第4回講義内容

地域環境の創造

 
東京農工大学 農学部地域生態システム工学科 
千賀裕太郎  
 

Tはじめに 〜本稿作成者より


 千賀先生が東京大学の教養学部に入学されたころ、日本はちょうど学生運動絶頂期にあった。入学式の日に機動隊が突入する、などという事件もあり、講義も最初の半年が経つとほとんどなくなってしまったとか...........................。
 
 さて、大学を卒業なさった後、先生は当時の農林省(現農林水産省)に入省された。そして八年間のご勤務の後、宇都宮大学へ招かれ、さらに十年ほど前に現在の東京農工大学へ移られた。
 
 その間、先生が思い続けていらしたこと。
 それは「地域の景観・生態学」であり、その思いは「何とかして春の小川をよみがえらせたい」というお言葉のなかに集約されている。
 また、その思いは大学に於ける研究・教育活動にとどまらず、先生は"日本グラウンドワーク協会"*理事として地域社会の環境改善運動に従事しておられる。
 
 ところで、こんなメッセージが私たち「人間」に届いている。
 
 吾輩は"ゆうがたろうた"と称する埼玉県西部の入間川に棲むカッパである。カッパはいうまでもなく川の水や水辺とは密接な縁があるので、どんなカッパ族のなかにも水環境の研究をする"カッパ博士"が二人や三人はいる。吾輩もそういうものの一人である。
(中略)
 吾輩の小さいころは、どんな町でも少し歩けば田圃が広がっていたし、山や川があってそこはカッパと子供達の格好の遊び場だった。(中略)
 ところが、全国のカッパからの情報によると、故郷の風景が急速に変わり、ウサギを追える山はもうほとんどなく、水遊びのできる川も二十一世紀を迎える頃にはほとんどなくなってしまうであろう、ということである。
 "リゾート開発"と称してブルドーザーがうなりをたてて山を削り、川や池を埋め立てている。"リゾート開発"とは、ようするに大人の遊び場を造成して子供やカッパの遊び場、野生の動植物の棲み家を、農村から消滅させることではないか。そしてその結果、カッパと子供の人口が急減しているということである。
(中略)
 そこで、こうした状況をつぶさに観察するため、吾輩は人間界にもぐりこむことにした。そこではカッパの世界での職業そのままに、農村計画学を専門とする大学の教師となった。幸いカッパ"化け学"は質が高いので、まだ人間たちに見破られずにいる。(以下略)*
・『よみがえれ水辺・里山・田園』
(千賀裕太郎 岩波書店 1995) p.2-p.4 
 
          
カッパたちによれば、
 
 昭和30年代の中頃から、「カッパを見た」という証言がピタッと途絶える。これは国土開発によって水辺の環境に変化が生じていった時期と見事に重なる*(前掲書 p.5)
 
という。
 日本の水辺にすまい、その有り様を見続けてきたカッパからのこのメッセージを、私たちはどのようにきけばよいのであろうか。
 

U春の小川


a日本の田園を流れていた川 
 『春の小川』*という童謡がある。
 
 『春の小川』* 文部省唱歌
 
春の小川はさらさらいくよ。
岸のすみれや れんげの花に、
においめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
 
 これはのどかな田舎の情景を詠ったものである。この歌の詞には、「地域の景観・生態学」を読みとく鍵がいくつも隠されている。
 歌い出しは「春の小川はさらさらいくよ」
 この「さらさら」とは、どんな川の水音であろうか。同じ童謡でも、『桃太郎』*では、川は「ドンブラコ」と流れる。これはいかにも「急流で岩だらけ」な川のイメージ*である。これに比べると、「さらさら」というのがいかにも浅く穏やかで、安定した川の流れを歌っているのかが分かる。
 歌は、「岸のすみれや れんげの花に」と続く。
 「すみれ」は普通しめったところに咲いている。したがって、岸辺が土でできていることは明らかである。
 「れんげの花」
 れんげの花は、どんなところに咲いているのだろうか。私は北海道の出身なのだが、地元ではれんげの花の実物を見たことはなかった。れんげはたいてい田植え前の水田に咲いている。なぜ、そうなるのか。それは人が水田に植えているからなのである。レンゲがマメ科であり、窒素分を土中に固定してくれる、つまり肥料として有用である。だから稲に窒素分を補給するために、秋から春にかけて田に栽培されていたのだ。
 さて、これらのキーワードをまとめてみると、小川は水田に水を送る用水路であって童謡「春の小川」の詠う情景がよく分かってくる。そこは、
 
水田が広がり、間をゆるやかに流れる小川の岸辺には草花が一面に咲いているような................
 
