環境の世紀座談会

テーマ講義の現在・過去・未来

「テーマ講義〜環境の世紀(以下「環境の世紀」)」とは、東京大学で一・二年生向けに開講されている正規の講義だ。環境三四郎は、講義担当教官のご好意の元、1994年10月に始まった「環境の世紀I」以来、教官の選定から、講義の運営に至るまでを手伝わせてもらっており、2002年には「環境の世紀IX」を迎えることになった。今や、環境三四郎の中で最も長寿のプロジェクトの一つとなっている。(詳細については活動紹介参照)。
 今日は、歴代「環境の世紀」に携わってきた人達に、講義に関するさまざまなことを思う存分語ってもらった。時代の中で「環境の世紀」がどう変遷していったのかを感じてもらえれば幸いである。【記事:浦久保雄平】

 参加者
 井原智彦(2期・環境の世紀III・1996年)
 大竹史明(4期・環境の世紀IV・1997年)
*向江拓郎(7期・環境の世紀VII・2000年)
*田中敦子(8期・環境の世紀VIII・2001年)
*松本暁義(9期・環境の世紀IX・2002年)
(*は当時または現在の責任者)
  司会
 浦久保雄平(7期・環境の世紀VII)

年によって変わる個性

―――まずは、自己紹介代わりに、自分の年の講義のコンセプトや目玉講義、印象に残った講義などをお願いします。

松本松本「今年のコンセプトは、受講生に講義を受けて何かを持って帰って欲しいということです。環境問題というのはそんなに簡単ではないということを知ってほしい、そして、そこからどうやって解決に動き出していけばいいのかを受講生に考えてほしいというのが全員共通して持っている思いです。それをどう伝えるかを議論したところ、トレードオフという概念が出てきました。どれかを取って単純にどれかを切り捨てればいいという風に物事は進んでいかないんだというところを、具体的な事例に即して授業していただいて、そこを受講生に感じとって欲しい。その後で、実際にそのすれ違いとか衝突を乗り越えて、社会的な解決に動き出していくためにはどうすればいいのかを考えていけるようなレポート課題を考えたり、今回ゼミ(全学自由ゼミナール)として行うことになった事後企画などを活かしながらやっていきたいと思います。目玉講義は、ネームバリューで言えば、石弘之先生(東大・新領域創成科学)が来て下さるのがいいですね。内容的にはどの先生も目玉になり得ると思っています」

田中田中「私の時のコンセプトは、環境問題の入門ということで、元々原点にある、環境問題というものを幅広く、最低限に全部まとまった形になりました。その時の目玉講義は宇井純先生(沖縄大)と原田正純先生(熊本医大)という水俣病に深く関わっていた二大先生の講義で、とても反響が大きかったと思います。印象に残っているのは佐藤仁先生(東大・新領域創成科学)の授業です。テーマ講義全体で見ても、環境問題の捉え方のレベルが違うところにあって、一回聞くだけでは先生が本当に意図していることは分かりにくいんですけど、事後企画などで色々と聞いていると、すごく面白い講義をされているんだなということが後々になって分かってきました」

向江向江「環境の世紀VIIですが、コンセプトとして、まず環境の世紀VIでの反省として、講義間同士のつながりが見えにくいということがあったので、一環したテーマを持たせようということを話しまして、副題に「持続的社会の構築に向けて」とつけました。具体的には、持続的社会とはどういうものかというのを、「人間圏と自然圏」「物質の循環」「エネルギー」「南北問題」「地方分権」の5つの視点から見て、それぞれの視点の先生を呼んで話しをしていただくといったものでした。副題に即してお呼びしたので目玉講義というのは特にないんですが、初めての先生で、倉阪秀史先生(千葉大・法経学部)と佐藤仁先生が、二人ともお若くて印象的でした。個人的に印象に残っているのは、僕が担当した鬼頭秀一先生(東京農工大)とか佐藤仁先生で、内容が新鮮だった覚えがあります」

