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ほんとうのゴミ政策へ 〜循環型社会の虚構〜

梶山正三教官

はじめに

●ゴミはどのように排出され処理されているか
●大量生産、大量消費、大量廃棄社会を維持するために
●埋立地の逼迫がもたらした「循環型社会」
●国がめざす「循環型社会」とは?
●虚構の循環型社会を維持するための仕掛け
●官僚の時代のアポトーシス
●ほんとうのゴミ政策へ

まず、今日どういうことをお話ししたいかざっとお話ししたいと思います。循環型社会ということがある意味では流行語みたいに使われていますけれども、それがいかに欺瞞に満ちたものかをいうのが今日のテーマでございます。今の日本の政策というのは、たくさん造ってたくさん消費してたくさん捨てる、こういう社会を維持することだ、というのが基本にあります。ところが、このたくさん造ってたくさん捨てるという社会で一番ネックになっているのは日本の場合には埋立地の逼迫ということです。これを解決するための政策がまさに国が言う循環型社会です。まあこれは循環でも何でもないんですが、循環型社会にするためにどういう仕掛けを国、あるいはゴミマフィアと私は呼んでいますが、ゴミマフィアたちがどういう風に考えているのか。それから官僚の時代のアポトーシス、これは時間があったらお話ししたいテーマなんですけれど、アポトーシスというのは生物学で使う言葉で、簡単に言うとプログラムされた死。いまの官僚機構が壊れていく時代に官僚機構の利権にしがみついているゴミマフィア。それらが自然死を迎える時代という意味でアポトーシスという言葉を使っています。
そしてほんとうのゴミ政策はどうあるべきか、これは大変難しいことですが、そういうことをまとめとして申し上げたいと思います。

人の活動は環境破壊の歴史

人間の活動っていうのは古来から環境破壊の歴史だと見ていいと思うんですが、そもそも農業自身が大規模な環境破壊です。多様な生態系の中で、役に立つものだけを特化させて、今の生態系をある意味では破壊しながら、人間に重要なものだけに単純化していく。自然を単純化していく。これが農業のひとつの大きな作用です。
それから森林と自然破壊はヒトの危機を招いた。今日はそういう具体的なデータを細かくお話しする暇がありませんけれど、例えば森林の破壊速度というのは大ざっぱに言いますと、1秒間に0.5ヘクタール。フットボール場ひとつ、というのが通常言われます。それぐらいの割合で森林というのは地球上で減っています。
化学物質の乱用は、破滅への道を開いた。私は元々化学家ですから化学物質のリスクの問題というは大変興味があるので、細かくお話しする暇はありませんが、少し触れたいと思っています。

大量生産・消費・廃棄社会

日本のゴミ政策の特徴

日本のゴミ政策の特徴として私はいつも4つ挙げています。

・中央集権的
・大量生産・大量消費・大量廃棄社会の維持
・脱埋立・焼却強化
・リサイクル信者の育成

ひとつは中央集権的ということ。日本はまぎれもなく中央集権国家です。地方分権とか地方自治の時代とか言われますが、(地方分権と地方自治は少し意味が違うのですが、)それは全くの見かけだけであって、中央集権です。すくなくともゴミ政策に関する限り中央集権です。それから、大量生産・大量消費・大量廃棄社会。そのために埋め立てるのをやめて、焼却を強化しようと。つながりはあとで説明します。それから最後がリサイクル信者の育成。リサイクルは良いことだ、実はちっとも良いことじゃないんですが、良いことだということでマインドコントロールしている。この4つが私の見た日本のゴミ政策の特徴ということです。

それで抽象的な話ばかりしていても意味がないので、私は具体的な実例を山ほどお話しながら喋らないと説得力ないと思っているのですが、そういう時間がありません。自分が紛争の代理人をやって裁判なりなんなりをやってその過程で実態が分かります。裁判の過程で行政担当者と法廷で真っ向から向き合う訳です。行政担当者に質問をします。質問をして何が一番わかったか。一つだけ例をお話ししますと、例えば2年かけてあるゴミの埋立地が安全かどうかある県が審査しました。審査した結果許可を出した。2年間膨大な書類、膨大っていっても大した事なくてこの位ですが(40cm程度の高さを示す)一つの処分場つくるとそれくらいの書類は出させるわけですね。我々はそれを全部取り寄せて、全部吟味しました。3ページに1カ所くらい確実にひどい間違いがあります。例えば処分場の立面図と平面図、そんなのが山ほどあります。そこの担当者を法廷で尋問したら、焼却炉の基礎構造も知らない。しかもそれは新潟大の理学部を出て、神奈川県では技術系の職員としてましな方ですが、ましな方でそのレベルです。それが実は行政の実態であります。すこし脱線しましたが、私は実態に基づいてものを言わなければいけない、だけどきょうは実態をお話しする暇がないという言い訳を申し上げた訳です。

