「所沢のダイオキシン問題」調査報告書(1998)

イントロダクション

今、何が問題なのか・・

 東京、新宿から約1時間。武蔵野の風情を今に残す三富新田地区を訪ねた。のどかな田園地帯に独特の列状集落が広がる。そして人々とともにこの地を育んできた雑木林。多少都市化の余波が押し寄せていることを除けば、一見そこには変化はない。時はゆるやかに流れ、悠久の歴史のなかでまた季節を繰り返す。そんなことを感じさせる空間がある。

 はからずも今、この所沢で、「武蔵野」の面影とはかけ離れた「ダイオキシン」「産業廃棄物処理場」が人々の不安をかきたてている。広大なくぬぎ山に足を踏み入れると、事態の片りんがおぼろげながら顔を覗かせる。産業廃棄物に塗られた道。廃棄物処理場の林立と騒音。そして煙とマツの立ち枯れ・・・。

 環境問題が象徴的に現れている局所なのか。全貌を明らかにしたとき、何が見えてくるのだろうか。そして、私たちの生活とのつながりは?・・・・疑問は次々に浮かんでくる。「環境NGO」としての環境三四郎にできることは何だろうか。まずはことの詳細をつかみ、本質を検討し、外部に向けて事実関係、対策を発信することであると考えた。このページは、こうして行われた調査の概要であり、私たちの外部発信のための第一歩である。

なぜ所沢なのか

 今回環境三四郎の秋の調査を実施するにあたり、なぜ「所沢」「ダイオキシン」をキーワードに選んだのでしょうか。理由の一つとしてメディアを通して問題がクローズアップされ、問題の存在を知っていたことがあります。しかしそれは必要条件でしかありません。これまで、「東京都のPETボトルリサイクル」「駒場キャンパスのごみ問題」などについて調べてきた私たちの、継続した問題意識の一つはごみ問題でした。所沢で起きている一連の問題は、明らかに産廃処理を中心としたごみ問題です。そこに重要性を認識したことが理由としてあげられるでしょう。

 またごみ問題であると同時に、日本の環境問題の原点となる水俣などの「公害問題」や、科学的不確実性のなかで意思決定を迫られる地球温暖化、環境ホルモンなどと共通する側面を持つ今回のテーマは、環境問題へ今後取り組んでいく際の一つのケーススタディとして最適だったのです。(さらにいえば、所沢周辺に住むメンバーが数名いたこともあるかもしれません)

 調査は、社会的側面も取り入れながらも被害の実態を中心に進め、それを踏まえて今後解決へ向けて何を為さねばならないのか、事態の本質は、といったことを議論、提示を試みました。

 さて、なぜ所沢か、というタイトルにはもう一つの問いが隠されています。なぜ問題が所沢に集中したのか、ということです。これについて次の項で見てみましょう。

問題の社会的背景は

 三富地区にある雑木林、通称「くぬぎ山」は、所沢市だけでなく狭山市、川越市、三芳町にまたがって広がっています。ここが産廃処理場の最も集中する地域なのですが、そこにはどういう経緯があったのでしょうか。

 三富地区は江戸時代、柳沢吉保によって新田開発され、現在のような屋敷・畑地・雑木林がセットの短冊状地形が形成されました。しかし戦後、高度経済成長期に宅地開発が進み、さらにバブル期には特に地価高騰により相続税が急騰し、雑木林の売却が進行しました。

 その売却先に産業廃棄物処理業者があったのです。廃棄物の大半は首都圏の廃材であり、関越自動車道のインターチェンジに近い利便性が一般的な理由ですが、周囲の住民の許可の問題、(県の)廃棄物流入規制の欠如、上記の森林利用の減少、といったことが大きく作用したと思われます。

 それでもまだ適正処理が行われていれば問題は小さいのですが、これらの業者は中間処理(焼却など)を行う際コスト削減を最優先し、悪質な処理、時には野焼き(ダイオキシンが非常に発生しやすい)かそれに近い状態で稼動させる、という状況になっています。

