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食糧増産と環境保全 地球社会のトレードオフ



6月07日 生源寺眞一


1 はじめに

今日の講義の流れとしては、初めに世界レベルの話、その後よりローカルな先進国の農業と環境の関係について展開し、最後にトレードオフという観点から経済学的概念に少し触れたいと思います。

生源寺眞一

1)レスター・ブラウン『飢餓の世紀』

最初に世界のお話です。この『飢餓の世紀』はレスター・ブラウンが94年に書いた本です。94年は不作で米が記録破りの高値になった年でした。 翻訳本がでたのは95年です。原題は『Full House』。地球を家に見立て、人口増加により地球という家が満員(Full House)になって、満杯ですめなくなると述べています。 その本によると、2030年までに地球上に必要な穀物は25億トンです。対する穀物生産量は、現在の水準からあまり変わらないという予測で、20億トン。5億トン、つまり全体の2割がたりなくなると指摘しています。 5億トンという数字がどんなものか、よくわからないと思いますが、現在日本人が食べる量は1千万トン弱です。いかに悲観的な予測かわかるでしょう。 レスター・ブラウンは実は、悲観論者の代表です。 ちなみに穀物生産が停滞するという予測の根拠として、
・ 農地の縮小
・ 収量の伸びの鈍化
を挙げ、その例として日本を引き合いに出しています。そのため日本でも注目されました。
一方、世界中には楽観的な意見もたくさんあります。 「悲観論はためにする議論では?」という主張さえあります。最初にそのあたりをお話ししたいと思います。

穀物輸出国としての先進国、輸入国としての途上国

そこへ行く前に、一つだけ。悲観論、楽観論以前に、 世界の話をまとめてお話しするのは、問題があります。 表1を見てください。地域別の穀物輸出(入)量の差し引きの推移を表しています。 +は輸出、つまり「余剰がある」ということです。 −(▲)は輸入、つまり「不足の地域」であるということを示します。 余剰を出しているのは北米、オセアニア、EU。いずれも先進国ばかりです。 途上国、たとえばアジア・アフリカをみるとマイナス(▲)であります。 日本は特殊で、先進国であり、かつアジアにあります。途上国は不足の国と認識しておいてください。 私たちは「先進国は工業国で、途上国は農業国だ」というイメージをもっているのですが、輸出入に関しては、そのイメージと反対ですね。 なぜそのような状況にあるのでしょうか?理由は一言で言うと、 『先進国の農業は保護されている。途上国の農業は課税、搾取されている』 という背景があるからです。

2 世界の食糧需給

1)代表的な需給予測モデルの結果:楽観論と悲観論

楽観論・悲観論の話に戻りましょう。 表2は世界穀物価格の予測です。 こういう予測をしています。 基準年を100として、目標年(予測)の価格が上がっているか下がっているかを予測しています。価格が下がるとゆとりができるということになるので、価格が下がっている予測は楽観論といえます。 この種の予測はかなりの数の連立方程式を解いてでてくる、つまり膨大な作業の結果産み出されているのです。 今回の講義では時間の制約上、深くは立ち寄れませんので、要は、簡単にどういうことかということをお話したいと思います。

2)需給予測モデルの基本構造

右の図はよくある需要供給曲線です。 このグラフにおいてP*が基準年の穀物価格で、Q*はそのときの生産量です。この穀物価格の点は需要と供給が一致する点です。 つまり目標年の穀物価格(P**)は、 目標年までの需要曲線Sと供給曲線D、 それぞれのシフトの度合い(*→**)を計測すること で予測することができます。

需要供給曲線1

ただしこの図では需要と供給を決める要素を 価格のみに限定していますが、 実際にはそれ以外にもいろんなファクターが入ってきているのです。 例えば、具体的に言うと、 供給を決めるファクターとしては、農地面積テクノロジーなどが、 需要を決めるファクターとしては、人口増加所得水準などがあります。 農地面積が拡大したり、テクノロジーが進展したりすると、 同じ価格であっても、以前に比べ供給できる量が増えることが 予測のうちに入っているわけです。 同様に需要に関しても同じ価格であっても、例えば人口が倍であれば、需要曲線も右にシフトするだろうと予測されているわけです。 このように予測というのは、供給・需要の両側がどのように推移するのかと考え、 基準価格よりもあがっているかさがっているかを出しているわけです。 IFPRI,USDA,FAPRIが価格の低下を予測しているということは、 供給の需要以上の伸びを予測しているわけです。 以上、予測の本質的な仕組みについてお話しました。 次に、それぞれの仕組みについて多少のコメントをしようと思います。