ゴミはこうして造られる

国はゴミを減らすことに一生懸命だという一種の迷信がまかり通っていますが、それはとんでもないということを申し上げておきます。

・製品の短寿命化

まず製品は意図的に短寿命化されてます。例えば、蛍光灯は8000時間もつものをわざわざ4000時間にしています。タイヤもそうですね。こういう素材を使えば5年ものになる。こういう素材を使えば10年、こういう素材を使えば20年になると。つまり寿命を長くすることは今の技術では、いくらでもできると。いくらでもできるんだけれども、5年ものを20年ものに変えて、皆さんが4倍の値段で買ってくれるかというと、それは絶対買ってくれない。すると会社の方針としては早く壊れるものをつくれと。早くゴミになるように製品をつくる。

・頻繁にモデルチェンジを繰り返す(省略)
・まだ十分に使用可能な物の破壊・廃棄

それから、十分使える物がどんどん破壊されたりします。みなさんよく外国にいらっしゃるだろうからお分かりかと思いますが、ヨーロッパと日本は建物に対する考え方が基本的に違います。向こうは壊さない。リフォームして使う。100年でも200年でも使う。日本の建物は早く壊す。

・捨てられるためだけになされる生産
・過剰な注文による過剰な商品の廃棄(省略)

これ全部話しているときりがないので、新聞紙の例だけお話しします。ある新聞社が全国で1000万部印刷していた。ところがユーザーが減って800万部に落ちちゃったんですね。でも1000万部という看板はどうしても維持したい。維持したいために新聞社はどうしたかというと、ユーザーは800万しかいないんだけれども、新聞は1000万部つくるわけです。残りの200万は販売店に買わせる。25%増しです。そうすると25%増しになった分は販売店に運ばれて、全然ユーザーの手に触れられないうちに帰りのトラックに積まれてそのままゴミとして捨てられる。こういうただ捨てられるためだけになされている生産というのが、実は日本の社会にはいっぱいあります。
要するにゴミをたくさんつくることが日本経済の活性化につながる。それをやらないと日本経済はもたないという強固な思いこみがあってそれが基本的に大量生産・大量廃棄の社会を維持している。これが日本の社会での聖域である、とこう見ているわけです。

大量消費・大量廃棄

1 もっと消費させろ
2 捨てさせろ
3 ムダ遣いをさせろ
4 四季を忘れさせろ
5 贈物をさせろ
6 コンビナートで使わせろ
7 きっかけを投じろ
8 流行遅れにさせろ
9 気安く買わせろ
10 混乱を作り出せ

電通10訓というのがあって、こういう形でどうやって早く消費者にどんどん物を買ってもらって、まだ使える物でも早く捨ててもらおうかというのが日本社会ではひとつの営業のための大変重要なコンセプトになっているんです。今でも同じです。
なぜそうかというと、ゴミが減ると困る人たちがいます。ゴミ処理業者、ゴミ処理プラントメーカー。それから製造物が早くゴミになってくれないと困るのは製造事業者、建設業者。建設業者は製造事業者の一種ですが。こういうゴミが増えて欲しい、早くゴミになって欲しい人たちの便宜を図ってやれるのが中央官僚とか御用学者とかコンサルタントとかです。こういう人たちがどうやってゴミを増やそうかという日本のゴミ政策を牛耳っている。これは紛れもない事実です。
ゴミはどんどん出したい。これがいわゆる日本の政官財のトライアングルの中で主要な部分を占める人たちの 思いです。ところが、ゴミはどんどん出したいんだけど大変困ることがある。埋め立てる場所がない、ということですね。国は2008年にゴミの埋立地は日本中なくなってしまいますよ、と。これは大変だと。糞詰まりになったらゴミも出せない。そうしたらどうしようか、という話です。