 責任は産廃業者だけではないことは容易に推測できます。排出する企業側もコスト削減を重視し業者に委任するうえ、その後の処理についても関心を払わないところが大多数と思われます。また、一日の処理量5トン以下の施設は規制なし、という法律上の抜け穴もあります。

 こういう状況が作り出される現状であること、これが所沢でダイオキシン騒動が起こった社会的背景と言えるでしょう。

社会の対応は

 現在、産業廃棄物処理にまつわる諸問題に対して、社会はどのような取り組みをしているのでしょうか。

 各々の主体にはできることが限られており、できたとしても規模や質には差が生じます。したがって各主体が役割分担をして問題解決に向かう必要がありますが、現状は利害関係が絡み、主体ごと、さらには各主体内でも意見の相違があるため、取り組みは「予防原則」にかなったものにはなっていません。以下に対応を具体的に見ましょう。

  1. 地方

    市民 個人 ・要望
    ・告発
    市民団体 調査
    ・要望
    ・抗議行動
    ・講演会
    ・企業に対する働きかけ
    市(所沢市) ・調査
    ・要望
    ・規制
    ・政策の検討・実施
    ・企業に対する働きかけ
    県(埼玉県) ・調査
    ・規制
    ・政策の検討・実施
  2.  環境庁、厚生省、農水省、労働省などがダイオキシンないしごみ問題に取り組んでいます。省庁間に「ダイオキシン類総合調査検討会」が設けられ、地方との関係では都道府県、政令指定都市との連携を強化するため担当者で全国ダイオキシン類調査連絡会議を開催することになっています。しかし、効果は「予防原則」にかなったものにはなっていません。

  3. 産業界

     さまざまな業種が「できる範囲で」ガイドライン等の自主的な取り組みを行っている状況です。

2.被害の実態

 三四郎秋調査のメインパートです。被害の生の声、実地調査を織り交ぜ、できるだけ客観的に問題を捉えようと試みました。不確実性が常につきまといますが、主観によって対策が的外れになってしまうことは避けなければならないと考えています。ただし予防原則という前提を念頭において判断を下す必要があります。詳細は報告書「所沢のダイオキシン問題」にまとめました。(後述)

人体への影響

 産業廃棄物処分場付近では、さまざまな健康被害が訴えられています。調査では健康被害を3つのレベルに分けて考えました。まずは、「訴えられている被害の声」(可能性としての被害)で、健康被害としてどのようなものが発ししているかをまとめました。次に「統計」的なレベルで、訴えられている被害の中から、統計的に検証可能と思われたものについて考えています。最後に「学会」のレベルで、最も因果関係の有無の検証に近いものとして、まとめています。ここでは動物実験や疫学的データから、ダイオキシン類の健康被害との因果関係について論じています。またダイオキシン類の毒性やそのプロセスについても詳しく述べています。

 「学会」のレベルについては、扱う内容が広範に渡り、特に所沢周辺に限定して扱ったものではありません。以下では、人体への影響について「訴えられている被害の声」と「統計」的なレベルの要約をしていきます。

 なお、文中には、ダイオキシン類による被害に対し、懐疑的に述べている部分もあります。しかし、それは市民団体の行う調査の揚げ足を取ろうというものではなく、予防原則に基づき対処すべきだということの確認です。

 まず、「被害の声」について述べます。胎児への影響として、奇形児や新生児死亡率の増加が訴えられています。また、胎児の発育不順や超音波で生まれる前に四肢の異常が分かった場合の、人口中絶の増加も訴えられています。

 子宮に対しても、子宮内膜症の増加や癌の増加が訴えられています。

 呼吸器系疾患、皮膚疾患に関する訴えとして、子供の喘息・アトピーの増加が、まずあげられます。その上、大人でも喘息を訴える人がいたり、アトピーにかかる人がでているようです。

 発癌に関する訴えもあります。増加したと言われる癌の種類は、子宮癌、胃ガン、肺癌といったものです。

 具体的な訴えの例を一つ挙げさせてもらうと、「くぬぎ山周辺(半径500m 以内)の73世帯で、ここ1、2年に妊娠した6人のうち、5人が流産、1人が奇形(左手首欠損)の赤ちゃんを出産」というものがあります。

