第2回講義内容

日本の環境行政にかかわって


元環境庁長官 地球環境連絡会議参与 
岩垂 寿喜男
 

T環境問題に関わるようになった理由


 私はずっと社会党の左派にいて、労使問題を扱っていた。そんな私が環境問題と関わるようになったのは、まず第一に故郷へのノスタルジアが挙げられよう。私が生まれ育ったのは長野県の松本で、豊かな自然環境を肌で感じながら少年時代を送っていた。第二に、政界に出馬した際、立候補した選挙区が川崎であったことだ。当時の川崎は製鉄企業の「城下町」と呼ばれていて、特に公害のひどい地域だった
 

U日本における公害問題


 a公害という現象
 公害という現象には以下のようなものがある。
 
・有害物質が人体に入って害をもたらすもの
              (健康の被害)
・金属が腐食したり、作物がとれないなど 
              (財産の損害)
・酸性雨や松枯れ、森林の消失など    
             (生態系の損害)
・海水浴ができない、眺望が損なわれるなど
           (アメニティの損害)
 
 日本の場合、公害の発生源となる大きな工場は、埋め立て地に立地した臨海工業地帯に集中していた。このため、加害者を特定することが比較的容易であった。ところが、これが自動車などになると、同じ人物が加害者であると同時に被害者でもある、といった状況が生じてしまうことがあり、問題解決を困難にしていた。
 
b日本における公害問題の変遷
        〜公害の激化と世論の形成
 1950年代後半からの高度経済成長に伴い、各地の臨海工業地帯を中心に公害が激化した。これに対して、地域の被害者らが積極的に世論に訴えていくようになり、その運動をマスコミが取り上げるようになっていった。国民の側にも、「明日は我が身」という意識もあって、広くコンセンサスが得られた。住民運動の典型といってもいいだろう。 このように、国民の世論と地方自治体による現場への対策、そして国による監視というパートナーシップが、日本の公害対策への大きな原動力となっていった。このことは、世論が日本の政治を動かしたという点で、民主主義の原理が
正しく働いたといえる。
 また、これからの環境問題を考えていく際には、過去に起こったことの後始末・対処療法だけではなく、現在進行中の問題(中海・諌早湾の干拓問題など)や、将来起こりうる可能性のある問題(1)(発展途上国でのものなど)についても視野に入れておかなければならない。
 
c地方自治体の対策
その結果、まず地方自治体が先駆的にこれらの公害問題に対して、以下のような措置を執るようになっていった。
 
・被害者・患者への補助
・企業に対するSO2などの排出監視・規制
・低硫黄の化石燃料への転換
・企業との間で公害防止協定を結ぶ
 
d国の対策
 この地方自治体の動きを受けて、国レベルでも公害問題への対策をナショナル・ミニマムとして制度化しようという動きが生まれた。その大きな転機となったのが、1970年に開かれたいわゆる
「公害国会」である。当時の首相は佐藤栄作であった。
 公害国会では、大気汚染防止法や水質汚濁防止法などの法律が制定され、公害対策に関する法体系の整備が行われた。また、環境基準(2)や総量規制(3)といった考え方も公害対策に用いられるようになってきた。
 

U生物多様性について


 戦後日本の近代化の中で、社会のあらゆる面で大都市への集中が進み、逆に地方は過疎化が進んでいった。自然との触れ合い・自然に対するノスタルジアは、環境問題にとって非常に重要なバックボーンでもあるが、現在、都市に住む多くの人々は、そうした自然との触れ合いの場を持つことが少なくなって来ている。これは大きな問題だ。
 環境庁では、そうした自然との触れ合いの場を守るため、国立公園などの指定を行って、白神山地のぶな林や屋久島の屋久杉、白穂のアオサンゴといった貴重な環境を保護している。また、ナショナルトラストなどの形で、天神崎や知床のように住民による保護運動も行われている。
 

Vこれからの課題


a日本の動向
 今年12月に京都で開催されるCOP3(4)では、地球温暖化ガスの排出削減に関して具体的な数字の取り決めが行われるが、現在議定書という形で取り決められている、2000年までに温室効果ガスの排出量を1990年レベルに押さえ込もうという目標は、ほとんどの先進国では達成されていない。日本も7%余り超過してしまっているが、この目標が守れなかったならば、2000年以降、国際的にどのような排出規制を行っていけばいいのだろうか。ゆゆしき問題である。
 日本は目標を守れなかったが、これを期に、燃料転換やアイドリングストップ、エコスクール(5)など、あらゆる手段で温暖化ガスの排出抑制に取り組まなければいけないと考えている。
現在、世界では国際協調の動きが強まり、以前のように大規模な戦争を心配しなければならない状況ではなくなってきている。核戦争は人類存亡の危機であるが、環境問題は人類の生存環境が侵されるという意味で、それ以上に深刻な危機なのだから、軍事費を環境対策に転換してゆかねばならない。
 
bこれからのトレンド  中国について
 これからは中国が世界的にも環境問題において注目すべき存在になるだろう。
今年6月に開催される国連総会では、1992年の地球サミット(6)の成果が報告されるが、今年から5年後の2002年には、中国で環境サミットを開催させたいと考えている。
 

W本稿作成者より


 なぜ私たちが環境を守らなければいけないのか、環境問題を考える際の思考的基盤とは何か、といった問題への学問的なアプローチについては、テーマ講義第7回目の加藤尚武先生(環境倫理学)の講義録に詳しいのでそちらを参照されたい。しかし同時に、そういった論調の一方で、美しい自然環境へのノスタルジアに訴える岩垂先生の考え方が、たいへんシンプルで、わかりやすく興味深いことにも注目されたい。
 戦後の経済復興の中で、都市部に人口が集中することによって都市の肥大化が進行し、都市に暮らす人々の間では自然と接する機会が減少していく、そしてそういったノスタルジアを形成できない人々も多くなってきているという現状で、これまでの日本の「公害問題としての環境問題」から、生態環境の保護や自然と人間との交流といったものも含めた、より大きな意味での「環境問題」への転換を行ってゆくことが、大切になる。そしてそれに伴う思考的基盤といったものについても、講義の最後に先生が言われたように、これからの世代を担うことになる私たちが考えていかなければならない、大きな問題・宿題である。
 
 最後になったが、講義の当日、駒場キャンパスの西にある小川のそばを先生とご一緒して通りかかったとき、数人の子供達が網で魚を捕まえているのを見て、「何とってるの?」と聞く先生に、「おたま!」と子供達が元気よく答えたのを覚えている。駒場の自然の豊かさ・有り難さを改めて知ると同時に、先生の人柄に頭の下がる思いだった。
         (本稿作成者 山崎真治)
索引
 
・エコスクール:
学校の屋上に太陽電池を設置して、学校の電力を賄おうというもの。             3
 
・起こりうる可能性のある問題:
環境庁では、国立水俣病総合研究センターを設けて調査研究および発展途上国への支援をおこなっている。                  1
 
・COP3:
気候変動枠組条約第3回締約国会議のこと "Conference of Parties third session"の略称    2
 
・環境基準:
特定の地域社会において、「これ以上は環境を汚染してはならない」という基準。        2
 
・1992年の地球サミット:
ブラジルのリオデジャネイロで開催された国際会議のこと。                 3
 
・総量規制:
全体の排出量をあらかじめ決めておいて、規制を行うこと。                 2