大竹大竹「僕の時のコンセプトなんだけど、前年の講義がばらばらに聞こえて、もうちょっと分かりやすく流れをつけたいというのがありましたね。そこで、講義を大きく4つに分けて、まず環境問題について概観できる方を呼んで全体をつかんで、次に実際どういう環境問題が起きているのかということを、生態学とか農学系の先生に話してもらった。その後、環境倫理学とか歴史的に見たときの環境問題の点から2人来てもらって、最後に、環境問題をどう解決していけばいいかというのを工学系の先生に聞いて、最終回でまとめるという流れを考えました。あと、事後企画をただの質問会に終わらせたくなくて、事前勉強会をしていました。目玉講義は石弘之先生で、昔から環境問題に関わっていて、全体的なことが見えている人だから面白かった。後は、授業の枠をいただいて、三四郎のペットボトルリサイクルの調査を発表したんですけど、ちょうどこの年の4月に容器包装リサイクル法が始まってタイムリーだった。最終回ディスカッションでは、この年の12月にCOP3京都会議があったのにちなんで、温暖化問題を取り上げて各分野からNGOの方も含めて3人くらい呼んだのも面白かったと思います。印象に残った講義は個人的には樋口広芳先生(東大・生態学)で、何が起こっているのか事実を明らかにすることで政策に生かすことができるんだということで、僕を含めて進路を考えるときに影響を受けたかな」

井原井原「僕の時はコンセプトは特にないです。流れを作ろうという話しはあって、始めに原因背景、最後に解決策の先生を呼ぼうということで、だいたいその通りに並んでいます。目玉講義は大蔵省の加藤秀樹さんじゃないかな。あと、菊池商店(注・菊池商店は東大構内の廃棄物収集を行っていた会社)の菊池隆重さん。僕らの時は、まだ外部の人を呼んだことがなくて、例えば環境の世紀Iは東大の人しか呼んでないし、環境の世紀IIだと、立教大と京都大の先生を呼んでるけど、基本的には大学の先生。環境の世紀IIIで始めて大学の先生以外の人にお願いしました。個人的に印象に残っているのは、松本聰先生(東大土壌学、現在は退官なさっています)。僕が関わっていた時は松本先生がすごい人だって知らなくて、今まで農学部だと必ず森林の先生を呼んでいたので、土壌の先生を呼びたいということで、松本先生を呼ぶことになって、面白い講義でした」

講義間の関連を作る 〜分野横断的とは〜

田中「大竹さんの時と今年の状況が似てる気がして。前年の講義がばらばらに聞こえて、結局何が言いたいのか分からなかったから流れを持ってこようとか、事後企画が質問だけで面白くないからもっと盛り上げようっていうので、ゼミにしようとか」

大竹「そういえば、僕の時に前年は流れがなかったから流れを作ろうって言ったけど、前年の井原さんの時も流れを作っていたんですね」

井原「流れを作るのは、僕の年も、僕の前の年もあったんじゃいかな。並び方を見ると何となく、原因・背景、技術、解決策という並びになっていて」

大竹「順番が多少先生の都合によって変わったり、一言に原因背景と言っても分野が違うから、それを受講しただけでは流れがつかめるわけではないんですね。流れを作るなら講義の初回にはっきり示すとかしないとだめですね」

浦久保―――どういう風に流れをつけるのが理想なのでしょう。

大竹「つける必要あるのっていう気もする。面白い分野を取ってきたらそれでいい気もするね」

田中「講義なさる先生の内容をしっかり事前勉強していないと、流れを作っても一個一個であまり関係がないとか、副題が無理矢理つけてあるように感じるのかもしれません」

学生が講義に関わる意味

―――責任教官は、高野穆一郎先生(東大・総合文化研究科広域システム)、石弘之先生、丸山真人先生(東大・総合文化研究科国際社会科学)と代わって来たのですが、それぞれで三四郎の立場も違ってきてますね。特に丸山先生に代わってからは三四郎が表に出る場が増えたように思うのですが。

井原「環境の世紀IIIまでは高野先生が責任教官で、今とは違って環境三四郎が絶対表にでないようにということでやってました。授業というのは教官が作るものであって学生だとまずいという印象があったから」

向江「「環境の世紀VII」ではむしろ丸山先生に進められて発表の機会をたくさんもらいました。同じ学生が前に出て発表してると、受講生も刺激を受けるだろうと」

井原「今はそっちの方が僕はいいと思う。僕らの時は環境の授業がそんなに多くなかったから、先生の授業がすごく意味あったんだけど、今は単に普通の授業やるだけだと、他の授業と同じだし、学生が前に出てやるというのはあまりないから」

―――環境系の他の授業との違いはどこにあると思いますか?

