後藤・丸山先生に聞くこの10年

環境三四郎も2003年で10周年を迎えた。そこで、巻頭特集として環境三四郎の顧問をしていただいている後藤則行先生(総合文化研究科)と、テーマ講義「環境の世紀」で責任教官をしていただいている丸山真人先生(総合文化研究科)にインタビューを行い、この10年を振り返っていただいた。


後藤先生インタビュー
丸山先生インタビュー

後藤則行先生インタビュー

自称環境経済学者、中身はエネルギー経済学者


―まずは先生のご専門について教えていただけますか。

後藤先生後藤「何なんだろうね。自称環境経済学者ですけれどもね。博士号は原子力工学科で取りました。ちょうど70年代に私は大学院生活を送りましたが、当時はもっぱらエネルギーショックで世界が揺れていて、原子力工学科といってもエネルギー問題が中心でした。我が国にとってエネルギー問題といえば、いかに中東の石油への依存を減らしていくかということで、その第一候補として原子力が期待を寄せられたという、そういう時代ですね。」

―それから経済学に移行されるきっかけとなったのは?

後藤「色々と研究しているうちに、やはり技術的な知識だけではどうもしっくりいかないと。エネルギー問題を扱うにしても、人々や産業がどういう風にエネルギーを使うのか、そこではどういうルールが支配しているのかということを見る目がないとどうも欲求不満が高まるということで。アメリカに留学したいというのもありましたので、エール大学の経済学部へ大学院から行きました。
 自称環境経済学者と言いましたが、中身はエネルギー経済学者だと思っています。世の中の変化の流れの中で、エネルギー問題の中での最も大きな問題というのは温暖化問題ということになってきたんです。だから、エネルギーをずっと研究されてきた方も、今は温暖化問題との関係でエネルギー問題を考えていて、私も温暖化問題に関して色々やっているうちに、環境という分野に入ってきたということですね。」

―現在やっていらっしゃることは、主にシミュレーションとかですか。

後藤「私が持っている売り物になるような長年やっているツールというのはモデル分析くらいしかありませんのでね。技術・経済・エネルギーモデルによって温暖化対策を、技術的・経済的視点から評価するというのがメインの仕事と言えると思いますね。」

―次にどういう研究をやりたいとお考えですか?

後藤「一番新しい仕事は、日中間の温暖化対策協力。中国と日本がパートナーシップを組んで、日本がお金を出して、対策は中国で行うと。そうすると、中国は中国で対策も進み、かつ日本から別な意味での補助と言いますか、経済的成長のための資金提供できると。日本では京都議定書を単独で満たすよりもはるかに経済的便益はあるという可能性がある。そのお金はどのくらいになるか、どの程度の経済的な影響があるかということをモデルで推定したのが、最近の研究ですな。」

目を輝かせた若い諸君との交流

―三四郎の顧問とテーマ講義責任者をやることになった経緯についてお聞かせ下さい。

後藤「顧問になった経緯は前任者の石先生が、本郷の新領域の方に移られたので、石先生から頼まれて私がなったということです。テーマ講義の方も石先生から顧問と共に引き継いでくれないかということだったと思いますね。」

―石先生とはお知り合いだったんですか?

後藤「8年ほど前、環境関係のポストが2つできて、石先生と私は2人組でここに来ましたからね。その時に知り合ったんです。」

―三四郎の顧問や責任教官をやっていてよかったことは何でしょう?

後藤「やっぱり意欲的な、目を輝かせた若い諸君と交流できること、これがやってよかったことですね。」

―では反対に悪かったことは?

後藤「特にないけど、やっぱり忙しいということかな。それほど忙しくないけど、それが重なるとね。それは何をやっててもあるもんね。後は特に悪かったことというのは思いつかないね。」

―顧問や責任教官はどういう立場でされてますか?