3)食料需給を規定する需要側の要因:人口増加率と経済成長率

人口と所得が需要に与える影響について説明します。
1. 人口 6つとも同じ前提(国連データ)に立っています。 楽観論と悲観論を分かつ要因になるとの議論はありません。 100億と見込んでいた世界人口ですが、50億くらいをピークに下降するのではないかとの見方が出てきました。2050年90億トンでピーク。その後漸減の蓋然性が高い。 以前に比べれば、少し緊迫度が弱まったかな、というところです。
2. 所得 経済成長率を考えます。楽観論と悲観論では、これもそれほど変わりありません。しかし需要を決めるファクターとしては強い影響力をもっています。 世界の中には私たちのように非常に裕福で豊かな食生活を送っている国ばかりではありません。飢餓に瀕している人々が8億人います。食生活は雲泥の差です。 さて、所得と穀物需要の関係ですが、一般に所得が上がると、穀物の需要量は増えます。 たんぱく質に変えて、間接的に食べる量が違うわけですね。 ここで穀物当量という概念を提示します。 ある国民が食べる量を穀物に換算するとどれだけになるか。 エネルギーとして。動物は穀物を食べて肉になるわけですから、 動物の方を7倍します。 動物×7+植物/係数≒当量(1日あたり、1年あたりなど) この計算法でいくと日本は847kg食べています。 穀物として直接とるのは、60kg。相当量は畜産で間接的にとっています アメリカ1502kg。牛乳日本100kg、アメリカ300kg 一部は体格の違いですが、 食生活に占めるタンパクの違いを表しているんですね。 これがバングラデシュだと、319kg。 日本人と体格的にはさほど変わりはありません。タンパクの違いですね。 トウモロコシから畜産物1kgをつくるのに 一番効率が悪いのは牛肉で11kg。 豚で7kg。 (鳥の)卵、一番効率がよくて3kg 鶏肉4kg。 鶏肉はかなり効率的です。効率性は企業のサバイバルを決めるので、 各企業とも同じ餌の量でどれだけ肉がとれるかに積極的に取り組んでいます。 ある意味では合理的・効率的といえますが、環境の面ではかなり問題のある作られ方をするわけです。 以上、食の水準というのが需要の量をかなり大きく左右するのだということを説明しました。

4)食料需給を規定する供給側の要因:農地面積増減率と技術進歩率

農地面積に関しては、まぁ横ばい。悲観論・楽観論とも予測上はそれほどおおきな違いはないといっていいと思います。 この点でやや心配な点があるということは後ほどお話します。 技術進歩に関しては、過去のトレンド、過去20〜30年間の伸びを延長させて、予測しています。今伸び悩みの時期ですので、それを大きく影響させるか、長いスパンでみて、進歩率を大きくするか、で予測値はかなり違ってきます。

