環境の世紀X  [HOME] > [講義録] > ゼミ第5回

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環境の世紀X ゼミ第五回目

質疑応答

学生A:
マッカーシーという人がいて、それに対抗した人がいたと言いましたけどそ の人はどうなったのですか。

原:
ええ、みごとに生き残りました。エドマーロ、CBSの有名なキャスターです。ですからマッカーシー旋風はジャーナリズムを作ったんじゃないかと言われた。上議院議員という権威を傘にきて米ソの一触即発の状況を利用して次々にリベラリストに親ソ派というレッテルを貼り、社会から葬ったのです。

グループディスカッション

テーマは「環境ジャーナリズムの今日と明日に望むこと」。環境ジャーナリズムの構造的な問題点を考え、余裕があればその解決法も議論する。
4グループに分かれて上のテーマについて話し合った。以下その結果発表。

グループ1

学生の意見

・社会的影響力が非常に強すぎて結構危ないのではないか。
・100パーセントの客観的なものというのはそのものにもよるけど多少の主観性が免れないというものであることを踏まえたうえでこの主観と客観のバランスが大事。
・とりあえず報道の目的が真実を伝えることであるのに現代のあまりの多くの情報のなかでは何が正しいかわからないのでそれを誘導してやるのもまた報道の仕事、ところが誘導する時に誘導の仕方があまりに強すぎるとそれは主観的な面がでてバイアスがかる、逆に客観的だからといってただ単に起こったことだけを並べるだけだとあまりにも多くの事柄から何が正しいのかまた見えにくくなる。
・環境問題に関しても、調査の仕方がいろいろあるので様々な結果が出たわけで、ある結果だけを見るとその結果が客観的なものなのかもわからない。研究結果の発表等の際にはやっぱりどうしても何らかのが人為が絡んでしまうので、たくさんある研究結果のなかからどの研究結果をピックアップするのかというピックアップの仕方の問題でもある。
・科学者も自分の研究の結果がどのような場所で、どのような影響をもって、ど のような使われ方をするのか考えてほしい。科学者同士の連携があまりよくない ので、いろんな人からのいろんな角度からのアプローチがあるのに、一つの方向 からしか評価をうけてないのではないか。
・規格の定義があまり厳格じゃない。ダイオキシン単位やパセリのビタミンの量 等わかりにくく意味がないようなのがあって、規制するのに値するのではないか。
→規制が強すぎるのも問題なので一応JARO(日本広告審査機構)の力を借りてはどうだろう。
・情報を利用する人々がたくさんいるので、メディアが造っているようなものが 大きな問題になったら困ったことになるのではないか。
・結局、今は高度大衆化社会で、受けとめる側の認識を高めるというのは非常に 難しいが、情報と言うのは加工されたものにしかなく100パーセントの客観性等な いということを知って、その上で自分の頭で考えていくことが大事だ。

先生のコメント

我々の仲間で討論をやった時に、立花隆という、評論家がいて、彼が面白い発言したんだよね。要するに、いかに客観的であるかを装って自分(主観)を出すかがジャーナリストの腕の見せ所だ、という。もっと露骨に言うといかに編集者をだますかだ。(立花隆)は客観的なんですよ。それで彼が書いている記事には突っ込まれる隙がない。何をどう書くか、如何に自分の視点を強く出すかが立花隆さんの成功の秘訣である。これはいい言葉だな。

