第3回講義内容

生物多様性とその保全

 
東京大学大学院 農学生命科学研究科 
野生動物学研究室 
樋口広芳
 

はじめに〜保全生物学の概略


 本講義では、まず保全生物学の概略を述べ、次に実際に私が関わってきた経験をもとに、保全生物学が考えていることや果たす役割について話す。
 保全生物学は、生物多様性を保全・回復するための学問である。地球上には既知だけで150万種もの生物が生息している。未発見のものはその10倍はいると言われている。だが現在、この自然環境が急速に変化し、かつてないペースで生物種の絶滅が進行している。このような状況下において、生物種を絶滅から守るための生物学的方法を探求するのである。例えば希少な鳥や昆虫、そしてそれらの生育環境を存続させること、そのために減少の原因を解明し取り除くこと。これらの問題に生物学的側面から取り組むのである。ただし、保全はそれだけでは達成されず、社会科学と密接な関わりを持っている。
 
 以上が保全生物学の概略であるが、詳細は「保全生物学」(東京大学出版会)を読んでいただきたい。
 以下では、私が実際に関わっている渡り鳥の保全について話す。
 

T渡り鳥の保護


aサンコウチョウの減少とその原因
 カッコウ、ツバメ、アカモズ、モズ、キビタキ、サンコウチョウ(目の周りとクチバシが青く、尾が長い、美しい鳥)、アオバズク、アカショウビン(南から来る、美しい鳥)、ヨタカ。生物種1つ1つが、クチバシの形や大きさなど、独自の形態を持っている。
 その違いを利用し、違う場所に生息したり、同じ場所でも資源を分け合い共存している。これが多様性の仕組みである。
 
 日本で夏鳥が減少している。ここではサンコウチョウの減少を取り上げる。埼玉県東松山市での調査によると、1972年には83箇所で見られたのだが、1995年にはこの地域から1羽もいなくなった(図1)。また、野鳥の会が高尾山で行なった調査によると、サンコウチョウは1980年頃に急速に減少し、1985年にはいなくなってしまった。その他の夏鳥も減少している。
 
b減少の原因
さて、夏鳥の減少の原因であるが、次の3つが考えられる。
 b-1森林(生息地)の分断・縮小
 図(2)は、鳥の数と孤立している森林面積の
関係を表したグラフである。10haではほとんど0である。サンコウチョウが生息する割合を示した図(3)を見ると、10ha以上で急に生息が容易になる。一方、埼玉県の森林分布を調べると、1980年頃に森林が急速に減少したことがわかる。

 ただし、森林面積の減少はそれほどひどくはない。鳥の減少はもっと急激であるし、10ha以上の森林は今でも多い。つまり、これだけが原因ではない。
 b-2農薬の散布
 70年代、80年代には各地の森林で農薬散布が行われた。
 だが、他の鳥の減少は緩やかである。サンコウチョウだけが急激に減少していることを説明できない。
 
 b-3越冬地での環境破壊
 サンコウチョウはスマトラ付近で越冬している。ここの熱帯雨林の状況を調べると、1980年には減少が進行しつつあり、1985年までの5年間で急激に減少していた。まさに日本での夏鳥の減少と同じ時期である。状況証拠ではあるが、熱帯林の破壊が日本の夏鳥の減少の原因であることが大いに考えられる。
 

Uツルの渡りの衛星追跡と生息地の保全


a画期的な調査方法
 ヒマラヤを渡るツルたちがいる(編者注:講義中ではスライドでその姿が投影された)。数千から数万の群れで、1万km近い距離を季節的に、毎年往復している。この場合、1箇所の保全では不十分であり、鳥が行く先々で、その場所の自然環境を保全するために、追跡が必要となる。
 そのため足輪が使われるが、1万羽につけて1羽程度しか再発見されない。そこで、人工衛星を利用した方法(Satellite Tracking)が用いられた。鳥につけられた送信機から出される電波を気象衛星「ノア」が受信し、地上の受信基地へ送る。その情報から位置解析機関が緯度・経度を割り出す。こうして研究者が位置を知ることができる。この方法で、地球上どこにいても位置を把握できる。この衛星追跡の目的は、渡りの追跡により鳥とその生息地を保全することである。
 
