第8回講義内容

6月21日

「環境社会科学の基礎」

教 官: 丸山 真人
所 属: 東京大学大学院 総合文化研究科国際社会科学専攻
配布物: レジュメ(B5 - 4ページ)

講義内容

<目次>

<講義内容>

1. 市場経済分析と制度社会分析

1.1 コモンズの悲劇

管理者がはっきりしていないと、資源が枯渇するまで、とり続けてしまう
(例えば、公海や共有の牧草地など)
共有地には2種類
不特定多数の人が使える共有地
ハーディンの「コモンズの悲劇」は、この共有地について
使用できる人が限られている共有地(入会地)
直接、コモンズの悲劇は当てはまらない
入会地、入浜権、村八分
何故、後者の共有地については、持続可能なルールができるのか
繰り返しゲームの応用(経済学者はゲーム理論で説明しようとした)
牧草地を10人で共有しているとして、皆、羊の所有数は同じ
ある1人が1頭増やす
(1頭あたりの取り分は減るが、その人にとっては合計として得)
他の人も損しないように増やす
こうすると、1頭あたりの取り分は激減し、皆の首を絞めることに
1頭あたりの取り分が減ったため、必然的に羊の数は減る
こういうことを歴史的に繰り返すうちに、ルールが根付いていく
(景気循環のような感じ)
これは、環境問題にも応用可能かも
ただし、実際に当てはまるかどうかは、条件の違いから割り引いて考える必要

1.2 外部不経済の内部化

外部不経済の内部化とは
もともと値段の付いていない資源(空気など)についてどう考えるかという議論
内部経済………自分で投資 → 自分に見返り(利益)
外部経済………自分の周りの環境の変化 → 自分に見返り(利益)
内部不経済……自分でやったこと → 自分に不利益(損失)
外部不経済……自分でやったこと → 自分の周りの環境が不利益(損失)
これらの概念は、A.マーシャルやA.ピグー(→厚生経済学)が考えた

私的限界純生産物
 ……主体の追加的な投資によって、直接主体に帰属する効用の価値部分
社会的限界純生産物
 ……主体の追加的な投資によって、社会全体に帰属する効用の価値部分
私的限界純生産物 < 社会的限界純生産物 → 外部経済の発生
私的限界純生産物 > 社会的限界純生産物 → 外部不経済の発生
この議論をするためには、社会的限界純生産物を数値化する必要がある
数値化に関しては、政府の判断(=住民の総意)が大いに関連してくる
 反論:1人1人の効用の考え方が違うから、全体として見て意味があるのか
    むしろ、1人1人の効用の正負を調べることが必要では
 例えば、閑静な住宅地の中にパチンコ店ができたとする
 そのため、地域住民の1人1人の効用は、ほとんど負になる
 しかし、地域社会全体で見ると違うかも知れない(むしろ正かも)
 もし出店を防げなかったとして、被害を穴埋めするには、
 どれたけの補償(金)が必要か?(この額が環境価値)
 (上は社会的限界純生産物の算出方法は一例 他にもいろいろある)

1.3 社会的費用の経済学

社会的費用について
住民の効用をどう算出するか
指標として、
公共財政および国家予算の既存の支出パターン(A.カップ)
 政府の方針が決まっていく過程に関係してくる草の根ネットワークや
 直接民主主義は、住民の効用と大きく関連しているといえる
世論投票や標本調査による民意の調査
例えば公害に対してどういう対策をとるか ― 人々の効用の表れ

2 環境の価値

2.1 地代論の環境問題への応用

環境そのものの価値をどう計算するのか
地代論の応用
土地の値段とはどう決まるか?
地主は、土地を人に貸す → 地代から土地の価値が出てくる
土地からの収入=地代を基準として、その時の利子率の逆数をかける
地主にとって、土地は利子を産む資産と置き換え可能
土地を維持管理する費用に関連
コモンズや景観の貨幣的価値として、維持管理する費用×利子率の逆数が関連
環境税を考えるとき、環境価値は維持管理するコストから算出
税金をかけるには、一般化(価格を付けること)が必要
(カップの理論+ピグーの理論→ピグー的租税)

