エコプロ座談会

 環境三四郎では、1997年以来、駒場キャンパスの学園祭「駒場祭」の環境対策「ECO Project」に協力してきました。準備期間の長さや駒場祭当日の活動量の激しさ、そして非常に多くのメンバーが関わることなどから、ECO Projectは数ある環境三四郎の活動の中でも有数の大規模プロジェクトとなっています。そして、それだけに三四郎メンバーの多くにとって、非常に思い出深いプロジェクトでもあることと思います。

 今回の企画では、開始から4年が経過したECO Projectの歴史を振り返るとともに、現在の課題、今後の展望などに関して、各年において中心的に関わっていたメンバーに話を伺いました。(司会・編集=木曽貴彦)
*エコプロに関して:ECO Projectは正確にば駒場祭のプロジェクトで、ECO Projectへの参加は環境三四郎への参加とは関係はありませんが、メンバーの多くは環境三四郎に所属しております。



―まず、これまでECO Project(以下、エコプロ)では何が行われてきたのか、年ごとに簡単に振り返りたいと思います。まず、エコプロが始まった背景なども含め、97年の様子から。

大竹大竹「僕が1年生のとき(注・96年)の駒場祭では三四郎は講演会をやっていた。そこで駒場祭を一度体験して、分別が全くされていなかったりというひどい実情を見て、これは講演会をやってるだけじゃダメだ、来年はこの現状を変えなきゃと思ったのがそもそものきっかけ。その後、他大の取り組みの資料を調べたりしていた。ちょうど、次の年に入ってきたかつを(注・杉山さんのこと)は三四郎とKFC(注・駒場祭委員会のこと)を兼ねていて、両者の橋渡しをしたいというようなことを言っていた。」

杉山杉山「そのころは五月祭・駒場祭の委員会側でも新しい動きが出てきた時期で、97年の五月祭で環境対策の五カ年計画がスタートし、ごみにもようやく目が向けられてきた。同じく97年の駒場祭では、プロジェクト制といって、特定の分野について委員会と他団体とが協同でプロジェクトを企画・実施していくという試みが始まった。こういう流れがあったから、両者が協力して、ということが可能になった。」

大竹「1年目は、ごみ分別をしっかり行うことが主目的で、リサイクルはついでにやらせてもらっているよ うな感じだった。PSP容器(注・リサイクル可能な発泡スチロール容器、リサイクルには洗浄が必要)のリサイクルはやっていたけれど、屋外にいくつかのポイントを設けて、そこで来場者に洗ってもらったものを回収するだけだったので、回収率は6〜7%くらいだった。当日の集積場のシステムや企画への広報もまだどうやればいいのか手探り状態で、1日ごとに改良して、適応していったような感じだった。ロープを1日目の夜に集積場の周りに急遽めぐらせたり、分別率も1日目はちゃんと分別されていたのが40%くらいだったのが、3日目にはだいぶ上がっていたり。分別という概念自体が駒場祭にとって初めてのものだったことを思えば、ごみ分別をある程度成功させたというのは大きな成果だったのかな。」「環境対策を進めていく中ではKFCともめたこともけっこうあった。三四郎の主張はよく言えば先進的、悪く言えば急進的だったんだろうね。」

―次に、98年をお願いします。

三輪「98年は、分別に関してももちろん前年の成果を発展させていこうと思っていたけれど、前年にあまり手が回らなかった容器対策を特にがんばろうと思っていました。容器に関しては、使い捨てを見直すという点を重視していたので、リユースできる洗い皿を使う模擬店を8つ集めて『エコゾーン』を作り、それ以外の模擬店にはPSP容器を使用してもらいました。PSPは97年が来場者に洗ってもらう方式で回収率が6%しかいかなかったので、98年はリサイクル広場という場所を設けて、企画の人に洗ってもらい、結局60%くらいの回収率が達成できました。他にも、太陽光発電などの企画をやったり、エコゾーンの入り口に大きな門を作ったり、割り箸回収もこの年からですし、ほんとにいろんなことをやってましたね(笑)。『できることは全部やろう!』という気持ちでみんながんばっていて、人手とか体力のことをあまり気にしていなかったので、メンバーはかなり無理をしていたと思います。今から思えば反省すべき点ですね。」「KFCの中では、この年の6月くらいに環境局が新設されて、環境がより重視される体制になったのですが、環境局員が全員三四郎メンバーだったこともあって、環境局・三四郎とKFCの間で、洗い皿やPSPのことでけっこう激しくもめたり、いろいろな連絡がうまくいかなかったりということもずいぶんありました。」

杉山「この年はエコゾーンとかPSPリサイクルとかプラスもすごく大きかったけど、オーバーワークだったり、KFCとの調整がうまくいかなかったという意味でマイナス面も大きかった年だよね。」