 次に「統計」的なレベルについて書きます。報告書では、新生児死亡、自然死産、奇形児、発癌について、統計の相関性について考えています。報告書で述べていますが、産業廃棄物処理量と新生児死亡率の間に相関性が見られたとして、それがただちに、ダイオキシン類が原因とはいえないのです。複合汚染という言葉があるように、様々な要因が複雑に絡み合っています。ですからダイオキシン類のみに、その因果性を見出すことは困難です。つまり単純に 、焼却炉から、ダイオキシン類、健康被害へと、結び付けることはできません。厳密に統計を行うのであれば、ダイオキシン類以外の様々な要素を排除していかなければならないのです。

 その前提をふまえて、最初に新生児死亡率など、出生に関する統計について述べます。平成1年度から8年度までの8年間の新生児死亡率の埼玉県市部での、高い方から10都市を中心に並べた統計からは(報告書参照)、入間市、所沢市などの産業廃棄物処分場付近の自治体が入っていることが分かります。特に入間市は、統計的に99%の有意性があるといえます。だからといって、産業廃棄物処分場とつながりがあると、単純には言えません。しかし、新生児死亡率を上げる何かがある、と考えられます。

 また、大気中ダイオキシン類濃度が分かっている東京都、埼玉県の市と区の新生児死亡率も見てみました。ダイオキシン類と新生児死亡率の相関性を見るためでしたが、相関性は見られませんでした。様々な要因が絡むということと同時に、埼玉県と東京都で、ダイオキシン類の測り方が違うということも関係しているのかもしれません。

 死産、奇形児については、特に関係は示されませんでした。

 次に発癌性に関する統計について述べます。「健康を考える会」の金山信之氏の調査によると、所沢周辺でダイオキシン類大気中濃度と肺癌死の間に相関性があるそうです。「複合汚染被害者の会」の角田忠昭氏の調査によると、肝臓癌の増加率が顕著に高いようです。しかし、どちらも、母集団の少なさなどに問題があると考えられました。

 報告書では、両者のデータを使い、さらに考えてみました。つまり、後者のデータに併せて載っていた肺癌増加率と、前者のダイオキシン類大気中濃度との間で、相関性があるかを調べてみました。すると、大気中濃度と肺癌の時系列的な相関性は、希薄なものになることがわかりました。

 結局、一概に結論は出せないのですが、大気中のダイオキシン類は、健康被害の一要素であっても、最も大きな要因ではなさそうだと考えました。しかし、産業廃棄物処分場周辺に”煙による被害”が確かにあり、幾つかの化学物質が、新生児や発癌に影響を及ぼしているらしいことも同時に言えると考えます。

生態系への影響

 私たちは、ことダイオキシン問題に関してはほとんど脚光を浴びることのなかった生態系に関しても、かなり影響が及んでいるのではないかと考え、被害調査の主要項目に加えました。

 生態系への影響を調べる際まず気づいたことは、被害の実態調査はおろか基礎的な生態調査さえ十分に行われた形跡がない、ということでした。生態系という視点を考えるとき重要な点の一つに、生態系の構成要素の変化は影響の程度の差はあれ、他のさまざまな構成要素の変化を導く、ということがあげられます。構成要素は生物、無生物を問わず、人間、そして人間が作り出す無機的環境変化も構成要素の変化とみなせます。それぞれの要素が複雑につながりあっているため、生態系の他の生物に現れた被害は、(動物実験のように)ヒトへの同様の影響を示唆するだけにとどまらず、その生物の被害そのものが相互の連関性のなかでヒトへの影響の原因となってくるでしょう。

 この点に行政・市民、ひいては社会の、生態系そして自分達とのつながりに対する意識がまだまだ希薄だな、と感じました。

 調査は、産廃処理場が集中するくぬぎ山をフィールドに行いました。

 まず、現地の生態系は本来どのようなものだったのでしょうか。過去の植生図、取材をもとに判断すると、農業用に落ち葉を利用する、アカマツを中心としたクヌギ・コナラなどの広葉樹が混在する2次林(植生遷移途上の状態に管理された森林:いわゆる里山)であることが分かりました。動物に関しては、レッドデータブックで危急種に分類されるオオタカが生息するほか、多数の鳥類、タヌキ・ノウサギなどの哺乳類も観察されています。オオタカはマツ類を好んで営巣するので、ここはかなり好環境であったと思われます。

