環境の世紀X  [HOME] > [講義録] > 講義第7回

HOME
講義録
教官紹介
過去の講義録
掲示板
当サイトについて





経済開発と環境

 今日は、経済一般の話ではなく、最近私が興味を持っている「経済開発と環境」相互の関係について話そうと思います。その場合に例として取り上げるのは「発展途上国」です。発展途上国は現在でも経済開発を行っていこうとしている国なので、この経済発展と環境保全について考えていきます。ここでは例として東アジア諸国近くは中国や東南アジア、広い意味では韓国、台湾も入るのですが、そして日本も一つの例として考えていきます。

 環境問題というのは、先進国だけにあるのではなく、途上国にもあり、途上国にある環境問題というのが今ではある意味注目されているのですが、途上国の環境問題としては、大きく二つの種類があって、一つはまだ十分に経済開発の軌道に乗っていないために発生する問題、つまりまだ離陸以前、軌道に乗っていない状態であるために発生する問題と、もう一つは経済開発の軌道には乗っているのですが、それがあまりにも短期間に起こっているため発生する問題という二つがあります。前者は貧困と環境の悪循環と言えます。後者は圧縮された経済発展に伴う問題と言えます。例えば、日本も短期間だったのですが西ヨーロッパでは100年かけたことを50年や20年というような短期間で行ったために発生する問題であると言えます。

後者は今日の話の中心なのですが、その前に貧困と環境悪化の悪循環ということについて話します。これは途上国の中でもとりわけ所得水準の低い開発の遅れている国に起こる問題ですね。非常に単純化したパターンですが、サハラ砂漠以南のアフリカであるとか、南アジアのインド、バングラディッシュ、スリランカでは1日の所得が1ドル以下で、世界で最も所得水準が低いのです。貧困と言うのが一番の問題なのですが、それと人口増加というのが関係しているのです。人口増加と貧困と言うのがお互いに原因であり結果になっているのですが、人口が増えていくので耕作地を拡大しなくてはいけないというので、無理に森林を切り開いたり、急傾斜の土地を切り開いたりして耕地にするため森林面積の減少や無理な耕地開発のために洪水が発生したりと、耕地のためにしたことが環境破壊へとつながっていきます。耕地が土砂で流されてしまうと耕地はなくなってしまうわけで、環境破壊が起こると貧困の解消にはならないわけです。人口増加でまた環境問題がおきるという悪循環がおきている最貧困地域で起こっている問題がこのような問題です。

