「環境の世紀 未来への布石V」報告書

  

第10回 環境行政の理想と現実

講師 環境庁水質保全局水質管理課  一方井 誠治 

 
目次
      1 環境行政を志した動機
      2 環境問題についての認識
      3 現在担当している仕事について
      4 環境庁の仕事
      5 実際的・具体的な問題点(個人的見解)
      6 これから進めていきたい方向
      7 本講義受講者への期待
      8 講義後のディスカッションより
  

1 環境行政を志した動機
 動機がどうこうということより、きちんと環境行政をやっていればいい、と思われるかも知れないが、実際携わるのは生身の人間であるので、どういうことを考えている人間が環境行政に入っていったのか、という話が参考になるかも知れない。まずその話から始める。

初めから環境行政をやろうと思っていたわけではなかった。中高生時代、近くの雑木林を歩いたり、国木田独歩の「武蔵野」を読んだりしながら、幸福とは何か、と考えていた。

 こういうものを読みながら当時考えていたことは、大雑把に分類すると人間の幸福には二種類あるのではないか、ということだった。つまり、「人間」由来の幸福と、「自然」由来のもの、である。

「人間」:恋愛、友情、入試合格、就職内定、ドライブetc.
「自然」:雑木林、星空、夕日の沈むのを見る、など、自然界との交流によるしみじみとした内省的な幸福。

少年期はちょうど高度経済成長期で、次々と新しいものが生まれていったが、一方で自然から得られる幸福が減っていった。これは人間の幸福のバランスをとっていく上でまずいんじゃないか、何より自分にとって困る、と思った。 昭和45年大学に入学したが、何をやりたいのかまだ分からなかった。昭和46年に環境庁が発足して、「自分の思う通りにならなくなっている世の中を押し留め、変えていける職場ではないか」と感じた。宇沢弘文という経済の大先生のゼミをとったが、「今の経済学はおかしい」と話していた。それにも影響を受け、環境問題に対する関心が高まっていった。

公務員試験は二度目で受かった。一回目は二次で落ちたが、それで自分は本当にこれをやりたいのだと実感した。環境庁へは、私と同じように確信を持って第一志望で入ってくる人が多い。

  
2 環境問題についての認識
2.1 人間の行動の非合理性

 家の近くにある三宝寺池には、いつ行っても心が満たされ、裏切られることがない。 一方パチンコは、行ったことのある人は分かるだろうが、勝っても負けても虚しいものだ。しかしそうと分かっていても人間はパチンコ屋へ行く。人間の行動は非合理的なものだ。そういうところも環境問題の難しさに関わっているのかも知れない。

2.2 古代文明の盛衰からの教訓

  環境白書の編纂に携わったとき、古代文明にまで踏み込んだ言及をした。(白書は、合意が取れれば政府全体の承認による公式文書である。踏み込みすぎでは、という意見もあった。)古代文明がどのように滅んでいったかということは、環境と密接な関係がある。例えば、絶海の孤島イースター島は小さな火山島であるが、5世紀に生まれた文明は1,000年後に人口約7,000人のピークを迎え、その後200年も経たぬうちに人口は激減、文明は崩壊していた。小さな島なので、開墾や巨石運び、船建造、建物造りなどのために木を切っていくと、森林は当然減っていく。どんどん減少してやがて大きな船を造れなくなり、島外に出られなくなった。土壌が流出し、家畜はニワトリくらいなので肥料が不足した。さらに天候不順でサツマイモの収穫が減り、人口減で二つの部族間の争乱が起こった。1774年にジェームズ=クックが訪れたときには、人口は600人ほどになっていた。このように環境の悪化は文明の基盤を崩すのである。

 自分達の行為が文明や生活を壊してゆく。彼らも気付かなかったはずはない。維持システムを作れぬまま崩壊してしまったのだ。現代に生きる我々はうまくやっていると思っているが、それはどうだろうか。

 アメリカのある生態学者は「人間は目で見えるものにはすぐ反応する」と言う。目に見えない少しずつの変化には鈍感なのではないか、ともいっている。バブルの時代には、現在のようになるとは思ってもいなかっただろう。人は、今が永遠に続くと思い込みやすいものである。