 そんなたたずまいだったのである。ということは、小川にはカエルもザリガニもいて、そしてそれを捕ろうとする子供達も、大勢いたことだろう。
 
b春の小川は今
 さきほど、「昭和30年代を境目にカッパをみたとの証言が減少に向かう」、と述べた。このことは以下の内容とも密接に関係している。
 
 (カッパを見たという証言が途絶えるのと)子供が川で遊ばなくなった時期とが各地でおおむね一致するのだ。(中略)これは川の流れが変わったこと(が原因)だ。遊べない川になったのだ。(中略)
 この時期には伊勢湾台風、東京オリンピックなどのために、国土の保全・開発の名目で、徹底した生活空間や生産空間の改造がはじまっていたのである。
 
農村を流れていた、人々の生活と密接不可分の位置にあった川、その川はどうなったのか。
 
 上水道の整備によって、用水路は生活用水としての多面的機能は不要となり、次第に維持管理の楽な"三面コンクリート張り水路"*に姿を変えていった。
 結果として川は水質浄化の機能を大幅に失い、水辺の生態系も著しく悪化した。そして、(ちょうど子供たちが水辺で遊ばなくなったように)人々の意識は身近な水辺から遠のいていった。それにつれて、用水路にはゴミが増え、どぶ川のようになって、しだいに「迷惑施設」とさえ避難されるようになっていった。(前掲書p.15-17)
 

V人と自然〜子供達の発達を中心に


a子供達から奪われた三つの"間"
 環境保護を訴える理由はいろいろある。そのうちには「動物たちがかわいそうだから」という人も多いだろう。しかし、実は、それに劣らず人間、特に子供にとっても環境破壊というのは「かわいそうなこと」である。今の時代には子供達から「三つの"間"」が失われている。
 まず、一つには「時間」である。先日私の子供が友達と遊ぶのに電話をかけていた。その時の言い方は「おい、00君、今日遊べる?」だったのだ。何気ない会話だが、象徴的な意味合いを持っているといえよう。続けて友達はこう応えた「午前中はプールがあって、午後には塾の試験もあるから 12時半から1時10分までなら遊べるよ」、と。
 次は「空間」である。昔は神社の境内や原っぱなど、遊ぶところはたくさんあった。ところが、今ではロクな所がなくなっている。たまの空き地がゲートボール場などに利用されていたりして、なかなか子供が入れないこともある。木に登ったり、 オタマジャクシを捕ったりするような場所は、もうほとんどない。そういう遊びの中には、結構ひどいいたずらもあったのだ。ネズミをおぼれさせたり、トンボの羽をむしったり......。しかしそれは生命とは何か、死とは何か、ということを「腹の底から」教えてくれる貴重な機会でもあった。それは自然とのふれあいのなかで生命の意味を知って行くという大切なプロセスだった。今の子供にはこういう機会がほとんどなくなった。こういったいたずらはなくなったかもしれないが、かわりに子供達の間には、いじめや自殺の問題が多発している。
 最後は「仲間」である。 一人くらいは「遊べる」友達を見つけられるかもしれないが、二人以上になると、もう難しくなってしまう。以前は男の子九人が集まって、すぐ野球のチームができた。六人くらいなら三角ベースであったろうか。 そして、いつも二、三十人の集団をガキ大将が引っ張って行く。子供同士でも、大きい子が小さい子の面倒を見て、いろいろなことを教えてやる。こうして、お互いに「育ちあう」という環境があった。こういった環境も今ではほとんど失われてしまった。
 
b脳の発達と環境の相互関係 
 ここで、運動と脳の発達との関係についてみてみよう。動物の系統ごとに脳の断面を見て行くと、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類と深化して行く中で、大きくなって行く部分と、あまり変わらない部分とがある。 前者は「大脳皮質」(「哺乳類脳」ともいう)で、これは社会的な環境に適応するのに必要な部分であると考えられている。一方後者は延髄や小脳などを含む「脳幹部」 (爬虫類脳とも呼ばれる)で、これは自然的、生物的環境に対応する部分である。以上の二つは、どちらも生まれてから後、外界環境からの刺激によって発達して行くものである。
 ここにある実験結果*がある。説明のために以下に引こう。
 