 ツルは希少な鳥であるが、鹿児島に毎年1万羽のマナヅル(世界の2割)、ナベヅル(世界の8割)が来る。しかし彼らがどこから来るのかはわかっていない。
 
そこで、2羽の親子にマッチ箱程度の大きさの衛星用送信機(PTTsと呼ばれるセンサー)を付けた。コンピューターの画面で時々刻々と、ツルの位置がわかる。九州から北朝鮮を経て、東海岸沿いに中国の三江平原へと進むルートと、朝鮮半島からチチハルに進むルートがある。(図4)渡りのパターンを見ると、ノン・ストップではなく、中継地で休息と栄養補給をすることがわかった。ツルの個体ごとに、何処で何日過ごしたかをグラフにすると、板門店で50%から70%も過ごしており、渡りの中継地として重要であることが判明した(図5)。
 ここは韓国と北朝鮮の国境付近で、自然が残されている。このように、渡り鳥の動きが、コンピューターで手に取るようにわかるのである。
 三江平原はかつては広大な湿地だったのだが、現在は中国の開発によって住宅地や耕地となっており、湿地は虫食い状にしか残っていない。
 
b衛星追跡の結論
(1)渡りにおいて、中継地、越冬地、繁殖地がリンクしている。渡り鳥の保全は、このリンクを考えて保全計画を作らなければならない。
(2)朝鮮半島の非武装地帯(板門店近辺)が渡りにとって重要な役割を果たしてきた。
(3)日本国内の研究者、技術者と、渡り鳥が行く先々の自然保護家との協力、友
好関係と共同研究が重要である。
 
c衛星追跡の保全への成果
(1)北朝鮮のいくつかの中継地を国の保護区にした。
(2)日本からのツルの行き先と判明したアムル川周辺に、サンクチュアリを作った。
(3)中国・黄河河口のツルの生息地が保護区の範囲外にも広がっていると判明したため、保護区の範囲が見直されつつある。
(4)日本野鳥の会による三江平原の保全計画が、衛星追跡に基づいて立てられ、国際協力の重要性が示された。
 

V講義の総括


(1)
渡り鳥を対象に、生息地を調べた結果、繁殖地だけでなく、中継地の状況が重要であると判明した。
(2)
遠く離れた生態系は、渡り鳥によってつながっている。鳥は各地の生態系で一定の役割をしており、その生態系は鳥がいて初めてうまく機能できる。
 熱帯などの遠くの自然を壊すと、日本に来る鳥が減る。するとその鳥は日本の生態系で役割を果たせないので、日本でも環境破壊が進む。逆に、日本の環境保全がロシアや熱帯林の保全にもつながる。日本はロシアの鳥を冬に借りているようなものだ。遠く離れた自然環境は、身近な自然環境と密接に結び付いているのだ。
 
 今日の講義では、比較的良くわかっていることを話したが、まだ明らかにしなければならないことはたくさんある。手つかずのテーマも残されている。それらは、若い人たちが今後取り組んで欲しい。
 

W講義後の勉強会での議論から

 
Q:なぜ生物多様性の保全を行うのか。
A:人間の影響で環境破壊が起こっている。だから、できるだけ、人間の責任において自然環境を保全しなくてはならない。
 
Q:だが、人も自然の中の生物ではないか。
A:しかし、ただの生物ではない。移動能力を始め、破壊能力が強大である。
 
Q:「保全」といっても、自然も変化するものではないか。
A:自然のままの変化なら良い。例えば、ある種が自然に大繁殖して生態系が一時的に乱れても、それに手を加えるべきではない。
 しかし、人間が外来の生物を移入したり、故意でなくても貝が船にくっついて移動するのは、自然な移動ではない。その結果外来生物が繁殖して生態系を大規模に攪乱(かくらん)したりするのであれば、それは、人為的な変化であり、防ぐべきである。
 