後藤「顧問は引き受けてますけど、こちらから大きく干渉しようという気はないです。何か問題が起こった時は頭を下げに行く役はやってあげます。三四郎の諸君からこういうことをやりたいとか、サポートしてほしいとかいうことに対しても喜んでできる限りのことはしますけどね。」

シニカルな見方も

―先生のお考えになる10年をお聞きしたいんですが、まず、環境問題・社会の10年についてはどのようにお考えでしょうか。

後藤「環境問題が確かに人々の関心、社会の関心の大きなシェアを占めるようになってきたというのは事実でしょうね。しかし私はいつもシニカルな見方もするので、人々が関心を持ってきたということをどういう風に解釈するか。人々が啓蒙されて意識が高まってきたと考えるのか、環境問題が悪化しているから人々の関心を呼ぶようになってきたと考えるか。どっちとも言えないんじゃないかという気がしています。
 あとはフィーバー的なところもありますね。昔から環境問題にたずさわってきた人からよく聞くんだけど、研究予算についても全然違いますからね。昔は環境学者というと冷や飯食って、ほとんど金もなくて、自費であちこち回って、住民運動とかそういうイメージだったけど、今は結構バリバリの人がやったり。環境学とかもあるからね。知識が進んで環境問題というのは単独のアカデミックな、あるいは固定した見方ではなかなか対応が難しい、極めて複合的な問題であるということをみんなが段々理解してきたということなんでしょうね。」

一人学際というつもりで

―先生ご自身の10年間の変化というのは?

後藤「この10年、いつのまにか環境学者になってしまったね(笑)。金沢にいたころは何でもやってて、授業で教えてたのは経済統計学だったんです。その前はエネルギー経済学者です。それが温暖化問題の高まりと共に、昔やっていたモデル分析を再開して、あれよあれよという間に環境を教えたり勉強するようになったと。」

―色々な分野を勉強なさるのにはエネルギーがいるんじゃないですか?

後藤「いや、飽きもあるのかな(笑)。自分でも常に自問してるんだけど、大変なことを敢えてやっているのか、やり始めると何でも難しくなるから嫌になって飽きて他にいってるのか分かんないね。どちらもあるのかもしれないし。」

―環境問題は総合的な問題と言われますが、一つの分野を知っているだけじゃ把握できないこともありますか。

後藤「そうやって自分に言い聞かせてる。理性が私に言ってるのか、怠け心が言ってるのか、それの判断はしかねるけど、一人学際というつもりでやっています。それで確かに教えられることもあるしね。色々広く見ると、政治学的に見ると世の中こんな風に見えるんだなとか、経済学的な抽象モデルでだけでは世の中は完璧に理解できないなとかね。人間って経済的な理由だけで動いてるもんでもないからね、倫理観とか文化とかさ、色々なものが複合された形で人間ってものがあるわけで、それが人間の尊厳であるから、単純にモデルを使ってやるのはちょっと簡単にしすぎかなと思い知らされることもあります。
 自分としては研究スタイルにそんなに不満はないです。ただなかなか仕事の成果としては結実しないんですよね。忙しい世の中、部分的に集めてもなかなか高レベルの研究成果って出ませんのでね。そこらへんがジレンマですね。」

今の学生はむしろ強さがあるのでは

―最後に学生について10年で変わったこととかあれば。

後藤「我々の時代は高度経済成長とか日本という国が一体感を持って動いていた。これが最近はいわゆる個性の時代、競争の時代になってきているわけですからね。学生さんも自分というものを中心に色々と物事を見ていくわけでね、単純に既定の一つのヒエラルキーの中で云々というよりは、多様化していると思いますけどね。学力が落ちているという記事が出たりしますが、私はそうは思わないんです。確かに数学とかこれまでの学力テストでやると落ちてるけど、要領のよさとか、柔軟さとか、予測できないことが起こった時に対応するとか、こういうのははるかに今の子の方が高いと思います。ゆとり教育がそれに貢献してるのか、それとも世の中がそういう風に変わってきているのか。決まったことをこれまでの価値観でただただまじめにやっていても成功するとは限らないということを若者達が理解して変わってきてるのかも知れません。」

―多様化している能力は成績だけじゃ測りきれないところがあるということですか。

後藤「そうだね。これまでのテストじゃね。違った試験をやればいいと思うけどね、柔軟性、全く見たこともないような問題を出してみるんですよ。例えば日本に他国が攻めてきたらどうするとか、あるいは宇宙から隕石がどっかに落ちたらとか突拍子もない問題にどういう答えるか。比較はできないけどね。今の学生はむしろ強さがあるという印象を持ってます。」