5)楽観論と悲観論の隔たり

つまり、楽観論と悲観論の違いを規定するのは、技術開発の予測ということになります。 表2を見てください。農林水産省が2通りの予測をしています。これを用いて、楽観的な見方と悲観的な見方との違いはそれほどないということを説明しようと思います。 現状推移シナリオは、今日の技術進歩がそのままのスピードで続くと予測しています。 レスター・ブラウンの悲観論は、技術進歩スピードは今後横ばいになるとしています。 生産制約シナリオは、ちょうどこの2つの中間を予測していて、最後は半分の発展スピードに落ちるとします。この技術進歩予測の違いが、価格が倍という予測を生み出しているのです。このように、微々たる技術進歩予測の違いが大きな穀物価格予測の違いを生み出しますので、どちらの予測もやろうと思えばできるのです。 この種の予測はある意図を持って作られていることが多いのです。 この年GATTのウルグアイランドで、大議論があったのです。 日本は悲観論的に議論したい、アメリカは楽観的に議論したい、 そういった思惑が現れているのだと思います。 さて、ここで先ほど農地面積のところで、心配なところがあるといいました。 その懸念の最たるものが環境問題です。 500万haの農地が砂漠化によって耕地として機能を失っているといいます。 日本の農地面積と同じくらいの大きさです。 世界の面積は15億haです。そのうち穀物を作っているのは7億haです。 つまり一年で100分の1くらいが使えなくなります。 毎年同じ割合で砂漠に飲み込まれていくなら、10年で1割がなくなってしまうのです。 これは大変ですね。 また収量の伸びは、施肥量(haあたりの肥料の量)の伸びと相関関係を持っています。 肥料の投入ということは、地下水の水質の汚染ですとか、環境に悪影響を及ぼすことです。 環境への負荷という点では、いろいろな問題があります。 例としてオーストラリアの話をしたいと思います。 オーストラリアは日本に米を輸出するため、川から水を引いて水田灌漑をしてコシヒカリなどを作っています。しかしもともと砂漠地であるため、地下水はもともと塩分濃度が高く、その水位がどんどん上がっていくことにより、塩害が生じてしまうのです。 農業生産をがんばりすぎた結果、農地に使えなくなり、農業生産ができなくなるという一例です。 楽観論と悲観論の違いはそう大差ないよ、という話をしてきましたが、 環境への負荷・農地そのものへの負荷を考えるとどちらも安心できないよということでもあります。

3 現代農業と環境問題

1)農業は環境にフレンドリーか:『沈黙の春』から40年

「農業は環境にやさしい・フレンドリーな産業か?」という質問をすると、 日本…そうである 欧米…農業は環境にきわめて害のあるものだ と正反対の答えが返ってきます。なぜこのような差異が出てくるのでしょうか? 欧米における農業イメージは20~30年前までは緑のイメージで、比較的農業は環境に親和的な産業であるという通念がありました。 しかし、比較的早期に農業の環境負荷を告発する著作が発表され、農業―環境の蜜月時代は崩壊に向かいました。 レイチェル・カーソン(アメリカ)『Silent Spring(沈黙の春)』 …農薬が環境に与える影響を告発した小説。1962年発表。 有吉佐和子(日本)『複合汚染』 …食を通じて農薬の危険を示唆。農業が食品にどう関わっているかを告発。1974年発表。 Marion Shoard(ヨーロッパ)『The Theft of Country side(田園の略奪者)』 …農業システムについて相当強い告発。肥料による地下水汚染、放牧による生物多様性の喪失を厳しく批判。誰が略奪するか?――農家・農業経営者・地主など。 早期に強い告発をした3人がいずれも女性であることは何かを物語っているのではないでしょうか?

2)欧米の見方:保護によって悪化した農産物過剰問題と環境に対する負荷

EUの農業政策を考えるうえで、表1を見てください。 1960,70年代はマイナス(▲)となっています。 つまりアメリカなどから穀物を輸入するしかない地域でした。 ところが1980,90年代はプラスへ、つまり輸出国へと一転しています。 その背景は、EUが実力を高めて、生産力をのばしたのではなく、過剰ともいえる手厚い保護を受けたからです。 つまりEUにおいては、農業保護は過剰かつ環境負荷という二重のマイナスをもたらしたとされます。よって欧米の農業を見る目は非常に厳しいのです。 そして彼らは日本の農業についても同じような目を向けます。

3)日本の見方:農業に備わる大切な多面的機能(水源涵養・景観形成など)