2.3 現代文明と環境問題の質の変化

 今の文明は地球全体の規模のため、影響も全体になる。かつての問題「公害」は、政治経済的弱者が被害者で、誰かが悪者だった。しかし最近は質が変わってきた。

  例えば、こんなデータがある。動物の生存に必要なエネルギーをヒトと比べると、ヒツジ<ヒト<ブタ<<トラ<<ゾウ、となる。しかし実際に現代の日本人が消費しているエネルギー量は、一人当りがゾウ一頭分に相当する。つまり、東京では一千万頭のゾウが暮しているのと同じだけのエネルギーが消費されているのである。現在の環境問題では、将来世代・途上国民・もの言わぬ野生動植物が環境弱者である。責任は現代に生きる我々すべてにあるのだ。

 それでは、「世のため人のため未来のため」、人々は環境に優しい暮らしをするだろうか。

2.4 自分はいずれ死ぬということ

 「自分がいずれ死ぬ」という事実は、意外と環境問題のネックになっているのではないか。「自分がいずれ死ぬということ」は明確だが、なかなか実感できないことでもある。また、今自分がその中で生きる文明自体が崩壊することも、想像しがたいものである。「将来世代が困るから」など、こうだからこうしなければならない、という取り組み方では限界がある。例えば、先が長くない老いた両親には快適に暮してもらいたい、将来世代のために暖房を節約しろとは言えない、というように、現在を犠牲にしてまで将来のために、というのは難しい。目の前のことと将来のこと、では、今を選んでしまうものである。私の場合、環境問題に取り組むのは、身近な自然がなくなっては「私が困るから」だ。強い動機・活動力は、そういう私利私欲から生まれるのではないか。いずれにせよ、生半可な気持では難しいだろう。

  
3 現在担当している仕事について
3.1 水の汚染への対処

最近は、ダイオキシンのように意図せぬ有害副生成物や、どこから来るか分からない環境ホルモンのように環境リスクの体系化が困難な問題が起きてきた。このような新しい問題には、水関係では塩素消毒しても死なない病原性の微生物の登場などがある。これまでの要監視23項目をチェックしていれば、かつてのような公害は防げた。しかし、平成5年のO―157などのような問題が生ずるに及び、環境庁で「23項目では足りない」ということになり、新たに25の要監視項目、300化学物質分の要調査項目を追加した。行政が見なければならない範囲が広がる。これらの処理・分析にはお金がかかるのに、予算が足りない。(公共工事の分など回してもらいたいところである。)しかし今年は環境ホルモンが世間で騒がれているので補正予算がついた。現在67物質について存在状況を調べたり、水生生物の解剖調査、排水源対策などをやろうとしているところである。

3.2 健全な水循環の維持と回復

  近年、健全な水循環がおかしくなってきた。水道というのは、もともと自然な流れではない。涸れる湧水や井戸、水力発電や上水道の取水で水がなくなる川も出てきた。コンクリートで覆われた都市の地面には水が染み込まず、ヒートアイランド現象も起こり、「都市砂漠」となっている。これはエアコンの使用を増大させ、温暖化にもつながっていくという悪循環をもたらす。

 問題は、総合的な施策体系がないことである。環境庁では、健全な水循環のための政策大綱を作りたいと思っているところだ。現状では、水循環に関わっている役所が、建設省の河川局、国土庁の水資源部、農水省の各関係部署、などというようにバラバラである。例えば利水は通産省担当で、水道は厚生省の管轄。関係部署がいろいろな省庁に分れて存在している。健全な水循環の観点から、統一的な考えのもとに整合のとれた施策を行うためには、各役所間で連携しなければならない。今そのために関係省庁間を走り回っているところである。

  最近の「行政改革」は、その点での効果があった。省庁というものは、自分の権限を守ろうとして、他の省庁の介入を嫌い、対立もするものである。ところが行革によって役所間の垣根が低くなりつつある。おかげで、かつて水質管理課と対立していた建設省河川局とも、最近は話が合うようになってきた。例えば、河川局が「自然型川作り」を唱い、河川生態系の保護の観点からのダムの問題点(水量の上下によって保たれる生物多様性が、ダムから一定水量を流すことで失われるのではないか)を自らいうようになった。そして、かつて各役所でバラバラに出かけていた調査など、近年は一緒に行って、それぞれメリットを生かし連携して行うようになってきた。行革の効用が現れた一面である。