 実際の被害はどうでしょうか。観察ですぐに目に入ったのが、アカマツの立ち枯れ現象でした。自然状態でも老齢化や嵐など外的要因で一部の木が倒れ、ギャップ(森林に穴があき、地面近くまで日光が入るような状態)が形成されることは普通に見られるものですが、くぬぎ山の場合は明らかに異常な状態と考えられました。

 かなりの数のアカマツが枯れ、明るい空間があちこちに広がっています。さらに若いアカマツもほとんど見られず、コナラ・クヌギを中心とした樹木がそれに変わるように、比較的若いさまざまな年代で成長を見せていました。

 また、産廃処理場開発の直接的な影響とみられるものとして、道路の拡張、森林皆伐による生態系辺縁部の拡大で生じたと考えられる、移入種の出現が見られました。なかには大部分のマツがなくなり草原に近い場所もあります。普通森林内部には現れないススキ、セイタカアワダチソウ、クズなどの植物が進入しており、生態系が撹乱を受けていることは確実でしょう。

 動物相への影響としては、直接観察することはできませんでしたが、目立つ哺乳類が姿を消し、オオタカの営巣にも悪影響が出ているという情報を県生態系保護協会の足立氏から伺うことができました。その他の微小な生物への影響はまったく分からないという状況です。ただ、現地の生態系が何らかの変容を強いられているようだ、ということは指摘できそうです。

 しかしこれだけの定性的な評価では、産廃処理場、ダイオキシンとの関連は述べられません。そのため、今回は広範に影響が及んでいた「アカマツの立ち枯れ」という指標を用いて、被害の定量評価、産廃処理場立地との相関をみる調査を実施しました。

 植物においてはダイオキシンによる詳細な影響が調べられていないため、ダイオキシンとの因果性を述べることは困難です。ただ、アカマツが大気汚染に脆弱である、ということから、ダイオキシンでなくとも処理場による環境変化(排煙・廃熱)で被害が発生したとみることは可能でしょう。別の要因としては、マツクイムシによる(マツノザイセンチュウ病)集団被害が考えられます。

 実地調査として、私たちは、

・くぬぎ山でかつて優占していたアカマツが枯れてきている

・アカマツが枯れた原因は産廃処理施設のせいである

 という仮説を立て、(粗い調査になったが)検証を試みました。

 産廃処理場を取り囲むエリアを区画分けし、それぞれの区画でアカマツ・他の広葉樹などの被度(どれだけその木が占めているか)、高度を調べました。

 その結果、風向き、各処理施設の焼却状況なども勘案すると、立地との相関関係が示されることが分かりました。しかしここからすぐに処理場との因果関係が言えるわけではなく、他の要因、(煙以外の何か、マツクイムシの影響など)が排除されたわけではありません。この点については、さらに詳しく調べていく必要があると考えています。煙だけでなく、熱の影響を考慮に加える、具体的に施設との距離を計測しより確実性を高める、各マツがマツノザイセンチュウに侵されているか確認する、適切な対照を求めるなどして、工夫を加えたいところです。

 「生態系」は多様なファクターが絡み、複雑性、多様性が著しく、厳密な実験条件の設定が困難で、おそらく決定的な因果関係を指摘することは難しいでしょう。しかし人間の存在基盤は自然環境にあり、所沢周辺に広がる里山的雑木林の消失はそれ自体、人間の生活環境のうえでも多様な生物の存在基盤という意味でも、大きな問題であると言えます。この所沢において未開拓の方面の研究が進み、新たな知見が得られることを期待します。

農作物への影響

 農作物は自然環境の産物と捉えることもできるし、流通や経済といった人間社会の営みのなかにあるもの、間接的に経口で人間・生物にダイオキシンを運ぶ可能性のあるもの、などさまざまな側面からの展望ができ、関わる主体も多様で興味深い対象でした。

