第10回講義内容

途上国の環境問題と新しい工学


東京大学大学院 工学系研究科 化学システム工学専攻 定方正毅


1まえがき                           

 東京国立近代美術館に展示されている梅沢竜三郎画伯の"北京秋天"は、戦前の北京の秋の青空が世界一美しかったことを示す有名な作品である。ところが、昨今の北京は、青空どころか、ほとんど毎日スモッグに覆われ、世界でも有数な大気汚染都市に変わりつつある。
 中国の大気汚染は、近年ますます深刻化している。酸性雨で有名な重慶では、ガン発生率が他の都市に比べて明らかに高くなっていると報じられている。上海では、工業地帯に隣接している小学校が大気汚染が原因と考えられる気管支系疾患にかかる児童が急増したためたえ、郊外に移転したと聞く。
 中国の大気汚染の元凶は、煤塵と硫黄酸化物(SOx)である。このうち、煤塵のレベルは、近年、発電所や各工場で電気集塵装置が設置され始めたため、いくらか低下して来ているが、SOxに関しては依然として増え続けている。このため、わが国をはじめ、先進諸国から中国への脱硫技術の移転が試みられているが、いまだ実効は上がっていない。
 

2中国への環境技術移転はなぜ進まないのか?


 これまでわが国から中国に対してODA資金を用いた政府主導型の環境技術移転および民間企業によるさまざまな技術移転が試みられたにもかかわらず、実際に中国で、その技術が定着し、普及するきざしが見えてこないのは一体どこにその原因があるのであろうか?これを、技術供与側のわが国の問題および技術受け入れ側の中国の問題に分けて考察して見る。
 まず、技術供与側であるわが国の問題点に付いて述べる。
 @中国が本当に必要とする技術が供与されてない。
 技術移転とは単に、先進国の技術を途上国に持っていけば良いものではなく、途上国の条件に適合するように改善する必要があることは云うまでもない。
 第一に必要なことは、中国の技術ニーズとわが国のそれとは異なることの認識が必要である。例えば、中国ではかつて、先進国で広く使われている流動層燃焼装置が数多く導入されたあ、現在は、そのほとんどが動いていないと云われる。その最大の原因は、中国の石炭は選炭が十分行われていないため、ハサミと云われるガン席上の者が混入しており、これが、流動層内で激しく流動し、層内に設置されている熱交換に衝突してこれを破損してしまうためである。これなどあらかじめ先進国側が中国で燃焼に使用する石炭の性状を充分調べその性状に適合するように中国の技術者と協力して流動層を改良していれば避けられた事であろう。ただしわが国で開発された数多くの流動層のうち内部循環型流動層に関しては、流動状態が比較的おだやかであるため、上記のような問題は生じにくいのではないかと考えられる。
 また、わが国で、最も普及している湿式石灰―石膏法も中国では適合し難いと考えられる。この原因は、上記プロセスがわが国の比較的クリーンな排ガスに合わせて設計されているため、高濃度の煤塵が含まれている中国の発電所ボイラーの排ガスには適合せず、このため、所期の脱硫性能が得られないことが多い。これなども、中国の発電所ボイラーからの排ガス性状を充分把握した上で、従来技術の改良を行っていれば避けられた問題ではなかったろうか。さらに、中国では、現在、水不足の状態であり、特に北部は黄河の水が涸れる位に深刻である。その結果、農地の不毛化が年々進んでいる。したがって、水を大量に用いる湿式法は、水が比較的豊かな南部はともかく、北部では適合しない。したがって、中国に適合する脱硫技術の方向としては、乾式かあるいは、湿式でも使用した水の再循環を徹底的に追及した新しい省水型プロセスの開発が望まれる。これらは、わが国の技術力を持ってすれば、クリアーできる技術課題であると筆者は考える
 A低コスト化への努力不足
 中国は、現在、環境よりも経済成長優先であり直接生産につながらない環境対策への投資はほとんど期待できない。したがって中国に環境技術が受け入れられるためには低コスト化が必要不可欠である。こうした方向のものとして従来の湿式石灰―石膏法に比べてコストが1/3〜1/5で済む半乾式脱硫技術や簡易湿式脱硫プロセスの開発が行われ、中国への導入が試みられている。しかしながらいずれも副生成物が有効に使われない点、また、省水型とは云え従来の湿式の70%近く使うため、中国に受け入れられ、普及する兆しは見えていない。やはり、なお一層の省水化の努力、および副生成物である石膏の有効利用は考えるべきであろう。