<<矢作川沿岸水質保全協議会等見学報告>>

 「矢作川方式」というのをご存じだろうか。愛知県の矢作川一帯は、かつてはいい農耕地帯であったが、戦後開発が進み、川に土が流入して魚やアサリが死ぬ悲惨な状態になった。昭和44年、地域の自治体や漁協などが集まって、水質保全協議会を作った。当時は全国で公害闘争の盛んな時期であったが、一般的な経過は行政との対立から裁判に持ち込む、というものがほとんどだった。しかし同協議会の事務局長の内藤さんは、それでは行政はなかなか動かない、と方針転換を行った。「バカな国や県をしっかり使わなきゃならん」「どうやったらうまく使えるかを考えなければ」というわけで、その後は名人芸というしかない。

  初めは法律に従っていない人を告発する遵法闘争をやっていたが、その後は、企業を集めて安い費用で公害を防ぐための勉強会を開いたり、小学生と川の水質調査を行ったり、上流の山の住民と下流の漁民との交流を図るなど、多面的な運動を繰り広げた。そうするうちに行政側に実績を認められ出して、その地域での一定以上の規模の開発が行われるときには、協議会の方に書類をまわしてくれるようになった。知事がまたすごい人で、「あなたと私の信頼関係だけで書類を回しましょう」という。そうして公害はなくなっていった。ちなみにこの例をアメリカに紹介すると、どうしてそういうことが可能なのか理解できない」という反応だった。このようなやり方は日本ならではなのかもしれない。また今回の研究発表会には、ゼネコンや地元住民が集まっていた。この不況下ですごいことである。

  こういった表の政治手続きだけではない、地域コミュニティの実質的な調整システムを作れたらいいと思っている。実際には難しいが。

  住民団体・企業・行政の出先などの集まりで最近発足した、神奈川と山梨の流域アジェンダは、その現代型だろう。行政だけがやっていくのではない、新しい動きである。

  
4 環境庁の仕事
4.1 循環と共生を基調とした経済社会システムへの転換

  4つの新しい目標、循環・共生・参加・国際的取り組みを掲げた環境基本計画に基づき、容器包装リサイクル法などできているが、うまくいっていない。見直し分析など行い新計画をつくろうとしているところである。

4.2 地球温暖化防止対策

  防止法案を提出、審議中である。(注:10月初頭に国会通過、成立)これからいろいろ増やしていく手段の受け皿としてのものになる。

  問題は環境コストが経済に組み込まれていないことだ。(ex. 安いガソリン)COP3で排出量のトレードなど決まったが、国のレベルでそういうことをやるなら、国内の方でも経済措置を取らねば首尾一貫しない。私の個人的見解だが、将来的に経済的措置を整備していく必要があるだろう。

4.3 化学物質対策

  3、で触れたので省略する。

4.4 廃棄物・リサイクル対策

  廃棄物・リサイクルの両方を、包括的・総合的に扱えるような枠組みづくりが必要である。

4.5 大気環境・水環境対策

  水環境は3、で触れたので省略する。 大気環境関係では、低公害車の大量普及など。私もこの間プリウスを購入した。急発進などせず優しく運転すると燃費もよいようだ。みんながあのような車に乗り出すと、CO2などもずいぶん減るかもしれない。環境庁にもプリウスが入ったが、今までのものに比べ乗りやすい、と運転手にも評判がいい。こういう車が互いに市場で競争するようになると希望が持てる。

4.6 自然との共生の確保

  野生鳥獣の保護政策は、日本はアメリカに比べかなり弱い。アメリカは一度ひどい破壊をした反省もあって、野生生物の保護が盛んだ。日本では自然保護局というのがあって、その中に野生生物課があるが、アメリカでは内務省の中に国立公園局・野生生物課がある。

