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地球をめぐる水と水をめぐる人々

1.はじめに

「地球をめぐる水と水をめぐる人々」ということで、「地球をめぐる水」というのは、自然の中での水循環、「水をめぐる人々」というは、人がその水をどう扱っているか、という人間社会側の話で、結局水問題というのは、今新聞で出てきたり、テレビで取り上げられたりしていますけれど、自然系と人間社会の両方の接点で、両方の問題を取り組まなければならないということが何となく分かってもらいたいということで話を進めていきたいと思います。

私は東大の生産研究所にいるんですけれど、文部科学省が総合地球環境学研究所(地球研)というのを2年ぐらい前に作りました。文部省の直轄の研究所といって、南極に越冬隊を送るというのをやってるのは極地研ですね。火星に行って土のサンプルを取ってくるロケットがありますよね、あれは宇宙研ですね。このように大規模な研究をする研究所は文部省の直轄研究所です。ここに本部を移ったんですが、兼任になって社会基盤を担当しています。

●水危機とは何か?

みなさんが目にする「世界の水危機」というのは、大体こういうことが言われていると思います。例えば、世界人口の1/5が安全な水へのアクセスがなく、毎年300〜400万人が水に関連した病気で死ぬとか、世界の水資源危機というのは、取水量が1995年の3800kmから4300−5200kmに、50%くらい増大するだろう。何で増えるかって言うと、1つには、生活レベルが増大するから。それから、黄河の断流って聞いたことありますか?それは人間の側から言うと、黄河の断流は1970年の初めから起こっているんですね。1995・97年には年間200日以上黄河の下流域で水が一滴も流れない状況になった。それが大問題になって、国際社会からやんやと言われたので、中国が農業用水の取水を制限したら、今のところ起こっていないんですね、断流は。では、なぜそれがいけないのか。生態系にダメージを与えているのではないか。生態系のことを考えなければ、黄河の水が流れないくらいの水を使うというのは、人間が利用可能な資源を最大限に有効利用しているという見方もできるわけです。ところが、現在まさに「環境の世紀」ですから、人間だけがよければいいというわけではなくて、断流が起こると、そこにいる生態系にものすごい影響が残る。

また、温暖化によって水循環が変化する、とくに劣化するんじゃないかということが懸念されています。都市化の進展は温暖化が起こらなくても深刻化しますので、都市化というのはものすごく東南アジアや途上国などでも都市の人口が集中しています。そういった地域の環境問題をどうするか。日本のように全体としては人口が減ると、みんな思ってますよね。けれども都心部はあんまり減っていないんです。地方の中核都市に人口がどんどん集まっている。もちろん、東京もあんまり減りません。したがって、都市部の問題というのは今後も起こるだろう。

さらに、水が足りないということが、国際的な紛争の引き金になるんじゃないか、と言った人がいるんですね。「20世紀は石油をめぐる紛争の世紀だったが、21世紀は水をめぐる紛争の世紀になる」といった人がいます。地球環境問題というのは、基本的には何で起こっているかというと、人口が増加します。人口が増加すると、エネルギー消費・食糧生産が必要なわけですね。エネルギーは有限である、ということに気づいたのが20世紀が最初だった。それが有限なために何が起こるかというと、1つは食糧生産で、どんどん窒素肥料を与える。そうすると、硝酸性窒素というのが地下水に溜まっていって、飲用に適さなくなる。もしくは、気候変動で吸収できないようなCO2が大気中に増えていって温暖化が起こる。

環境問題に興味のある人は、「人類が生存し続けられるのか」、何となく不安があると思います。「持続可能な発展」のことを英語ではSustainable Developmentといわれるんですが、なんとなく変な感じはしませんか。1992年にリロで地球サミットがあったときに、先進国側は環境問題が大事だということで、もうこの時点でフィーディングを掛けましょうと思ったわけです。ところが先進国側はそれでいいかもしれないけれど、途上国はまだこれから発展するのに、もうここでいいというので止められては困るということで、「持続可能な発展」ということでまだ伸びますよ、というあたりを残したわけです。ところが、本来われわれのやらなければならないことは『持続性の構築』、つまり「SustainableなDevelopment」ではなく「SustainabilityをDevelopすること」であると思います。