 所沢ではほうれん草、サトイモを中心に多種の農作物が生産されており、約8割が東京を始めとする京浜市場に出荷されています。(埼玉県経済連調べ)データをもとに計算すると東京都内の人と所沢市内の人が埼玉県産農作物を食べる割合はともに1割前後とみられ、両者にさほど違いがないことがわかりました。

 所沢産の農作物にはどれほどダイオキシン類が含まれているのでしょうか。JA所沢が日本食品分析センターに測定依頼をしたとの情報を得て、市民団体「複合汚染被害者の会」の中村氏とともに質問・取材に向かいましたが、JA側は、「基準値・安全値が確定していない現段階で公表することは混乱を招くことになり、公表により売上などへの被害が生じた場合責任がとれない」、と公表を拒否、中村氏は「消費者の安全に関することであり、結果を判断するのは消費者である。補償は政府に求めるべきだ」、と主張し、結局平行線のままデータを得ることはできませんでした。ここでも主体ごとの見解の相違が現れているといえるでしょう。

 他に実測値が見つからなかったので、土壌・大気中ダイオキシン濃度より自分達で計算、予想することにしました。

 摂南大・宮田教授の調査をもとに所沢富岡地区の土壌中ダイオキシン濃度の設定を100pgTEQ/gとすると、イタリア・セベソでのダイオキシン事故調査(事故1976年、調査1984年)の土壌中濃度、野菜中の濃度の比と照らし合わせてみた結果、単純計算で1日摂取量47.5 pgTEQ/kgとなりました。宮田教授の大阪における調査では野菜から1日0.22pgTEQ/kg(体重50kg)摂取する、となっており、データの信頼性から確かであるとは言えないが、所沢産の農作物にはある程度多いダイオキシン類が含まれていると考えられます。

 それでは、所沢産農作物にダイオキシンによる直接的、間接的影響はでているのでしょうか。直接的な影響については、農家への取材から、収穫量、味に変化は見られないと思われます。

 間接的、すなわち、ダイオキシンというレッテルがつくなどして、評価が落ちるなどという事態は生じているのでしょうか。さまざまな主体を追い、ダイオキシン問題の農作物を介した社会的影響を調べてみました。

 市場価格は天候による生産量に大きく依存し、ダイオキシンの影響からその変化を導くことは難しいのですが、概ね売上、価格には変化がないといえそうです。ただし、一部の環境問題や健康に対し意識が高い人への売上は落ちていることも分かりました。しかしそれも個人契約などの販売がほとんどで、一般には所沢産ではなく埼玉産と表示されるため、特に局所的な影響をもたらしてはいないようです。

 生産者の農家は売上が落ち、生活に響くことを心配する一方で、直接的な被害を受けている人もいて、板ばさみの状態で具体的行動に移せないでいる、といえます。若い世代には子供への影響を心配し早期の問題解決を望む声が高いようです。農家の生活を保護する農協の立場としては慎重な態度を取らざるを得ず、事態の沈静化を望んでいます。逆に市民団体などは早急に解明しよう、という立場をとっています。

 調査で主体間の対立の焦点黷A農作物中のダイオキシン濃度調査結果の公表の是非でしたが、それについて私たちが結論を出すのは避けたいと考えています。ただ、科学的に不確実な中で決定しなければならない今、感情的に自らの立場に固執していては解決しないでしょう。どのような選択肢が考えられるか、また選択の結果どのような利益・不利益が起こるのかについて整理・認識したうえで議論し、合意を得るべきでしょう。

豆知識:ダイオキシン類&単位

 ダイオキシンの正式名称はポリ塩化ジベンゾパラジオキシン(PCDD)で、付いている塩素の数位置で多数の異性体に分類できます。さらにPCDF、コプラナーPCBといった物質群を合わせ、ダイオキシン類と総称します。

 よくpgTEQといった単位が出てきますが、pgとは1兆分の1g、TEQとは、ダイオキシン類の中で最も毒性の強い2.3.7.8‐TCDDに毒性の比を用いて換算した値のことです。(ダイオキシンも種類によって毒性が違うのです。)