4.7 国際社会におけるリーダーシップの発揮

  東アジア酸性雨観測ネットワークというものがる。日本は石灰岩が多く、今のところ被害は抑えられているがアルカリ性の強い埼玉のある地域でのシュミレーションをしてみると、ある時点を境に酸性側に転ずる恐れがある。発生源の中国はもっとひどいはずである。アジアではヨーロッパに比べ対策が遅れている。各国が手をつないでまず観測からやっていこうというところ。

  
5 実際的・具体的な問題点(個人的見解)
5.1 公共事業等の決定過程

  諌早・中海の例に見るように、日本ではうまくいっていない。矢作川のように民意を反映できればよいのだが。行政だけでない地域コミュニティの開発への総意を汲めるようアセスメント等の充実をすべきであろう。

5.2  経済政策への環境政策の組み込み

  経済政策の環境への影響は分析さえされていない。戦略アセスといって、政府の経済政策で環境に影響を与えそうなものすべてに環境アセスを行う、というのがあるが、そういうのを導入すべきではないかと思う。

5.3  科学的知見と行政との連携

  学問の自由というのもあるので強制はできないが、行政の側からやってもらいたいことはいっぱいある。景気回復の研究もいいが、どうやったらゼロ成長でも雇用率が上がるのか、などをやってもらいたい。

  
6 これから進めていきたい方向
6.1  一人一人が利己的な行動をとっても環境が壊れない社会

  一人一人の価値観に頼ってはいけない。山が、自然が好き、という企業人も、企業の中では不本意なこともやらなければ企業として生き残ってゆけない。一人一人の人間をそういう股裂きの状況に陥らせる仕組みがいけない。仕組みを変えなければならないと考える。

6.2  社会経済が発展すればするほど(自然)環境がよくなる社会

  いろんな技術を、大量生産ではなく省資源省エネの方向に発達させれば、今よりもいい自然環境と我々の生活との共存が、可能になるだろう。

6.3  資源・エネルギーの消費量は減っても雇用が維持される社会

  どれだけのスパンで見るかにもよるが、そもそも環境の保全が維持されなければ、経済自体も成り立たなくなるはずだ。

  
7 本講義受講者への期待
  どこに行っても環境のためにできる仕事はある。頑張って欲しい。環境行政に携わりたい人へ。一番大事なものは、「体力」です。
  
8 講義後のディスカッションより
Q: 経済政策への環境政策の組み込みについてもっと詳しく聞きたい。

A: 景気対策などやる際に環境への影響も一緒に考えてくれればいいのだが、現在はそういうルールがない。環境アセスは物理的開発についてあらかじめ項目をチェック公表し、意見を集めるものだが、同様にして経済環境アセスメントをすべきだ。戦略アセスというものがそれで、政府のあらゆる施策に対し、それが環境に及ぼすと予想される影響を調査する。チェックするのも一つの手だし、環境税をかけて経常的な仕組みを作ってしまうのも手だ。両方だろう。
  縦割り行政と言っても、例えば産業は通産省だけが関わるのではない。省庁間でダブるところはたくさんある。互いに死力を尽くして権限を広げようとしているからである。

Q: それでは、今ある容器包装リサイクル法は最終的にどのように決まったのか。

A: 最後は内閣法制局というところで法律として一貫しているか審査を受け、ある程度妥協もしながら法律が出来上がった。同じような法律を各省庁で別々に出すのはやめようというふうに言われたせいもある。

Q: 中海問題について、どう思われるか。

A: 淡水化は当分やめようという状態である。堤防は一応できて、あとは閉めきって水を抜けば干拓できる。しかしこれも政治的に凍結されている。というのは、湖沼水質保全法で干拓を前提に湖沼水質を保全する義務があり、島根県が調査を行ったが、それが不十分だったので、環境庁がやり直しを指示した。少なくともそれが済むまではできないことになっている。現在県知事が干陸の再開を要望しているので、農水省が、干拓自体についてやる価値があるか調査中である。個人的には、待った方がよいのではと思う。不況で工業誘致は困難であり、将来的に食糧危機が起こることを考えて農業用というのならその時閉めればいい。十分活用されず放置される可能性が高い。

Q: 農水省の方の調査で環境に影響がないと出た場合は?

