リスク・予防原則に関する連続勉強会 - 第三回報告

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第三回報告

小林タダ司「拡大されたピア・レヴューの可能性  ――コンセンサス会議の事例」『STS Yearbook97』
農林水産先端技術振興センター作成  「『遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議』の  『市民の考えと提案』の公表について」他(HPより)
)小林タダ司「"コンセンサス会議"という実験」  『科学』vol.69 No.3 p159〜p163、1999(任意)
新藤宗幸編著「住民投票」p55〜p124、ぎょうせい、1999(任意)
宮川公男「公衆参加の三段階モデルについて」『政策科学入門』  東洋経済新報社p222〜p229、1995(任意)

田中報告分

今までの流れ

 第1回では、科学技術をめぐる論争を解決する手法としてリスク・ ベネフィット原則を勉強するとともに、リスクを判断する主体を科学者 に限定することに対し疑問を提示しました。

続く第2回では、科学的に定量化できない市民の不安を政策上の意思決定に 取り込んでいく(社会的合理性)モデルとして、協働作業グループなる組織が 提案されていることを勉強するとともに、リスク自体の捉え方についても 学習しました。

 以上の流れを受けて、第3回では、協働作業グループの具体的な 形態としてコンセンサス会議を検証するとともに、市民参加の手法 について学びました。

コンセンサス会議

政治的・社会的利害をめぐって論争状態にある科学的・技術的テーマに 関して、市民が、専門家の説明を聞いた上で、専門家に質問し専門家の 回答を得た後に議論し、市民パネル内で一定の合意を形成して、最終的 に市民パネルとしての見解を公表するための会議方式

2000年11月に「遺伝子組換え農作物のリスクとベネフィット」をテーマと する初の公式的なコンセンサス会議が日本で開催された。

コンセンサス会議は「協働作業グループ」の一形態である

 ただし、問題から生じる利害対立の及んでいる範囲によって、「協働作業」 の性質を分けて考えることが必要である。具体的には、ローカルな問題と 全国的な問題とでは、「協働作業」の結果が意思決定に反映される程度が 異なってくる。

 ローカルな問題を扱う場合には、そのグループや会議の存立基盤や 手続きが少々インフォーマルであっても、結果が反映される可能性が高い。

 逆に、全国的な問題を扱う場合には、存立基盤や手続きがフォーマルに なっていないと(制度化されていないと)、結果への信頼性が低下し、結果 が反映されにくくなる。言い換えると、グループや会議の制度上をフォーマル にすることで、信頼性が担保されるのである。
 →後半の「代表としての正統性」に続く

 もっともローカルな場合であっても、制度化の必要性は変わらないという 指摘もあった。

コンセンサス会議の対象テーマとコンセンサス会議の成果

 コンセンサス会議は、科学者が市民の制度的次元(価値体系)を学習する 機会になるというのは本当だろうか。コンセンサス会議で科学者が市民から 疑問を提示されたときに、科学者個人として研究態度を改めることはあって も、研究手法や手続き自体は依然として変わらないのではないか。

 しかし、科学者とは異なる価値体系を知ることで、科学の目的設定に 変化が生じる可能性はある。もっとも、目的設定がない基礎科学の研究に 対しては、影響を与える余地はないかもしれない。ただし、社会に見解の 対立が生じれば、基礎科学がコンセンサス会議で焦点となる可能性は 否定できない。

 言い換えると、コンセンサス会議は、ある政策的な課題が生じたときに、 政策決定に当たって、市民が態度を決めるためのものだ。従って、基礎 科学研究に資金を配分すること自体が政策的な課題となれば、会議の 争点となることは十分ありうるのである。

 科学者個人が研究態度を改めることをどのように評価するか、という視点 もある。ある論争に対して科学者が個人として意見を表明する場合(総合的 な立場で発言する際)には、その科学者の態度や意見が変わること(市民の 価値体系を汲み取った発言をすること)は、間接的には政策にも影響する だろう。行政の審議会やテレビでのコメントなどを想像してもらいたい。 また、個人としての態度の変化が、その科学者と市民との間の信頼関係を 醸成したり、コミュニケーションを円滑にしたりするというメリットも 考えられる。

