「環境の世紀 未来への布石V」報告書

  

第7回 諸外国における都市環境の保全

講師 大学院工学系研究科都市工学専攻  西村 幸夫 

 
目次
      1 はじめに
      2 現在関わっている問題〜丸の内について〜
      3 諸外国の景観コントロール
      4 日本における景観コントロール
      5 講義後のディスカッションより
  

1 はじめに
 私は工学部都市工学科に所属しているが、そこは都市計画コースと環境衛生工学コースの2つのコースからなっている。私の所属は都市計画コースで、都市問題を扱っているが、都市問題と言っても多岐に渡る。途上国のスラムの問題から大気汚染、交通管理、景観、デザインなど様々だが、私は主に都市のデザインや景観など美しい都市を造っていこう、ということをやっている。皆さんのいう「環境」と少しずれるかもしれないが、都市を造るにはただ効率的であればいいというわけではなく、快適に暮らすことができ、さらに美しいという条件をも備えていることが重要なのである。そのためには1つ1つの建物や都市空間を美しくデザインするだけでなく、1つのルールを作り、それに従って都市を造っていく必要がある。なぜなら公共がコントロールできるのは公共空間だけであり、それ以外の土地の地権者が自分の好きなように建物を造ってしまうと、都市全体としては非効率的で美しくない、ということになりかねないからである。

 以下、どのように都市計画が諸外国および日本で行われているか、また現在私が関わっている問題について述べる。

  
2 現在関わっている問題〜丸の内について〜
 皆さんが良く知っている最近の問題で私が関わっているものとしては、日本国内では丸の内の問題がある。ご存じのように、今東京駅の丸の内側に降り立つと、昔あった丸ビルが全くなくなっている。まだ新丸ビルは残っているけれども。あの辺は様々な公共施設や軍の敷地が昔あったが、それらが青山に引っ越したので、それを買い取り開発したものである。そこには近代建築としては正倉院並にすばらしい建物、今残っているものに例えれば霞ヶ関の旧法務省の建物のような立派な建築が昭和30年代まで並んでいた。その後それらが建て直されたものが現在の丸の内である。よって2代目といえるが、昭和30年代当時、31m、すなわち100尺以上の高さの建物が建てられなかったので、丸の内に立つと建物がずっと31mの高さで並んでおり、それはそれですばらしいオフィス街の景観を作り出していた。

 また、東京の骨格は震災復興でつくられたのだが、そこの行幸通りはその当時のまま残っている。それは非常に珍しいことで、その意味でも昭和の初めのデザインを見ることができる。大変有名な震災復興の通りである昭和通りは、前は行幸通りと同じように立派な並木の緑地帯があったが、戦後人口が増加して交通がさばき切れないということで緑地帯を全部つぶしてしまった。日本の戦後の都市計画は戦前の遺産を食いつぶしているのだと私は思う。

 三菱は旧丸ビルの所に180mの高さの高層ビルを建てると公表した。これまでの31mに比べるとものすごい高さである。31mの高さ規制は昭和40年代に撤廃され、その後高層ビルが建ち始めた。丸の内で最初に建てられた高層ビルは東京海上火災のものであるが、そこが120mのビルを建てると公表したとき、丸の内の高さを31mに守ろうという強い世論が巻き起こった。結局もとの予定より20m以上低い99,7mで建てられることになり、その後高さ100mという不文律ができた。にもかかわらず、今回三菱は180mという計画を出してしまった。180mというと、東京駅南口からの仰角は45度くらいで、将来新丸ビルも同様に建て替えられるとすると、今まで見えていた空が見えなくなってしまう。そんな景観がいいかどうか、また一体どんな建物を建てたらいいのか、我々が公共の場で色々議論していく中で景観の問題は決まっていくべきなのではないか。一企業だけの論理で、日本で最も典型的なオフィスビル街の都市計画が壊されて良いはずはない。