リサイクルの実態

ごみ問題については大きな誤解をされている。まずですね、国がいうゴミを減らすのは排出を減らすのではないのです。これを減らすのは「発生抑制」。排出量そのものを減らすのが「発生抑制」です。それともうひとつ、紛らわしい言葉として「排出抑制」というのがあります。これは意味が全然違うんですよ。排出は出たい放題出していい。そのかわり、この先でゴミにいくものとリサイクルルートに行くものと分けまして、排出は減らないんだけど、資源回収ルートを増やしてやればゴミは減るじゃないか、これが排出抑制です。出る量を減らさないで、ゴミとして埋め立てる分だけ減らしたいと思ったらこのリサイクルルートを増強するしかないんです。これは必然的な話で、これが国が言う循環型社会の一つの帰結です。

リサイクルについて、もう一度生産工程に入らないとリサイクルとして意味がないわけですね。この再生資源というのは、多くの場合、日本の場合ほとんど国内資源ありませんから、新たな輸入資源と、質と価格で競争する訳ですが、ほとんどの場合、質・価格において劣る。劣るからゴミになる。劣るのをどうやって使ってもらうかというと、税金を投入して小売価格を下げる。こういう形でお金を使わないと買ってもらえないというのが日本のリサイクルの多くの実態です。

廃棄物政策の優先順位

1 発生抑制(Reduce)
2 リユース(Reuse)
3 リサイクル(Recycle)
4 適正処理(Dispose)

廃棄物政策には優先順位というのが一般的に認められています。最初にこれを法律にはっきり書いたのは1986年のドイツの『廃棄物回避および管理法』ですね。発生抑制・リユース・リサイクル・適正処理。これが廃棄物政策の優先順位ですが、例えば牛乳パックを例にしてお話ししますと、発生抑制というのはそもそもゴミとして出さないことですから、牛乳パックを使わないで、牛乳を売ることを考えるんです。簡単にいえば量り売りです。牛乳パックはそもそも作らない、というのが発生抑制です。リユースっていうのは何度でも使える容器を使う。そのままの形で洗って使う。デンマークとかノルウェーとかの例でお話ししますと、ペットボトルは基本的に20回タイプです。まあ皆さんよく行ってらっしゃると思うのですが、もしヨーロッパへ行ったらですね、ペットボトルの底を見て下さい。底。必ず底を見て下さい。刻印が押してあります。そうするとこれは15回目のペットボトルだな、12回目だな、というのが見れば分かるようになっています。20回繰り返し使う。だからごみの量としてはワンウェイ型のボトルに比べると20分の1になります、単純計算で。リサイクルはそれを材料としてもう一度使うわけですからガラスなら砕いて溶かしてガラスの材料として使う。紙は溶かして印刷インクやなんかを除いてもう一度薬品処理して、パルプにして使う。必ず質が落ちます、こういう場合。これをダウンリサイクルと呼びます、質が落ちるリサイクルですね。

それでまず発生抑制がゴミを減らす要諦だ、一番大切な政策だということ。その次がリユース、3番目がリサイクル、その三つもうまくいかないものについては環境になるべく負荷を与えないように処理しましょう、とこういう順序です。世界的に承認されている廃棄物政策のルールということになります。でですね、日本は1と2をやらないでリサイクルから始めるんです。そういった意味で非常に変わった国です。1と2をやると、先程言いましたように、大量生産・大量廃棄そのものを否定しなきゃならない。ですからここは聖域にしておきたい、というのが今のゴミマフィアが持久する廃棄物政策の要としてあるのです。

リサイクルによる生産規模拡大

リサイクルそのものを簡単なモデルで説明します。簡単なモデルですが、大体の場合理屈の上であてはまります。例えば鉄を考えて、輸入資源が100あるとします。一年目はそれを全部生産工程に入れまして、リサイクル率が50%とします。そうすると再生資源として50、ゴミとして50出る。その50がリサイクルされたことによって再生資源として生産工程に投入されます。そうすると輸入資源が変わらないとすると、投入量は150になるわけですね。2年目はリサイクル率変わらないとして排出が75、75。3年目は175と生産規模を拡大していきまして、最終的には無限等比級数の和、Q/1-r。リサイクル率を50%とすると生産規模を倍まで上げないと再生資源は吸収されませんよね。リサイクル率を90%と皆さんが大いに頑張ったとすると、生産規模を10倍にまで上げないと再生資源はまたゴミに逆戻りしますよ。このようにリサイクルというのは生産規模を押し上げる。押し上げないと余計な資源ができてしまって、それはどうにもならない。
だれでも考えるのは、輸入資源を絞ればいいじゃないか、ということですね。これはまさにその通りなんですが、実は日本の場合それはほとんど不可能な状況です。理由は二つあります。一つは、日本の場合、自前の資源というのはわずかしかありません。しかも価格においても質においても再生資源よりも輸入資源の方がいいんですね。ですから、誰だって再生資源を使うよりも、輸入資源を使いたいんです。そういうことで輸入資源が減らないのですが、これを減らそうとすると、何らかの形で輸入資源だけ税金を上乗せしなければならない。するとこれは非関税障壁ということで、WTOから許してもらえない。例えば鉄だけ頑張っても他のもので全部報復を受けますから、非関税障壁で輸入を抑えるということは国策としてまずとることができない。その二つの理由でもって日本の場合、輸入資源を絞るというのはきわめて困難になっている。つまりリサイクルをすればするほど生産規模は膨らんで、経済規模がそれに伴って上がっていかない限り、かえってゴミは増えていきますよということです。