 Bメインテナンス体制の不備
 技術移転がうまくいかない原因としてメインテナンス体制の不備が挙げられる。例えば、脱硫プロセスの1号機が完成したとしてもその後のメインテナンスが充分行われないためやがてプロセスの運転が止まってしまう場合も伴い、これでは技術移転どころかむしろ技術廃棄といえる。メインテナンスの問題は、中国の基盤技術及び社会システムとも関連しているのでむしろ技術受け入れ側の問題ではあるが、やはり当面はメインテナンス体制も含めた技術移転を考えざるを得ないであろう。
 C途上国の主体的な技術開発意欲を引き出す努力の不足
 わが国もかつては欧米から数多くの技術移転を受け入れた経験があるわけであるが、そのうちかなりの部分が立派にわが国に根づき、さらにより高いレベルの技術に成長し、わが国の高度経済成長に大いに貢献したことは記憶に新しい。技術移転が本当に成功するためには、技術受け入れ側が技術移転を自分たちの技術として受け止めて、それにさまざまな工夫と改良を加えてその技術をその国に適合する技術に発展させられるかどうかにかかっている。おのためには、移転技術の設計の段階から途上国の技術者に参加してもらうことや、中国側が主体の技術開発に積極的に協力してゆく姿勢が必要となろう。
 D技術移転のための人材が育っていない
 技術はあくまで人から人に伝えられるものである。したがって、真の技術移転が行われるためには、専門の知識と同時に、相手国の文化、慣習および人間を充分に理解して、相手国の立場に立ってものが考えられる人間が中核になる必要がある。残念ながら、わが国では未だ十分にそのような人材が育っているとは云い難い。これは、われわれ大学側の教育にも責任があるが、企業側にも積極的にそのような人材を育てていただくことを期待したい。いずれにしても今後、技術移転のための人材を企業と大学が一体となって育てていく必要がある。 
 E日本の企業の短期的な収益指向
 企業が利益を追求するのは当然であり、これ自体を批判することは出来ない。しかしながら、これが行き過ぎると技術移転がうまく行かないだけではなく、わが国と中国との間にかえって相互不信を招くことになりかねない。例えば日本の企業は技術のブーメラン現象を恐れて、最新技術を供与してくれないという批判が途上国側からしばしば聞かれる。また、日本の企業の人達から、中国の仕事はもうからないからもうやりたくないという言葉も聞かれる。いま、わが国の企業人が考えるべき事は、技術供与により中国が経済発展すれば巨大な市場が開け、やがては日本の企業のさらなる発展にもつながると云う長期的な展望を持って積極的に技術移転を進めていくことではないだろうか?
 わが国の戦後の経済復興とその後の高度成長は、第一に、日本国民の勤勉さとわが国の企業人の旺盛な企業家精神によるものであったことは論を待たないが、それと共に、わが国に戦後の賠償を求めなかった中国および、早急なリターンを求めずに、細心の科学技術を供与してくれた米国の寛大さに追うところが大きいことを忘れてはならない。また、わが国の歴史を遙かに遡ると、仏教、儒教をはじめとして、中国から伝来した文化がわが国
の文化の発展にはかり知れない貢献があったことを考える時、われわれはそれらに対して何万分の一
かの恩返しをすることが、いま求められているのではないだろうか?
 次に技術受け入れ側の中国側の問題点について述べてみたい。
 @中国企業の環境意識の低さ
 残念ながら、中国企業人の環境に対する意識は現状では極めて低いと云わざるを得ない。これはわが国との政治体制の違いもあって、郊外に対する住民運動、マスコミの告発がほとんど見られないこと、また行政が本気になって企業に環境基準、排出基準を守らせようとする気が無いことが原因である。特に、近年中国農村部に数多く作られた郷鎮企業は、中小企業が大部分のせいもあって、環境対策はほとんどなされておらず、汚染物質をそのままたれ流す結果、中国の環境汚染をますます拡げている。かつてわが国の企業も高度成長前期の頃は同様であったことを考えるとこの問題の解決は容易ではない。
