本法の話になります。

 最後に課題という話をしようと思います。白書にも書きましたが、今年は循環型社会形成推進基本計画を作ります。さっきも手を挙げてもらいましたが、11%の人しか法律をしらないということもありますが、11%の人しか法律を知らないようでは循環型社会形成推進基本計画を作っていることを知っている人はほとんどいないでしょう。ですから、皆にもう少し考えてもらいたい、意見を言ってもらいたい。循環型社会って何だろう、法律にはあるけど一体具体的にどんな社会なんだろう、ゲームを我慢するのがいいのか、それとももっと日本が進んだ技術を持っていくのがいいのか、そういったことを今年の白書の中の序章でもわりと読み物的に最近の動きを紹介しています。ライフスタイルが変わってきているのではないかという話があります。それを表している話にスローイズビューティフルという話があります。明治学院大学の文化人類学の先生が書いた本です。スローという言葉にエコロジカルだとかサステイナブルだとかそういう意味がこめられています。それの対極にグローバル化という話があって、社会はそれがこのまま進むのか、スローという慎ましやかな形態、伝統的な知恵、食生活、人と自然のつながり、こういうものをもう一度評価するのか、どっちにいくのか、という話です。豊かさというのはある程度までは良かったのですが、ここにきて皆少し疲れているのではないか、ある程度ペースを落として暮らしていくのが良いのではないかという考えです。白書にも書きましたが、20世紀というのは物の所有という手段にゆとりや時間というものを得ようとしました。さっき電気釜の話をしましたが、これによってゆとりや時間を得た、ところがここで得た時間がゆとりになったかどうかが分からない。逆に手段が目的化して、ものをし所有したいので、時間をどんどん消費したい、ゆとりを消費したい、大きな家がほしいから残業したい、車がほしいからもっともっと自分を消耗させていかなければならない、そういうような方向になってきてしまっているかもしれないですねということを書いています。じゃあ例えば具体的に何をやるかということを考えた時に、リサイクルショップの例があります。商店数、販売数、こういうものが伸びてきています。他にもフリーマーケットや環境を特に意識しているわけでなく、雑誌でのユーズドファーニチャー特集、DIYなどがあります。これは単に流行で終わるかもしれませんし、もしかしたら日本に根づくかもしれない。食べ物のことを考えると、マクドナルドでファーストフードというのがありますが、それに対してスローフードという概念があります。これは1986年に北イタリアの方で、ファーストフードによって、時間をかけてゆっくり食事を食べるという伝統が脅かされているのではないかと危惧した人たちが、逆にスローフードという言葉で、従来の食べ物を食べて伝統を守っていこうというNPOを立ち上げました。北イタリアの小さな町で始まった運動が、今や6万人38カ国まで広がり、日本にもあります。皆マクドナルドのように世界中どこへ行っても同じということに危機感を持っていることがあります。日本風に言うと地産地消というものがあります。有名なところでは山形県の長井市のレインボープランがあります。

 イベントでも愛知万博なんかもイベントはあんまり環境に良く無さそうだけど、やるからには環境に良いものをやろうということがあります。北九州市でも博覧会をやった時に何とかごみを出さないようにやろう、例えばデポジットをやったり、あるいは分別しているところをブースで見せたりということをやりました。広い意味のライフスタイルでは悲観するだけではないです。

 ライフスタイルに対してビジネススタイルがあります。企業は何もしないのかというとそうではありません。例えば、静脈産業のソリューションビジネス、どんなことをやっているかというと、例えば具体的に言うと松下電器なんですが、蛍光灯の管理を一括で引き受けるというビジネスとしてやっています。ある程度量があると、こういう方が経済的にメリットもあります。ものを作って売るだけではどうも成り立たないということを考え出した動きが出てきています。また、動脈産業、静脈産業が協働するビジネス、例えばトヨタの話ですが、車を作っている会社があって、中古の自動車部品を扱っている会社があって、これが手を組むことで中古パーツで値段が安くなり、また、流通などが上手くいき、修理が必要な時にやりやすくなる。他にもリース家電、東芝の学生や単身赴任者向けのリースなんかがあります。企業の方も色々知恵を出しています。環境関係のビジネスは2010年くらいには市場で大体18兆円、雇用にして41万人くらい、今から5年まえの97年の数字が大体12兆円ですので1.5倍くらい、もしかしたらもっとあがるかもしれません。