 今日話そうと思っているのは、圧縮された経済発展を経験している国で起こっている問題です。圧縮された経済発展というのはどのように起こってくるかと言うと一つは急速な工業化です。工業化するということは産業廃棄物の増加や大気汚染、水質汚染などを伴っているわけで、圧縮された経済発展は圧縮された工業化といってもいい。工業化とすぐさまイコールではないのですが、急速に経済発展がすすみ社会が変わると都市への人口集中が起きます。そうすると都市においてごみが増えたり大気・水質が悪化したりと言うような問題が発生します。東南アジアにおける横軸はGDPのなかでの製造業な割合の図です。(パワポ)製造業の割合が高いほど工業化が進んでいると言えるのです。縦軸は輸出製品の中での工業製品の割合です。東アジアの工業化というのは輸出に指導された工業化をとっているのです。インドネシアは輸出の中に占める工業の割合を増やしながら工業化を進めていった。フィリピンは変わっていて、70年の方が90年よりも輸出に占める工業の割合が減っているのですが、中国も同じようになっているのですが中国は統計の仕方が異なっているので、基本的には東南アジアのパターンです。日本や台湾や韓国は、輸出の中に占める工業の割合はほとんど変わらずGDPの中に占めるサービス業を増やしてきて脱工業化が進んでいる。10年か20年前の日本も大体同じようなことがおきている。この図で言いたかったことは非常に短期間で工業化が進んでいると言うことです。産業廃棄物や二酸化硫黄や窒素酸化物、二酸化炭素を発生させるわけです。
それから都市化ということについてですが、都市と言うのは農村よりも所得水準が高いのでそれを求めて人がやってくるというわけです。ここで、都市人口の増加率を考えてみましょう。アジア地域の都市への人口集中は他の中南米やアフリカと比べるとそれほど都市人口の増加率は高くない。しかし、東南アジアはアフリカや中南米の都市よりも所得水準は高くなっており、そのようなところに人口集中がおこると、どうなっていくかと言うと例えば自動車の保有台数が急激に増えるということが言える。このため大気汚染や交通渋滞などがおきる。
現在の東アジアでは急激な経済発展のためこのような状況にあると言える。東アジアにおける工業発展は輸出始動型ですすんできたわけだが、輸出市場向けの工業製品を作っていくわけですが、それは言ってみれば対外開放政策との一体化つまり外国の資本に対して門戸を開き国内の市場を開くことと外国の門戸を開かせるというものと一体化して進められるのです。例としては、中国に日本の企業が工場を作り工業製品を作り輸出するという形をとっており、中には日本に戻ってくるものもあり、逆輸入という形になる。自由化政策ということによって経済発展が図られてきたと言うことを考えると、自由化というのが重要になってくるのだが、途上国の環境問題を自由化というものと合わせて考えると、例えば数年前のシアトルでのWTOの会議や最近のサミットでNGOの反対運動が見られるのですが、NGOは自由化が環境問題を引き起こすと主張しているのです。グローバル化や自由化が所得の格差を生み出しているというような話もあるというわけですが、今回その話はできませんが、自由化が環境保護の点から見るとどうなっているのか、つまり自由化の功罪について考えて行きたい。つまりさっきの話では東アジアでは自由化を中心に経済発展が進んできた、工業化を中心に進めてきたわけですが、その中に環境破壊と密接に関係あるところがある。そして、さっきは言わなかったのですが、工業製品の輸出じゃなくて例えば木材の輸出ということにもつながっていく。ボルネオでの熱帯雨林の縮小の原因としては木材としての輸出やプランテーションの拡大のために森を切り開くということがなされている。だからそういう意味で「エビと日本人」という本があるのですが、これは日本人がエビを大量に食べるためエビを養殖するためにマングローブを破壊するという話ですが、つまり工業製品の輸出が増えることだけではなく、一次産品の輸出が増えることも環境破壊につながるということもあるのです。これも言ってみれば貿易自由化の結果であると言えるのです。しかしここで考えてみるのは経済学の理論からしてみれば当たり前のことなのですが、詳しいことは国際経済学の教科書や経済学部に進学して講義を受ければ出てくるのですが、「比較優位の原理」というのがあって、これは、貿易はなぜ起こるのかということを説明する理論なのですが、簡単に言いますと自国が比較優位を持っている産業や製品を輸出し、持っていない製品を輸入するということによって相互に利益が及ぶというのが考え方です。一方で資本がたくさんあり、他方で労働力がたくさんあるという場合を考えると 資本をたくさん持っている国は資本の使用量にあった利子とか使用料は相対的に低いわけですが、他方で労働賃金に当たる部分は相対的に低いと言える。先進国と途上国を考えてみると、先進国は比較的資本が多いので資本も安く手に入り、途上国は労働が相対的に多いから労賃が低くて、労働力を多く使う産業に特化していくということで、に比較優位をもつ製品を輸出しあうことで相互に利益を生むと言うことです。ちなみに相対的に安いと言うことが絶対的に安いと言うことではないというのが経済学的には当たり前のことなのですが、そこはあまり深入りしなくていいです。ここでは相対的に安く手に入るものを多く使って、製品を作り輸出すると言うのが比較優位の原理の考えです。
そうしますと途上国と先進国を比べますと途上国のほうには自然的資源が多いわけですが、労賃も比較的安いということもあるわけですが、そういうわけで相対的に安く調達できるものを使って輸出する、先進諸国は資本や技術がたくさんあるのでそのようなものを多く使う製品を相対的に安く供給できるというわけですね。だからそれぞれの国がそれぞれの自分の国にあって安く調達できるものを使って貿易することは当然相互の利益になるわけですよね 基本的な考えでは。理屈の上でそうなるわけですがそうしますと発展途上国において自然資源を多く使ってそういうものを輸出すると言うことは経済原理から言うと当然の行動なわけです。それが、どのような問題を生んでいるかというと、例えば熱帯雨林の減少やマングローブの燃焼というその他いろいろ自然資源の減少というさきほど言っていたことと一見矛盾するようだが矛盾しないということが言えるのです。