 A移転技術を支える基盤技術の弱さ
 中国への技術移転の最大の問題点の一つは移転技術を支える基盤技術が未だ充分に育っていない点である。したがって、技術移転に際しては、その技術が真に中国に根づくかどうかを判定する必要がある。そのためには移転技術基盤の技術レベルに関する評価と中国側の基盤技術のレベル評価を行い、両者の間にどの程度の開きがあるかを明らかにした上で、その技術の移転可能性について判定する必要がある。また、単なる環境技術だけではなく中国の基盤技術を高めるための支援を行うことが、今後なお一層重要になると考える。 B資本力の欠如
 中国では、未だ資本の蓄積が進んでおらず、したがって、巨額の投資を必要とする環境対策技術は、それが仮に中国の経済発展に有効であることがわかっていても、実施不可能な場合が多い。したがって、現在、巨大な資本を有しながら、バブルがはじけた後、国内に有効な投資対象が見いだせないわが国から中国への資本投下がこれまで以上に望まれる。 
 C主体的技術開発能力の欠如
 前に述べたように、技術移転が成功するためには技術受け入れ国が移転技術に改良、工夫を加えて、さらに優れた技術に改善できるかどうかにかかっている。これまで、中国に脱硫装置や流動層技術が導入された後の経緯を見ると、厳しい言い方ではあるが中国側には導入技術を改善、改良して、完成された技術にまで持っていく努力が不足しているように思われる。この点は、現在の中国の工学教育に問題があるのと、技術が先進国から押しつけられたものと感じ、自分たちの技術を育てると云う意識が希薄になってしまうためではないかと思われる。前者の工学教育に関しては、中国に於ける教育の問題なので、日本側の努力だけではいかんともしがたい面があるが、せめて日本に来ている中国の留学生に対する工学基礎教育を充実させると同時に、わが国の技術移転のやり方に原因の一端があるとも考えられ、前述したように、設計の段階から受け入れ相手国の技術者をさんかさせる、中国側が主体の技術開発を積極的に支援するなどが求められる。
 また、中国では、環境研究は中国科学院や大学で活発に行われているが、環境動態や植生への影響の圏空が中心であり発生源対策技術の研究が少ない。これが、中国には環境の研究があって技術無しと云われるゆえんである。これは、後者の研究が、環境科学の研究の主流とは見なされないこと、また前者に比べて研究費がかかることに起因しているのではないかと考える。今後、中国において発生源対策技術の研究が増加すれば、自主的な環境技術開発能力も増大することが期待できる。
 D知識・技術の一人占め
 中国では、個人が知識、技術を一人占めする傾向が強い。したがって移転技術が優れたものであっても、その個人あるいは組織に留まったままである傾向が強く、広く普及することが少ない。これが技術移転の大きな障害になっている。これは国民性の問題でありいかんともし難いが、このような、個人主義、利己主義が、中国の技術発展にたいして大きなブレーキになっていることを認識する必要があると思われるので、あえて苦言を呈させていただく。
 以上、述べたように、わが国から中国への環境技術移転が進まない原因は多岐にわたり、極めて根の深いものであることがおわかりいただけたかと思う。特に中国の企業に環境改善への意識が低く、環境対策はマイナスの投資と云う意識がある限り、これまでのようなかたちでの技術移転が成功する見通しは、まずあり得ないと考えて良い。それでは、解決の方法は全く無いのであろうか?     
 現状で唯一可能な方法は、中国の企業の生産第一主義、利益第一主義を逆手に取って、脱硫技術を環境対策技術としてではなく、SOxを原料として有価な物質を生み出す生産技術であると認識してもらうことではないだろうか?しかもそこから生み出されるものが、近い将来、中国に於いて、最も深刻な問題になると予想される食糧問題の解決につながる副生物であるならば、脱硫プロセス導入の強力なインセンティヴになるのではないかと筆者は考える。
 

