事後勉強会
参考図書 「環境保全と経済の発展」(ダイヤモンド社)
文明論―歴史の中で、どう捉えるか、環境問題の本質
「強い歴史」……抽象化されたうねりの歴史
「弱い歴史」……誰それがいつ何々した(いわゆる歴史) こちらで捉えがち
こういう中で、環境問題を見ていく
(以下、レジュメに対応)
今、歴史的な転換点
したがって、目前のことに対応するにあたっても
歴史認識、文明観を持つ必要がある。
(1)「現代文明」を基本から考え直す必要
我々―いい生活
(2)何故か―いくつかの特徴
いい生活だが、しかし、環境問題
1. 環境問題=外的環境
2. 疫病(エイズ、エボラ熱、……)=内的環境
3. 精神の荒廃(カルト、……)
(3)根本は人間も生き物であり、自然の一部であること。我々がそのことを
忘れていることに問題。
人間は、人工物の中で生きていて、自然なものがあると恐れ、
排除しようとする → 文明の原動力
臓器移植、夫婦別姓 あまり賛成ではない
何年か余分に生きたところで、どれだけ意味があるのか?
生命に手をつけていいのか 一人の命は地球より重い?
これらは全て、弱い歴史の中でものを言っている人
(TVキャスター、経済学者などはその典型)
……歴史を考えずにものを言っている
自由、人権、命……個の問題 しかし、現在の社会ではそれが前提
種にとっての最大事項……種の保存なのでは?
臓器移植などは個人のわがまま―どこまで許していいか?
生き物ということを忘れた結果、自由、人権(いずれも人の考えた概念)
人の位置づけ
松井先生(地球物理学)
地球の歴史の中で、エポックメイキングなのは、
地球の生成、海の生成、陸の生成、生物の誕生、人類の誕生、
文明発祥、そして現代
地球の歴史(―いわば最強の歴史)でも、我々は一つの節目にいる
人間の生活→経済発展→地球が危うくなっている
人間権(にんげんけん)が、安定的にいられるかどうかの瀬戸際
伊藤先生
文明史の中で、やはり現代はエポックメイキング
環境革命
文明史、地球史で考えても非常に重要な時代
戦後50年(弱い歴史の尺度)などというのとは訳が違う
(4)以上の問題意識を持って次の文明の姿を考える必要がある。
それには、歴史観を持って考えること(人類の歴史、究極的には地球の
歴史から学ぶという姿勢)が不可欠。
(1)地球システム
●「人間中心」で経済成長をすすめてきた結果、自らによってたつ基盤が
危うくなっている。具体的には、
●人口爆発と大量生産、大量消費、大量廃棄の結果、地球規模での環境、
エネルギー、食糧問題が顕在化
余談だが、
人口 20世紀に入ってから30年ごとに倍増
(起こる訳ないが)あと2,000年で、人間の重さ=地球の重さ
石油 富士山を枡にして量ると、1杯未満(2/3杯)
エネルギーの少なさが分かる
(米国では、自国の石油は原料用に温存している)
●産業革命以降はいわば "pax economica" の時代
これが欧→米→日、さらに現在アジアで急激に進行中
地球システムの限界は予想以上に早いのではないか。
pax economicaの時代が終わりつつある……
人間の歴史の中で、産業革命以降300年間は、バブルの時期なのでは?
(図の斜線部、発散型は安定しないはず……バブルと同じ)
我々はピークの前にいる
この後、カタストロフがやってくるのでは
この前にどうするのか、後始末をどうするのか
(2)社会システム
●近代化、合理化、発展、自由、平等、人権……などの概念を前提とする
システム(欧米流、特にアメリカ主導式の資本主義(経済)、民主主義
(政治))が本当に普遍性をもつのか。
上記の概念は、マスコミで氾濫している しかし本当に正しいのか
アメリカで主に発達した経済・政治理論に
世界が合わせることが本当にいいのか
●本来、どのようなシステムも多様性が安定、活力、持続のカギ
(種の多様性、多様な文化)
世の中が1つのシステムになったら、安定的ではない
生物の多様性維持(トキやイルカの保護ではない)は重要
石垣の中で、小さな石を取り除いていくと、大きな石も崩れる
多様であること自体に意味がある
それと同じことが、社会システムについても言えるのでは?