リサイクル法

リサイクル法の問題を簡単にお話しておきたいと思います。

・容器リサイクル法

例えばペットボトルは、容器包装リサイクル法が98年から施行されてどうなったかというと、急に生産量が増えたのです。ペットボトルというのは、簡単に言うと、作るとき5円、捨てるとき40円かかるんです。捨てるとき40円かかるということは、そのときに与える環境負荷もそれだけ大きいという事なんですね。もちろんコストだけで比較できる訳じゃありませんが、コストがかかるということは、それなりにエネルギー資源なりを投入する、それからそこに動力を使う。設備も必要だ。リサイクルの過程ででる水の汚染、大気の汚染というものを防ぐためにそれなりのお金を使わなきゃいけない。つまり8倍のお金がかかる。その8倍のお金がかかるものを、メーカー負担にすればメーカーは作るわけありません。日本の場合、それを全部、皆さんが支払っている。税金で支払っている。その処理費用をです。ですからゴミはどんどん出せるわけです。本当はゴミにしちゃいけない物、つくっちゃいけない物が税金負担という手品を入れることによって、どんどんゴミになったって構わない、メーカーの利益は減らないよ、ということです。

容器包装リサイクル法でわずかばかりメーカーが一部を負担することになりました。それで、いままでは500mlとかの小型ボトルというのは自粛してたんですが、(彼らはわずかばかりとは言いませんが、実はわずかばかりです。)我々も負担しているのだから、自粛することはないということで、一気に生産量が増えたんです。生産がすごい勢いで増えまして、リサイクル量は確かに増えたんですが、差し引きごみになる量もさらに増えてしまった。結論として、ゴミを増やすことがこの法律の目的であったということがよく分かります。

・家電リサイクル法

次に家電リサイクルですが、ここに日本のリサイクルの特徴が非常によく出ています。まずこの「リサイクル率」というのは大変ごまかしが多い。例えば55%という数字がありますね。これはゴミとしてでた家電製品、冷蔵庫なら冷蔵庫の55%がリサイクルされる、という意味じゃないんですよ。普通はそうとると思うんですが、そういう意味ではなくて、例えばゴミとして出たもののうち10%しか集めないとする。その10%のうち55%を資源として回収する、そういう意味です。トータルで全体で出た量のどれだけリサイクルしているかを全然数字として表していないわけです。1台リサイクルに出たうちの55%は資源として回収する、というときには4070〜5770円かかって、再生資源として売れるのはわずか170円です。つまりリサイクルと言ってもほとんどは回収できない。170円分しか回収できない。ということは、これは形を変えた完全なゴミ処理です。この法律は、ここに消費者から全部金を巻き上げることに狙いがある。つまり大量消費・大量リサイクルをやると、実は単純な処理よりもっとお金がかかります。すると環境負荷が高まりますね。そのコストを誰が持つかというと、消費者から巻き上げる訳です。それでもって絶滅しそうになっているゴミマフィアを生き長らえさせようと、大変露骨な狙いを持った法律です。

・食品リサイクル

食品廃棄物のリサイクル、どうやってリサイクルするかというと、飼料にする。たい肥にする。たい肥にして、有機農業やって、作物という形で食べ物に戻っていく。それでふん尿の方はメタンガス発電として使う。これが食品リサイクル法ですね。
まず一つの問題点として、こういう食品を土壌に戻すとチッ素過剰になるんです。日本の土壌は実は部分的にですがチッ素過剰でありまして、これ以上日本の国土にチッ素を増やしてはいけない。こういう状況です。
それから地下水汚染が起こります。食品廃棄物のリサイクルというのには、他にもたいへん大きな罠があるんですね。