  
3 諸外国の景観コントロール
3.1 ロンドン

 では外国で、特に先進国に於いてこういう問題が起こったときに、一体どうなるのだろうか。どんなコントロールが働き、どんな建物が建っていくのか、またそうしたコントロールが働く論理は一体何なのか、ということを今日は紹介したいと思う。まずイギリスのロンドンの例を話そう。ロンドンには高さ制限は1938年からある。それは、cityすべての範囲からセントポール寺院が見えるようにするためである。この頃イギリスでは、30mを超える建物が自由に建てられるようになり、セントポール寺院の目の前にも高層ビルが建ち並ぶ可能性が出てきた。自分たちのシンボルなのだからそれはまずい、公的なところや通りからちゃんとセントポール寺院が見える必要性がある、ということで手前の部分を低く抑えるような規制が行われたのである。具体的には、cityを15m角の格子状に区切り、その格子ごとに建てられる高さが決まっているのである。その規制は今でも生きているが、70年代から寺院だけではなく、他のシンボルも公的な丘などの上から見えるように心がけるようになった。それは規制という形ではなく、協議の義務づけという形を取っており、背景にもビルが見えないようにすることとなった。もともとイギリスの都市計画は、プロの設計者が自分で判断して自由にコントロールしていくもので、あまり数値などを決めて規制するべきではない、というのが基本的な姿勢なのだが、そのような国ですらこれだけのことをやっている。

3.2 パリ

 ロンドンに対し、もう一つの典型としてパリが挙げられる。パリではもっと詳細で、フランス革命以前から、軒の高さ、建物の高さが通りごとに決められていた。数値は屋根裏部屋を創るなど時代ごとの建物の形態に合わせて変わってきた。高さ規制については三つに分かれていて、まず一つ目が眺望。あるところから視界がぱあっと開けるようにしたい、そのためには前に高い建物があってはいけないし、後ろに低い建物があってもいけない。二つ目は見下ろし。あるところから見下ろしてどこまで見えるべきか、つまり手前側の高さを規制する。三つ目は切り通しの景という。両側に建物が建っていて、その突き当たりに何か建物が見える。この三つの見通しを守ろうというわけだ。また、都市の中心部は25m以下、周辺にいくほど高い建物を建てても良いという、地域ごとに決められた絶対高さの規制もあり、(日本やアメリカは中心部の方が高く、全く逆である)これらの様々な規制のうち最も厳しいものにあわせなくてはならない、ということになっている。こういうことが厳格に守られているからこそパリの風景は守られているのである。パリ以外の街でも、歴史的遺跡などモニュメント指定されているものから半径500m以内はすべて規制がかかっている。

 またドイツでは、景観だけを取り出した規制ではなく、地区の詳細な都市計画が決まっている。アメリカは条例によって決めるので都市によって非常にバラバラだが、厳しいところでは材料から色、デザイン、窓の形態まで非常に細かいガイドラインが決められている。それらによって街の風景が守られているのだ。欧米の都市に行って美しいと思うことがあるが、これだけの努力が為されているのである。そしてそれは長い歴史を持つ。

  
4 日本における景観コントロール
 それに対して日本はどうか。日本ではこういったことは30年くらいの歴史を持つ。日本で一番初めにこんなことを始めたのは金沢である。もともとは伝統環境保存区域だけで、つまり歴史のあるところに関して何かやろう、というのが出発点で、伝統環境保全条例というのが出された。(金沢は歴史ある非戦災都市である)だが1989年に改正され、「金沢市における伝統環境の保存および美しい景観の形成に関する条例」となって、単に古いものを守るだけではなくて、近代的都市景観送出区域を含めて新しくて良いものを創っていこうという形になっている。具体的には建物のデザイン、高さ、看板のデザイン、大きさ等が規制されている。金沢に行くと確かに古い町並みが残っている良い街だが、それは単に戦災に遭わなかったとか、開発の圧力が少ないからだけではなくて、非常に細かいこういう規制があるから金沢の街は伝統を守っているのである。日本ではこういうことは30年前に始まって、神戸や京都、高山など観光地で大変熱心に行われた。特に神戸は1978年に都市景観条例を作り、こういう条例の先例を創った。今はだいたい200都市くらいでこうした規制がかけられている。

 また、最近でユニークな規制がかけられたところとしては倉敷が挙げられる。倉敷は観光地であるが、1990年頃から歴史的な地区の周辺にかなり高い建物が建てられ、その建物が特に倉敷川沿いを歩くと見える、という問題が起こってきた。これはまずい、こういうところの眺望を守るべきではないか、ということが議論になった。そして1990年に背景保存地区というのが指定され、倉敷川から見て背景に当たるところに建物を建てるときには事前協議を行わなければならなくなった。また、岡山県としても積極的に景観保全に取り組んでいて、県内で最も重要な景観のひとつである後楽園については、その中にある延養亭という茶室に座ったときに後楽園の後ろにビルが見えないようにという規制がかかっている。おそらく歴史的な名称庭園で後楽園ほど周囲の景観が守られているところはないだろう。

