行って感じたザンビア

私は昨年12月から6週間ザンビアに滞在しました。滞在先がザンビア大学の学生/職員寮だったので、ホームステイ先の家族・親族、大学生など、たくさんのザンビア人と交流することができました。

 また、TICO というNGO 活動にインターンとして参加させてもらうことができました。TICOでは、ザンビア飢餓対策の一環である巡回診療プロジェクトを中心に手伝わせてもらいました。ザンビアでのNGO活動と、ザンビア人との触れ合いを通して感じたことを述べたいと思います。【記者:吉永斉弘(6 期)

ザンビアの貧しさ

ザンビアの様子 国民年間平均所得US$300・飢餓・犯罪多発・マラリア・エイズと聞いて、はじめはどんな世界が待ち受けているのかと身構えて首都ルサカの中心街を歩いていました。それほど大きな衝撃に襲われることもなく、淡々と目の前の光景を眺めていました。歩道は舗装されていないものの車道はきれい、バスはスクラップ寸前だがきれいな車もないことはない、街行く人々はそれなりの洋服を着ている、乞食が街じゅうにあふれているということはない、衛生状態もそれほど悪そうではない、などなどです。思っていたほどルサカの生活の水準が低くないことにむしろびっくりしました。

 しかし、ザンビアに来た興奮が徐々に冷め、ゆとりがでてくるにつれてだんだん貧しさが見えてきました。街中には2階建て以上の建物・手入れの行き届いた建物がめったになく、富の蓄積がされていないと感じました。それなりの身なりをしている人も、住む家は粗末なものであることが分かってきました。また、資金難により行政サービスの質が低いことがはっきりとしてきました。ザンビアで最大の病院であるザンビア大学病院では機材・技術・薬・意欲が欠如しており、十分な治療を受けることができません。また、警察は、ガソリンを購入する資金もないために連絡を受けても出動できないという有様です。身の危険を心配せずに生活できるということが豊さの最低条件とすると、金持ちのみならず一般の貧しい人まで、なけなしの財産をとられることを恐れなくてはならない犯罪多発都市ルサカは、とても貧しいといえると思います。

 農村は本当に貧しいと感じました。物は本当にないし、服はぼろぼろだし、干ばつで水はないし、食糧もない。ひと月の金銭収入は5ドルで、もしも街に行くため片道2ドルのバスにのるとお金がなくなってしまう。見た目はそんなに不健康ではないのですが、食事は日に一回くらいしかとれないという生活をしています。

 しかし、都市あるいは農村の貧しさというものを理解しはじめてからも、彼等の生活から悲壮感を感じることはあまりありませんでした。私がそう感じた一つの理由は、ザンビア人は一般的に明るい人柄(特に子供は人懐こくてかわいい)であるということがあります。ずっと話していると、たまに愚痴をこぼすかのように生活の苦しさをもらすことがあり、そのときに初めて彼等の事情が少し見えてきます。

 もう一つ大きな理由は、彼等一人一人が貧しくても、孤独な生活を送っている・社会から疎外されているということがないからだと思います。

 ザンビアの貧困については、そこを通り過ぎるだけでは十分に分かるものではないと思います。明るく・普通に生活しているように見えているザンビア人が抱えている問題の本当の困難さを知るには、まだまだ時間が必要だと感じました。

社会を変える力

 現在の貧困レベルよりも、ザンビアにおいてより重要で根本的な問題だと感じたのは、ザンビア人自身によるザンビア社会を変革する力です。公的セクターの組織・私的セクターの組織はいずれも非効率な運営をしていることが明らかで、また腐敗が蔓延していると聞きます。これでは開発するどころか、自由化が進むほどにその荒波の中で押し潰されてしまいそうです。

 何人かのザンビア人に聞いたことですが、ザンビアでは一生懸命働くことが出世にはつながらないということです。出世のカギとなるのは、組織の上層部に自分の親族がいるかいないかということだそうです。そのためそのような人脈のない個人にとっては、組織に対して忠実に働くインセンティブが働かず、職場内での競争意識も生まれないまま私的な利益追求に向かうことになります。組織のインセンティブの歪みと、それを生みだす個々人のモラルが低いことは大きな問題ですが、一般大衆の間に広がる貧困・低賃金・大家族の中で支えあうという慣行など、根の深い問題だと思います。

援助の最前線にて

 私が参加した巡回診療プロジェクトは、農村飢餓地域で診療活動と薬剤の配布を行うプロジェクトでした。3つあったプロジェクトの実施地点は、平均すると首都ルサカから幹線道路で3 時間、さらに舗装されていない道を2時間ほど行ったところにありました。プロジェクトメンバーは、ザンビア人医師・アメリカ人の薬剤師・ザンビア人運転手・私の4 人で構成されていました。

 巡回診療プロジェクトで行った先々で会う農村の人々の振る舞いは、首都ルサカで出会う人々とは全く別のものでした。都会と農村という違いはあるとは思います。しかし、より大きな違いは、「何かを与えてくれる人」として彼らと接していることだと思います。彼らの「T I C O は私たちに夢を与えてくれた」という発言の中には同時にしたたかさも感じずにはいられません。何でもいくらでも欲しがる人、人よりも多くもらおうとする人、しかし同時に貧しい人である彼らにどう接するかというのは、大きな問題でした。個人への同情は、集団の中での不公平につながりかねないからです。