食品廃棄物についてはリサイクルをやってはいけない。というよりも、全く量的に合わないというお話がその意味です。日本で食品廃棄物がどれくらい出ているかというと、一般廃棄物のうち、事業系が600万トン、家庭系が1000万トン。肥料化されているのが5万トンです。それから産業廃棄物としての食品廃棄物340万トン。合計で1940万トンです。この1940万トンというのがどれくらいすごい量であるかというと、日本の米の年間生産量が今1000万トン切っています。要するに二年分の米に相当するものをゴミにしちゃっている。こんなことをやってそれだけ膨大なものをリサイクルするとどうなるかというと、簡単に言うとそんなものどこにも使い道ありません。何にして使おうが、今使っている量を、例えば肥料として飼料として使っている分がありますが、せいぜい2〜3倍にまで利用を伸ばせれば御の字です。ここに発生抑制がいかに大事か、廃棄物自体を減らすことがいかに大事かということがこのデータだけでもお分かりになると思います。

国がめざす循環型社会

強制循環・自然循環

循環という言葉には実は二通りありまして一つは、私がよく使う言葉なんですが、強制循環というものです。 強制循環と自然循環。自然循環というのはこういう現代文明が発達する以前から、地球上で自然に行われてきた循環です。例えば今でも生物系の廃棄物は主に自然循環で持って回っている。重金属とか化学物質が色んな形で全体をdisturbしているというのは事実ですが、一応循環している。
強制循環というのは、エネルギーをかけて無理矢理循環させる、ということですね。よく例に挙げられる問題として、例えば有機物。炭酸ガスと水があると炭水化物ができます。これが燃焼する。あるいは生体内酸化する。そうするともう一度CO2と水になってここでエネルギーを出します。炭水化物ができる場合には逆にエネルギーを加えないといけない。通常、光という形でエネルギーを加えなきゃいけない。こういう形で循環している。

それでこれをもう一度人為的にエネルギーを与えて炭水化物に戻してやりゃいいじゃないかということはバカらしいことで、どうしてバカらしいかというと、まさにエントロピーの法則です。ここで出てくるエネルギーよりもここで必要となるエネルギーの方が絶対大きいんです。これは絶対に例外がない、これがエントロピーの法則です。ですから、ここでエネルギーを余計に使わないといけない。元に戻す意味が全くない。エネルギーをさらに使うときに、より余計の炭酸ガスや水を排出しなくてはいけない。エネルギー資源というのは循環できない資源です。いま無理に循環させようというのはナンセンスな循環です。

では、全ての循環がいけないかというと、私そう思ってはいません。循環が認められる条件というのが私に言わせれば一つありまして、自己否定型のリサイクルです。自己否定型リサイクル、いずれ縮小していくことを前提としたリサイクル、これは過渡期ものとしてあっていいだろうと私は考えています。

循環型社会を維持するための仕掛け

国は今言ったような理に反した循環型社会というものを作ろうとしているのですが、まず、最終処分場・埋立地がなくなるということがゴミマフィアにとって一番怖いことなんです。何故埋立地が逼迫するかというと立地困難・つくる場所がない。それは不法投棄による環境汚染というのがあって、それで地域住民はゴミに対して不信を増大させ、だから建設反対に走るんだと。この建設反対に走ろうとする地域住民に対して、都道府県は指導要綱という形で規制をしまして、よくあるのは半径500m以内の地権者の3分の2以上。それから隣接地権者の全員。地元同意を取ってらっしゃい、そうしないと手続き進めてやんないよ、という形で指導要綱を作っているんですね。そういう余計な同意要綱なんて作るもんだから事業者は10年戦争なんてやってたらうちの会社潰れちゃうよ、ということでみんな尻込みする。そして余計に最終処分場の逼迫・立地困難という状況を引き起こす。だからこれをなんとかして解消しなくちゃというのが厚生省、今は環境省に引き継がれていますが、今でも彼らの意思なんですね。

そこでまず都道府県の地元同意要綱を撤廃させようと2回に渡って国は通達を出しました。それと実質的な地方分権あるいは地方自治の骨抜きですね。皆さんもご存じだと思いますが、2000年4月から地方分権一括法が施行されて、併せて537の法律が改正されたんですね。見かけ上、地方分権は強化されたと言われています。ただ多くの学者、地方自治関係の専門学者の間では、地方分権一括法で地方自治が強化されたと見る人はたぶん4割くらいです。強化されていないと見る人がやや多い、4割から5割。意思を鮮明にしていない人が約10%くらい。その中で地方分権を強化しながら、国はいくつか同時に逆に地方自治侵害の仕組みを作りました。これは地方行政にとって面白い話題なんですが、今日はお話しする時間がないので、項目だけお話ししておきます。