Q:多様であることが大切なのか。
A:「自然の状態」であることが大切なのだ。針葉樹林のようにもともとあまり多様でないのなら、その状態が良い。その土地土地によって自然状態での多様さは異なる。無理に多様性を高めようとするのは必ずしも好ましくない。
 生物を外部から移入すると、種数は増えても、本来の生態系を乱す。要するに、多様なら多様なほど良いのではなく、本来あるがままの多様度が良いのだ。
 ただ、現在の日本では手つかずの自然は少ない。二次林、里山、田畑などがほとんどだ。二次的自然をどう扱うのかについては、理念が確立していない。
 
Q:人間と自然との利害対立についてはどうか。
A:ある生物が増えて困るという場合、2つの手法がある。1つは、殺して減らす方法。もう1つは、増えた原因を調べ、それを取り除くこと。カラスが増えたのは、人間の生ゴミが増えたからだ。つまり人間の飽食が原因なのだ。したがって後者を十分に考えないと根本解決にならない。
 
Q:どの生物を優先的に保全するのか。(優先順位)
A:保全生物学においては、「人間生活に役立つものを保全する」というのは重要視していない。人間生活のための保全は、農林業における保全である。しかし私たちは立場が違う。生物は自然のしくみ(系全体)の中で一定の役割があり、甲乙付け難い存在である。名もない昆虫も大切なのである。
 実際には資金も時間も限られているので、保全の対象とする生物を選ばなくてはならないが、まず現状把握し、希少種を優先する。
 人間の都合も大切だが、今まではそればかりだった。例えばブナ林ならブナ林独自の環境があり、それは固有でそれ自体が大切なのだ。
 
Q:絶対的保全を目指すのか。
A:保全にも、手つかずの自然状態への回復を目指す場合と、二次的自然の維持・回復を目指す場合がある。日本においてはほとんどが二次的自然であり、それらをどういう形で保全していくかは課題である。
 里山のような二次的自然の場合、それへの接し方については一般的な合意が得られていない。例えば、下草を刈ることは環境を変えることになるのか、管理として必要なのかなどといったことははっきりとはしていない。
 
Q:自然環境はそもそも変化するものなのに、保全は必要なのか。
A:種の盛衰や生態系の攪乱(かくらん)は、自然に起こる場合は良い。乱れても、自然に起こるのは一時的であるし、修復できる。だが、人間が現在行っている環境破壊は明らかに自然なものではない。恐竜の絶滅さえも数千万年単位であったが、人間が現在引き起こしている絶滅は数年から数十年単位であり、自然状態では起こらない速さであり、回復困難か不可能である。
 
Q:環境と開発の関係についてはどうか。
A:環境と開発は二者択一ではない。熱帯林の破壊にしても、一時的には一部の人の利益があるかもしれないが、結局は人間の生活基盤そのものを失ってしまう。
 どちらか一方ではなく、第三の道があると思うが、具体的にはわからない。
 
Q:「保全生物学」というが、保全は自然科学だけではできないのでは。
A:保全生物学は自然科学、社会科学を合わせた総合科学であり、7割方は生態学や他の生物学諸分野、残りが法律、倫理、社会学などである。
 私たちは、自然界の論理(自然科学的知見)を踏まえた上で考える必要がある。
 
Q:環境保全の根拠について。
A:保全の理由は、自然そのものの価値のためでもあるが、人間のためでもあり、二者択一ではない。人間は自然の中の一つであり、人間の考え抜きでは保全も成り立たない。人間は良くも悪くも生態系の鍵を握る存在だ。
 
Q:NGOの活動について}
A:日本のNGOは弱い。私が所属していた「日本野鳥の会」でさえ会員数5万人である。それに対し、例えばイギリスの自然保護団体RSPBは70万人、グリーンピースは500万人である。
 保全は自然科学だけではできないので、日本でもNGOが盛んになって欲しい。
 
Q:樋口先生の自然保護の活動については?
A:私の活動はほとんどが自然科学の立場からのものであった。
 学生時代には、日光や東京湾の干潟の保護のための社会的活動に加わっていたが、その後は社会的活動には参加していない。それは、自然科学の専門を活かして保全に貢献したかったからだ。生き物のことを生き物の立場で研究し、保全の指針になるようにと努力してきた。社会的活動は片手間ではできなく、中途半端では役割が果たせない。それよりも自分にしかできないことをやろうと思ったのだ。
 