3アルカリ土壌改良のための石膏生産設備としての脱硫プロセス


 米国ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン所長は“西暦2030年には、中国は、現在の全世界の総輸入量2億トンを上廻る2億2千トンから3億7千万トンの穀物を輸入せざるを得なくなるであろう”という予測を発表して、世界に衝撃を与えた。これに対し、中国政府は“現在の12億の人口が15億に達する2020年には食料生産高は、現在より1億8千万トン増加し、輸入量は現在より最大でも2倍の水準に留まる”として、食料自給は基本的に可能であると反論している。ワールドウォッチの予測は、中国の耕地面積が今後も減り続けることを前提としているのに対し、中国政府の予測は、耕地面積が現状で維持されることを前提としている。しかしながら、中国では、1980年代から年平均20万ヘクタール以上の耕地面積が減少し続けており、1994年には年間減少面積が70万ヘクタールに達したと報じられている(環境公報)。したがって、中国が将来、食糧危機を回避できるかどうかは、耕地の不毛化を防ぎ、さらにすでに不毛化した土地を土壌改良によって、再び耕地に戻せるかどうかにかかっていると云えよう。
 中国の農地の不毛化の最大の原因の一つは、アルカリ土壌化(写真1)である。地表面からの水分蒸発量が降雨量を上廻る乾燥地域ではナトリウムを含む地下水が上昇し、水分が蒸発した後、地表面でナトリウムが集積化する。その結果、土壌構造が緻密化してツルハシでも破砕が困難なほど固化して、雑草すら生育できなくなる。これがアルカリ土壌化のメカニズムである。現在、中国に於いては、アルカリ土壌は乾燥地、半乾燥地に広く分布しているが、特に北緯40度以北の中国東北部、北部に集中的に存在しており、その総合面積は10万kuを下らないと推定されている。
 土壌の改良には、石膏が有効であることが知られているが、天然石膏は、産地が偏在していることもあって、高コストであり、実際にはほとんど使われていない。そこで、筆者らは、脱硫プロセスから副生物として得られる脱硫石膏がアルカリ土壌の改良剤にならないかと考え、東大農学部の松本聡教授、電中研の新田義孝氏、資源技術環境研究所の稲葉敦氏らと共同研究を開始した。まず、中国瀋陽市郊外のアルカリ土壌を送ってもらい、脱硫石膏の土壌改良効果を調べるためポットを用いた小麦の栽培実験を行った。結果は、写真2に示すように、種を播いてから6週間経過後において脱硫石膏を加えない場合は、小麦が全く生長しなかったのに対し、脱硫石膏を0.5重量%以上加えたポットでは、正常に生長した。この結果には、土壌学の専門の松本先生も“農業の実験でこれほど明瞭に差が出るのは珍しい”と驚いておられた。
 さらに、本年6月から9月にかけて、実際のアルカリ土壌でも効果が出るかどうかを調べるため、瀋陽市科学技術委員会の協力を得て、瀋陽市康平県に200uのアルカリ土壌をお借りしてトウモロコシの栽培実験を行った。脱硫石膏は、瀋陽市に脱硫設備がないため
現地調達ができず、電源開発のご好意で、日本から運んだものを用いた。その結果、ポット実験と同様に石膏を混入しない場合はトウモロコシは全く生長しなかったのに対し、石膏を0.5%〜1.0%添加することにより正常に生長することが分かった。この結果は、瀋陽市も高く評価してくれて副市長の芝延隼氏は近い将来、瀋陽市の火力発電所に脱硫装置を設置して、大量の石膏を生産し、周辺の土壌改良を行いたいと述べてくれた。
 来年度は、内モンゴルのフフホト市周辺のアルカリ土壌も対象地域に組み込んで、よち大規模の圃上実験を行う予定である。
 この中で
1)石膏による土壌改良効果は何年間維持できるか?
2)中国に適合すると考えられる乾式あるいは半乾式脱硫プロセスから得られる脱硫石膏は有効か
 等を明らかにしてゆく必要があるが、これまでの研究結果だけからも、脱硫装置を石膏生産設備として普及させ得る可能性が出てきたのではないかと筆者らは考えている。
 

4終わりに


 中国への環境技術移転が進まない原因について、筆者の見解を述べ、その原因の重要な部分のいくつかが中国側にあることを示した。したがって現状では、環境技術移転を成功させることは難しいが、唯一可能性のある方法としては、中国側に、環境技術を有価な製品の生産技術と認識してもらうことであると述べた。
 その一例として、石灰を用いた脱硫プロセスから得られる脱硫石膏を、耕地不毛化の原因の一つであるアルカリ土壌の改良に利用するための研究の一端を紹介した。もとより、筆者らは、脱硫石膏のみが有価な副生成物であると考えているわけではなく、これ以外に硫酸や硫安肥料など、種々考えられる。重要なことは脱硫設備を単なる発生源対策技術、環境浄化設備として捉えるのでなく、有価な農業あるいは工業資材の生産設備として捉え、これを中国側の技術者、研究者と協同で開発してゆくことではないだろうか?
 本拙文を読まれた方農地、一人でも多くの方が、このような認識に立って、中国への環境技術移転に従事されることを、切に望むものである。
 
   初出 「中国研究」(JETRO No.372,P.30〜 1996)
 編者注:
 本稿に示された石膏によるアルカリ土壌改良については、以下の論文が詳しい。
 正式に刊行されているかどうかは、不明なので、各自研究室に問い合わせてみると入手できるだろう。
 
「脱硫装置からの石膏と石灰灰を用いたアルカリ土壌の改良」
飯野福哉*1 青木正則*2 新田義隆*3 松本聡*4 定方正毅*1共著
 *1 東京大学工学化学システム工学科(文京区本郷7-3-1)
 *2 (株)テクノサービス(千葉県我孫子市我孫子1646)
 *3 (財)電力中央研究所(千代田区大手町1-6-1)
 *4  東京大学大学院農学生命科学研究科