失敗覚悟でいろいろやってみる

―次に三四郎の活動について意義をお聞かせ下さい。

後藤「意義はなんといってもアクション、やってみること。特に巷での東大生の悪い評判というのは何でもかんでも頭で解決しようとすること。そう物事は理詰めで動かないという面が多々あるわけですね。ですから環境問題もただ本ばかり読んでいるんじゃなくて、なんかやってみると。テーマ講義は色んなところでご活躍されている先生が来てくれますから。直接には体験できないけど、問題をかなり身近に感じることができる。
 k-net、エコプロ、こういうのもやはりまだまだ試行錯誤の段階ですので、失敗覚悟で色々やってみる。うまくいったやつは次に残してどんどん育てていけばいいわけですね。失敗したら何故失敗したのか、違うやり方でやってみようと。この前のk-netでISO14001を取るなんていう学生もいましたけど、あれも考えたら大変そうだとかやめちゃうんじゃなくて、だめもとでやってみることが重要じゃないかと思うね。そういうのを見るのが好きですね、自分が動かないからかもしれないけど(笑)。生き生きと活動をしている人は顔つきがなんか違うよね。石先生と東南アジアを回ったときに、NGOの若い人たちと会ったりするんだよね。お金もなく、月に一回は病気になったりするとか言ってるんだけど、表情は明るい。好きでやってるんですから当たり前ですよと言う笑顔が美しいと思ったね。まあ一定の能力と知識を基礎に動くというのが成功する条件でもあるんだけど。」

―改善すべきことはありますか。

後藤「どうしても2年で駒場を卒業してしまうからなかなか継続が困難であるのがデメリットでしょうね。結果が蓄積されていくといいんじゃないかな。」

趣味は、競馬、クラシック、仕事。

―休日は何をされてますか。

後藤「休日は決まりですよ、競馬です。土日は日本にいる限りは競馬してます。crazyです。あらゆるものを超えて、学生の頃から「勉強」してます。私の趣味は競馬とクラシックと仕事なんです。音楽は下火なんだけど、N響の会員はずっとやってますし。休日は競馬をやってない時間音楽聴けばいいな。
 あとは仕事も、私はわりと好きで仕事をやってますから。授業の準備は億劫な時もありますけど、基本的に色んな本を読んだりすることができるのは楽しいことではありますね。休日も趣味に近い意味での仕事はしてますね。」

―最後に三四郎に向けて一言お願いします。

後藤「10年間よくやったと言えばよくやりましたよね。テーマ講義では毎年授業の企画の他にも、色々煩わしい作業なんかもやってくれましたもんね。我々も努力していきますので、今後も一緒に続けていきましょう。
 それから個人的に欲を言うとプロジェクトでも一緒にやれたらなと思ってますね。我々が資金を探してくるとか長く生きてるからアイデアも結構あると思っています。もしかしたらうまい共同プロジェクトみたいなのもできる可能性はありますね。そういうのをずっとやりたいと思ってますね。これからも頑張って。」

―どうもありがとうございました!〔記者:浦久保雄平(7期)〕






丸山先生インタビュー

自然科学と社会科学の橋渡し

―まず、先生のご専門について簡単に説明してください。

丸山先生丸山「経済学です。研究しているのは地域貨幣論ですね。それから環境経済学全般についてやっています。」

―ローカルマネーのことを研究されていると思うのですが、そのフィールドはどこなんでしょう?

丸山「調査しているのはカナダの地域通過を調べています。今までもニュージーランドやオーストラリアの方は行って調べています。」

―環境経済学をやっていらっしゃるとのことですが、具体的にはどのようなことをやっていらっしゃるのですか?

丸山「これはエントロピー経済学と言ったらいいかエコロジー経済学と言ったらいいのかわかりませんが、自然科学と社会科学の橋渡しをするような分野になります。生態系の多様な関係性とその進化、それと人間の経済活動との相互作用、そのあたりをエントロピーとかエコロジーとかを使って説明していく分野です。」

―エントロピーといえば熱力学のエントロピーのことを言っているのですか?

丸山「そうです。まさに熱力学を使ってエネルギーの消費が環境の劣化をどういうふうに引き起こしていくのかを解き明かしていくのです。」

―主にリサイクルを扱うのでしょうか?

丸山「物質の循環という意味ではリサイクルも含まれるのですけど、やはり循環の原理とか許容範囲とかに興味があるので、リサイクル万能論に対してはかなり批判的になると思うのです。つまりリサイクルといってもエネルギーを消費するというプロセスが入っているので、物質が循環するということと、エネルギーを消費するということを合わせて、エントロピー論として相対的に見ていくということです。」

―物質の循環とお金の循環、2つを考えるということですか?

丸山「そうですね。そっちは環境経済学の応用問題になるのですけど。そうすると地域社会という対象がよく見えてくる、そこで他方でやっている地域通貨とつながっているということです。」

―学校の授業ではどのようなことを教えられているのですか?