大竹「今は環境の授業が多いということだけど、僕らの時は、工学系とか農学系の範囲で環境問題を扱った授業はあったけど、分野横断的なのは珍しかった」

松本「今も分野横断的なのはそんなにないですけどね」

―――ということは「環境の世紀」は分野横断的な授業っていうところに意義があるのですね。

大竹「後は学生の視点で、この先生に来てもらうと面白いんじゃないかって決められるのは、先生が決めるのとは意味が違うと思う。学生の発表とかもあるし、事後企画とかで学生同士のつながりもできるしね。同じ分野横断的にしても、先生からの一方的なのと、学生からの発信もあるのとは全然違うんじゃないかな」

松本「僕もそう思います。学生が運営に関わっているという所から、受講生に近い立場にあるし、考える思考パターンもだいたい同じですよね。近い位置にいるから、考えをくみ取って教官に伝えたり、また教官の言いたいことを伝えたり、受講生とのパイプ役もやりやすいと思うんですね。あと、事後企画の役割も今後大きくなっていくんじゃないかと思うんです。話を聞くだけじゃなくて、意見を言って、相互に作用ができるというのが他の講義にはないところなので、生かしていったらいいんじゃないかと思います」

井原「でもあんまり人数が多いと、質問会になってしまって、少なくしようとすると三四郎の人が参加できなくなる」

松本「そこが悩みの種ですね。今回の事後企画はゼミにするんですが、人数が多いと、小人数に分けるグループディスカッションという形を取ろうかと話しています」

「環境の世紀」の将来像

―――今後こうなったらいいなっていうのはありますか?

井原「将来山下さん(0期・東大・新領域創成科学)とか出できたらいいな。三四郎みんな違う分野へ進むから、他の三四郎の人も呼んで。それでもだいぶ先の話だけどね。」

松本「一般市民が聞きに来るとかどうでしょう。宇井先生の自主講座(注・宇井純先生が助手の時に開講していた一般の人向けの環境問題講座)じゃないですけど。他大の人が今でも少しは来てますが、もっともっといい講義を作って、参加者の幅が広がっていけばいいですね」

井原「一般市民は大袈裟にしても、テーマ講義の役割の一つとして啓蒙活動みたいなのがあるから」

田中「せっかくの外部枠だから教授だけじゃなくて、NGOの人とかを呼ぶといいです。実際に運動している人ってすごいパワーがあって、自分の主張だけ言うかもしれないけど、本当にすごい熱があるから、聞いてる方もおーっていう感じになる」

松本「1月にギャザリング(注・エコリーグという団体が主催して環境団体などが集まるイベント)に行ったら、千葉大の人で、三四郎のホームページを隅々まで読んでいる人がいて、宇井先生の講義に来てくれてたみたいでびっくりしました」

「環境の世紀」の意義

―――「環境の世紀」の意義って何だと考えますか?

大竹「三四郎以外の学生に何か発信するとしたら、テーマ講義が人数的には最大だよね。三四郎の工夫次第で他の授業より深いことができると思うし、それから、駒場の2年間でやる意味はこれからの活動の知識的な一番の基盤となると思う」

井原「内部的には先生とつながりもできるし、普通に本を読んで得られないもの、知識というより、考え方が得られるし、あと外部的に三四郎はエコ偏重って思われているらしく、僕も1年のころにそう思っていて、そういうのを感じさせないからいいかなと思います」

向江「個人的にも、活動しようと思って三四郎に入ったんじゃなくて、環境問題を何も知らないから勉強しようと思って入って、テーマ講義を受講してたんですが、運営に関わるようになって、自分も勉強できたのが良かったです。先生とのつながりという点でも、いろいろプロジェクトをやっていく際に、例えばLCAの専門家を呼ばなければならなくなった時に、つながりがあったら役に立つと思うし。あと、継続しないとできないこともある気がする」

田中「飯田君(8期・理科2類2年)が主張していたのは、三四郎が教えるんじゃなくて、一緒に知っていきたいというふうに言っていました。それに関連して、環境問題ってさっき井原さんがおっしゃっていたようにエコっていう感じがして敬遠する人もいるということでしたが、「環境の世紀」の講義という形だと、何の偏見もなく興味を持ってもらえるし、一緒に環境問題を知って行く場になりますよね。だから仲間を増やしていきたい、多くの人と環境問題を考えていきたいという考えでやってきた様に思います。学生が環境問題に関わっているというと両極端な気がしませんか?ゴミ拾いとか、リサイクルしてんだ、っていうイメージと、もう一つは哲学的な感じで、「環境問題とは何か」を追究してる感じで、結構そういう偏見を持たれている感じがして、それをちょうどいい感じで中和されるのが「環境の世紀」だと思います」

松本「先輩方との共通の話題として「環境の世紀」があって、すごく話しやすいし、色んな意見を聞けるということもありますよね」

―――テーマ講義って三四郎の中では外部に一番知られている活動ですよね。だから、継続することで、外部とのつながりも、内部でのつながりも増えていくんじゃないかと思いました。

全員「そうですね!」

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