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環境の世紀X ゼミ第七回目

ディスカッションのテーマ:「経済発展と環境保全は両立するか。」

先生:
環境を守るといってもたくさんのレベルがある。例えば地球温暖化はCO2の濃度を下げなければならない。それは経済にとっての打撃でもある。また、生活態度を変えなくては環境は守られないのではないか、という考えもある。経済発展と環境保全は両立するのかしないのか。
* 経済発展とはなんぞや。
* 経済発展と経済成長は同じものなのか。

<両立すると思う人―多数>

学生1:
両立するというよりは、経済発展はなくすことはできない。だから技術発展に期待する。

学生2:
経済発展だけ教育水準は上がる。

先生:
今の意見は、経済発展と環境保護は両立できるという断言なわけではなく、両立しなく経済発展は必要だから、両立しなければならない、というものである。

<両立しないと思う人―5人>

学生3:
どんどんものを作って、どんどん活発な輸出をたくさんすることが経済発展につながる。そのためには資源が必要になり。資源を使うことは地球の有限なエネルギーを使うことになり、いつかはなくなってしまう。だから両立しない。

■ 経済発展・経済成長とはなにか。

先生:
経済発展とはなにか。考えて欲しいから、あえて漠然とした「経済発展」という言葉を使った。
・ 〔経済発展〕の定義:多様なニュアンスが込められている。GPF,GNPも含まれるが、それによって含まれる社会的変化や影響。教育水準の向上なども含む。
・ 〔経済成長〕の定義:GDP、GNPの規模が大きくなること。 = 経済成長は経済発展の中の重大な要素である。

この概念を前提とした時、経済発展と環境保全は両立するか?
<両立する>と思う人− 初めよりも少ない。
<両立しない>と思う人− 少し増えた。

経済発展と環境保護は両立するとは思うが、経済成長と環境保護は両立しないと意見を変えた学生:
経済成長というと、数値の話になってそれを思えば、経済成長と経済発展は違うかな、と思った。GDPとかをあげることを目的としなくても、先進国に偏っている富の分配をもっとよくすれば、途上国の人ももうちょっと毎日ちゃんとした食事や水が取れるのではないか。

■ GDPとはなにか。

先生:
GDPの定義:ある年に一国で作られた、財やサービスの合計額。 そうすると、それと同時にものを作るなかでも、資源を使うものとそれほど使わないものも含まれる。利採掘でものを作ることも可能。 =GDPが増大しても、資源がたくさん必要になるとは限らない。

■ GDPの人間の幸福

先生:
経済発展とGDPの関係でいうと、GDPは必ずしも人間の幸福を表すものではない。 GDPの拡大は必ずしも望ましいことではない。経済の面だけでなく、社会的保障などの全体を評価する指標が必要。しかし議論の余地のない、客観的な指標があるわけではないし、それを作ることも難しいので、GDPがよく人間の幸福を表す指数として使われる。 =発展途上国の人々にとってGDPの増大が必ずしも喜ばしいことではない。

<国連開発計画の試み>
・人間開発指標(HDI−human development index)
人間の幸福を計る尺度とは。
―教育(就学率、識字率)
―健康・医療・平均寿命
一人あたりのGDP

■ 環境保全とはなにか

先生:
環境保全とは何を保全することなのか。環境といっても多面的である。大気中のCO2濃度をこれ以上増やさないとか、鉄鉱石の鉱物資源を減らさないとか、そういうことが環境保全なのかどうか。

学生:
現在の環境保全が目指しているのは、人間が住みやすい状況を守るため。森林を残そうというのは、資源がなくなるから、生物多様性を守ろうというのも、薬品とかのために残しておきたい。人間に必要なものを守るのが環境保護ではないか。

<持続可能性SUSTAINABILITY>
経済学的定義:資本ストック(自然資源・環境を含む)を変わらなくする。
<=>人工物資本
持続:現在のストックを次の世代が享受できること。

<ロバートソロの新古典派経済成長論>
―持続可能性の定義:従来の定義+情報、知識の構築。 人類の歴史においては、自然資源を減っていく一方で、情報や知識が増えている。 その構築によって自然資源の減少を食い止める技術が生まれるのではないか。全体でみれば自然資源が減るということを止めなければいけない、というのは狭すぎるのではないか、という議論。