丸山「学校の授業でもやはり環境経済学の基本的な考え方を教えたり、もう少し具体的な事例を使ってフィールドワークをやる授業もやっています。それは同僚の先生と交代でやってます。それから時々経済人類学に関する講義もやります。貨幣の人類学的な考察、交換や互酬の贈与などについてですね。」

初歩的だけど非常に重要なことは繰り返し聞く価値がある

―次にテーマ講義の責任教官をやることになった経緯について簡単に説明していただけますか?

丸山「1992年僕が東大に着任したとき、高野穆一郎先生から誘われまして、第1回のテーマ講義から顔を出しています。講師としてと、また高野先生の助手として、高野先生の都合が合わないときには僕が行ったりしてアシスタントのようなことをやっていました。それからだんだんこちらに任されるようになって、そこで後藤先生とやることになったのですけど、石弘之先生がいらっしゃるときには石先生にコーディネーターをお願いしたりとかもやりました。ちょうど石先生がコーディネータをやられたときには僕はオックスフォードの方に行ってまして、それ以外の年には大体コーディネーター、またはお手伝いという形で顔を出していました。」

―最初は高野先生から誘われたとのことですが、どういうつながりで誘われたんでしょうか?

丸山「たまたま環境に興味のある社会科学系の教官ということで、彼が僕を見つけたのだと思います。」

―今年で環境の世紀も10年目となるのですが、これまで責任教官をやっていて良かったことと悪かったことあると思うのですが、それについて教えてください。

丸山「良かったことは毎回新しい学生さんが立派に育って責任のあることを十分にこなしていけるようになるというそういう、学生さんがこの講義の準備段階から責任持って運営していく、というのが第一です。
 第二には各年の講師の先生方の講義がすごく新鮮で、初歩的なことなことだけども非常に重要なことというのは繰り返し聞く価値があるということがあります。もちろんその中でも僕が知らないことや新しいデータの紹介など自分自身にとっても勉強になるということが良かったと思います。
 それから受講している学生さんがとても熱心で問題意識が高いということも印象深いですね。
 悪かったことは時間がとられるということ以外は特になかったと思います。講師の先生との交渉段階でのちょっとしたトラブルとかもあったけど乗り越えることが出来たし、今となっては懐かしい思い出ですね。」

―環境問題は分野横断的な問題だといわれますよね。そのときにこういう機会で他の専門分野の話を聞くことが自分の研究にフィードバックされるということはあるのでしょうか?

丸山「それはあると思いますよ。経済学で言えば市場での取引に何でも翻訳して解釈してしまおうということがあるけれども、市場の取引を可能にしている物質的な条件やその変化という変化を見ていけば、どうしても自然科学的なものの見方とかデータが必要になっていきます。そういう自然科学的な現象や生態系をどう捉えるかということについては経済学とは違ったものの見方がどうしても必要になってくると思います。そういう経済とは異質なものの動きを他の学問分野はどういう風に捉えて解釈しているのかというのは、経済学が対象としている市場経済を見ていくときには欠かせない情報になるとあらためて思うわけです。
 もっと言えば経済学自体が実は19世紀の物理学、ニュートン力学をモデルにしていて、形式的に見ればものの運動ということと市場での価格メカニズムというのは形が似ているんですね。初期条件を与えてやればこういう風に動いていくとか発想自体が古典的な力学と似ています。
 それが良いか悪いかはわかりませんが、最近は悪い面が目立つわけです。力学的なアプローチだけで熱学的な現象を推し量ることの問題が自然科学では指摘されていると思うのですが、それと似たような問題が経済学の中にもあるということです。」

市場原理を使っただけでは環境問題は解決できない

―環境三四郎が10年目になるということで、それにちなんで先生の10年についてお聞きしたいと思います。まず環境問題や社会がこの10年でどのように変化してきたかということについてお願いします。

