「環境の世紀 未来への布石V」報告書

  

第1回 プレゼンテーション

講師 大学院総合文化研究科国際社会科学  後藤 則行
環境三四郎
 

 
目次
      1 本講義責任教官より〜後藤教授
      2 環境三四郎 理念
  

1 本講義責任教官より〜後藤教授
 この「環境の世紀 未来への布石X」はタイトルからもわかるように、テーマ講義であり他の講義とは一味違う特徴を備えている。各回異なる教官、専門家の方が、さまざまなテーマについて話される予定である。まずはアラカルトの料理を楽しんでほしい。

 さらに、他の講義は先生が一方的に話をするという性質のものが大半だが、この講義はそこが違う。教官、学生の共同事業ということになっている。講義の成立からそうなっているのである。具体的には駒場唯一の環境サークル(一NGO)環境三四郎のメンバーが中心となり、駒場の環境関係の教官、私や石先生、そのほかの環境を研究している教官もあわせ、共同でどういう講義を作り上げていこうとするのか、つまり教官からは何を伝えたいか、また学生からは何を学びたいか、アカデミックなことも交えて、両者で骨格を作っている。

 つまり君たち(学生)一人一人がこの講義の主役になると考えていい。

 環境問題が専らこの講義の中心テーマになる。どれほど問題が深刻な状況か説明の必要がいらないほど、新聞にもあふれている話題である。最近は不況などで関心が少しうすれているが、非常に大きなテーマであろう。将来21世紀は環境の世紀と呼ばれるだろうと予測する人もいる。必ずしもペシミスティックになる必要はないと思う。オプティミスティックでもよいのではないだろうか。このテーマが出てきたのは、物質的な豊かさを追求する社会的構造に疑いをもち、自然環境に興味をもつようになってきたため、という好意的な見方もできる。一方環境破壊が致命的になりつつあるという悲観的な見方ができる。おそらく両方だろう。ただし、どの程度環境が悪いかはまだ判断できない。我々は善悪二元論に支配されやすい。「ダイオキシンを作る人は悪い」「環境ホルモンは悪い」という考え方になりやすい。しかし、アカデミックに考えると非常に難しい。不確実性がどうしてもつきまとう。どういうことかわからないものに対する対策を考えることは困難である。

 環境問題については、環境の悪化がわれわれにどれくらい影響をあたえるかをなるべく詳しく知る必要があり、また対策を講じなければいけない。それを克服する技術を開発すれば環境問題は解決の方向に向かう。ここに技術的な問題という側面がある。

 ただ、環境問題の原因を深く考えると、いい人、悪い人の対立の構図ではない。われわれが築いてきた経済システム、社会システムが生み出したものでもある。こういうものを変えず、小手先の技術で対策しても真の解決に結び付かない。殺虫剤をみれば我々の技術と害虫の耐性とのいたちごっこになっている。

 環境問題は経済的な問題でもある。技術的に妥当なものがあって、経済的に安価であるなどのオプションがあっても社会がうまくいくとは限らない。誰にとっても必要なものであるが、誰も費用負担をしない、という現象が起こる。公共財が問題になる。大気汚染も。結局誰もやらず汚染されてしまう。人類はこの問題の解決策を見つけていない。

 世界まで視野を広げると、公害問題のようなローカルなものにとどまらず、グローバルな問題が存在している。国内では国が対策をとれるが、全世界では新たなより深刻な問題が出て来る。京都会議の報道がたくさんされたが場での話は公共財の問題である。負担は他国に押し付けようとする。

 国際社会には強力な政治組織がない。倫理間も多様で、このような場におけるルール作りは非常に難しい。環境問題は国際政治的な問題でもある。

 さらに環境問題は深刻さを増す。種の絶滅が進み、地球温暖化が刻一刻と進行する。不可逆的な破壊が続く。環境破壊は現代社会の責任を未来世代に押し付ける。我々はどうすべきか、非常にむずかしい。存在していない将来世代と合意形成が出来ない。われわれの決定を将来世代に押し付けることになる。どういう環境を将来に引き継ぐか、これが問題になる。倫理的な問題になる。温暖化問題は世代間の問題をふまえなければいけない。最近「持続可能性」が時代のキーワードだが、我々は世界を祖先から借りているといえる。未来に渡すときはきれいにして渡すべきというのが倫理である。環境問題は道徳・倫理的な問題でもある。