―続いて、99年。

木曽木曽「99年は98年までにある程度、体制・システムが整備されていたので、それを引き継いで完成させることが目標だったのかなと思います。洗い皿・PSP・分別の3本柱は前の年から引き続いて行いました。大きな成果としてはPSPのリサイクルがほぼ100%に達したことですかね。3年間かけてついにここまで来たということで、なかなか感慨 深かったです。ごみ集積場もこの頃からもう破綻しなくなりましたね。この年の新しいこととしては、新館前広場にエコレシピ(注・たこせんなどを使うことで容器ごみを出さないメニュー)を出す模擬店のゾーンができてエコゾーンが2つになったこと、立て看などの木材のリサイクルを始めたことですね。これで分別項目は10分別になりました。あと、この年は三四郎とKFCを兼ねていた僕と大林(注・現在、教育学部3年)がKFC内にいる時間が多かったこともあってか、前年に比べるとKFCとの連携はうまくいっていたと思います。オーバーワークの問題は、前の年と比べると、改善されたように思います。」

―最後に昨年、2000年の様子をお願いします。

竹内竹内「大きく変わったのは、容器を PSPからバガス(注・サトウキビの絞り粕)製のエコトレーに変更したこと、洗い皿の使用とエコゾーンの設置をやめたことだと思います。分別では、プラスチックという項目を増やして、ビニールなどの石油製品を回収し、サーマルリサイクルに回しました。PSPからエコトレーに変わったのは、両者の長所と短所についてずいぶん時間をかけて議論をした結果だったのですが、結局はマンパワーや安全性の問題で、エコトレーのほうがよいだろうということになりました。容器の処理方法は、本当は土に埋めたかったんですけど、場所がうまく確保できなくて、可燃処理ということにしました。」

木曽「洗い皿をやらなかったのは、99年に洗い皿をやった経験から、事前にも当日にも大変な労力をかけ、水を大量に使ったりもするのに、それに見合う環境負荷低減とかPRの効果が本当にあるのか疑問に感じたからです。」

竹内「他には、エコステーションという場所を設けて、来場者向けの広報と生ごみ堆肥化のデモンストレーションを行いました。あと、一人一膳運動といって、一部の来場者に割り箸を配って、その一膳で一日を過ごしてもらうという試みを行いました。エコプロの目標としてよく挙げられるものに、実際の環境負荷低減効果と来場者へのPR効果・波及効果の2つがありますが、この年は中心だった私と飯田君(注・現在、教養学部2年)で話をした結果、波及効果のほうを重視しようという話になって、それでエコステーションや一人一膳など、環境負荷低減というよりも波及効果重視の内容にしました。」

大竹「4年間経って、ごみ分別は圧倒的にやりやすくなったと思う。システムが整ったし、企画にも浸透してきた。洗い皿とかPSPとかごみ分別以外の対策に関しては、とりあえずコストを考えずにやっていたけど、マンパワーの問題があったり、それぞれの対策のメリット・デメリットを比べたりする中で、徐々に修正されてきたという感じかな。」

―今振り返ったように、エコプロは4年間かけて大きな成功を収めてきたとは思うのですが、逆に現在のエコプロが抱える課題を挙げるとすれば、どのようなことがあるでしょうか?

杉山「下の学年にいくほど、学園祭の環境対策というものに対するモチベーションは低下しているのではないかと感じることがあります。活動のサステナビリティーだけでなく、モチベーションのサステナビリティーという問題があるのでは。」

木曽「マンネリ化しているというのはありますよね。例えば、今年の駒場祭でもごみの分別に関してやることは何となく予想できちゃうわけですよね。モチベーションが高くなるのは、そこに手つかずの大きな問題が存在していて、『何とかしなきゃ』という時だと思うので、例年のシステムを何となく引き継げば、それなりにうまくいくだろうという状況だとモチベーションの維持って難しいんでしょうね。」

大竹「今は頭を使わなくてもエコプロはできちゃう。単なる作業になりつつあるという傾向は否定できないと思います。でも、人がおもしろいと思うのって、創造的な活動をしている時なんだよね。」

杉山「それに関連して思うのは、以前のエコプロの大変さというのがなかなか下の世代に伝わっていないかなということなんだよね。例えば、洗い皿とPSPをやめて、エコトレーに変わったというのはいろんな意味で重要な変化だったと思うんだけど、その経緯とか意義があまり下に伝わっていない気がする。やっぱり理想としては、少なくとも一度は大変さ、苦労というものを経験しておくべきだという気はしますね。例えば、洗い皿とかPSPとかを一度やって、その大変さを経験した上でエコトレーという話に行くべきなんだと思う。実際にはそれは難しいことだけど。」

木曽「今、話に出たような問題というのは、エコプロが年々工夫を重ねて、かなりの程度完成したからこそ出てくるものなんでしょうね。うまくいっているがゆえの悩みですよね。」

杉山「でも、マンネリ化っていうけど、絶対フロンティアはあると思うんだよね。新しい方向性、アイデアを打ち出すためには、上の学年がうまくサポートしないといけないんでしょうね。」

―そうすると、その新しい方向性、アイデアとしては例えば、どのようなものが考えられるのでしょうか?