法令基準と広域行政。なるべく行政区画を大きくすれば国の指令が行き届く。それから機関委任事務を法定受託事務という形で変えて、別の形でより強い介入ができるような制度を作りました。機関委任事務がなくなったことで通達は禁止されたはずなのに、ちっともなくなっていません。どうしてそんな手品ができるかというと、通達はいけない国が介入しちゃいけない、という建前なんですが参考として意見を通知することは許されているということなんですね。ですから、場合によってはかつての通達よりも強い調子のものが続々と地方行政に介入する形で文書として送られています。

補助金、補助金行政。どんなものを造るときでも国が相当の補助金を出すわけですね。例えばゴミ処理施設ですと、例えば70%60%補助金が出ます。残りの部分は地方起債させるわけです。起債の返還分については地方交付税でもって面倒みますよと。とにかく大型炉・連続炉を導入させようということをやっているわけです。地方自治体は地方交付税で面倒みてもらう分まで含めると1割か2割しか負担しないから、この機会にと飛びつくことが多いのです。実は国が出している補助金というのは国民の税金です。ですから形を変えてやはり国民から取っているお金であることに間違いないわけです。しかも8割面倒みてもらってもやはり大変高いものなんです。

それから、ミニアセスメントという制度を1997年に法律改正で作りましてこれを作ったから住民同意要綱を撤廃しなさい、これは国が再三言ってきたことです。簡単に言うと、意見だけ出しなさい、と。別に意見を無視しようがなにしようが法律上なにも問題ありませんよ、事業者は答える必要もありませんよ、というのが新たに導入された制度で、住民意思を無視する手段です。

また国は1997年の5月にこういう通達を出しました。各地域はできるだけゴミを広域的に集めなさい、少なくとも日量100トン以上のゴミを集めなさい、日量100トンです。その炉については高温溶融・灰溶融という形で1200℃位での溶融炉をつけなさい、そうでないものについては原則として補助金を出しませんよ、と補助金による恫喝をやったわけです。100トン集めるのは容易じゃありません。特に過疎地ではほとんど無理で、長距離運ばないと集まりませんから、搬入する距離が従来の10倍以上、そうでなくても5、6倍に伸びた所がたくさんあります。ゴミをとにかく集めなきゃいけない、これは当然ゴミ減量に反することですね。

化学物質のリスク

ダイオキシン対策

ゴミは通常800℃で燃やしているのですが、高温溶融炉というのは1200℃前後です。皆さんもご存じだと思いますが、『ダイオキシン神話の終焉』という本が出てですね、ダイオキシンを減らすためにその高温溶融炉をつけさせたのはけしからん、ダイオキシン対策のために高温溶融炉をつけさせたのは住民が騒いだからだと言っていますが、これは実にナンセンスで何も実態を知らない言葉なんですね。

高温溶融というのはダイオキシン対策として全く不要な技術です。全然意味のない技術です。ゴミはですね、800%で燃やすのが一番良いんです。800℃が一番良い燃焼温度で、それ以上高くするとろくな事が起きない、というのが昔から技術データとして山ほどある訳です。それを1200℃にすると維持管理コストが上がる、炉の設計もうんとお金がかかります、それから旧来使える炉を全部新規に変えなきゃいけない。ダイオキシン対策として意味のないものをなんで国が進めたかというと、まさにプラントメーカーの利権のためなんです。他に全く理由はありません。ですからダイオキシン対策特別措置法が高価な炉を余儀なくさせたというのは大変な間違いで事実誤認も甚だしい話です。

ダイオキシンのことを簡単に申し上げます。まず燃焼の過程でダイオキシンができます。それから冷却しなくちゃいけない、瞬時冷却します。一挙に180℃くらいまで下げます。この下げる過程で実はダイオキシンができます。温度が高いところで出来るんではなくて低いところで出来るんです。大体200℃〜300℃、これが一番ダイオキシンの出来るところです。ですから燃焼過程での生成は実はあまり関係ない。むしろ燃焼過程で高い温度にすると重金属類とチッ素化合物関係の有害物質がはるかに大量に出るので、やはり高温にしちゃいけないんです、有害物質対策としては。それをわざわざダイオキシン対策と称して高温溶融炉をつけさせたというのは、まさにプラントメーカーに儲けさせる以外のことは全くない、と言っていいわけですね。それで、最後の排ガスで出るのは全体のダイオキシンの10%です。国が一生懸命対策をやっているのはこの10%だけで、残りの90%は実はやっていないんですね。ダイオキシン対策というのは全くの名目であって、これはやる気なし、まさに狙いは別にある、というのが実態です。