双生児である一組のネコを使い、一方は自由に体を動かせるが、もう一方は体を固定してもう一方のネコと全く同じ動きしかできないようにしてしまう、というものである。この実験では、生後8から12週間の時期に、一日3時間ずつ上記の状態になるようネコに強いた。(外部からの刺激はまったく同じ条件にしてある)
 その結果、自由に自分の意志で動くことのできたネコは異常なかったが、体を固定されていた方は、段差の認識ができなくなってしまった。つまり、言い換えると生命そのものを司る運動部に障害が生じてしまったのである。
 
 人間の子供では、およそ三歳までに脳は急速に発達すると言われている。以上のような実験結果を踏まえるとどうであろうか。現在では、歩き始めるようになった子供を「危ないから」という理由でテレビの前に座らせたまま、というようなことがよく見受けられる。また、学校では、教壇のあたりを自由に歩き回っている教師とは対照的に子供達はずっと机に向かって腰掛けたまま授業を受けなければならない。
 もう一つ実験結果を紹介しよう。
 
ネズミを以下の3つの条件に分けて離乳から80日間育てた。
 
a仲間やオモチャなどの刺激が豊富な環境
b標準的な刺激の環境
c孤独で刺激の少ない環境
 
 結果を大脳皮質の差で比較してみると、cと a,bの間には有意の差が生じていることが判明した。どういうことかというと、cのネズミには社会的環境に適応する能力において劣る可能性がある、ということなのである。
 
 人間についての例では、高層マンションに住む三歳児のうち、五階以上に住む子と以下に住む子との間で自立の発達の程度を比べると、やはり有意の差が生じる、という報告もある。
 このように、「環境」(時間・空間・仲間という三つの「間」に限定しても)の違いは人間が成長する上でも大きな影響を与える可能性がある。環境保護の必要性は「動物がかわいそうだから」という次元には止まらないのである。
 

W 「他人任せの地域造り」を改める〜日本の農村開発の現実


 生まれてから20年間同じ場所で暮らしているとしよう。その間にも地域の様子は結構変わっていたはずである。しかし、それはどのような変化だったろうか。その変化によって本当に地域が豊かになったと言えるのだろうか。最近では公共事業への批判が相次いでいるが、これも、地域が開発によって必ずしも住みやすくなってはいないことの表れであろう。
 以下のようなケースを考えてみよう。
 
 ある狭い路地が拡幅されることになった。路地には、よくあることだが生け垣があった。実はこれが地域の生態系において、一つの役割を果たしていた。また、生け垣越しに人々が声をかけあうような、そんなコミュニティの形成にも一役買っていた。
 その道を通って市街へ出るのに今までは11分かかっていた。そこを8分に短縮しようと言う人が出てきたのである。周囲もその効用だけを聞かされると反対はせず、役所に申請をして工事がはじめられた。
 その結果、生け垣はブロック塀に変わった。また、片側の家の庭だけを削って狭くするのでは不公平になるから、結局両側の家でそうなった。道路が広くなったので、今まではあまり入ってこなかった車が入ってくるようになり、トラックも通るようになった。やがて、その道路に沿って、無計画なままの開発が続々と進行していき、「野蛮な町並み」が広がっていった。同時に、もとのような地域の生態系やコミュニティは失われ、開発によって子供達の遊び場や、お年寄りの散歩道は姿を消していった.、町へ出る人たちが、かかる時間を3分間短くするために.....................。
 