 東京にも名称庭園と呼ばれるところが幾つかある。例えば小石川後楽園や六義園、浜離宮などであり、国の特別名称になっているが、これらは今危機的な状況にある。特に小石川後楽園では、後楽園の面する外堀通りに都が下水道の局の建物を建て、その上に森ビルが高いのを継ぎ足してさらに高層のビルにする予定であり、それができると後楽園の中からどーんと見えるようになってしまう。だが東京でもこの4月から都市景観条例ができ、景観の規制、コントロールを行うようになった。

 ところで日本全体の動きを見ると、各市町村でこうした条例ができた年は二つの山になっている。一つ目は1970年代前半で、これは基本的に自然保護を行う条例であり、歴史的な町並みの保全も含む。これに対して80年代後半から、良いデザインの建物を建てよう、良い都市計画を創っていこうという条例が増えてきている。なお、建設省の調べによると地方自治体において景観条例を定めているのは96年で157市町村。具体的に東京近辺でも、新宿区に景観まちづくり条例、豊島区にアメニティ形成条例、あきる野市に都市環境条例などがあり、景観をコントロール する土台が徐々に整いつつあると言える。だがこれで問題が解決したわけではなく、丸の内にしても先程述べたように文化財的価値のある建物の破壊と景観を壊すような高層ビルの建設が予定されているのである。

 日本でこれだけインフラが整い、景観が計画的に造られた都市はないわけだから、これをどういう形で守っていったらいいかというのはいろんなところで議論しなくてはならないと思う。来る7月18日にはボランティアによるトークを計画しているので、良かったら参加して欲しい。また、ホームページも開いており、私の研究室からリンクできるようになっている。

  
5 講義後のディスカッションより
 講義後西村先生を囲んで行われた事後ディスカッションでは、授業であまり触れられなかった自然の問題や途上国の問題についても質問が出たので、いくつか以下にまとめておく。

Q.都市開発によって郊外の緑が蝕まれていくことについて、どのような対策をすればよいのか。

A.まず、人口の減少などから考えて、これから先日本に於いて郊外まで開発が進んでいくということはあまりないと思う。だが対策としては、アメリカなどでは、ある自然を破壊したらそれと同じだけの自然を別の所に創りなさいという指導が強く行われている。そこを開発するな、というばかりでは水掛け論になってしまい、実力行使で壊されたら終わりになってしまうので、前向きな議論という意味で価値がある。だがそれで良いかどうかは難しいところで、一度生態系を壊してしまうと木を植え直したからといってその自然がすぐに取り戻せるわけではない。

Q.途上国での開発に伴う森林減少についてどう思うか。

A.大変難しい。どこの国も森林保護を言い始めてはいるが、現実問題として焼畑が行われていたり、商業伐採が過剰に行われていたりと、森林は蝕まれている。また途上国では水質汚濁もひどい。途上国の環境保全は法律だけ見たらそれなりに整っているが、基準値の何千倍もの汚染物質を出しても勧告くらいで罰せられないなど、実効性は全くない。これから考えていかなくてはならない問題であるが、ある程度は開発を優先せざるを得ないだろう。その過程で環境保全の考え方を育てていくしかないのではないか。

Q.授業では景観を守るためにどのような手段があるか色々話していただいたが、法規制であるとかガイドラインづくり、協議などどれも結局は上からの措置に集約できる。だが社会を動かす最大の要因である経済原理と景観の保全は両立しないのか?

A.基本的に都市計画そのものが規制である。だがその規制は必ずしもトップダウン方式でやっているわけではなく、自分も多少我慢する替わりに都市全体の環境を良くしようという感情が根本にある。だがそういうことは行政が主導的にが決めないとなかなか決まらない。そこで決められたルールが都市計画だし、本来的にはみんなが自分の財産を守るための合意である。よってある程度ルールは決まっていて良いのだが、どのルールが良いかは市場原理で決まって良いのではないかという意見はある。

  
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