A: 水質という面で我々は調べるが、環境への影響というのなら、必ずある。干拓したらそこの生き物は住みかをなくすのだから、ないわけがない。あとは(経済面や産業面からの)選択の問題。つまり農水省の調査は、干拓して使うのか水産資源の場として利用したほうがいいか、ということである。

Q: 住民にメリットのないムダな公共事業は環境にも悪いと思うが、それに対して、環境庁は環境面から何か言えないのか。

A: それに関しては、一義的には、税金の使い道という点から大蔵省がもっとしっかりすべきだ。本来国の予算をムダに使わないよう見張る権限があるのだから。公共事業予算枠を動かさせまいとする族議員の圧力に屈してはいけない。予算配分の権限を正しく使って、必要ないところは削り、要るところに回すべきだろう。

Q: 環境行政に関して、地方自治体と中央官庁の関係はどうなのか。

A: 環境庁とつながりがあるのは各庁の環境管理部局。このところの地方分権の流れでトップ・ダウンから対等な関係へと移行しつつある。水質調査などの機関委任事務は今後も残るだろうが、あとは基本的に対等で相互に「お願い」する関係にある。

Q: 地方自治体は中央官庁の"受け皿"になっているという説もあるが?各地の人材・資力のポテンシャルはあるのか。また地方自治の中での環境部門の占める割合はどうか。

A: 最近は地元の県庁にはいるというのはエリートコースのようで、優秀な人が多い。能力的に不安はない。各自治体の環境部局のウェイトは、それぞれの首長の方針によるが、以前に比べ、最近は弱くない。中央からの後押し、というよりそれぞれ地方で力をつけていってもらいたい。

Q: 行政関係者に対して名刺を再生紙にするように、という話があると聞いたが。

A: 東京都ではあったようである。再生紙でないと受け付けないらしい。国ではやっていないと思う。ただ、政府の率先事項というのがあって、国の事務については100%の再生古紙を使用しよう、というのはある。再生紙でない名刺を受け取らないというのはない。環境基本計画を作るとき、抽象的なことだけでなく実のあることも入れたいですね、ということになって、翌年の閣議決定で率先事項計画が決まった。これは各省庁の合意だから、従わなければならない。
 五年計画でいくつかの数値目標があって、それに沿ってどれだけやっているか毎年集計して成績を発表している。例えば紙の使用量を増加させない、面積当りのガス・水・電気の使用量を一割減らす、公用車の一割を低公害車にする、など。成績は公表するが、どこどこの省はよくないですね、というようなことは言えない。それではいいところくらい表彰したらという声もあるが、残念ながら省庁間で表彰し合うという慣例はない。

Q: 閣議決定には拘束力があるのか。

A: 拘束力は書き方次第である。〜しなければならない、のほか、〜に努める、というのがある。〜しなければ、とすると、日本の役所は真面目だからその通りやる。

Q: 紙を再生紙にすることなど、他の省庁から苦情や抵抗はなかったのか。

A: もちろんあった。何でこんなことまで調べるのか、など。それと、閣議決定した後実行する段で、調査するのが大変だ、という意見も出た。公務員は全国で100万人、霞が関だけでも4万人いる。大変な規模になる。今まで電気・水・紙の量なんてそれぞれの省ごとの集計などやっていなかった。人手も手間もかかる、どうしてくれるんだということになる。それから、予算というのは、多めに申請しておくものだから、集計して実際に使った額を出すと、ズレが分ってしまう、そんなのも正直に申告するのかなど。 他には、環境負荷の小さい購入推奨品リストを作る際、通産省の方からあまり基準を厳しくしてくれるな、という意見があった。載らなかった商品が売れなくなるから、ハードルは低く、できるだけ多くの商品を載せて、数値をきちんと書いておけば、あとは選ぶ側に任せればいい、と。

Q: 環境庁が、環境に悪影響を与えている省庁を摘発するようなことはできないのか。

A: 直接文句を言うことはできない。が、設置法で一つ大きな権限があって、勧告権というものはある。本当に各省庁が環境に悪いことをやっているときは「〜すべきだ」と公式に意見をいうことはできる。その場合、省庁はある一定期間内にどういう措置を取ったか報告しなければならない。しかし明らかに違反しているという場合でければ使えないので、「伝家の宝刀」は過去に三回しか抜かれていない。諌早のように法的に正しい手続きを踏んでいれば、世論が騒いでいるからといってダメですとは言えない。そんなことしたら庁としての信頼が一挙に失われる。