3.エピローグ 〜解決への道

 私たちは調査を終えた後、今後の各主体、そして自分達の在り方についてディスカッションをし、また、各メンバーがそれぞれ自分の中で問題の認識を整理しました。本紙ですべてに触れることはできませんが、いくつか議論が沸いたところを中心に、未熟ながらも提示したいと思います。

各主体の在り方

 取り上げたものは、以下の通りです。

  • 行政
  • 地域住民・一般市民
  • 学問
  • 社会全体
  • 環境三四郎

 このうち、行政、一般市民、そして環境三四郎についての内容を簡潔に掲載します。

行政

 行政は問題解決に大きな力を持つ主体です。市民、メディア、学者が働きかけ、行政、法により規制していく、という方法が取れるからです。

 現在の対応の遅れという問題はどこにあるのかをみるため、省庁、県、市町村というレベルにわけて考えました。

 省庁に関しては、まず縦割り行政であるという認識で、行動の足並みが揃わない、無意味な対立が生じうるという点が指摘されました。また、実際の取締りが甘い、監視・指導を適正化すべきである、情報公開を進めるべきであるといった意見がでました。廃棄物処理の方針について、広域化・大型化という姿勢に対し、ごみの地域処理、減量化を進めるのならば地域化・小型化を目指すべきだという意見も多くあがりました。

 県(具体的には埼玉県)については、廃棄物の搬入規制を設けるべきだ、処理施設の許認可権を持っているからには、しっかりと査定をし、必要に応じて監視、規制していくべきだとの意見がでました。

 市町村については、情報公開が不十分である、より上の行政組織に権限があることが多いため、できることに限りがあるとの指摘がなされ、現状では市民と密着した取り組みを目指すべきとの声があがりました。市民会議などの取り組みは評価できると思います。ただ、その形式が生かされるようなシステムにしていって欲しいと考えます。

一般市民

 まずは、自分も産業廃棄物排出の一役を買い、知らないところで被害を起こし、自分にもはね返ってきているかも知れないとの認識を持ち、問題への関心をよせ、関係性を知ることでしょう。

 誰もが有権者、消費者という立場にあります。有権者としては行政に訴えていくことができます。首長の選択、意見書の提出などで、直接的な働きかけが可能でしょう。

 消費者としては、環境に配慮した企業を選んでいく、必要なもの以外は買わない、外装材の少ないものを選ぶ、物のLong Lifeを心がけるなど、地道な行為が大切です。

 一般市民は直接関わりのないことに無関心になりがちですが、問題の地域の外にいても、可能ならば当事者との関係性を認識したうえで地域住民と広報活動をしていくべきでしょう。同時に各自が自分の住む地域に関心を持ち、「地域住民」として活動することが必要と考えます。

環境三四郎

 環境三四郎は環境問題に関心を持つ学生が集まっているサークルであり、地域住民でもなく、目的も「所沢の環境」や「ダイオキシン」に限定されません。具体的活動も多様です。このような環境三四郎がすべきことは何でしょうか。

  • 調査活動

     環境三四郎が他の主体と協力して、もしくは独自に調査をすることによって現状がより明らかになることは、問題解決に直接つながらなくとも価値あることといえると思います。新たな情報を得られることで、他の市民活動などの助けになるだろうし、社会にアピールする素材としても役立つでしょう。今後も問題意識を持ちつづけて、その他のアクションに結び付けていくべきだと考えています。(問題改善には継続性が欠かせない)

  • 普及活動

     人々の注目が集まった結果、くぬぎ山周辺の産業廃棄物処理施設に改善が見られたり、行政当局の取り組みも「ましになった」という事実を考えると、広く人々に対して問題を伝えていくのは非常に重要なことです。

  • 組織として

     今後、別の調査を行うとしても、今回の調査活動を通して得られた問題構造の認識を生かすべきでしょう。調査活動だけではなく、他の活動(実際の改善活動、勉強会など)においても、今回得られた知見を生かしより一層の成果につなげられると思います。

  • 個人として

     今回の調査を通して、個々のメンバーの問題意識が高まりある程度の共通認識が獲得されました。今後この調査で得られたものを糧として活発な取り組みがなされるだろうし、その取り組みは何らかの形で「所沢のダイオキシン問題」に還元されるのではないか、と期待しています。
     いうまでもなく、一市民としてごみの減少、徹底分別、その他の配慮をし「エコライフ」を実践していくべきです。