丸山「10年前はリオのサミット、それから少しさかのぼれば社会主義ブロックの崩壊ということがありました。東ヨーロッパ、ロシアなどで実は公害がすごく深刻だったということがだんだんはっきりしてきて、そういうことは80年代から問題視されていたのですが、社会主義による環境破壊ということが改めて明らかにされたということが10年前にあったと思います。
 かつては資本主義と公害問題や環境問題ということで、体制の問題として環境問題を捉えるという見方が存在したわけですけど、そういう見方が古くなってしまった。他方で、じゃあ市場原理で環境問題を解決しないといけないのかという新たな問題が突きつけられたのだと思います。10年前といえば割と市場原理に対して肯定的に捉える空気が濃かったので、環境問題についても市場原理で何とかやりましょうということ、リオのサミット以降の国際協力も市場原理にのっとる形で、排出権取引制度などもやはり市場原理を使っているわけですし、そういう環境へのアプローチがかなり一般化した時代でした。その上で10年たってみると社会はますます大きくなってきているのですが、やはり市場原理を使っただけでは環境問題は解決できないということが改めて見えてくるのではないかと思うのです。例えば最初に出たリサイクルという話も、大量にリサイクルをすれば環境問題が解決するという安易な風潮につながる危険性があるわけです。だから大量生産、大量消費を批判しても大量リサイクルを許していては、結局根本的な問題は解決しないということです。そうすると、経済の規模をこれ以上大きくするという考え方をもう一度反省する必要があるのじゃないかということになります。
 そのようなことは今のような不況の時代だとあまり説得力がない。不況を脱出するにはやはり経済成長をしなさいという考え方が支配的になって、環境問題の解決も経済発展と合わせて考えなければならないという考え方が非常に強いわけです。
そういう意味では少し環境問題が見えにくくなってきているような印象を持ちます。環境問題も経済発展の延長上で、技術を革新したり、ファクター4やファクター10を推し進めて何とか解決しようという話になってくる。もう少し抽象化して言えば、環境問題がシステム化されている。システムというのは経済システムのことです。それをかく乱する要因として、前は外側から環境問題がやってくるように見えたけど、今度は内部からその問題を取り込みながらシステムの中に整合的に位置づけなおすということで解決を図ろうという、環境問題を問題として科学的にも枠組みを作って解決しやすい形に加工するという傾向があります。
 それが必ずしも悪いとはいえないのですが、システム化されない部分にまだまだ深刻な環境問題が残っているのではないかという危惧があります。このことは10年前から感じられていて、地球環境問題ということが出てきてからローカルな環境問題が見えにくくなる傾向があったわけです。最近も環境問題がシステムとして論じられるためにその枠に当てはまらない問題が切り捨てられている。そういう意味ではあまり楽観できないということはあると思います。」

生身の人間の生活はいつの時代もそう変わるもんじゃない

―次に丸山先生ご自身についての10年をお願いします。

丸山「これは難しいですね(笑)。僕が着任したのが92年なのでこの10年というのは東大での10年ということですね。やっぱりやりたかったことが十分出来なかったなあという感じがします。」

―どういうことをやりたいと考えておられたのですか。

丸山「例えば貨幣の歴史とか経済の理論史についての研究ですね。どっちかといえば本を読み漁りながら研究室で論文を書くということを考えていたのだけど、結局フィールドに出ることが多くて、研究室でじっくりと考える時間があまりなくなったということですね。それから問題が展開していくスピードがあまりに速いので、それを理論化していく作業が追いつかないのでしょうね。なのでこういう研究を成し遂げたという達成感からは程遠いというのが現実ですね。」

―逆にフィールドに出てよかった事などはどういうことでしょう?

丸山「それはいつの時代でも、どんな場所でも、生身の人間の生活というのがそんなにころころ変わるものじゃなくて、生活の基本的な欲求に関しては何か共通の、生活の安定性とか安心感、それからコミュニティーでの隣人たちとのつながりとか、これらは生活の基本的なニーズだと思うんです。そういうものがどこに行っても、強調されてきた。それは、自分がこれからどんな研究を展開させていくにしても出発点であり、また人間の生活そこに戻っていかないといけない。フィールドに出るたびにそれを確認させてくれるということがあります。
 海外の研究会とかシンポジウムにも出て行くのでいろんな研究者との交流の輪が広がってきたということもあると思います。この10年で知り合った研究者というのはずいぶんたくさんいて、それも分野の違う研究者が多いです。例えばカールポランニーの研究会に2年に一度くらい参加するのですが、経済学をやっている人にも会えるし、社会学者、歴史家、エコロジー研究家の人も参加しています。経済に関心を持っている非経済学者というのかな、。経済というのは経済学者が独占しているものではなくて、どの人間もかかわっているものですし、いろんな見方をするものです。経済に対して経済学的に思考するということがいかに特殊であるということを改めて学んだという気がします。  後は10年で年をくったということですかね(笑)」