2.2 経済系と生命系

人間の経済には、2つの側面を含んでいる
 形式的な側面……………金儲けと節約の部分
 実体=実在的な側面……基本的な衣食住
レジュメのP19図3参照
 有機的過程……農業
 無機的過程……工業
この2つを分けて考える必要
果たして、生産過程で出た廃棄物は、分解されるのだろうか?
プラスチックなどは、「分解者」(微生物)に渡らない
どうやって廃棄するのか
形式的な経済で見ると、実在的な経済とは違う
 たとえば、アイヌと森の関係
 アイヌは、採った木の実をわざわざこぼしながら、家に持って帰る
 (こぼした木の実→いずれ新しい木→木の実→彼らの子孫の糧)
  →実在的な経済では利益
 一方、商人が来て、残らず採ったとする
 取り尽くしても、また他の場所に移るから、彼らは困らない
  →形式的な経済では利益
以上の話は、資本主義に限った話ではない
むしろ、社会主義国のほうが、工業を優先したため、形式的な経済の面が強い

2.3 エントロピーの法則

エントロピーの説明
(杉本大一郎氏「エントロピー入門」(中公新書)P34参照)
閉鎖系が、部分系1(温度T1)と部分系2(温度T2)に分かれている
部分系1から、部分系2へ、熱dQ移動( T1 > T2 )
T1 > T2
dQ/T1 < dQ/T2
(微小量なので、T1、T2はそのままとする)
発生したエントロピーは、
dS = dQ/T1 - dQ/T2 > 0
この閉鎖系は、温度差によって非平衡状態を保っていると言える
(平衡状態になったら、部分系1と部分系2が合併してしまう)

地球についても、以上のエントロピーの考え方が同じように当てはまる
地球という開放系
日射 → (地球) → 放射
地球内部が、いくつもの部分系に分かれている
これは、水の循環で支えられている
(もし、水がなかったら、火星のように、一様な状態になる)
環境破壊は、平衡状態にしてしまうように、システムを壊しているのでは
(レジュメ P149図3、P19図3参照)
以上から、砂漠化はエントロピー論からも意味づけることができる
環境問題は、部分系を隔てている区切りを取っているということ

よって
社会的費用の実体的価値=エントロピー処理能力
と考えることができる
(エントロピー論で何でも解決できるとは思っていない)

3. 持続可能な社会経済システム

(既に時間を超過していたため、この章に関しては軽く触れた程度でした)
(詳細は、事後勉強会をどうぞ)

3.1 市場と企業

今までは企業=悪者
しかし、今は企業も環境問題に取り組むようになってきている
企業が積極的に取り組むようになるためには、
マーケット自体を中から作り替える必要がある
(生協運動や産直運動、リサイクル産業など)

3.2 生活者の視点

企業の問題もあるといっても、環境問題の中心となるのは地域の中で生活していく生活者
具体的な生活者として、自分自身をどこまで認識できるか

4. 質疑応答

<事後勉強会>

質疑応答

3. 持続可能な社会経済システム

3.1 市場と企業

既に、この事後勉強会の中で話した

3.2 生活者の視点

今日の講義は、ほとんど地域レベルでやった
一方、今話題になっているのは、地球環境問題で、国際協力、CO2排出規制、排出権取引市場といった話
排出権の考え方は、
まず途上国に排出権をたくさん与える
総量規制に伴い、やがて、先進国が買い取るようになる
そうすると、途上国も排出を減らすために、売った金で抑制技術を導入する
といったものである
これは、技術移転の促進になる
もし、チャリティーでやったら(いわゆる普通の援助)、市場原理が作動しないだろう
それが悪いとは思わないが、そういうやり方で解決できない部分もあるというのが、僕の考え
生活者が生活の中で環境を考える
そういって、住民が声を上げていくときの理論が、ピグーやカップの理論やエントロピーの概念である
身の回りの環境問題を捉える上で、しかし、単に身の回りだけでは地球環境につながらない
産業連関表で見ると、どこが発生源だか分かってくる
それが見えるレベルは、生活者のレベルである
ここからのアプローチができるのではと、現在考えているところ