グループ2

学生の意見

・どうしても新聞報道とか主観が入ってしまう原因について話しあった。
 →原因はやっぱり人間なんだから仕方ない。
 →だから情報を受ける側が情報をちゃんと取捨選択してどれが客観的とか主観   的とか判断する力を伸ばせばよい。
・イラク戦争など記事がどちらの立場で書かれたか明確にされてないから、どち らの立場でいて書かれたかと言うのを明確に書けばいいんじゃないか。
・新聞と言うのやっぱり売れる記事を書かなきゃいけないからどうしても面白い 記事ばかりが書かれてしまいがちになる。
・環境報道とかの方で専門的な知識を持った人が少ないんじゃないか。
 →環境についての専門的知識を報道する側が、持つべきかどうかということに  ついて話し合い、みんな一致したが自分は持った方がいいのかな?、と感じた。
・現時点では専門家が足りないので環境問題を長年報道してきて培ったものを生 かした専門家が必要じゃないか、やっぱり新聞とかそういうとこだとあの環境問 題だとか、社会問題とか政治問題とかいう部署があって、そういうところがぐる ぐる変わってしまうらしいが、それでそれを変えない方がいいんじゃないか。
・専門家専門家というのになってしまうとやっぱり、司令塔とかそういう審判に なる人がいたほうが良い。
→結局うまく組み合わせた方がいいようだ。
・新聞は表面上のことしか書いてないので詳しく書けばいいのではないか。詳し く書かれているのは雑誌や本とかだが、新聞はとってる人が多いので、受動的に 読むケースが多く、新聞は本とかインターネットを使う人が増えてくるように刺 激するような記事をどんどん書くべきだ。具体的にはタマちゃんから川の汚れに つなげる等。
(先生に対する質問)
 ・新聞やテレビとかで部署かわるメリットとは。また周期は。
 ・実際に記事を書くときの新聞記者のやる気はどのくらいか

先生のコメント

専門記者の話なんですけど、毎日新聞が1997年に創立125年を迎えたときに戦後はじめて新しい部を作ったんですけど環境科学部というんですね。東大の卒業生からもたくさんの記者が加わってますけど、薬学とか物理とか宇宙とか専門的な知識をもって大学も出たようなのを13人くらいそろえています。全く新しい分野、新しい作業なんです、でその人たちはそれでずっとやる、地方異動なんかしないでそこでずっと専門家で。それではどうして前からそうしなかったか。記者の部署を。かえる理由と言うのが、日本の社会にありがちなんだけども、A記者がいて、その取材分野を壟断してしまう、自分のテリトリーにしてしまって、人を入れないようにして、そこを支配しだすと癒着が起きたりして非常にまずいことがおきる、それを、異動をやって切っていったわけなんですよ。それは組織からいうと、メリットなんですよ。ところが困ったことにやって幹部候補生をいろんなところで経験を積ませてオールラウンドプレイヤーをつくって、ゼネラリストをつくっていると、今度例えば金融の問題で社会の動態が先行して専門知識を備えた消費者とか銀行員に太刀打ちできなくなるんです。金融とか経済をしっかり勉強する必要が出てくる。じゃあもう1回大学院に入りなおそうよとか、そういう必要が出てきて、今そっちへ向かっているんです。だからなるべく専門家を育てようという自己防衛からそうなりつつあるんですんね。異動ってのは3年でまわしてる。新人は政治部とか社会部とかを志願してて入った後で全員が地方の支局に行くことになるんです。そのときに支局に行く前に自分が何やりたいってことをい ろいろ遺書みたいに書き残していくんですよ。その通りになれるかは全くわから ない。これはその支局の活動状態、主体的に自分で思った通りに動かない場合があるんですけど、だいたい向き不向きを見てて、あなたはこういう感じだから政治部がいい、とか。

