三四郎にこの人あり!

三四郎設立時からのメンバーである山下英俊さん(0期)は博士課程を2年3ヶ月で中退し、新領域創成科学研究科で助手をなさっていたが、2004年春に一橋大学の講師に就任される。研究者としての道を確実に歩んでおられる山下さんに、2004年2月某日下北沢の喫茶店でお話を伺った。[記者:春原麻子(9期)、原祐輔(11期)]

山下さんと研究

−まず、山下さんのご専門について聴かせてください。

○○学、というふうには表しにくいし、そもそもそういう分け方が有効だとは思いません。敢えて言えば、今度一橋で担当する講義が「資源経済学」なので、資源経済学ということになりますね。一般的にいって、研究者のアイデンティティは手法×対象で説明した方が判りやすいと思っています。手法としては、統計データと現地調査、モデル分析を扱っています。対象は物質循環ですね。修士からは紙リサイクル、博士からは廃棄物・リサイクル政策を事例として扱いました。博士論文では、ミクロ経済をベースにしたシミュレーションモデルを作り、例えば産廃にどれだけ税をかけたらどういう効果が現れるかといったことについて、分析を行いました。

−このような研究を選ばれたのはなぜですか?

もともと具体的なデータ、統計データを扱って研究したかったんです。現地に行くと、統計データの数字の持つ意味がよくわかったりするんですよ。現場の人のほうが、問題をわかっていますから、教えてもらいに行くという感じです。 対象は、もともと環境でいきたいというのがあったんですが、もっと絞らなければということで…修士1年のとき、石弘之先生(元環境三四郎顧問)に「キーワードを持て」「じゃあ、キミは“循環”がいいだろう」と、決めていただきました(笑)。環境問題って、自然と人間社会との接点で起こるものですよね。当時はInput、つまり資源をとってくる側の研究をしている人は多かったのですが、output、廃棄の側の研究は少なかったので、どうせやるなら人が少ないところでやろうと考えたのです。

他にも、紙リサイクルの研究をなさっている岸野先生の影響を受けたり、温暖化モデルの研究をなさっている後藤先生(現環境三四郎顧問)の影響でモデル研究に興味を持ったり…修士1年のときの出会いが大きかったですね。

山下さんと環境問題

−そもそも、山下さんはなぜ環境問題に興味を持たれるようになったのですか?

何か現場があったとかいうのではなく、抽象的なところから入りました。

でも覚えているのが、中3の3学期に理科の授業で、教科書の終わりの方を、受験にも関係ないということで、生徒が分担してまとめて発表することになったのです。たまたま生態系や地球環境問題を扱った部分を担当することになって、そこに書かれている、温暖化や砂漠化、森林破壊といった個別の環境問題をつないだ環境問題相関図を自分で書いてみたんですね。環境庁が環境白書に地球環境問題の図を載せたのがせいぜい89年くらいだったと思いますから、それと変わらない時期に田舎の中学生でも同じようなことができたんです。一つ一つの人間の活動をまとめてできあがったその相関図を見て、「こりゃやばいぞ。人類滅亡するんじゃないの?」って思いました。それがきっかけです。

あの相関図は今でも十分通用するものだと思いますよ。ただ今見ると、人間社会の多様性という視点が抜け落ちていますね、南北問題とか。理科の教科書をまとめたから、やはりそういう視点が欠如していたんでしょう。

そういえば、高校でも文化祭の弁論大会で環境問題ネタで話したりしてましたね。

−大学に入ってからはいかがでしたか?

大学に入ってまず初めの分岐点の進振りで「林学」「都市工学」「広域」の3つで悩みました。どこにいっても環境に携わる仕事ができると思ったからです。でも、やはり分野横断的というのに惹かれて「広域」にしました。その時にはもう研究者になることを決めてましたね。

山下さんと環境三四郎

−学生時代の環境三四郎での活動はどのようなものでしたか?

環境三四郎の三本柱の一つ「学習と行動」の学習をやろうと考えていました。そういう意味で一番力を入れた活動は「テーマ講義」ですね。私の入学は1992年、地球サミットの年ですが、当時は環境問題への関心が一時期高まったから授業でもよく扱われたんですよね。そのあと波が引き、環境問題を扱う授業も少なくなってしまった。「環境の世紀T」には、なかなか多くの受講生が集まりましたよ。

−その後の山下さんと環境三四郎との関係はいかがですか?

私は常に「研究」「勉強」と「活動」をリンクするようにと考えています。切り離してしまったら、大学で活動している意味がない。藤崎さんたちがやっていたしけぷり回収プロジェクトのミーティングを横で聞いていたのが、私の紙の研究にもつながったりしましたね。自分たちのリサイクル行動を評価できる指標はないのか、という藤崎さんたちの問題意識に答えようと、紙について指標を作ったのです。その年学会で発表しましたし、博論の1つの章にもなりました。

まぁ、今の私にとって三四郎の位置づけは「永遠の遊び場」ですね。5年ほど前には、よく4・5・6期の人たちと遊んでは「20年後の三四郎」なんて話をしていました。「日本一の調査研究型NGO」にしたい、って言ってたけど、覚えてるのかなぁ、あいつらは(笑)

最後に…

−山下さんが幸せを感じるときって、どんなときですか?

僕は寝るの大好きだからね。起きたら日が落ちてた、なんていうのは最高。そういう時に幸せを感じます。学生時代はよくそんな生活をしていたものですが。

−山下さんの夢を教えてください。

ほんとは25歳くらいに娘を…って思ってたんだけど、ほんとに夢に終わってしまいました。今の夢は、将来、娘と日向ぼっこすることでしょうか(笑)

−最後に、11期、12期などこれからの世代へメッセージをお願いします。

上の世代の具体例を研究したうえで、これからやること、自分の進む道を決めてほしい。単純に「大竹さん(編集部注:環境三四郎4期生)すごいなぁ〜」で終わらせるのはもったいないですね。なんでもかんでも自分たちで一から始めるんじゃなくて、上の世代のノウハウをうまく引き継ぐことが大切だと思います。上の世代の失敗から、壁がどこにあるか、どういう対策をとればいいのか、学んでもらいたいですね。それでこそ、本当に新しいことが始まる。ここに環境三四郎が続いていく意味があるんじゃないでしょうか。上の世代をちゃんと眺めていれば、そんなに将来なんか心配することはないですよ。

−本日はお忙しいなか、長時間どうもありがとうございました!

ページの先頭に戻る