杉山「エコプロの内容って、ほぼすべてがごみ対策ですけど、それはなぜなんですかね。駒場祭の環境側面というともちろんごみもありますけど、排水や騒音といった問題も存在していますよね。だけど、僕らはごみ以外ほとんど考えてこなかった。最初はごみでよかったのかもしれないけれど、5年経ってもまだごみしかやっていないというのはどうなんだろう。」

三輪「理想の学園祭像を考えてみるというのも一つの手かなと思います。学園祭の楽しみっていのは馬鹿騒ぎすることだけではないはずだし、模擬店がズラッと並ぶのが唯一の学園祭像であるわけではないですよね。環境以外の面からも学園祭の質ということを一度考えてみるとおもしろいかなと思います。」

杉山「あと、僕がずっと思っているのは、ちょっと突拍子もないかもしれないけど、環境マネジメントシステムを入れてみるということなんですよね。まあ、これは三四郎というより、KFCとかあるいは学部とか、そういう大きな単位で動かないと無理かもしれないけれど。」

―話題は変わりますが、それぞれがエコプロの経験を通じてどんなことを学び、どんなことを得たのかということについてお願いします。

三輪「KFCの人と関わったというのはすごく貴重な経験だったと思います。やっぱり当時の私は環境の側面からのみ物事を考えていて、ごみ減量は大事だし、そのためには来場者とか企画に負担を負ってもらうのも当然だと思っていた。KFCの人と関わって、駒場祭の全体像を見ることの重要性とか、企画間の公平性とか、環境ではない他の重要な価値観が存在して物事は動いていること、その中で環境という価値観を両立、実現していくことの難しさを学んだと思います。環境問題に取り組むのに、環境一辺倒ではだめだと強く感じました。」

木曽「三四郎の中にいると環境という価値観は別に当然のことのように思えてしまうけど、外部に出ると環境に関心を払ってくれる人なんて少ないし、企画間の公平性とか環境とは全く違った価値観を持った人ばかりになる。別にどちらが絶対的に正しいということはないのだから、三四郎の論理とKFCの論理が真っ向から対立するという状態は生産的ではないと思うんですよね。だから、KFCの論理の中に環境という価値観をうまく取り込む、両者を融合させるということを目標にしてやっていた。エコプロを通じて得たものってたくさんあるんですが、特に、環境という価値観を他の価値観との関係の中で相対的に捉えなければならないということを身をもって感じることができたというのが最も大事なことだったかなと思います。」

竹内「環境問題にプライオリティーをおくという立場から、しかも立場が違う人に意見を言うということはいろいろ勉強になったと思っています。委員会の人に、たとえこちらの価値観に賛成はしてもらえなくても、理解してもらうことは重要だし、こちらが情熱を持っていれば、すべてとは言わないまでも、伝わるんだなと思っています。」

杉山「価値観の相対化というのはみんなと同じように僕も経験したけれど、他に挙げるとすれば、システムを作ることの大変さ、そしておもしろさいうものを実体験できたのはいい経験になったと思います。ごみ分別のシステムひとつをとっても、それを作り上げるためには、いろんな主体と交渉することも、当日汚れるくらいまで動き回ることも、そしてメンバーがプロジェクトを通して楽しめることも重要。こういう一連の経験を得たというのは自分にとって非常にためになったと思います。」

大竹「僕はそれこそエコプロとともに成長してきたようなところがあって、最初の頃の未完成な対策とか、オーバーワークで大変なことになっている時とか、そういうのは全部自分がそういうふうに成長してきたからなのかな、みたいな感じがあるんだよね(笑)。1年生の頃は、学園祭の外部不経済は内部化すべきだとか、ある意味勝手に自分の理想像を描いていたんだけど、みんなも言っているように、KFCと関わって環境という価値観を相対化できたっていうの はいい経験だったと思う。社会に出れば、それぞれ自分の利益とか主張があるわけで、それをいかに折り合いをつけ、合意形成していくかということが重要になってくる。こういう普遍的に起こりえる状況に身を置けたというのは本当にいい勉強になったと思います。」

三輪「関わった人にとっては絶対糧になるし、思い出深いものですよね。」

竹内「忘れられないですよね…。だって、半年以上、めちゃめちゃ忙しいんですもんね…。」

三輪「私の代の中で、『一番印象に残っているプロジェクトは?』という話をしていた時には、やっぱりエコプロを挙げる人が多かったですね。みんなで一緒にやったんだという気がするという点で。オーバーワークだったっていうのもあるんでしょうけど(笑)。この気持ちは同世代だとかなり共有しているのかなと思います。」

―どうもありがとうございました。

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