7年前の天安門事件
擁護するつもりはないが、
1匹の迷える羊を大事にするあまり、100匹の羊を迷わせてはいけない
同じことが、12億人の中国でも必要だったのかも知れない
人権、民主主義を絶対正しいルールとして押しつけてよいのか
シンガポールの鞭打ち事件もおかしな話
こういった社会システムも、多様である方がよい
日本の経済学者は、
渡米して、そのまま向こうのシステムを持ち込もうとしている
●グローバライゼイションの結果、世界が均質、単純なシステムになるのは
脆弱性をもたらすのではないか。
現在、生活は均質化しつつある
ある程度の流れの中では、ライフスタイルも均質化せざるを得ない
しかし、個性を持つ必要(社会ごとに)
●社会システムがある程度均質なものに収斂するにしても、対立概念
(自由−責任・義務、人権−秩序、……)とセットにしバランスをとる
必要がある。
●日本では、この「セット」が忘れられている。
(3)精神―目的、満足感の喪失
●pax economicaの下でモノは豊富、一方で満足感がない。
満足する感覚がなければ、満足感はない
モノが豊富ならば、解消というものではない
満足するという気持ちが重要
●経済と並行して欲望も自己増殖
●本来「満足感」とは、自分で思いきわめるものであり、何かがあれば
得られる、というものではない。
●宗教、哲学、庶民の遊び(文化)といったものは、自ら「足るを知る」
ために人間が蓄積してきた知恵(あるもので如何に満足するか)
●その結果、目的意識(何がしたいか、何を目指すか)がなくなって
いるのが現状。
(万事、量的に把握(シェア、偏差値などは典型)することが習いと
なり、より多く、大きく、高く、ということのみが目標となってきた。
同時に、それを達成できない場合の嫉妬、不満、不安が社会の中に
鬱憤している)
SNAによるGNP計算では
古い丸ビルを壊して新しい高層ビルを建てた方がストックが増える
しかし、丸ビルの方が、豊かさを感じる(ストックとは逆になっている)
モノは、あったらあったで、また欲しくなる
満足感を知る必要があるのでは
その手段として、宗教、哲学、庶民の遊び(文化)、……
(地球という物理的な制約の中でsustainableなシステムをつくり、個々の
人が一定の満足感を得られる世界を目指すには何が必要か。
以下、いくつか例示)
(1)経済―"pax economica"からの脱却
次の文明は、pax ecologicaなのではないか
1. 国際的なGNP縮減協定あるいはエネルギー縮減協定の締結
(例えば一人当たりGNPのレベル毎に、国別の成長率を設定)
軍縮条約と同じような協定
例えば、1人あたり20,000ドル → マイナス2%成長
10,000ドル → ゼロ成長
それ以下 → 2%成長
というように
言葉で言うのは簡単だが、実行は難しい
しかし、カタストロフが起これば、人間の考え方が変わってくる
あと10年くらいでやってくるのでは?
2. GNPに代わる指標の実用化
(既存のアイデアとしては、NNW、グリーンGNP、GPI等)
3. 環境保全費用を市場メカニズムに組み込むこと
―環境税の体系の導入等
4. 徹底したリサイクルとゼロ・エミッション
5. モノの取引から知恵、時間、技術(職人)、健康、教育(教養)などの
取引へ
この5. が重要
大量生産−大量消費−大量廃棄から脱却
cf. 江戸時代……現在の物差しではゼロ成長
こういう時代は必ずやってくる
5、10、30年後、いつになるか分からないが
6. 第一次産業の復活
都市と農山村のバランス
7. グローバル経済→リージョナル経済へのシフト
国際的な貿易を制限して(貿易が高くつくようにする)、
まず各国が自国の資源を活用するような経済の確立
モノの移動を伴わない交流(情報、知的財産)は規制する必要がないが、
モノに関しては閉鎖的なシステム
教養がないから、強い歴史が見えない
→典型が経済評論家、バブルの時も先を見通し損なった → ダメ
よその人がやっている 自分もやらないと遅れる
そういう理論に立脚すると、グローバライゼーション、規制緩和
しかし、それではダメだ
8. 多様な経済システムの併存
市場メカニズム万能の普遍的な経済システムではなく、雇用、企業形態、
商慣行などに関して各国の違いを生かしつつ、一定の国際的な共通の
ルールを設定
(2)政治
1. Nation Stateの見直し
生態、民族、宗教など「強い歴史」的要素の視点から
2. 多様な政治システムの併存
自由と規律、個人と全体、平等と違いの許容等に関する各国毎の比重の
違いを重視
(3)教育、社会規範の確立
教育が非常に重要
教育の優先順位は、1. 2. 3. 4. の順(1. が一番重要)
1. 人間の生き物としての強靱さ(生命力)の回復
2. 社会的動物としてのルールの確立
自由と規律、責任
足るを知る
自然と人間の共生
3. 個性の尊重
多様な価値観、違いの許容
4. 教養(世界観、歴史観の涵養)
教育の重視、古典の重視
古典は、
知識を得るものではなく、知恵を学ぶもの(長く生き残ってきた)
我が身をもって体験している
古典を読むこと→人格に作用(議論は、全人格的な勝負)
日本では、本当のエリートが絶滅している(マスコミは、その対極の人)
日本では、単に偏差値の高い人を、エリートと呼んでいる
その意味では、環境問題は致命的な問題
次の文明のあるべき形は、