現状認識

 メンバーの現状認識の中から、ポイントを幾つか(独断により)提示したいと思います。

(1) 因果関係把握の欠如

 進化的理由により、ヒトは自分とのつながりを認識できない他者にまで被害が及んでも、自分とは無関係のように思ってしまう。また、環境汚染が蝕んでいくことを生理的に実感できない。だから本気で対策に動かない。生物としてのヒトの脳が把握できる範囲を越えた問題が起こっているといえる。
 統計的な情報などと合わせ、知性・感性両方に訴えていく情報提供が不可欠である。

(2) 加害・被害の不可分性

 多くの人は自分の生活が問題の遠因になっていることを知らない。また、被害者も広範囲に及ぶ可能性があり重なる。さらに、農家のように、ダイオキシン汚染の可能性がある作物を出荷するという、加害者的立場にあるが、それをやめることはできない、という事例もある。

(3) 社会的不公正

 加害・被害は重なるかもしれないが、立場の弱いものほど被害が及びやすい(主婦、子供、処理施設労働者など)という不公正が存在している。
(環境問題にけっこう普遍的なこと)

(4) 問題の重大・緊急性

 科学的に不確実性がなくならず、ことの重大性、緊急性が一概に判断しにくい。予防原則のもと、規制強化、法改正を含めた適正処理を考えるべきである。また、社会システムに根本的な問題があるのかもしれない。
簡単でしたが、皆さんも考えてみてください。

最後に・・・

〜秋調査現地見学の手記〜

 遠くから見ると普通の雑木林に見えるくぬぎ山。だが中に入ると、様子が明らかに違っていた。植物の葉が変色している。黄色っぽくなって枯れかけていたり灰色っぽくなっていたり、これは明らかに変だ。普通の、いつも見ている葉じゃなかった。そんなのがたくさんあった。

 アカマツの枯れ方も、原因が何であれ異常が目に見えていた。産業廃棄物処理場の近くで相当大規模なマツ枯れがあって、高く太いアカマツが集団で枯れまくっていた。

 臭い。頭が痛くなりそう。調査中に、身の危険を感じて逃げることにした。息を止めて20メートルくらい逃げた。これは実際しゃれにならない。煙はなおも迫る・・・

 50歩譲っても、ここで生活することは不可能だと思った。

 もとの美しかったであろう自然が、人間によって如何に踏み躙られているか。それを感じるのは、歩いている道路が実は産業廃棄物で盛り土してあると知ったとき。業者の門の前辺りに医療廃棄物らしきゴム手袋があったとき。その業者の門の前に真っ黒でべたついた水溜りがあって、土にも黒が染み付いているのを見たとき。何を垂れ流しているのだろう?道を避けて通れず、靴で踏んでしまった。この靴、どうしよう?

 上のような風景の見える場所へは、小谷さんの家から徒歩1分かからずに行くことができる。こんな場所に住んでいる人の気分は(そしてもちろん健康は)どんなだろう。そこには常識と感性だけでも理解に足るものがある。
 異常だ。すごく。

 でもこれは今の世界には当たり前のことなのかもしれない。汚い部分をみる機会があまりないというだけで、実はいろんな事例があちこちであるのだろう。僕らが見ても、見なかったとしても、くぬぎ山ではこういう状態が数年間続いていて、今後も少なくともしばらくは続くのである。「知らない」ということは恐ろしい。

 環境について語るのなら、まず事実を知らなければならない。「事実」は、人と向き合って言葉を交わすだけでは見つからない。外界(自然とか社会)と向き合って見つめ、外界に働きかけて、未知なるものを見出さなくてはならない。見出すための働きかけのプロセスが調査であると思う。

(製作:斎藤、加藤、大竹)

このページは環境三四郎98秋調査『所沢のダイオキシン問題』の一部要約版となります。

調査の詳細をご覧になりたい場合は調査報告書(全105ページ)があります。詳しくはお問い合わせください。

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