グループ3

学生の意見

・先ほどの授業を聞いて感じたこと大きく分けて2つ。まず、新聞やテレビ等今までそれが本当だと思いこんでいたものがのが危ない考えだったということででショックを受けた。しかしジャーナリズムで主観が入るというのはどうしても仕方ないことだから、それは少なくとも自分で判断しなくてはいけないと感じた。
・テレビでも新聞でも、とにかく視聴率を上昇させるようなため、恐怖を煽るようなデータを用い、扇動的な報道をする、そうでもしないと消費者は気づかない。だからこういうのはこういうものを使うんだ、と意識しておく。
・実際これがこわいとかこれが危険だという情報をまず流しといて、それが後で実は怖くないということがわかるよりも、これは大丈夫だとか今まで報道していたのに実は危険だったという報道をしてしまうとその方が非難されやすいので、用心するに越したことはないと、ジャーナリストは考えているのではないか。
・ニュースステーションで所沢のダイオキシンが危ないと報道してしまったため色々問題がおきてしまったが、もし報道していなかったら大丈夫だったのか、と言われると実ははそうでもないらしく、実際、もしほんとにダイオキシンのため奇形児が生まれたとか、胎児がどんどん死んでしまうとかそういう事件が起きてしまったら、水俣病のようなことがまた起きてしまっていたという可能性も否定はできないし、その点では評価するべきだということになる。
・実際、農協もダイオキシンをいろいろ調査して、しかも、データを隠していたということもあったらしく、いろいろな問題点がある。報道によってそうした提起をすることで問題の解決の突破口につながることもあるのではないか。
・先に怖い情報を流す方が非難されない、ということに関して、まず受け手側の意識、これをかえていかなければいけないのでは。
→受け手側が情報を手に入れるのはいいことだが、過信はしてはいけない。
→しかし情報の選択というものは自分で勉強して判断力をつけなきゃいけないことになるので、そのために各新聞社とかテレビ局とかの情報局が特色をもって、その会社の特色を持って報道すれば受け手側も多様な情報が入ってくるわけだから選択肢が増え、自然にに自分で選択していく力がつくのでは。
→そんなことしたら情報自体が、どんどん隠れて事実がゆがんでしまうのではないか。それに、もし自分がその独自の報道に合わなかった場合はその情報に自分が合わせなくてはいけないのか。
→逆に勉強して、情報をたくさん仕入れて、選択する力をつけて、特色を出していくべき。
・間違った情報を発信した場合に、発信した側はきちんと責任を持っていない。
・情報発信案の、特色をだすにはどうすればいいのか。実際新聞は一家で1つしか取らないのに、勝手に特色を同じ新聞社内で、自分たちはこういう考えで行こう、としてしまうと、自分の中の意見というのがどんどんゆがんでしまう危険性があるので、まず、どの新聞にも共通するような「事実」というのを載せ、それに対する意見も同じ新聞社でも多様な人の意見を採用して、これを新聞社の特色にしていけば、問題の解決につながるのでは。
→だったらどの新聞でも共通な「事実」というのはどうやって作るのか。
→「事実」をめぐって新聞社がいろいろと論争を起こすはずで、論争が起こっていけば、問題が解決につながるのではないか。

先生のコメント

新聞によって価値判断がはっきり違う。毎日、読売と産経、どこで分かれます、憲法9条と原子力発電所です。ちがいますよ、はっきり。同じ問題でも例 えば憲法9条どういうふうに、護憲なのか、あるいは改正なのかということはしばし同じ社の論説委員の間でも割れるんですよ。だから原子力発電所を巡っても同じ問題がおこるんです。何故反対かと言う理由も科学的な、放射性廃棄物の処理問題から始まるし、あるいはベンディングマシーンを何百万台も作って電気が足りないから原発を作るみたいなデマンドサプライみたいなことはもうやめろ、といってるのが例えば環境問題を報道してきた私なんかの立場ですよ。発電でコストなんてものはもう政治経済の意思でどうにでもなります。ですからいろんなことが選択できるのに何故構造的に原発の増設にこだわるのか。新聞には言論と報道の二つの機能がある。毎日新聞の場合、事件報告があってそこに解説がつく場合が多い。その記者の、この事件はどういう意味をもっているのかと。さらにこれに基づいて論説委員が社説を書きますね。これは言論報道だから、ここでもって書き手の評価が入ってくるわけですね。「記者の目」の場合は個別の記者の意見だからここにこう顔写真を入れるんです。これは完全にこの記者が自分の顔写真を入れて名前を入れて、意見のある人はこのデスクに言ってくださいと書いてある。毎日新聞はオウムとやりあったためにえらい目にあった。爆発するという予告を受けてね。だから僕らも磁気カードなしに社内に入れない、今でも。オウム信者が真夜中に編集局の便所の中まで入ってきた。サンデー毎日の編集長彼を狙ってやり損なって堤弁護士をやったんですよ。事件報道は命がけなんですよ、。無名性の中に隠れていた方がよぽっど安全なわけですよ。記者個人の行動としてはね。最近の新聞に何を読者が求めているか、記者はプロなんだからちゃんとはっきり言えよことの是非は。俺たちが判断する。判断の材料を多角的に示して欲しい。そういう傾向が強いね。ただしはっきりと主観的な記者だったら一体どうなるんだと言うことはある。それはチェックします。記者が所属しているクラブのキャップとか、デスクとか整理部という取材部から離れて客観的に事件をみてる連中、三重くらいのチェックをしている。だから記者が事実からそれほど大きくぶれてることはない。