Q: 環境保護の視点だけからは憲法にないからという理由で勧告できない、ということになるのでは。

A: それは、法治国家では憲法を変えるしかない。しかし、環境庁にはそれをやっている余裕はない。もっと具体的なレベルでやるべきことがある。

Q: 各省庁の歩み寄りについて、建設省など河川工事権力を持つ他省庁に働きかけて力を借りるようなことはできないのか。

A: 今でもやっている。環境基本計画の中で、例えば「水質」ではなく「水環境」と記述したのは、水量など環境庁だけの持てる権力ではない範囲を対象にすることによって、このような省庁横断的なものを、これから連携してうまくやっていきましょうね、というメッセージを込めてのことだ。省庁はそれぞれ一部の権利しか持っていないから、どこかが総括的な取り組みをやらなければならない。

Q: 環境NGOとの関係は?

A: 環境基本計画を作るときの経験だが、行政が国民から広く意見を取り入れることは大変有意義だと思う。計画は審議会で諮問を通して作られる。通常ならあらかじめ諮問の答はできているものだが、この基本計画の場合、初めは何も決まっていなかった。霞が関では限界があったので、中間報告の段階で公表し、全国9ヶ所で公開ヒアリングを開き、インターネット、FAX などで意見を公募した。個人やNGO から3000ほどの意見が寄せられたが、特に多くのNGO では、内部でディスカッションをした上でまとめていい意見を出してくれた。それらを取り入れることによってレベルアップさせることができた。

Q: 今度行革で庁から省へ変わるが、何か新たなビジョンはあるのか。

A: 省庁間の調整権限はどこも同じなので、中にいるとほとんど変わらない。どちらでもいいが、アセス法のようにきちんとした法律がほしい。一つ一つ環境関係の法律法律を整備していくことが重要。むしろ、省でも庁でもいいけれど公共事業官庁と合併されてしまうのだけは困る。独立していないと対立が外部から見えなくなってしまうから。環境関係でまとまりたかったが、リサイクルや水道は ダメだった。廃棄物は付け加えられたが。嘆いても仕方がない。庁から省へ、といっても特に気負いはない。むしろ定員は増えないのにどうなるのかといった感がある。

Q: 仕事は大変なのか。

A: どの省庁も大変です(笑)。若い職員だと、12時前に帰れることはほとんどない。

Q: その多大な業務を非営利団体であるNGO に手伝ってもらうということはないのか。今までは政府に抗議するばかりだったろうが、調査を委託したり説明会に協力してもらうなどすれば、彼らも行政の現状をより把握でき、自分達の主張の行き過ぎも押さえられるし、自分達の調査の結果が生かされるなど"参加"していることで行政への信頼も高まるのではないか。

A: 野鳥の会などに一年間の調査を委託することはある。信頼関係が必要。彼らの主義主張ばかり書かれると困るが、大抵よくやってくれる。
 確かに、かつてのNGO は抗議ばかりだった。だが最近はこんなところもある。公害患者の会連合が訴訟で勝って和解金を獲得した。ふつうはお金がもらえたら解散というケースが多いが、彼らはそのお金で財団を作ろうと言い出した。疲弊した地域の再生を図りたいということで環境庁が認可した。
  反対に、沖縄では赤土問題で県庁とNGO がずっと対立していて、例の矢作川の内藤さんが間に入った。「反対しているだけでは土は止まらない。10年やって止まらなかったらやり方が悪い。」と説得して、最近はようやくみんなでやっていこうという気運が高まっている。

Q: 科学的知見の行政への取り入れは?

A: 国立環境研究所というのがつくばにある。しかし応用・実用面の研究は一割ほどで、残りは基礎研究。もっと行政で解決していきたい問題との連携が、うまくいっていない。

Q: 学者と行政の接点は?

A: 研究会、審議会など。審議会も最近は公開されている。

  
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