 少なくとも私自身に関して言えば、現場で人と面と向かって接するとき、事務所で計画を練るときは、「かわいそうな人への同情・やさしさ」よりも「目的を明確に伝える・限られた資源の中で最大限の成果をだす・公平に振舞う・依存を生まないようにする」意識を持っていたように思います。経験を積んで心にゆとりが生まれると、あるいは気の持ちようが変わるのかもしれません。しかし私にとっては、痩せ細った子供とその母親の行末に思いを巡らすことができるのは、面と向かっているときではなく、彼らが後ろ姿を見せて帰るとき・自分が寝る前に考えごとをするときまで待たなくてはなりませんでした。

 巡回診療プロジェクトに限らず、ザンビア人の受益者にとっては莫大な資源を持って援助にやってくる遠い国の私達は、彼らの目にどのように映っているのか、「与える人」として接する以上、知ることは容易ではありません。しかし、私が彼等の考えがわからないのと同じかそれ以上に、彼等には私達が何を考えてやって来るのか分かりにくいのだとは思います。金持ちに映る私達であっても、そのプロジェクト運営のための1円・1円に寄付者の善意と期待が込められています。しかし、そのお金がどれだけ貴重なのかということを、彼らが想像することは必ずしも容易ではないと思います。ザンビアのコミュニティーが持続的に発展するためのサポートを私達が行うには、彼らの問題とニーズを適格に把握し、信頼を獲得する努力が必要です。同時に継続的に援助を続けるためには、彼等にも援助側のことを知ってもらい役割分担のあり方を考えてもらう必要があると思います。

ザンビア人の「幸せ」と「開発」

 「アフリカに住む彼らにとって何が幸せなのか?開発ってなんだろう」。日本で友人たちと議論が深まると、そんな行き止まりにいきつくことはよくありました。結局は「そんな遠くに住む人の考えなんて結局わからないじゃないか」というお決まりの締めくくりになります。「幸せとは何か?」「開発とは何か?」最後まで分からない問題という気もしますが、開発という営みに関わる人間が方向性を定めるため、最初に暫定的に答えを出す必要のある問題であると思います。

 「開発とは何か?」と、ザンビア大学開発学の教授であるホームステイ先の父親に聞いてみました。「開発」の定義としてザンビアで挙げられているものは、日本でも「開発」として挙げられていることと同じでした。「生活水準の向上」とでも言える、経済発展に限らない教育・住居・保健衛生・食糧・交通通信・人権など広い領域が含まれていました。

 海外経験も長い人なので、「先進国の人と比べてザンビア人は不幸か?」と聞いてみました。「先進国の人が幸せだとは思わない。ザンビア人の個人としての悲しみは、家族がたくさんいないこと・子供を病院や学校にやれないこと・食べ物がないこと・水がないことだ。ザンビア人にとっての幸せは、大勢の友人や親戚と時間を過ごすことだ。先進国で仕事・時間・お金に追われている人は決して幸せには見えない。一番幸せなのは、先進国で、他人のために働き、生きている人だと思う」と言っていました。

 「経済発展にはそのような負の側面があるとして、それでもあなたの言った開発の定義はザンビア人のコンセンサスになっているのか?」と聞きました。「多くの人、政治家・一般人は経済発展の負の側面については無意識的であると思う」と言っていました。

 ザンビア人の家に居候させてもらい、たくさんの親戚と友人に囲まれて生きている姿を見て、その空間の幸せさを共有させてもらっていただけに非常に納得しました。もちろん、先進国の中にも友人・親戚の多い人 はたくさんいます。ただ、ザンビア人は、より物を共有し、困った時には助けあっているという気がします。日本とザンビアの人間関係、何が違うのか伝えるのは難しいですが、仲が良いというだけではなく、友人・親族の中で支えあっている、親族集団の中で「個」の領域を厳然とは区別しないという意識が非常に強いように思います。日本では経済発展を急速に遂げた後、個人レベルでは生きがいを求め・社会レベルではコミュニティーの再構築を目指しているように思います。日本での社会問題・ザンビアでの社会問題ともに、同一の平面上で理想の社会という均衡点を求めて彷徨っているようにも思えてしまいます。

 私の「開発」について今の段階で用意している答えは「人とのつながりを保ちながらの経済発展」です。なんとも陳腐に聞こえるかもしれませんが、これが満たされたとき人は確かに幸せな気がします。

終わりに

 経済停滞・飢餓・犯罪・伝染病・政治腐敗・エイズ・etc…、ザンビア社会の悪いところを挙げたらきりがありません。しかし私自身は、T I C O で非常に充実した日々を過ごし、ザンビア人大家族の温かさに包まれ、実に楽しい時を過ごすことができました。帰国後、再び満員電車に揺られるサラリーマン一人一人の顔を見て、日本人のほうが幸せであるということは直感では分かりません。日本のほうが良い社会、ということはどうも言える気がします。しかし仮にそうでないとしても、やはり途上国ザンビアと先進国日本の間には厳然とした富の分配の不平等という構造が存在しているのは事実です。帰国後あらためてザンビアの現状を文献で読み数字で理解すると愕然とします。また、自分の見たことを文章にすると、やはりひどいところだと思ってしまいます。

 自分の主観だけをもとに「アフリカ大好き!」と叫ぶのも自分勝手だし、日本で断片的に伝えられているアフリカの惨状を読み、不幸なザンビア像を描き「ザンビアの貧困状態は極限にある、一刻も猶予はならない!」と血圧を上げて援助の視点からのみアフリカを見るというのもこれはこれで自分勝手という気がします。

 社会を良い方向に向かわせる手伝いをするというときには、コミュニティーの中に入っていき、人々と長いお付き合いをし、相互の理解を深め、地域に根を張った活動を行うということが、非常に重要だと思います。同時に、日本とアフリカそれぞれの社会を相対化して見ることを通して創造的な活動のありかたが生まれるのではないかと思います。

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