日本は水田農業で、何千年もの間持続的に連作生産できるsustainableな農業です。 畑にないメリットをもっています。

4)日本列島も無縁ではない農業を原因とする環境の劣化

しかし日本でも環境破壊はあります。 水田農業のすばらしさを隠れ蓑にして、環境劣化の問題を曖昧にしてきました。 具体的事例をいくつか挙げます。
(例)沖縄のサンゴ
農業発展のために余剰となった赤土がサンゴを窒息死させた。 沖縄のパイナップル栽培と機械耕作しやすいための農地改革が原因。 パイナップル …何年かに一度、やせた土地、処女地で作るとよく取れる
(例)北海道 別海町
優良な牧草を使った酪農が発達 →漁場を破壊しているのでは?実際に川の窒素濃度が他のところよりも高いということが明らかにされている

(例)北海道 美瑛町
うねうねとローリングしている畑地→美しい景観。環境として景観がビジネスに 一方で、
  • トラックがひっくり返ってしまうなど、危険である
  • 生産効率が悪くなる
など不具合がある。

景観としてはとても美しいが、農業生産にはとても不都合 一種のトレードオフといえる
このように、確かに水田は比較的少ないが、その他の農業については問題が多いです。

4 トレードオフを克服するために

1)食糧生産と環境保全のトレードオフモデル

農業生産と環境とのトレードオフはたくさんあります。 模式的に示すと、下図のようになります。 横軸が食糧(F)であり、縦軸が環境(E)です。 グラフの円弧を生産可能フロンティアといいます。

生産フロンティア

生産可能フロンティアをf(F,E)=0と表します。 グラフ上の点、およびその内部は実行可能な技術です。 グラフの外側は現状では未開発の技術であり、選択不可能です。 ここで環境の価値をPEとし、食料の価値をPFとします。 効用を最大にする、一番いいポイントπは π=PF・F+PE・E
E=π/PF−Pf/PE・F

    切片   傾き 要するに、切片が高いほど環境面で高水準となります

2)環境の価値を明示すること:外部不経済・外部経済の内部化

食糧と環境のトレードオフを解消するためには、社会が環境問題と食料問題がトレードオフになっているということを認識することが、まずは大切です。 極端なケースを考えます。PE=0、つまり環境に関しては何も考えないとします。 極端といいましたが、つい最近までの世界の態度でもあります。 そのような状況下において最適解は PE=0なので、Eは0で、Fに最大限力を振り向けます。

生産フロンティア

つまり食糧生産ばかりを追及するのが、社会的に正しい選択となります。しかし現実には、そのような選択を取れば、いずれ環境面で破綻が生じるのは明らかです。                 そのため、トレードオフの制約の下では PEに正当な価値を与えることが必要となります。 その価値の与え方にはいろいろな手段・方法があります。
(例)
・肥料に税金をかける仕組み  …PEにプラスの価値を与えることと同じ効用をもたらす
・農地に補助金をかける仕組み …PEにプラスの値をつけることになる

3)生産プロセスに関する表示による内部化

生産プロセスに関する表示による内部化としてはエコラベルが考えられます。これもPEにプラスの値を与えることになります。 家畜の糞を適切に処理した農家の生産する牛乳も、そうでない垂れ流し農家の牛乳も、製品としてみれば私たちが認識することは不可能です。 つまり現状では正直者が馬鹿をみる構造になっています。 資源循環の度合いが高い地域の生産品にこれらの違いをラベルとして製品につけることで、消費者が正当に評価できるような仕組みを作ることができます。 PEに正当な価値を持ち込むという発想がトレードオフを克服するための前提条件なのです。

4)環境の価値評価にオリエントされる技術進歩の方向

トレードオフを解決するのは、ある意味簡単です。 それはフロンティア自身を広げるということです。 グラフを北東に持っていくような技術進歩、つまり環境と食糧両方に配慮した技術革新などで両方を高水準に持っていくことが求められる方策です。

生産フロンティア

とはいえ、その技術進歩は、その成果が社会的に評価される土壌があって初めて生み出されるものなのです。もしも食糧だけが高く評価されるような社会であれば、技術進歩によるフロンティアも食糧生産向上のみの方向に働いてしまいます。
食糧に対する評価と環境に対する評価をきちんと行うことで、社会的に何が望まれているかが技術者にシグナルとして伝わり、そのことが適切な技術をもたらす。
それがトレードオフを解決する方法なのです。

「ゼミ『環境の世紀』演習編」
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