みなさんご存知のように需要曲線というのは右下がりにあって供給曲線は右上がりになる。でこの交点で量と価格が決まるというふうになると言うのですが、この供給曲線と言うのはあるものを作る限界費用に相当する。あるものを作って供給するときに一つ増やすのにどれだけ費用がかかるかと言うことを反映しているわけです。だから多く作れば作るほど一個当たり費用が増えていく。それと供給曲線と一致するというのは経済学の基本のところで言われるのですが。なぜこれを持ち出したかと言うとこの限界費用というのは、生産する企業と生産者の費用をあらわしているのですが、例えば先ほどの例で言いますと木材を切り出して港まで運んで売ると そういう費用全部を合わせてこの費用が出てくるのです。ところが、この費用と言うのは個別業者にとっての私的な費用であって、木を切り出して結果として生じるマイナスの価値は反映してないのです。ここの業者にとっての費用でしかない。ところが木を切り出して熱帯雨林の木がなくなることは、それは例えば熱帯雨林を保護することに伴う価値がなくなるということです。例えば、光合成作用によってCO2の減少や生物の多様性保護の効果などの価値が減少する。それから森林の存在それ自体に価値があると言うこともあるだろうし。熱帯雨林の減少そのものが価値を減少させるということが言えるのです。だからここの業者の費用計算に入らないものがあると言える。もし正しくそれが計算できたとするともっと費用が増えるわけですよ。社会全体としての費用を考えると費用が増えるのです。つまり社会的な限界費用がもっと高くなるのです。
そうすると、価格に正しく費用を反映すれば、今まではここまで(広い)切っていたのに、ここまでしか(狭い)切れなくなってしまうということが起こるのです。価格を上乗せすることによって木を切りすぎることを防ぐことができるといえるのです。経済学の標準的な理論から導かれる一つの対策なわけです。ところが、それは理屈の上であって、もう一つの問題は理屈としてはそうであるが、これがどれぐらいのコストであるかは正確に客観的には決められないわけですよ。個別の企業がかかっている費用は計算でき客観的には決められるのですが、社会的費用としていくらかは客観的には決められないわけです。光合成によって地球温暖化を防いでいると言うことや生物多様性の保存についての価格は性格に客観的には決められないし。もっといえば熱帯雨林が存在すること自体にある価値がいくらに相対するかと言うことは、理屈の上では言えるのですが実際には決められない。市場メカニズムの自然な動きにゆだねていくとうまくいかない問題ということが言えるのですが、ちょっと理屈っぽい話になったのですが、最初の話に戻すと貿易をするということは相互に相対的にたくさん持っており費用の少なくてすむものを多く使ってものを作って輸出すると言うことがお互いに有利になる。その場合に途上国には自然資源がたくさんあるからそれを使ってたくさん輸出することが、国家の利益になるし、あるいはそれを輸入する国にとっても利益になると言うんだけれども、費用と言うのはここでしか見ることができないわけですよね。木を切り出すということは国にとって地球にとってコストがかかるわけなのですが、計算できないんです。計算できないからこそ低く価格が決まり、より多く切り出されてしまうわけです。それはしかし、自然環境に与えるマイナスの作用としてあるわけなんだけれども、その裏側では当然木を切り出して売ることによって雇用は生まれるし、国にとって国民所得はふえるわけです。こうやって増えた国民所得のプラスと熱帯雨林が減ったことによるマイナスを比較することはできない。できないというのは計算上できないということです。逆に言うと木材の輸出や工業化を進めていくことは裏では環境に対するマイナスの影響というのが出てくると言うことを考えなくてはいけないわけです。環境へのマイナスの影響の面だけを取り出すと自由化することは環境にとって良くないことであると言える。良くないことですが、その国にとっては輸出が増えGDPも伸びるというわけです。
しかし、その自由化しないでおいた方が環境にとっていいのか?ということですが、その答えはですね、必ずしもそうでもないということです。保護主義が必ずしも環境にとってプラスになるわけではないということです。それはどうしてかと言うと、一つはここで言う保護主義というのを二つに分けて考えたいのですが、途上国における保護主義と先進諸国における保護主義。まず先進国における保護主義は、途上国における環境にはマイナスになることがある。それは先進国の保護主義では 途上国との間でよく問題になるのは多国間繊維協定というのは輸入側である先進国だけでなく輸出側である途上国も対象になる。これは先進諸国側の保護主義なのですが、これがどのような問題を持っているかと言うと 繊維産業というのは安い賃金を使って途上国において発展する労働集約的な産業である。ところがそれを先進国の保護主義によって阻まれると途上国はこれを別のもので補うということになり、様々な最近で言うとコンピューターやエレクトロニクス製品そういう産業もあるんだけれども、それ以外の途上国にたくさんある自然資源をたくさん使う産業で優位を保とうとするということが裏側の行動として言えるのです。つまり労働集約的な繊維産業の発展が阻害されると、逆に木材を切って輸出するとかエビを養殖するとか自然資源をたくさん使うことによって、そういう製品を輸出することに傾きやすい。つまり先進国の保護主義が途上国の自然環境にマイナスになるということがあると言える。それともう一つは、途上国の側が保護主義で、輸出依存型の経済開発をしなければ環境は保護されるか?というと必ずしももそうではない。保護主義に傾くと言うことはそれだけ外国の途上国に対する様々な財や技術の輸出も制限するということになる。それだけ先進諸国との間の財やサービスの流入や技術の移転というものも阻害されるということです。それはどういうことかというと、結局例えば公害や環境対策の技術と言う通常は先進国において発達している技術の移転もそこでブレーキがかかると言うことも言え、マイナスになる。あるいは旧東欧や中国などで、東欧の大気汚染でドイツの黒い森と言うのが20年くらい前問題になったのですが、その一つの原因が鉄鋼業や重工業における工場の廃棄物が二酸化窒素や硫黄化合物を非常に多く含んでいたと言うのが挙げられます。そういう意味で環境対策をほとんど考えないような効率の悪い工場というのがたくさんあって、自国のみならず近隣諸国にも悪影響を及ぼしていたのです。こういう企業は国が社会主義という閉鎖的な政策をとっていなければ、設備の悪い企業や工場は競争に負けて存続できなくなる。そうすると結果的に公害を撒き散らすような企業は自由化せずにしていたため存続していたと言える。旧ソ連や東欧において環境被害が非常に大きかったということが分かってきたのですが、そういうことがなかなか直らなかったということの一つは政治的民主主義が浸透していなかったというために、被害が出てもそれを抗議したりやめさせるたりする動きができなかったということも言えるかもしれないが、それも広い意味での自由化が未熟であったというわけで、そういった意味では政治体制も含めて自由化というのが、環境対策としてもプラスの面があるということが言える。自由化というのは環境にとってはマイナスだけではなくプラスの側面もあると言える。今言いました自由貿易、自由化政策と環境は両立するかということは最近ホットな話題であって、先ほど言いましたようにWTOの開催をめぐる軋轢やグローバル化をめぐる反対というのも出ています。

