第10回講義内容

6月30日

「環境経済学概論」

教 官: 植田 和弘
所 属: 京都大学 経済学部
配布物: なし

講義内容
<目次>

<講義内容>

1. 地球環境問題は経済学に何を提起したか

経済学:経済現象を原因として、生命・健康・暮らしが影響を受けることに対して処方箋を授ける、社会を治療する学問
→地球環境問題は、まさに経済学の範囲

さまざまな個別の問題
熱帯雨林の木材伐採:日本は直接的需要者、大国として2つの意味で責任がある。
化学物質(北極の熊からPCB検出):人間も食物連鎖の頂点。地球総汚染
全体として→「地球」というイメージを根本から変えなければならない。
人間の自然改造能力が飛躍的に上昇。
人間存在の基盤を覆す能力を人間が持った。
人間が豊かになるために作ったもの(原子力発電など)が損害を人間に与える。
→能力を<うまく>使う力がない。

80年代 ― 経済学的(GNP,GDP)には「最も豊か」
ところが、アフリカ中南米諸国の成長率はマイナス→絶対的貧困
富は作られたが、社会は不安定に:<社会>の持続可能性の危機
1987年「持続可能な発展」の提唱→どういうものか、具体化の方法は?

2. 環境と人間

人間にとっての環境
(1)(再生可能な)資源の供給機能:再生可能範囲を越える→自然破壊
(2)同化・吸収機能(循環):同化能力を(質・量ともに)越える→環境汚染
(3)アメニティ(あるべきところにあるべきものがある)供給機能:経済性の犠牲に

環境への配慮不足の理由
(1)価格がついていない
環境=“自由財”:ただで無限に手に入る→配分の問題がない→経済学の範囲外
BUT ― 本当は自由財ではない:過剰利用
(2)被害者が社会的・生物的弱者
最大の被害者=将来世代=不在
ゴミの埋め立て、放射性廃棄物=ずっと残る
→現在世代が将来世代へ配慮する必要→実際は近視眼的
意思決定に被害者が参加できない
(3)政策決定ができない
←不確実性(ex.温暖化の予測:最悪・最良のシナリオのギャップ)
←科学的知見の遅れ
(生産効率の研究―力を入れる→確か、保全の研究―おろそか→不確か)

3. 環境政策とグローバルエコノミー

環境政策の始まり(法+行政機構)
1969アメリカ「国家環境政策法」→政策として限界→環境問題深刻化
ストックホルム宣言(宣言だけ、先進国と途上国の視点の違いが明確化)
大気汚染(二酸化炭素問題)
台湾・高雄 ― 環境対策より先進国へ "catch up"
チェコ、ポーランド、ドイツ(黒い三角地帯) ― 汚染対策施設を近代化する必要性
費用の負担は? ― 国際的なルール or 当事者

国民経済(一国単位)とGlobal/transnational経済
デンマークの例
缶ジュース禁止 ― ヨーロッパ(統合市場)からの輸入禁止
→認められた「環境保護は自由貿易より優先する」
アメリカの例
キハダマグロ ― 漁でイルカも獲ってしまう ― ほ乳類保護法により輸入禁止
→認められない「産業政策に環境を利用してはいけない」
→国際的ルールの必要性

経済大国・日本の立場
(1)エビの大量輸入(世界の3-4割が東京に)
公害対策(マングローブ、地盤沈下) ― 価格を抑えるためにさぼっている
農業・漁業 ― 本来、自然となじむはずの産業→輸出が絡むと最も破壊的
(2)公害輸出
パソコン、電話、バッテリー、白金、鉛
鉛のリサイクル工場 ― 日本国内→台湾(規制)→インドネシア
「玉突き」現象(先進国→途上国、規制・厳しい→緩い)=地球規模では変化なし
(3)地域共通環境政策(欧・米) ― アジアにはない=日本の責任

4. 日本国内

(1)過疎と過密
過密 ― 過密による環境破壊
過疎 ― 地域経済、環境対策の担い手がいない「同時崩壊」
(2)私企業による環境破壊と公共事業による環境破壊

5. 環境保全型発展への途

日本の貢献 ― 金と技術
(1)地方の知恵(局所的公害) ― 「日本の環境対策は地方から始まった」
公害防止協定(横浜)=偉大な発明→全国へ
cf. 台湾 ― 市長は国から任命 ― 地方からの工夫が期待できない
(2)“環境神話”と“必要は発明の母”
「環境神話」 ― 環境対策規制は経済を停滞させる。
自動車排ガス規制→技術革新(低燃費、低公害)→輸出(規制が発明を産んだ)