環境の世紀X  [HOME] > [講義録] > ゼミ第1回

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環境の世紀X ゼミ第一回目

ゼミ
環境の世紀Xの初回講義のあと、1109教室に場所を移し、第一回のゼミが行われました。
30人を超える参加者があり、狭く感じるほどの教室の中、活発な議論がなされたと思います。

理科二類二年、環境三四郎、岡田健さんの挨拶

ゼミの方を担当させてもらっている理科二類二年の岡田健と申します。今終わった5
限の環境の世紀Xでは、オムニバス形式をとっており、毎回異なった先生の講義を聞く
ことが授業の中心となります。そして、この6限のゼミは5限の内容に興味を持った
学生同士のディスカッションが中心となります。  ここで私の考えるゼミの意義につ
いて、少し述べさせてもらいたいと思います。高校の間、そして大学に入った後も私
は「自分の頭で考える」ことの重要性をさんざん聞かされてきました。みなさんも必
ずどこかで一度は耳にしていると思います。私もある程度は自分を信頼していました
し、「自分の頭で考える」こと自体の正当性については何も疑っていませんでした。
確かに「自分の頭で考える」という言葉は聞こえが良いものです。しかし、実際に「
自分一人で考える」と、多くの場合分かることは自分一人で考えても大したことなど
何も思いつかないということです。多くの場合「自分の頭で考える」ことは、既に「
誰かが考えた」ことの繰り返しであり、「自分の頭で考える」と最初にその事実に気
づくのではないでしょうか。そして、その限界を自覚しないことには「自分の頭で考
える」ことはできないのではないでしょうか。つまり、重要なのはあくまでも「他人
と共に学ぶ」ということであると思います。自分とは異質な存在である他者に触れる
ことが「自分」を変化させ、その変化の過程で「自分自身」にはそれまでなかった新
鮮な驚きとして「自分の考え」が形成されるのではないでしょうか。「自分の頭で考
える」ことが他者との交流の中でこそ可能になるものであれば、6限のゼミの意義は
そこにあると考えています。

Q&A

始めに学生から廣野先生への質問を募った。
Q:昔に原生自然を守ろうと言った人たちはなんでそう考えたんですか?

A:最初は趣味。1850年代、特に米国においてが最初です。釣り、野鳥観察を趣味とす
る人たちがその楽しみをダム建設などで失われたくないと原生自然保護を言い出した
のが始まり。生態学者が始めたわけではない。
注1)ジョン・ミューアという人がいたが、山歩きが好きでそこからスタートした。日
本は違って、注2)三好学など植物生態学者によって始まった。しかし日本では文化的
、有名な木を一本残すというようなやり方をして、自然を守れなかったといわれる。

ディスカッションのテーマ

先生:一万年前も種の絶滅というのはあったが、現在と昔と、本質的に大差ないと考
えている人はどれくらいいますか?
(30人程度のうち、違いがない、と手を挙げたのが3人ほど)
先生:では環境を守るのは人間中心主義からか、他の生物自体のためも含むのか。
注3)アルネ・ネスという人がディープエコロジーを考えて、それまでの人のための自
然保護活動などは浅いものだと言った。

学生1:一体なんで環境を守るのか、ほかのみんなはどう考えているのか、聞いてみた
い。

学生2:地球の誕生から今までを一年としたら、大晦日の夜に生まれたという人間。
生きてる意味、とか考えてしまう。親父がいて自分がいる、親父の親父がいて親父が
いる、生きていることが奇跡に思える。
自分がやらなくちゃいけないことは、環境を守ることかなと。とりあえず、地球自体
は耐えられる、と聞いた。環境を守る理由としては、僕は両方をとりたい。人間とし
ての責任と、自分達の存続のため、両方の目的のため。

先生:注4)ハンス・ヨナスは環境問題というのは本来、身近な問題で、だから種の存
続とか言うと分からなくなる。ただ自分の子供たち、後世に同じ様なよい環境を残し
てやりたいという責任感の問題であると。

学生3:生物の絶滅は自然にもあることだから、いいじゃん、って考えたときもあった
。でも自分で気分が悪くなってきた。生物の生きる権利を奪う人間の罪悪感。でも権
利も人間が考えたものであると考えると、結局人間のためということになってしまっ
て・・・。etc.

グループディスカッション

グループディスカッション形式へ移行。各グループ10人ずつくらい、3つのグループ
に分かれ、環境を守るのは人間のためだけという人間中心主義からか、ディープエコ
ロジーに近い発想からか、という議論をした。



●グループ1:

○人間中心主義
・自然や環境の価値、というのは結局われわれの主観に依っている
・害のあるもの(SARSなど)は排除するのだから人間中心である
・植物を大切に思う → 植物が好きな人がいるから、薬として有用だから
・生命に対する思い → 倫理感から
・発展途上国など、他の「人間」社会への影響から環境を考える
・「保護してあげる」という発想が人間中心


○ディープエコロジー
・問題意識を持てるのは人間の頭脳、動物のことも考えよう
・こんな短い時間にこれだけの影響を環境に与えている、果たしてそれでいいのか?