 以上から、コンセンサス会議の成果は、それに参加した科学者個人の レベルに基本的にはとどまると考えるべきで、むやみに他の科学者への 「波及効果」を期待するべきではないだろう。そもそも、コンセンサス 会議に参加する科学者自体、「市民参加型のテクノロジーアセスメント」 に、ある程度の理解がある人々であろう。少なくとも現在の方式と位置 づけを取る限り、参加しない多くの科学者には影響を与えないと考える のが適切である。

 しかし、政策上の意思決定におけるコンセンサス会議の位置づけ次第で、 大きく影響も変わってくる(次の節で述べる)。

補足:社会科学は、コンセンサス会議の対象となるか

社会科学と純粋な自然科学とでは、市民のニーズに対する反応が異なる。 社会科学者は、コンセンサス会議においては、むしろ意思決定のサポート役 としての役割を果たすから、それ自体が対象となることはない。

政治システム(間接民主主義)とコンセンサス会議の成果

 間接民主主義においては、市民の意思表明がが制度上に拘束力をもつ ものとして位置づけられない限り、代表機関が意思決定の主役となる。 (例えば、議会)

 コンセンサス会議は、法的に制度化されているわけではない。つまり、 会議の成果が現実の政策決定の中で検討されることは、手続きの上で保証 されているわけではない。(手続き上の反映)

 従って会議の成果を政策に反映するかどうかは政策決定主体の裁量に 委ねられているといえる。もっとも、会議の成果が実質的に政策に反映 されることを妨げるものではない。(内容上の反映)

手続き上の反映に関して−「代表としての正統性」をめぐる視点

 意見を政策に反映させることが手続き(制度)上保証されているかどうか という視点で、様々な意見表明を分類してみると、下位に陳情・パブリック コメントが位置し、上位に議会内における決議が挙げられるだろう。

 議会内における決議は、手続き上の反映も内容上の反映も保証された 意思表明である。意見の内容を政策に反映することが手続き上保証されて いるために、意見表明主体には「代表としての正統性」が不可欠になって くる。ここでの「代表としての正統性」とは、その意見表明に関与する人々が 社会内における意見分布を忠実に反映していることである。一般にそれは 選挙という手続きにより担保されている。

 一方、内容の反映が保証されない意見表明の場合には、意見を表明する 主体に「代表としての正統性」は必要とはいえない。言い換えると、 「代表としての正統性」が問題となるのは、内容の反映が手続き上保証されて いる場合のみだ。

 そうすると、現在のコンセンサス会議には、「代表としての正統性」はなく、 また不要であるともいえるが、会議の成果を政策決定過程に反映させる ためには、現在の方式では不十分であろう。

 これに対しては、たとえ「手続き上の反映」が保証されていなくても、 「代表としての正統性」を求めるべきではないか、という指摘があった。

内容上の反映に関して−「内容の正当性」をめぐる視点

 どのようにして、ある意見表明が正当化されるかを考えてみると、上記の 視点に加えて(1)手続き型と(2)納得型の2つがあるように思われる。

 (1)手続き型とは、「代表としての正統性」をもつ人々が意見を表明する ことで、そこでなされた意見表明の内容も正当だとみなすことである。 

 (2)納得型とは、その意見表明に関与する人々はインフォーマルに選ばれた としても、誰が聞いても納得する意見が結論となっているゆえに正当だと みなされることである。

 例えば、行政官庁が設置する各種の審議会は、(1)ではないが(2)の意味で 社会に受け入れられているのである。

 この考え方をコンセンサス会議に当てはめてみると、(1)はないが(2)を 目指していると位置づけることが可能である。コンセンサス会議自体 に、「一般市民で構成されている」といえるほどの「代表としての正統性」 があるかどうかは疑問だ。市民の意見分布を正確に反映しているとまでは いえまい。

 少なくとも、現在の日本におけるコンセンサス会議は、手続き上の反映も 内容上の反映もなされていない。この状態が続く限り、コンセンサス会議の 「代表としての正統性」や「内容の正当性」が問題として顕在化することは ないだろう。

 コンセンサス会議の成果が現実に政策の決定過程に実質的な影響を 及ぼすようになるほど、段々と両者が問われてくる。もちろん、影響の程度 と必然性が少ない限り、間接民主主義と抵触することはない。