 なぜこんなことになってしまったのだろうか。その大きな要因として、いわゆる「タテ割行政」がある。そしてそれだけでなく「タテ割科学」も原因である。要するに、興味や管理の対象が細分化されているため、ある一つの目的(例えば「車をはやく通そう」)を実現するために、他の側面における価値がまるで無視されてしまうのである。
 自動車を製造するとき、工場で、荷台はトラックのものをつけたが、シャシーはクラウン、ハンドルはバイクのものだった、ということがあるだろうか。それはありえないだろう。なぜなら、製造以前の段階で、まず車全体の計画が立てられるからである。それに比べ、現在の地域整備事業には、「地域空間全体のくみたて工程」というものがないのである。
 
 ではその地域の計画はだれが行っているのか。それは行政が、しかも独断的に行っているのである。道路を例に取れば、輸送効率しか視野に入れない計画造りが、住民不参加のまま行われる事業進行の実態と深く関わっていることは想像に難くない。なぜなら、「だれがその空間を使って暮らすのか」ということを考えれば、先に述べたケースのようではならないということぐらい簡単に分かるはずだからである。
 あるフランス人ジャーナリストは、
「日本人は"美"には敏感だが"醜"には鈍感である」と言った。自分の家の庭木は驚くほどよく手入れしていても、住んでいる地域の景観が壊されて行くことにはなかなか気付かないというようなことはないだろうか?
 

X景観の美しさを守るために


 景観の美しさを守るためには次に挙げる四つの条件が必要だ。
 
a地域生態系の健全性 
b地域文化の健全性       
c地域社会の健全性
d 地域経済の健全性
 
 まず「地域生態系の健全性」が確保されていなければならない。除草剤を散布された後の茶色くなった道端の草や、農薬を空中散布された後のカエルやザリガニの死骸といったものを見て「美しい」と感ずるような人がいるだろうか。逆に、紅葉している雑木林に美を感じない人がいるだろうか。こういった人間の美意識は、感覚としてだけでなく、生態学的な視点としてもかなり正しい。山や川を見て「ああ、いいな」と思うときそこでは生態系も健全に働いているものなのである。
 
 次に、「地域文化の健全性」が必要である。これは、その地域に歴史的・伝統的に見られる美しさであり、その土地独特の、けして借り物ではない建物や暮らしぶりなどのことである。これはcの地域社会の健全性と密接に関わっている。
 
 ここで挙げる「地域社会の健全性」は、先述のような健全な地域文化を「みんなで守ろう」とするだけの愛着や誇りを、住民達がもっているかどうかにかかっている。例えば、小さいころにドジョウやフナをとった水辺が残されているかどうかを気にかけ、建設廃材のようなゴミが捨てられているのを黙認しないような、そんな意識があるところでは、地域社会の健全性は維持されていると言っていいだろう。
 
 最後の「地域経済の健全性」は今までに述べた個々の条件とはやや性質が異なる。説明のため、ここで一つ事例を挙げよう。 
 
 「美山杉」で知られる京都府美山町で、ある文化交流施設の建物が建てられることになった。その際建築材をコンクリートにするか地元の杉にするかで議論になったのである。ある試算によると杉製の場合コンクリート製に比べ、15%(約2000万円)ほど割高になるという。
 ところが、結局建物には杉が使われることになった。というのは、地域の経済活動に対する影響があったからなのである。必要な資材の町内発注率を比較した場合、コンクリート製で35%であったのにたいし、杉製では70%にもなった。その差は金額に換算して約6500万にものぼった。材料だけに止まらない。杉製ならば、木を刈り出すためには当然町の人たちが労働力として働く必要があったし、また、大工さんなどの技術も活かされ、守られた。そのうえ、景観ももちろんよくなった。
 
 この例からも分かるように、地域は一つの有機的な総合体であり、健全な地域計画を実行して行くためには、計画の主体は住民達でなければならないのだ。
 ところが、行政側に言わせると、そのような計画への住民参加は問題がある、というのである。
 「議論の場に百人以上もの一般住民が集まると、一人一人意見が違うので、必要な合意形成ができない」というのだ。確かにこれは重大問題であり、実は科学においても未発達の分野なのである。現代社会の特徴としても考えられる「意識の多様化」も大きな問題として挙げられよう。
 ただ、明らかなことは、この「合意形成」とは決して一瞬でできるものではなく、常に「学習のプロセス」を必要とする、ということである。「なぜこれがよいのか、あるいは悪いのか」ということを何度でも話し合う、計画の方向性はその中でこそ決まって行くものなのである。 
 