自分でものを考えてほしい

―では学生についてこの10年で変わったこととか、変わっていないこととかをお願いします。

丸山「そこまで変わっていないと思います。環境問題に対しても10年前でも意識の高い人はいましたし。
 だけど石先生が環境学に関する本をまとめたりなど、ここ数年は環境学自体がカリキュラムの中に入ってきている、いってみればシステム化されているということがあると思います。環境学、あるいはその関連分野を自分の専門として研究しようという大学院生が増えてきました。今は環境学も立派な専門の一分野だとする人が増えてきたということがあると思います。
 もっと一般的に学生についていえば、いわゆる優等生的学生が増えた。つまり授業でも受身的に勤勉に受ける。そして教科書どおりに授業が進まないと不安になって文句を言ってくるといった学生が多くなった印象を受けます。自分で新しい問題を見つけて勉強してやろうという感じよりも高校生的な感じで授業を受けている人が目立つといった感じでしょうか。
 もう少し自由に考えてくれた方が良いと思います。自分でものを考えてほしいと思います。」

もっと大胆にいろいろやっていいと思います

―次に環境三四郎の活動ですけど、先生が参加してくださっているのはテーマ講義とK-netだと思うのですけど、10年間続いてきたわけですが、この活動にはこういう意義がある、またはここを改善してほしいというのがあれば教えていただけますか?

丸山「意義は大いにあると思います。特にテーマ講義はほんとにみんな苦労して、すばらしいことをやっていると思います。それからK-netの方も大学の中で環境に関心のある人をネット化して、定期的に意見交換をするということはほんとに大事なことだと思います。
 学生が学生の講義のコーディネイトをするということはなかなか難しいこともあると思います。学生だから失敗もするし、もう少しいい講師の組み合わせがあったんじゃないかということを思うこともあります。ただ、やはり学生が1年生の時に講義を受けていて、その印象を元にもう少しこうしようということもあると思うんですよ。三四郎のメンバーも新入生として講義を聞いた印象が深くて、三四郎の活動に入ってくるということもあると思います。そういう意味では学生が一番聞いてみたい、確かめてみたいということを反映しやすい形態だと思います。
 そういうわけで運営の協力をする学生さんはすごく大変なわけですけど、その大変さは受ける側にも伝わっていると思います。自分たちの先輩ががんばっているなあ、というのは見ててわかるものだと思います
 また運営にはかなりの労力がいるわけで、そこで培った経験というものは、あとあと利いてくると思います。いろんなところでですね。なので三四郎のメンバーはどんどん背伸びしてもらって良いと思います。自分でもよくわかっていないのにこういうことを組織化してよいのだろうか、ということを思うこともあるかと思います。それでももっと大胆にいろいろやって良いと思います。」

―改善したほうが良いと思う点はどういうところでしょうか。

丸山「皆さんおとなしいので遠慮がちにやっているんだけど、自分たちでやった調査の発表に関してはもっと積極的にやってもらったほうが良いと思います。これは三四郎のテーマ講義メンバー以外のほかのプロジェクトのメンバーにも協力してもらって、例えば堆肥作りの経過報告もどんどん授業でやってもらって良いと思います。きっと三四郎の人は自分たちの宣伝活動になってしまうのではないかということでかなり遠慮している。そのことはわかるのですが、キャンパスの中で活動していることはキャンパスの共有財産と捉えなおして、学問的な対象としてそれは意味があると位置づけて適宜講義で紹介してもらったほうが僕は良いと思ってます。
 それから運営の仕方で改善点があるとすれば、先輩から後輩への情報の受け渡し、引継ぎというのが案外もれていることがあって、先輩としては常識化したことですけど新入生にはまだわからないところとかも多いと思います。継続性ということですね。
 それから今年講義録をまとめたわけですけど、また皆さんやりたいということであればこちらも喜んで協力しますので。」

継続すべきことは継続しながら・・・

―最後に何か一言お願いします。

丸山「10年、振り返ってみるとあっという間だなあと思いますね。三四郎もずいぶんいろんな経験を重ねてきたんだと思います。さっき言った継続性ということとは矛盾するかも知れませんが、継続すべきことは継続しながら、あとは新しく来る人の創意工夫で自由に新しいことを始めてもらうということも大事だと思います。継続性ととらわれない自由な発想、一見矛盾するけど、それをミックスしていただきてがんばっていただきたいと思います。僕も出来るだけ支援をしたいと思います。」

―どうもありがとうございました!〔記事:向江拓郎(7期)〕

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