リスクアセスメント

ダイオキシン自体は大変猛毒であることは間違いありません。ただ今一番緊急に必要な有害物質対策というのはダイオキシンではありません。それは鉛とカドミウムです。鉛とカドミウムはですね、特に日本人の場合、あともう一息頑張ればほとんどの日本人が鉛・カドミウム疾患になるというそのギリギリの水準まで今レベルアップしています。年によって違いますが世界のカドミウムの生産量の50%前後は日本で消費されています。それから重金属以外でも、臭素化ダイオキシン、ヨウ素化ダイオキシン、最近の研究では、ゴミの焼却でできるものについてはこちらのものの方がおそらくダイオキシンの毒性よりも数十倍の毒性当量を持っていると言われています。ですからダイオキシンは氷山の一角であって、ゴミ焼却の危険というのは全く新たなレベルに合わせなきゃいけないということです。

しばしばリスクアセスメント、例えば洗剤でも他の添加剤でも、リスク評価ということが言われます。リスクアセスメントほど今の学問レベルで未解決の部分はないと言っていいでしょう。例えばTDI、生涯これだけの量(1日、体重1kg当たり)を摂取しても大丈夫な量というのがあります。NOAEL(有害影響が観察されなかった最高の暴露量)に動物と人間の差ということで安全係数として1/10をかける。それから同じ人間でも毒物に強い奴もいれば弱い奴もいる、その個体差による安全係数を1/10かけてNOAELを1/100にして、これを生涯摂取しても大丈夫な量として定めているわけです。これほどいい加減なものはないわけで、化学物質の個体の差というのは1000倍から10000倍ある例が続々と見つかっています。動物のレベルでも例えばラットとマウスだと100倍くらい違う。こういう風に全部違うものをどんぶり勘定でもって生涯取ってもいいという量を定めること自体乱暴な話ですが、それから発ガンリスクというのを全く評価していない。アメリカはこれを評価しているために日本TDIの約400分の1という厳しい値を定めているるのですが、日本は全く評価していない。
それともう一つ、最近の研究で分かってきたことですが、TDIというのは生涯取っても大丈夫な量だと定義されてきたんですが、そうではないということが分かってきました。例えば男性と女性が分化する性の分化の時ですね。人間の場合主なステップとして3つあるんですが、それぞれのステップでTDIに相当する量を取れば、例えばラットだと15日、15日目にちょうどそういう量を取るとそれだけで生殖異常が起こることが分かってきたんです。ですから生涯摂取量とは言えない。
それと、複合汚染が今のところ全く手つかずです。単品ごとに評価している。例えば100種類取っているんだけれどその一つ一つについてしか評価してない。最低限それらは加えられなきゃいけない。(相乗効果も考える必要)こういう複合汚染が全く手つかずの状況では、我々はたくさんの化学物質にさらされながら、その危険性は全く評価できない状況にあると言っても言い過ぎではありません。

そこで2つ考え方があるんです。良く分かんない、良く分かんないけど疑わしいものは規制しようという考え方が一つ。それから、良く分からないんだからちゃんと分かるまで使ったっていいじゃないかというのがもう一つです。私はどっちも取らない考え方ですが、少なくとも縮小できるものは減らすべき、減らせるものは減らせるように、という考え方です。今のヨーロッパの考え方は私が最後に申し上げた考え方で、そういう政策判断をしています。化学物質の管理というのは製造と輸入から進んで行くほど難しくなる。極端に言うとほとんど不可能になる。化学物質を本当に管理するんだったら製造・輸入段階で使わない、これが一番優れた方法だということになります。この点は誰にも異論はないと思います。

国は廃棄物焼却炉・処理施設が大変住民に嫌われるもんですから、なんとかして環境上問題ないよということを考えるためにシュミレーションしたりするんですが国のモデルがナンセンスなのは下が平面だと仮定しているんですね。だから現場では全く合わないんです。大体国のシュミレーションをちゃんと周りの地形と建物を全部入れて3次元流体モデルでやり直すと、1000倍くらいに濃度が変わるんです。国の環境影響評価というのはそういう姑息なところまで全部ごまかしをやっている、これが実態です。実はこういうことをいっぱいお話ししないと納得していただけないんですが、これはそのなかの実例の一つだと思って下さい。