 貿易と環境というのと少し違うのですが、ここで紹介しておいた方がいいと思うので紹介します。「緑の保護主義」というのがあるのですが、緑とは環境重視という意味ですが、これは途上国の側から言われていることですが、例えば、アメリカはタイとかマレーシアから入ってくるエビの輸入を制限するということをやってきたわけですが、それはタイとかマレーシアに海ガメがいるのですが、その海ガメの保護をするために、エビの輸入を禁止するべきだという環境保護団体の声が強くなりアメリカはそれを保護したという。似たような例としてメキシコからのマグロの輸入も禁止するというものがある。それはマグロを捕るときにイルカを傷つけたり殺したりしているという。だから、マグロの輸入を禁止しようというように自然保護団体が言っている。つまり自然保護団体が生物を保護しようと要求して保護主義になるという。しかし、途上国から言えばそれは口実であって緑、環境保護を旗印にしているのだが、これは途上国の一次産品の輸出を制限することになって非常に途上国としては困ったとなり、これはWTOの原則に反するといって提訴するというようなことも出ています。それは結局WTOは環境をめぐる問題を宛がうという役割はもっているのですが、このような問題についてどのように対処するかの明確なルールはまだ決まっていない状況です。
自由貿易の原則と環境ということには先ほどのような問題が一つと、それから関連して日本で言うと公害輸出または環境ダンピングという言葉があるのですが、これは日本の企業が例えば東南アジアの環境規制が甘いからといって日本では工場としてはなかなか操業できない、あるいは日本の環境基準を満たそうとするとコストがかかってしまう。それに比べて環境基準の甘いところで作ったほうがコストが低くてすむので工場を移転させるという。そのことによって結果的には公害を途上国に撒き散らしているという批判ですね。それから環境ダンピングというのは、環境規制がゆるいのでそれだけ安くものを作れ、その分だけダンピングで輸出してくるという 環境規制の強い先進国では途上国の製品に価格で負けてしまうので、途上国の輸出をなんとか食い止めようとそういうわけです。NAFTAというのがあるのですが、これは北米における自由貿易協定なのですが、これに対するアメリカの反対意見の一つとしてあったのが、この環境ダンピングです。メキシコはアメリカに比べて環境に関する規制がゆるいので、それだけ安く生産できる。したがってアメリカの企業はゆるい環境規制を求めて工場をメキシコに移してそこからアメリカにものを輸出してくるというようになって国内の雇用が奪われるという反対がでた。両方とも環境規制の違いから工場が移転するという。しかし、これはあまり正しくないというのが大体の結論と言ってよい。北米自由貿易協定の場合はちょっと違うと言ってよいのですが、つまり環境基準の違いがどれだけ生産コストに出てくるのかということは、せいぜい生産費用の中では2〜3%の違いでわざわざこの数%の違いのために工場を移転することはないだろうと言える。むしろ工場が移転する場合の主な理由は、一つは賃金の差であると言える。最近「ユニクロ現象」と言われるように、中国に工場を作ってそこで衣類を作るということは労賃が安くて生産コストが低くて済むのでそうしている。労賃水準の違いに比べて環境規制の違いがもたらす生産コストの面での影響というのは非常に小さいと言える。日本の東南アジアへの工業進出が80年代後半から盛んになったのですが、その動機は円高対策であった。円が高くなってしまったのでアメリカへの輸出が阻害されるというため、円高の影響を受けないところで作ってそれをアメリカや東南アジアに輸出するというそういう戦略をとったのが工場を移した背景である。現在でも為替相場というのは非常に大きく変動するので、為替相場の変動に比べて環境規制のために生じる差というのは微々たるものである。このため環境規制の差によって工場移転が起きているというのは理屈の上でも理由としては弱いと言える。
結果的に工場が出て行く理由は別であっても、出て行ったことによってそこで産業廃棄物を大量に発生させたり、大気汚染物質を排出したりするということによって進出先の環境を悪化されているというのは、たしかに十分ありうるわけで、これを公害輸出というならさきほどのは成り立つ議論である。ただし環境規制の理由で工場が出て行くというのはどうもないのではないか と言うのが僕の結論である。

