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太田猛彦先生事後企画・質問会



4月20日 太田猛彦

Question

 日本は今までで一番緑豊かだとおっしゃったが、その内容は、スギ、ヒノキが多い。そのことについてコメントを。


Question

 スギ、ヒノキであっても緑でおおわれているという事自体はすばらしい。まずは多くの一般の人が感じている「この頃森林が破壊されてきた」という誤解を正したかった。その次にスギ・ヒノキを植えたまま間伐をしないのは、木材生産において問題になるのだ。
 木材生産においての問題は、大変安価な外材が入ってくることだ。国内では林業不振になるし、発展途上国では過度の森林伐採による環境問題が各地で発生している。得しているのは消費者だけ。その税金からODA(Official Development Assistance=政府開発援助)などの基金が出ている。  スギ・ヒノキ問題は、熱帯林の問題やそこから派生した問題、WTO(World Trade Organization=世界貿易機関)の問題とも絡んでくる。市場経済のゆがみを直す、過疎といった問題まで一体でつながっている。




Question

 拡大造林したところとそのままのところと違うのか?


Question

 ケースバイケース。きちんと調査をしなければならない。林業従事者が都会の人に自分達の尻拭いをさせた面もある。
 公共事業をやめにしてきちんとアセスメントしないまま地球のためというスローガンを掲げて森林にお金を投じるようにすればそれは公共事業と同じこと。Scientificな議論をしなければ意味がない。
 母親の機能を乳が出るかでないかで判断するわけにはいかないように、水だけの観点から見てもだめ。全体を見てよくなれば必ずしも水に関してのベストを目指す必要はない。燃料としてだって化石燃料(新しくできない・新しくできるまでにすごい時間がかかる燃料)を使うよりはすぐに生えてくる木材を燃料として使った方がいいということもある。水だけの観点からスギよりぶなの方がいいというわけにはいかない。たとえばぶなはスギと違って木材にはならない。一つのベクトルだけで優劣を測ってはいけない。
 また、研究だけでなく、運動論も大切だ。




Question

 運動している人と研究者の交流はあるのか?


Question

 運動している人は専門知識はない。運動の原動力である感性も大切。研究で真実を追究することも大切。  政治家と違って官僚は様々な分野について勉強している。私は自分ではないと官僚などに広められない知識があると思っている。




Question

 市場経済において、森林をどういう手法で評価するのか?


Question

 森林の機能はどのくらいか=どのくらいのお金を投じても善いと国民が思っているかアンケートなど手法は様々あるがこれがベストという手法はない。
 公共事業ではB/C(Benefit/Cost 費用対効果)で大きいものから予算がおりている。人工的なものでは出るが、生物多様性はどのように費用対効果を求めるか?今ではこうしないとお金が下りない仕組みができている。森林はこのやり方では評価できないといってもそれを国民に理解してもらわないと他の事業と同じようにB/Cのやり方にのらざるを得ない。森林についてB/Cでないやり方で論理的に、正しく評価できるやり方を探さなくてはならない。多摩ニュータウンなどの森を切り開いたニュータウンでは森林の洪水防止機能を計算し、それに匹敵する貯水池をつくり水害を防止している。このように部分的には森林機能を計算できるが、それですべてを計算し尽くせるわけではない。しかしたとえそれができたとしても問題がある。一度計算されてしまうと数字だけが一人歩きしてしまう。(例:日本の森林は年間70兆円の価値がある! など)




Question

 森林に対する愛情を持ってもらうために地球の仕組み(今日の授業のように)についていうこともよいが、10年後にはこうなるなど警鐘を鳴らすことが多い。そういう手法についてはどう思うか?


Question

 日本の森林は同じ面積を維持している(国土の66から67パーセント)これからはちょっとでも減ったら回復しない。量的な確保も重要。町の中の人工的緑でもよいが森林面積の確保は大切。つまり、人工的緑でないところを効率よくに使って、森林を侵食しなくてもよいようにしなくてはいけない。
 それが上手くいっていない途上国の森林を守るのは先進国の義務。地球の資源・環境から先進国はその義務を負うべきなくらいの利益は得ているはず。ODAはもっと有効に使われているかどうかのチェックをすべき。もちろん途上国側も不正に使わないといった点に関しては責任がある。進んでいるのはドイツなどの東欧と北欧。北欧などは考えが先進的。
 警鐘を鳴らすのが効果的かどうかはいえないが科学的な正しさをもって警鐘を鳴らすことは大切。広く人々に知ってもらうことも大切。(今日の授業の最初の質問はみんなにあまり知られていない)役立っていると思われていた経済学工学の研究が現在行き詰まっている。みんなが良かれと思ってやったことが行き詰まっている。みんな一生懸命やってきたことをあわせて、それが必ずしも集まるとよい結果にはならなかった。価値観をどう変えていくか、ライフスタイルをどうするか。経済や技術ではなんともならないところは文学者、社会学者などの人文科学系の人も奮起して加わって何とかしなくてはいけない。




Question

 森林について総合的見方をしている国は?


Question

 タイには森林環境庁がある。人工的な都市があり、その外側に農業などの空間がありその更に外に自然系がある。森林は環境の機能の中で生産をしている。林業とはなれた中で過疎対策としていっしょにやるならやった方がいい。自然系を扱う行政機関があってもいいのではないか。林野庁、河川省、環境庁が一体となったようなところが必要。




Question

 治水についてどこの国のいつの時代のものがすぐれているか?


Question

 治水は、雨の降り方は自然現象だが、その雨が川に出てくる流量は社会現象。(環境問題が深刻になって気性に影響を与えるようになれば雨も社会現象になるかもしれない)
 50年後社会がどうなっているか予想することが困難なように、治水の半分は社会現象の予測になるのでどの時代がよいとはいえない。ダムは古代からあったものなのでダムなしにひとがいきていくことはできない。乱暴な作り方をするなとか、無計画に作るなとかいう言い方をしなければいけない。土建業者のためにダムを乱立するわけには行かない。
 また森林の水をためる機能は極めて少ないので緑のダムという言い方は正しくない。森林は多様な機能を併せ持つのでシステムとして最も複雑系といえる。




派生して出てきた話題

総合的に見る目を養う必要がある

 総合的に見る目を養う必要がある。部分的解決も必要だが総合的視点がないと意味がない。
 複雑化した高度化した人間社会ではそういったことに知恵を絞らねばいけない。総合的に見る人と部分的に狭い研究的にやる人との分業は必要だが互いのことについて知っていなければいけない。私は森林から見て考えているが森林から見ると根源的欠陥をつくことができるのではないかと思っている。
 学術会議のなかでも林業造林が中心で、私は端っこの方にいたが、中心にいた人たちも私のような分野が必要だと思うようになってきた。    ⇒学術会議幹事
 じわりじわりと自分の分野の必要性をひろめていっている。「地球」という東京大学公開講座に前回出講された小宮山先生と参加した。



食事会の様子
質問会の後、先生と一緒に食事をしました。

人間も生態系の一員

 人間は生態系の一員ということは自然系ということ。人間が増えたので都市系がないと生き延びられない。河川にも多様な機能がある。自然保護というのは増えすぎたものを制限することも含む(?)自然の管理も必要。動物によって生態系が乱されていることもある。(鹿やサルの大繁殖)



林業者は自身をもて!

 林業者も自信が持つことが必要。自分達がどのような役割をになっているのか。自信を持つためにはある程度(現在の経済の概念で)儲かることも必要。途上国では森林の管理と貧困は一体化している。都市で、農業でくいっぱぐれた人が焼畑をして生きている。まずはそういうひとたちを経済的に救うことも必須なのでは。



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