(地域住民の住民紛争・実力行使・汚染などの写真何枚かについて説明)

ほんとうのゴミ政策へ

国あるいはそれと一緒になっているプラントメーカーとか製造メーカーというのは環境ビジネスということを盛んに言っています。つまり焼却炉にしてもゴミの処理にしても、たくさんのお金を吸い上げる装置がある。それを総合的に組み合わせることによって、環境ビジネスというものが長期に渡って成り立って、それが日本経済を支えるんだと考えているのです。でもそうはいきませんよ、ということを最後にお話しして終わりにしたいと思います。

実はゴミが減り始めているんです。現実に減り始めている。大都市圏ほどそれが著しいです。それで無理にゴミを増やそうじゃないかという計画を各地で作り始めています。君津地域四市というのがあります。君津、木更津、富津、袖ヶ浦ですね。これが一緒になりまして、新日鉄の子会社が52%の出資を持った第三セクターでもってこういう計画を立てています。平成17年、可燃物3万3千トン。平成31年、可燃物17万1千トン。要するに平成17年から31年の間に燃やすゴミを6倍に増やそうという大変壮大な計画を立てまして、それに合わせて焼却炉も造ろうじゃないかと。環境ビジネスというのはゴミが減っちゃ困るわけです。成り立たないんです。ですが、これは確実に破綻します。

まず一つの認識としてこれから日本経済は近代になって経験したことがない右下がり経済の時代を迎えます。それから、もう一つ確実な事実として少子化・高齢化・人口減少時代が来ている。こちらの方はどう見ても間違いないです。日本の場合、人口はあと二年くらいで完全にピークになってそれから急激に減っていって、80年もすると大体半分なんです。1000年もすると、日本人は絶滅危惧種になってレッドデータブックに載せて国際的な保護がかからなきゃいけない。新潟のトキみたいに世界中の人がテレビを見て「あぁ、日本人が産まれたぁ」と言って喜ぶ時代が来る。現実に日本の場合、1995年から生産年齢人口は相当の速度で減っているんです。それから老年人口は当分増えますが、これも2020年くらいでピークを迎えます。年少人口(14歳まで)は既に減り始めていまして、後期老年人口(75歳以上)に2020年に追い抜かれるという状況です。おそらくこれはもっと早まると思います。

『北欧の環境戦略と日本』という本を我々のグループで最近まとめました。二回にわたって北欧調査に行きまして、まさに彼らの考え方が日本と全く逆に行っているな、と思いました。最後にですね、ここをちょっとお話ししましょう。

ヨーロッパの考え方というのは持続可能ということをやはり徹底しています。徹底していますから、あらゆる生態系が生きるための環境というものをまず最上位に置きます。それを出発点にして全部の政策決定をやっていくということです。例えばエネルギーの需要見通し。日本の場合だと優先される命題はエネルギーの需給見通しです。2020年にはどれだけのエネルギーがなきゃいけないか、それを満たすためのエネルギー獲得計画を立てて、そこに原発も入れ火力も入れそれをどうやってどこに立地していこうか、こう考えるわけですね。北欧型の考え方とは全く逆です。結論としては1992年以降年率1%のエネルギー需要増加を満たすようにエネルギー計画を立てないといけない。ところが、これはスウェーデンの場合です。優先される命題は環境の持続可能性です。その範囲内でエネルギーを獲得・消費しようと。だから環境の持続可能性がないと認めればエネルギーの獲得・消費は逆に抑えていかなきゃいけない。そして結論としては1990年代の60〜80%需要をさらに下げる、それが長期的な目標として立てられるということです。つまりどっちに政策の最終的な基準を置くかということでこれほど政策内容が違ってきてしまう。

すでに0歳〜19歳の年齢というのは20年間に1千万人減っています。つまり日本の高齢化・人口減少というのが目に見える形ですごい勢いで進んでいる。その中で未だに環境ビジネスを考えて右上がり経済を前提にして施設計画を立てるというのはまさにナンセンスなんですね。これはものを造って捨てるフロー経済を前提とした場合、これはまさに止めようがない。循環型社会というのはそのための隠れ蓑だったという風に私は考えます。


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