 最後に途上国つまり東南アジア、東アジアで急速な経済発展の結果として工業化が進んで、それで環境に大きなダメージが生じたという因果関係があるのですが、じゃあ今の東アジアの環境悪化の度合いと言うのはどの程度かというと、かつて日本は大気汚染にしても水質汚濁にしても70年代などに公害問題など非常に深刻な問題があったのですが、その時点の日本と比べて現在の東アジア諸国はどうかというと(グラフを参照)。
 日本の東京都の現在東京国際フォーラムの前の大気中のSO2濃度です。SO2濃度は70年の水準に比べて85年までは急激に下がっている。
横軸は98年一人当たりのGDPをあらわしている。中国やシンガポールなどおけるSO2濃度を横軸にとっている。これは横で見ると同じくらいの大気中のSO2濃度、中国と70年代の日本は同じ。
日本は70年よりも前はSO2濃度はもっと高かった。このことから上海は同じ所得水準の時の日本と比べてSO2濃度はもしかしたらかなり少なかったのかもしれない。

 これは何を言いたいのかと言うと、確かに現在の東アジア諸国は急速な経済発展をしてきているが、過去の同じ所得水準の日本と比べると低い環境負荷であると言え、これがレジュメに書いてあるように後発の利益というものです。
これはNO2の同じようなグラフです。SO2ほどはっきりとはしていませんが同じような傾向が見られます。
このTSPというのは大気汚染で問題になるのですが、浮遊粒子状物質というもので、自動車の排気ガスに含まれているもので、これだけが違って、日本に比べて中国、韓国の大都市はもっとひどい。SO2やNO2は低いところにある。大都市における粉塵の発生原因は自動車である。自動車の性能による。大都市で走っている自動車は日本のほど性能がよくはない。このことが原因である。NO2というのはエンジンの性能が高いほど多く発生する。この逆の関係から説明ができるのではという話を聞いたことがある。
このことについてこのグラフについて論文を書くと異論が出る。過去の日本と東アジアを比較して東アジアの方が低いというのはどうもぴんと来ないと。例えば中国の重慶というところは大気汚染がひどいとして知られていてそこでのSO2濃度はかつての四日市の何倍もあると言うことが知られていて、中国の方が濃度が低いということはおかしいという主張はある。どことどこを比べるのかという問題がある。日本の大都会東京都比較するのはそれに相当する大都市を取り出して比較すると言うことになった。
欧米諸国も日本の同じ所得水準の時と比べると濃度は低い。これは後から始めた国のほうが日本よりも環境対策ができているといえる。これが後発の利益である。それはやはり先進国の状況を学んでいることが言える。 あとは技術の移転である。先進諸国で開発された技術が入ってくることによって、意識的に公害対策をしなくても70年代の日本のものよりも効率がいいのは当たりまえ。 経済援助に環境対策を含めると言うこともあり、そのようなことでかつて日本が体験したようなことを経ずに技術が進むのである。 質問「グラフについてですが、中国の場合は工業化されたといっても海岸側の一部であってそれを中国全体のGDPで比べるのはどうかな?とおもうのですが」 回答「それはごもっともな意見です。しかし、上海だけの所得を考えることは難しいのですが、他の地域に関してもそれを考えるかどうか難しいのでやむを得ずそうなっている。結果としてはそう変わらない。」 石見先生ありがとうございました。

ゼミ第7回
目次へ