グループ4

学生の意見

・提唱報道の正確性や、それにコストをかける必要性に対して疑問が感じられるので、あまり力を入れてやっていくのはどうかと思う。
・新聞の一面だとかこう大きなスペースをとるとこは中立的な立場をとって、提唱報道的な性格を持った部分は、特定の、大きいところではなくて、これは意見を述べる場所です、と読んでる人がわかるような形で載せるのがいいのでは。
→しかしその一面に載せる中立さ等をを判断することによってそれがまた客観性を失うことにもなるので、完全な中立や客観性によって成り立つ報道は、存在しない。意思としてそういう報道であろうとすることが大切だ。
・提唱報道的な記事を読むことで考えが深まる。自分の考えは別として、そういう記事があることによって自分の気持ちに考え方が加わるわけだから。そういう意味で提唱報道はやっぱり必要だ。
・(発表者が自分の今までの発表に対して)今のは客観報道みたいなもので、みんなが言ったことをそのまま言っただけ。自分はそれを理解していないが、客観報道は理解してなくてもできる。しかしそれでは発表として成り立っていないと思うので、やっぱり、自分自身の解釈がこの場では必要。で、それが提唱報道だと思う。だからやっぱり提唱報道と言うのは必要性が結構あると思う。しかししっかりした提唱報道をするためには時間とある程度の人材と根気が必要なので自分には今はしっかりした提唱報道をすることは無理。

先生のコメント

ご承知のようにプリントメディアはもともと政党新聞として出発したから言論新聞なんですよね。大新聞。自由党新聞とか、自由民権派が、キャンペーン。プロパガンダをやってきた。セクトの得に得になればいいようなことをやってきたんだけど、「報道」が入ることによって、大正のコマーシャリズムの登場とともに紙面が言論と報道と2つに分かれたんですね。報道の客観性をどうしたら保てるのかと言ったら、一つの方法はニュースソースを明らかにすることですね。例えば「わが国」なんていう主語は書くな。政府の誰が言っているのか、どの自民党の政治家が言ってるのか、外務省の誰が言っているのか、少なくとも部局くらいははっきりさせろと、それによって相当にそのニュースの出所というものががわかるじゃないかニュースソースをはっきりさせろ、そういうことをまあ今非常に強く言ってるわけですね。それから例えば新聞の読み方としてページの上にこのごろオピニオンとかいろいろ書いてありますでページによってこの機能を分化させているわけですよ。そうやってそのページをめくるごとにそのそれぞれのこの機能を巧みにいれ込んでいるので全体として見て欲しいと・・、そんな暇な人はいないかもね。自分の好きなとこだけ読んで怒ったり泣いたりしている。非常に困ったことなんだけど。提唱と言うのは、必ずしも何かを主張するという強いものばかりだけでなくて、アジェンダセッティングと言う言葉あるけどね、議題と言う、社会に対して、議題、アジェンダ、なすべきことの設定をする。アジェンダセッティング、新聞が持つその機能は大きいですよ。福祉の介護を巡っていったいどこまでその介護と言うものが個人的責任なのか、公的責任なのか、その意見が割れているようなものについて私の新聞は公的責任を問います、という議題設定というのが同時に提唱報道で、そこまで言い切らないで、1、2、3、4とこういう問題がありますよ。それが議題設定。アジェンダセッティングというのは何が社会的に課題かを読者に提示するのだからやっぱり何かを価値基準において問題を定義してるわけですよね。