 最後にもう一つ、実例を挙げてみる。日本の地域社会も目覚めつつあるといえよう。これは滋賀県甲良町の例である。
 
 甲良町は琵琶湖の近くにあり、このあたりの水辺のある田園風景は、司馬遼太郎が『街道をゆく第23巻』の中で「美の基本があるようだ」としたところである。
滋賀県の甲良町で、水田に水を引くための水路を、利用効率をあげるために、地中に埋めてパイプライン化するという計画が持ち上がった。費用には国や県からの補助が八割も出るというのである。しかし、住民達はそうすることによって、今までのような水のつくり出す景観が著しく損なわれることに気付いた。環境アセスメントを京都大学に独自に依頼したところ、影響は非常に大きいという回答を得た。
 今までの水路には、米に水を与えるだけではなく、他にも様々な役割があった。子供達が中で遊んだり、主婦達が食器を洗うのにも利用されていた。他にも、冬に積もった雪を落とし入れてとかす「融雪機能」などこまかいものを合わせると、全部で30を越す役割が認められた。
 そこで住民達はみんなで集まり、水路の整備計画について話し合うことにしたのである。いくでも議論を重ねた結果、水路は集落の入り口までをパイプライン化し、その先は水路を地上に現すこと、その先の水路は各集落ごとにデザインすることなどを決め、結局、住民達は計画、設計、さらには施工の一部にも加わった。
 新しくできた公園には、自宅から庭木や庭石などを持ち寄って進んで寄付する人も現れた。
 このように、自らが設計などに関わった空間は、公共のものであってもプライベートな感覚の持てる「公」と「私」との間の「共」とも呼ぶべき空間になったのである。
(本稿作成者 伊藤 久志)
 
編者注
・"日本グラウンドワーク協会"        1
 イギリスで今から10年ほど前から、地域を構成する全ての主体、すなわち住民・行政・企業・学校などがパートナーシップを組んで、地域の環境を改善していこうという「グラウンドワーク運動」がはじまった。イギリスではこれをリードして行く専門家の集団(グラウンドワークトラスト)が存在している。このような運動を日本でも盛んにしようと1994年11月に日本グラウンドワーク協会が設立されたのである。
 現在までに、王子製紙や住友信託銀行、JR東日本などの協力を得つつ、グラウンドワーク活動を展開している。今までには滋賀県甲良町、鳥取県米子市、宮城県鳴子市、北海道十勝圏、福岡県、静岡県三島町などで実績を挙げている。
 興味を持たれた方のために以下にオフィスの所在地を示しておく。詳細はこちらにお問い合わせ願いたい。
 
 財団法人日本グラウンドワーク協会
 105-0013 東京都港区浜松町1-12-10
      第一登茂ビル二階
 Tel:03-3435-1421 Fax:3435-1424
 
・『春の小川』:
 もともとの出典は『尋常小学校唱歌(四)』(大正元年12月)による。のちの『初等科音楽(一)』(1942・3月)に収録の際、国民学校の初等科三年では、口語体でなくてはならない、というので、「さらさら流る」から「さらさらいくよ」、「ささやく如く」から「ささやきながら」と修正を受けて現在に至る。
『岩波文庫 日本唱歌集』( 堀内敬三 井上武士 編)                                                     1
・『桃太郎』:
著名な日本の民話。桃太郎は嬰児の時、桃の中に入ったまま川を下り、育ての親となる老父夫婦に拾われる。その流れる様子が「ドンブラコッコ、スッコッコ」などと表現される。                                      1
 
・"三面コンクリート張り水路"
水が早く流れるように、水路の底と側面をコンクリート張りにしたもの。底へ行くにしたがって幅が狭くなって行くという、「逆三角形」型の構造をしていることが多い。
 
・ある実験結果                              2
・もう一つの実験結果:いずれも「脳と発達」(津本忠治 朝倉書店1986)より                                          2
 
 
 なお、本文中にも示したが、先生のお考えを簡潔に伺い知ることのできる資料として、『よみがえれ水辺・里山・田園』(千賀裕太郎 岩波書店 1995)が挙げられる。ぜひご一読をおすすめする。
 また、この本の裏表紙に甲良町の風景写真が掲載されている。