 環境問題はあらゆる事象、枠組みと、程度の大小を別にすれば結び付く性質を秘めている。(責任教官の1人である)石先生がよく述べることであるが、「環境問題はあらゆる学問分野を含む」のである。諸君もこの講義を通して理解するだろう。  

 概観すると改めて、多様な分野から構成された領域横断的な講義であることがわかる。各先生方の持っている環境観が随所に現れるだろう。1つの講義の内容にとどまらず、多様な見方を踏まえて、先生に疑問をぶつけてほしい。時には先生に反対する意見をもって講義を聞いて、批判的に解釈することも有効だろう。冒頭で述べたとおり、本講義の主役は君たちである。君たち自身の環境観を育んでいただきたい。

 簡単だが以上で私の挨拶を終えたい。

  
2 環境三四郎 理念
 環境三四郎は東大駒場の学生サークルで、環境に関する活動を行っており、顧問には第2回に講義いただく石弘之教授を迎えている。

2.1 「環境の世紀 未来への布石」への関わり

T 企画への協力

 主として2点行っている。1点目はこの夏学期の講義が開催される前、すなわち秋から冬にかけての講義を企画する段階における協力である。これは、学生のニーズに基づいて、環境問題に関連するあらゆる分野の中で誰の何に関する講義を聞きたいのかを話し合い、責任教官の先生にお伝えし講義全体に反映させている、ということである。

 2点目は、90分の講義とは別に行われる関連企画に関してである。関連企画には2つあり、1つは「事前勉強会」、もう1つが出講する教官の協力のもと講義直後に行う「事後ディスカッション」である。「事前勉強会」は、基本的には講義が行われる週の火曜日、5限終了後、6:30から7:30まで1時間行われる。内容は、次回の講義分野に関する基礎知識の共有から、講義いただく教官の著作内容まで踏み込んで説明する予習のようなものと考えいただきたい。「事後ディスカッション」は、講義終了後に先生をお招きし、教室を移動して行われる。詳しいことは毎回の講義で伝えていきたい。(注:この報告書では、ディスカッション、質疑の内容を各講義録の最後に一部収録している。)

U 運営への協力

 講義への環境三四郎の2つ目の協力は、運営の協力である。具体的には当日の機材準備やプリント類の用意を手伝わせていただいている。それから、「教官紹介冊子」(各先生についての説明をまとめたもの)、「講義報告書」(講義の記録をきちんとした形で残していこうというもの:この報告書である。)などの作成をおこない、受講生、広く外部の方にも配布している。

2.2 講義に求めるもの

 私たち環境三四郎が、責任教官の方々と企画運営に関して協力して作り上げていくことを通してこの「環境の世紀 未来への布石」に何を求めるのか。

T 学生が主体的に関われる講義であること

 これは以下のような考えに基づく。

 環境問題は決して机上の問題ではなく、現実に存在し非常に解決困難な問題であるため、私たち学生に求められるのは受身の姿勢でなく、自分から考え、動き、模索する態度ではないだろうか。そこから深い理解に辿り着くことができ、問題意識も深まると考える。

 学生の意見を講義に反映させる、教官との双方向の対話・議論ができる場として「事後ディスカッション」を実施する、といった具体的な形に表されるだろう。

U 環境問題を総合的に捉える講義

 環境問題が分野横断的な性格を持つとの認識から、重要であると思われる。限られた講義のなかでできるだけ広い分野からのアプローチを試み、実社会で環境問題に携わる人の話も聞けるようにしている。

V 関連企画による充実

 関連企画を設けることによって基本的内容から発展的内容まで充実させようとしている。「事前勉強会」や「事後ディスカッション」などの企画である。意欲のある人はどんどん参加してほしい。

 以上が私たち環境三四郎とこの講義との関係、関わる理念である。

  
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