先生の総括

緻密に、過不足なくいろいろ考えて、ポイントを、もれなく書きましたね。大変優秀だと思います。大事なことですよね、人の話したこときちんと聞いて、それを批判的にとらえて、自分の問題をそこへこう、対比していくことが大変、緻密に、正確に行われて、さすが立派だなと思いました。結構でした。これが総論です。各論として何を君たちに言うべきかな、立花隆さんのジャーナリストの知恵。自分の言いたいことを世の中に普遍的なものとして通していくためには、やはり立花さんの言葉を傾聴したい。彼の書いたことはうそじゃないんですよ。きちっとした彼のデータの収集力はすごいわけですよね。書斎はそれ自体が資料倉庫になっているわけで。そういう非常な血のにじむようなデータを集めて、例えば田中角栄の金脈事件のような、具体的な作品にしていくわけで、"Keep your boots muddy."という言葉があるんだけども、muddyというのはどろですね。"Keep your boots muddy."というのはあなたの靴を泥だらけにしとけ、きれいにするな、というのは何を言ってるか。要するに現場を歩け、所沢の問題だって現場に行ってみたらぜんぜん違う光景が見えてくるわけですよね。僕も大学院生たちと所沢にはいって調査をしてるんだけれども、あそこはとにかく、日本で最高水準の有機農業が行われている地域なんですよ。しかし相続税で土地がだんだんだんだんやせ細っていく、そのやせ細っていく土地を何とか公共のものとして残して、利用権を私的に使って、落ち葉をはいて、関東ローム層を有機的なものにしていこうという大変な努力を400年続けてきた。そこへああいう悲劇が起こった、なぜ起こったかというと土地がその産廃処理業者に売ると一番高く売れるからなんですよ。産廃処理業者はもう、野焼きはするはひどい事態なってて、ダイオキシンは間違いなく降ってるわけですよ。それを、テレビ朝日は、お茶をなんとか野菜だと言って、単位もすこし違ったようだけども。裁判では、事実と信ずるにたる証拠があったといってテレビ朝日は無罪になって、農民の負けになったんだけれども、面白いのはその、その報道によって何がおきたかと言うと、小泉内閣は公共事業をストップした代わりに緑の改革をやる、そのモデルとしてあの地域を指定したんですよ。それで、今ある有機農業何とか残すため方策を考えよう、荒れたところは全部きれいにして、産廃業者は全部そこから出てもらおう。有機農法やるための山林をなんとかコモンズで残せないか、ということで今までにない新しい動きがその地域で起きたんですね。それはやっぱり報道の与えた社会的作用です。個別に見ると確かに的はすこしずれていたんだけども、そこにそういう問題があったということは、見事にあれは言い当てた、それが、埼玉県、日本政府を動かして新しい事業を現に進行させている。報道の社会的作用と反作用ってのはほんとにその思わぬところで起こってくる。非常に危険ですね、ジャーナリズムと言うのは。諸刃の刃なんですね。それを自覚して使わなけりゃいけない。新聞記者が総理の前であれこれ意見を述べているがそれは別に新聞記者がえらいわけでは毛頭ないわけで、それは我々は憲法を、国民の知る権利を背中にしょって、総理これをどう考えるかというふうにこう迫るのは国民が後ろにいるからですよ。そういう勢いで動いておるわけだ。元に戻るけど環境ジャーナリストは基本的な人権の実現に焦点をあてて報道してる、それをアドボキッドしている、そういう姿勢が非常に大事なんですね。CIAのIって何ですか。intelligenceだよね、informationって言わないね、Central Intelligence Agency でしょ。なぜintelligenceですか、「情報」でしょ。で君たちに注意したいのはひょっとするとそこの区別が非常に曖昧になってるんじゃないか。インターネットでたたいてでてくるのは情報ですか、informationですか。ジャーナリズムにとって少なくともこのIはですねface to faceですよ、基本的に。人を介在させないで人が隠そうとしている構造や変化に関わる部分をとってくるのが情報なんですよ。だから私今だにインターネットできないんですよ。ダイノザウルスなんですよ。みんなニヤニヤして聞いてるけど、でもどうもそういう習性があるんですよ。どうもintelligence、人が隠そうとしている、しかし世の中を変えるような報道に関わる部分をface to faceで強引にとってくるこれだね。今日はきれいな話、客観的に議論できる話をしたんですけど、報道の現場というのは本当に大変なことなんですよ。リップマンの言ったようにほんとに背後に隠された事実を知的に再構成できたときってのはもうこれで、俺は死んでもいいな、もうやめてもいいな、いうぐらいの快感があるわけですよ。だがそれはしかし、長い記者生活で何度もそんな見事なことはないわけで、君らの批判を受けながら、何くだらないこと書いてんだ、といわれながら日々、書き続けるわけですよ。

講義(原 剛)
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