 それで、専門以外のことはやっていないのだが、そのことを今、多少反省している。たとえ専門が中心でも、社会的活動にもかかわるべきだと思う。
 

X生徒のレポートから


 樋口先生の講義・勉強会とそれに伴う保全生物学の勉強で、環境問題における重要なポイントについて自分なりに考えてみる。
 
この講義から考察されることは、次の4つに要約される。
 
(1)環境保全の理念・態度
(2)環境保全と人間生活との対立
(3)自然科学の意義・社会との関わり
(4)個人の環境保全への関わり方
 
 樋口先生の保全生物学の基本理念「生物多様性(=種々多様な生物が存在していること)そのものに価値を置く」ことが私の考えのもとになっている。私にとっては環境保全は、人間の利益のため以上に、多様な生物の "Natural History" を守るというアプリオリな根拠によっているように思う。 生物はそれぞれが生態系の中で独自の生活史を持ち、一定の役割を担っている、かけがえのない存在であり、優劣つけがたい存在である。
 人間の行為によって、生態系の破壊、生物多様性の減少が引き起こされている。従って人間は、自らが引き起こした破壊に対処し、生態系を回復させねばならない。保全の理想的な目標は、それぞれの地域・環境に本来ある多様な生物の世界を、あるがままに保全することであり、自然状態の進化の進行を保護することである。
 現実には自然のままに保たれている土地は少ないが、二次的自然の保全も重要である。里山や都会の緑地帯は生物にとって大きな意味をもつ。
 なお、生物種がかけがえのない存在であることは、生物学を学ぶ中で感じられるものである。
 
 人間生活がかかっているのだから環境優先はできない、というのは環境保全反対の常套的な根拠である。それに対しては2通りの根拠で反論しよう。
 
 環境破壊は結局は人間生活を危うくする。温暖化、オゾン層破壊、異常気象など、このことはもう明らかである。人間生活と環境保全がトレードオフの関係となるのは短期的視点に立った時だけである。
 
 人間生活が大切なのはもちろんだ。だが余りに人間の短期的利益を優先し過ぎた結果今の環境問題がある。そして強いたげられてきたのは大部分の生物種と自然環境だ。
 そこで、今の状態から少しでも中道に戻すべきだと思う。
 
 いつまでも二者択一だとは言っていられない。両立させる道を探さねばならない。
 
 また、この議論は、人間の環境負荷をゼロにしろというものではない。環境の中で人間の文化があり、それは一種の Natural History とも言えるかも知れない。この議論は結局は程度の問題ではある。
 
 
 保全生物学の場合、社会との関わりやその存在意義については次の2点にまとめられる。
 
・生物の多様性に対する人間の関与・影響を調べること。つまり、多様性の人為的な減少の実態や過程、原因や仕組みを調べること。
 
・生物多様性を保全する実際の方針を検討・発展させること。
 
一般的に言えば、
(1)事実の解明
(2)対応策の考案・実施 
である。
 
 樋口先生の取り組みから、自然科学が実際に保全に貢献している例が示された。
 政策レベルで、環境保全していこうという合意が得られたとして、そのやりかたがわからなければ保全はできないし、保全のために何をやるべきか、どうやるべきか、やらないとどういう影響が出るのか、などは自然科学の知見が必要である。こうして、自然科学が政策を左右することもできるのである。
 
 ただ、自然科学の純粋に生物と環境のことだけを考えた理論・提言がそのまま社会に受け入れられるとは限らない。人間社会を考慮した時、妥協点を見つけなければならない。
 
 樋口先生は、学問と同時に社会的な活動もするべきだったとおっしゃったが、私は必ずしも必要とは思わない。環境問題という幅広い問題群の中で、1人の人間が関われるのはごく一部だ。全体を見据えた上で、自分はこれをやろう、と、興味・問題意識に従って貢献する道を選ぶのではなかろうか。(その中に、全体を見据える役という道もあるだろう。
 また、両方やる人にも価値はあるし、学生時代などに様々な行動をすることは大切である。行動する中で肌で感じることが専門分野で役立つこともあろう。)結局、その人なりのやり方があるのだと思う。