○最後に
いろんな人がいる
自然を大切にしたという気持ちで協力できればいいのではないか
もっとよりよい生活のために、という点で一致しているならば、
さまざまな動機が出発点であっても協力してやっていけるのではないか


○廣野先生のコメント
授業で話せなかったが、注5)ヘアーの「普遍化可能性」から相手の立場に立つ、と
いう話をしたかった。それは今の最後にでてきたことで、動機はいろいろだが、形式
的には、より良い生活のためだと普遍化が可能なのだ。それで一致できる。それが相
手の立場に立つと言うこと。それは言おうと思っていたことなので、その意見は大変
優れている。



●グループ2: (ほぼ二分された)


○人間中心
・そもそも人間の利益のために環境問題は提唱された
・解決への活動を継続のためにはこちらの立場をとらざるを得ない
・人間の子孫のため
・動植物の保護を唱えるのは人間のエゴ
・ディープエコロジーでは頭のいい人にしか受け容れられない


○ディープエコロジー
・人間だけでは生きていけない
・無駄に他の生物を殺すことはひどいこと
・何の権利があってこんなにも他の種を絶滅させているのか?

○最後に
人間も生態系の一部。2者の境界はあいまいではないか
全体が一つの問題に取り組むという形は無理に望まない
別々の動機からでも、一人一人が動いていくことが大切
しかし、それでは組織だって動けないのではという意見も



●グループ3:

○人間中心
・人間は動物だから自分第一
・あくまでも生態系は自分を支えてくれているから大切にする


○ディープエコロジー
・人間には他の種まで考える素晴らしい力があるのだから、それを大事にするべき
・未来の人間のためだけではなく、今の他の生物のためでもあるはず


○廣野先生から議論への提起:
注6)ピーター・シンガーの話を紹介。
みんな当たり前のように人間のため、と言っているが、人間とはなんだ?奴隷は?南
の人々は?イラクの人は?みんなが思うほど、人間がどこまでか分かっていない。過
去、歴史をみてみれば、女性はどうだろうか。「人間」とは「ヒト」という意味では
なく、我々が定義するものなのだ。我々の選択なのである。種としてのヒトを「人間
」と誤解してる。人非人(にんぴにん)というコトバもある。生物でさえも「人間」
の範疇に入ってくるかも知れない、我々がそう定義すれば。

人間のためといっても、自分か、自分の子孫か、種なのかをきちんと確認せずに話し
ても結局分からなくなる。
いまは動機のレベルでの議論をしているわけだが、それだ
けで果たして生産的だろうか。

一言言っておくが、ディスカッションというのはデ
ィベートとは違う。

・まとまらないのが当たり前。
・違う発想に触れ、自分の認識が深まったかどうか。

こういったことが重要。



○最後に
最後はやはり周りの近い人々を大切に思うのではないだろうかということでした。
考えれば考えるほど分からなくなりました(笑)



■ゼミのおわりに、廣野先生より
価値、本来動物にあって今それに気付いたという主張はディープエコロジーもとらな
い。価値発見ではない。
ディスカッションをしても納得してある意見に皆がなびくことはなく、異質な意見し
かない。そのなかでどう価値を創出していくか。常識がゆらいできて、新しい社会シ
ステムをどう創るか?新しい価値意識をどう創っていくか?という話。その前にいろ
いろなタイプの意見があって、その中で何をどう価値にしていくかを考える。今回は
そのための前提作業をしているんですよ。

環境を守るという前提ができているならば、動機が問題なのではなく、どれだけ環
境を守れたかという意味での責任の取り方へ変わっていく。姿勢を転換するきっかけ
になってくれればいいと思ったが、ほっておいてどれだけ自分達でその点に気付いて
もらえるかと思ってみていたら、自然発生的にどのグループも会得できたようで、予
期せぬ期待以上の成果だった。満足しています。ご苦労様でした。

付け足し:
環境問題を考えるとモヤモヤ感が残る。けっして一致団結できない。

しかしそういった異質な者同士折り合いをつけながら結果としてどう環境を守ってい
くかという問題です。





注1:ジョン・ミューア(John Muir)
農夫、発明家、牧夫、作家、環境保全主義
者。スコットランド生まれ。1838-1914。1867年に目を負傷してから、自然界、特に山
を旅する日々を過ごす。「自然保護の父」などと呼ばれ、また環境保護団体シエラク
ラブの初代会長。



注2:三好 学(みよし まなぶ)
植物学者。岩村藩出身。東大教授。1861-1939
。植物生態学を生理学から分離、また天然記念物の保存に尽力。『桜』『最新植物学
』『植物生態美観』など。



注3:アルネ・ネス(Arne Naess)
ノルウェーの哲学者。1912-。1972年の第三世
界未来研究会議で講演しエコロジー運動を二つに分け、ディープエコロジー(生きる
ということ自体の価値を、全ての生命に認める。人間にとっての使用価値とは無関係
。)の概念に言及。『ディープエコロジーとは何か』など。



注4:ハンス・ヨナス(Hans Jonas)
ユダヤ人の宗教哲学者・倫理学者。1903-
1993。『責任という倫理-科学技術文明のための倫理学の試み-』『主観性の復権』な
ど。



注5:ヘアー(RM.Hare)
イギリスの道徳哲学者。1919-2002。普遍化可能性の理論
。『道徳の言語』『自由と理性』『道徳的に考えること』など。



注6:ピーター・シンガー(Peter Singer)
オーストラリアの応用倫理学者。メル
ボルン生まれ。1946-。応用倫理と言われる分野を理論のみならず実践によって開拓し
てきた。『動物の解放』『動物の権利』『生と死の倫理』など。
	
開講にあたって
環境三四郎によるプレゼンテーション
講義(廣野喜幸)