先生: 
自然物は人工物に置き換えられることはできない。全体的な資源量がかわらなえればよい、という議論は通りにくい。しかし、環境保全とはどこまで守るべきか。自然に対する個々人の価値観が違うなかで、合意形成は難しい。 経済学的に考えると、価格が価値の判断基準。コストが高くなれば需要が抑えられる。しかし、なかなかうまくいかない。

生徒:
GDPはどのようにしたらあがるのか。

先生:
1つの方法は、ビジネスチャンス。各個人が営利目的で新しいビジネスを起こし、活動を行うことによって財やサービス増える
2つめは、政府の意識的な市場へ介入。第二次世界大戦後は、様々な経済政策によって経済を活発にしてきた。

生徒:
GDPを比較するときに為替レートは影響するのか。

先生:
比べるときに何を比べるのか
・共通の尺度が必要=現在はドルを基準。
・円高か円安かでGDPの伸びは変わってくる

生徒1:
ここでいう環境保全は世界的なものか。世界的に考えたらすべてが経済成長を行うのは不可能なのでは。ある経済がよくなれば、あるところは悪くなるわけだし。

先生:
いや、ゼロサムゲームではないから可能であるだろう。例えば戦後、全体としてみればGDPはあがっている。最貧国のひとつのサハラ地域でもGDPは増大している。

生徒2:
環境保全と両立はできるか、という議論において、できないという人はどうすればいいと思うのか。

生徒3:
それは難しい。相手次第であり世界全体で環境を守ろう、というのは難しいのではないか。途上国は間違いなく、経済発展を選ばざるおえない。

生徒4:
まずとりあえず途上国では環境教育をやらなくてはいけないだろう。 日本は教育はやってる、だが環境に配慮している生活をしているのか。 日本では、便利な生活といい環境を両立しようとしている。しかし、自国の便利さ、環境保護は途上国の犠牲があってのもの。世界全体でこれを行おうとすれば、無理であろう。

■ 「経済発展と環境保全は両立するか」という問いの前提にあるもの

生徒1:
環境と経済は両立はできるのか、というと問いには、前提として環境と経済が両立していないという考えがある。しかし、見方によっては両立しているともいえるのではないか。例えば、経済の半歩後ろに環境がついてきているのでは。

生徒2:
環境と経済は両立するか、という思想の前提には、「できない」という前提が発想があるのではないか。

先生
自分たちの世代では、高度成長の歪みの公害問題とか、スモールイズビューティフルとか、ローマクラブの報告とかに原点がある。疑問の出発点は、このままでは経済はうまくいかないのでは、という疑問。

生徒3:
人間が死ぬのを止めようとするのは自然なこと 途上国の人たちもある程度満足できるレベルまで上がるのも自然なこと 原発とか科学技術発展での解決に期待できるのでは。

生徒:
今のひとたちが満足しているということはない。 人間の欲望はとどまるところを知らない。

生徒4:
発展途上国が必要最低限でいい、という思想は先進国のエゴ。 日本、西洋に追いつけ追い越せで発展してきた。途上国が日本やアメリカに憧れるのは当然。いろんな国が日本見たいになったら困るだろうなあというのもあり。難しい

■ 技術発展と環境保護

生徒1:
技術開発は必ずしも環境に悪いとは限らない。

先生:
技術開発の余地はある。問題はなにがインセンティブになって、技術発展が起こるのか。経済的にいうと、それがビジネスになるから技術が生まれ、実用化される。需要があるだけでは、難しい。

生徒2:
現在の技術の多くが軍事的なものなら来ている。

生徒3:
経済発展と環境両立のための先生の具体的な対策は。

先生:
経済学の理屈の上では環境保全と経済発展は両立しうる。GDPが増えても、CO2は増えない、例えば原子力によってのエネルギー供給など。はたしてこれから、本当に環境にやさしい技術が生まれるのかわからないが、ないとは言い切れない。問題は何がその技術を生み出すのか。企業活動か、政府の政策か。ビジネスチャンスを利用して技術革新を行う企業の活動か、政府や軍事の介入によっての技術革新か。企業と政府の役割はどうあるべきなのか。今後の技術発展に期待をよせたい。


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