 ちょっと違う方向から、国民の意識というのはどう変わっているのか分析しました。ごみ問題に関心がありますかと聞くと9割の人は関心があります。では何が問題かというと、大量生産、大量消費、大量廃棄、という非常に模範的な回答で、国に何をしてほしいかと聞くと、ごみの排出を減らしてほしい、ここまで良いんですが、じゃあ何かやっていますかと聞くと、深刻なことは分かっているんですけど、多くのものを買って多くのものを捨てている人も2割以上いますし、もちろん何も考えずに捨てている人も何%かいます。関心があるとは言っても実際の行動とはどうも乖離があるようです。もう1つの特徴は女性が熱心で、若い男性がどうも苦手らしい。ちょっとまた手を挙げてほしいんですが、ごみの分別はあまり自信ないという人、正直にいきましょう、手をあげてください。(1人手を挙げる)あ、正直な人1人しかいませんね。何で分別できないんでしょうかね?「住んでいるところが分別しなくて良いんです」横浜川崎方面ですか?「川崎です」川崎はあまり分別をしないんですよ。他に分別をしない人は言いづらいでしょうから、分別が苦手な人手を上げてください。何ででしょうか?「燃えるごみと燃えないごみの区別が難しいんです」あれは難しいですもんね。コミックバンチという漫画でもそれがネタになっているくらいです。大まかに言えばもえるもの、燃えないもので、プラスチックをどっちに入れるか迷うくらいですね。あれは自治体によって違うんです。自治体の歴史とそこに持つ処理施設によって違います。例えば川崎、横浜は何で分別しないのかというと、川崎なんかは全国の自治体の中でも先進的なところなんです。昔の時代ではごみの収集というのは一種のサービスであるからなるべく市民に負担をかけない方が良い、という考え方で、細かく分別しないようになっているんです。もう1つは地域の特性というものがあって、焼却施設やコスト、人口によって各地で違います。それで、何で若い男性が不得意なのか分からないんですね。分別しやすいという人は女性はどの世代でも大体8割くらいで、男性も30歳超すと7割超えるんです。20歳代男性だけが55%と低いものですから、理由が分からないんですね。もし気付いた人がいたら環境省までメールください。若い人が悪い悪い言っているばかりでもなくて、レンタル製品をよく使うという面があります。中古とかそういったものに抵抗を感じていないようで、比較的変わってきているのかもしれません。生活水準を落とさずに大量生産、大量消費は続けたい、後はリサイクルで何とかしようというのが若い世代に多いです。循環型社会に行くのはしょうがない、少し我慢しようという人が2割くらい、もっと積極的にいくべきだという人も2割くらいです。考え方は色々で、循環型社会になるとしても納得する人、消極的にいく人、積極賛成でいく人と分かれています。

 最後に循環型社会はどういうイメージですかというのを白書の中で3つくらいA、B、Cで書いてみました。簡単に言うと、Aは技術で何とかしたい、分別とかせずに全部まとめて回収して回収したところで分けて、あるいは生ごみなんかはどんどんバイオマスにしたり、サーマルリサイクルの施設を作ったりと、大量生産、大量消費で技術でやっていこうというものです。Bはスローイズビューティフルみたいな世界になってきて、ワークシェアリングとかでもう少しゆっくり生活してもいいのではないかというものです。Cはビジネスのやり方で、例えばリサイクルショップやレンタルショップや環境関係のサービス、IT化などの産業の発展によって物をあまり所有しない、利便性はそんなに落ちず、やり方が変わっていく、環境という観点から考えると効率の高い、そういう社会です。参考に経済モデルを使って分析すると、Aでやると経済成長率は一番高い、廃棄物は技術が進むのでそこそこ減りますが、エネルギーを使うのでCO2の問題があります。Bでやると、CO2の排出量も最初一気に減ります。あんまり長くやっていると技術が中々起きず、ごみの方がある程度下げ止まりが始まります。CはCO2に関してはAほど増えませんがB程は減らずそこそこ、経済に関してもA程上がらずB程下がらずそこそこ、ごみに関してはものを所有しないシンプルな社会なの一番減っています。どれも一長一短だとは思いますが、最後の手上げです。(大体Aは17人、Bは17人、Cは38人くらい)白書にはどれが良いとは書いていません。Aがいいか、Bがいいか、Cがいいか、あるいは自分の考えDか、BとCを足すのか、様々だと思います。とにかく皆に考えていってもらいたいと思います。こういうことも友達と話したりしてみてください。

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