 しかし、会議の焦点となるテーマが深刻な政治的・経済的な利害対立を 生じている場合、コンセンサス会議という「制度」そのものに、対立の レベルが上がる可能性がある。つまり、このときには、コンセンサス会議 のテーマに利害をもつ主体同士が、コンセンサス会議を選択すること自体 に対して、積極的になったり回避しようとしたりするようになる。

 コンセンサス会議は政治的な影響力を持つ方が望ましい。その段階で 制度的な位置づけの問題を顕在化させ、内容の反映を保証していくべき である。

岡田報告分

*岡田さんの報告は、田中さんの報告の補足という形で行われました。

コンセンサス会議は「協働作業グループ」の一形態である

 ただし、佑君の報告にもあった通り、会議の結論の決定主体 という点では、協働作業グループにおいてはグループ内で一致した 結論を出すのに対し、コンセンサス会議では、市民パネルに 決定権が委ねられています。

>  ただし、問題から生じる利害対立の及んでいる範囲によって、「協働作業」
> の性質を分けて考えることが必要である。具体的には、ローカルな問題と
> 全国的な問題とでは、「協働作業」の結果が意思決定に反映される程度が
> 異なってくる。
>
>  ローカルな問題を扱う場合には、そのグループや会議の存立基盤や
> 手続きが少々インフォーマルであっても、結果が反映される可能性が高い。

 これは、官庁レベルと自治体レベルとを比較した場合、 自治体レベルの方が政策決定に対する公務員個々人の 裁量の幅が大きいため、そういった裁量権を持った人々が 協働作業グループやコンセンサス会議に参加していれば、 それらの諮問機関に制度的根拠が無くても、議論の結果が 政策決定に反映されやすいのではないか、という意味合いだったと 思います。

コンセンサス会議の対象テーマとコンセンサス会議の成果

>  コンセンサス会議は、科学者が市民の制度的次元(価値体系)を学習する
> 機会になるというのは本当だろうか。コンセンサス会議で科学者が市民から
> 疑問を提示されたときに、科学者個人として研究態度を改めることはあって
> も、研究手法や手続き自体は依然として変わらないのではないか。

 この点については、佑君の報告にもあった通り、現時点の方式では、 参加研究者や理解のある研究者が少ないため、科学者全体に影響を与える ものではないし、参加した科学者に対しても研究の手法自体には 影響しないが、研究の目的やテーマ設定には影響を与える事もあり、 それがどのようなものであるかについて、研究内容を 「基礎研究」と「応用研究」とに分けて、議論がなされました。

 基礎研究においては、直接社会改善を目的としたものではないため、 会議の成果が研究内容等に影響を与えるわけではないが、 一人の社会人として社会に対する態度(社会の捉え方、 コミュニケーションのとり方)が変化し得るのではないか、 という事でした。

 一方、応用研究においては、直接社会改善を目的としたもの、 特に、社会工学のように政策決定に対する支援的な役割を目指した 学問分野であれば、その研究目的やテーマ設定にも影響を与える事が あるかもしれない、という事が言えるかと思います。

政治システム(間接民主主義)とコンセンサス会議の成果

>  間接民主主義においては、市民の意思表明がが制度上に拘束力をもつ
> ものとして位置づけられない限り、代表機関が意思決定の主役となる。
> (例えば、議会)
>
>  コンセンサス会議は、法的に制度化されているわけではない。つまり、
> 会議の成果が現実の政策決定の中で検討されることは、手続きの上で保証
> されているわけではない。(手続き上の反映)
>
>  従って会議の成果を政策に反映するかどうかは政策決定主体の裁量に
> 委ねられているといえる。もっとも、会議の成果が実質的に政策に反映
> されることを妨げるものではない。(内容上の反映)

 これはすなわち、「制度化」と言っても2通りの仕方があり、 「会議の成果を必ず報告する」といった「手続きの制度化」と、 「会議の結果を政策決定に必ず反映する」といった「結果の反映の制度化」 とが挙げられる、という事です。 (ただし、佑君の報告にもある通り、現時点での事例においては、 後者の制度化がなされたコンセンサス会議の事例はありません。)

 ただし、コンセンサス会議は、国レベルで広く採用されている 文書形式の市民参加(パブリック・コメント等)に比べれば、 その結論の権威・信頼性、関係主体のコミュニケーションの確保と いう点で、優れていると言えるかもしれません。

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