気候変動と環境汚染の両方に関連したものが水である。たとえば、世界の環境危機が起こったとき、人類は破滅すると思いますか?たとえば、日本にエネルギー危機が起こって石油が輸入できなくなったら、悲惨な生活になると思いますか。色々な環境の本を読んでて、私は『恫喝本』と呼んでいるのですが、「こんなにたいへんなことになるぞ」、というような本が多いんですけれども、いま60億人くらい人間がいるわけですよね。ものすごくカタストフなことが起こっても、1億人ぐらいはきっと生き残ると思うんですよ。そうすると人類破滅ということは絶対ないと思うんですよね。エネルギーに関しても、今の7、8%ぐらいの電気使用量のレベルは、昭和30年代初期、つまり4、50年前の暮らしぐらいだそうです。当時はエアコンもない。裸電球で、やかんがあって、冷蔵庫に氷入れるか、半分ぐらいで。あとは洗濯機もなくて、そのぐらいの暮らしというのはできるでしょう。50年前に戻るのは嫌かもしれないけれど、最近は電気の効率も上がってますし、パソコンだって省電力になってるんですから、まったく原始状態に戻るわけではない。だから、あまり悲観的になるとそれはたいへんかもしれない。食料も足りない、水も足りない、エネルギーも足りないということになるかもしれないけど、限界に行ったからといってすぐ0になるわけではない。0にならないでどこかで落ち着くだろう、その落ち着き方を考えるのが大事だと思います。

前置きが長くなりましたが、今日は世界の水資源問題のポイントは何か。どうすれば上手くマネジメントできるのか。地球の水循環はどうなっているのか。人間活動がどう水循環を変化させているのか。たぶん時間はないと思いますが、温暖化により水循環はどう変化するのか。最近のトピックとしては、virtual waterとは何か、ということに関してお話しして、科学技術が世界の水問題の解決に貢献できるのか、ということを少し考えてもらえればと思います。

■2.地球上の水と水資源

●世界の水資源問題の本質

国際的な枠組みはどうなっているかといいますと、国連ミレニアム宣言というのが2000年に9月にありまして、その中でこんなことが書いてあります。

To halve, by the year 2015, the proportion of the world's people whose income is less than one dollar a day and the proportion of people who suffer from hunger and, by the same date, to halve the proportion of people who are unable to reach or to afford safe drinking water.

ということで、一日に1ドルの収入もない、そして餓えに苦しんでいる、かつ安全な飲み水へのアクセスがない人の人口割合を半分に減らそう、というのがこのミレニアム宣言でなされました。つまり、皆さんは資源問題だと思っていたかもしれませんが、水問題は国連レベルでは、貧困問題と同じカテゴリーなんですね。

同じように、国連環境サミットというのが昨年の8・9月にヨハネスブルグで開催されました。そこでも実行計画というのがなされて、ミレニアム宣言と同じように、安全な水にアクセスできない人口割合を半減させるとともに、トイレのない人の人口割合も半減しましょう、というような宣言がされた。トイレがないというのはどういうことか、というと、し尿がそのまま放置されますので水が汚くなる。水資源というのは、必要な水質の水がないと、物質としての水がどれだけあっても、資源としては使えないので、ないのと一緒です。

●地球の水循環

水について若干アイデアを持ってもらうために、一日どのくらい使っているかということですが、これはタイの東北部の民家の裏にある水がめなんですが、屋根に降る水を溜めています。この瓶いっぱいの水で1km3だとして、どのくらい暮らせるでしょうか。―しかし、何日間暮らせるか、という問いは実は正しくない。世界平均では、1週間ぐらいで使ってしまいます。オーストラリアでは1日。アメリカは2日。日本は一日一人当たり320〜330リットルぐらい使うので、2〜3日です。ザンビアとかハイチっていう国では、年間で1tしか使ってないという統計になっている。一日に飲む水は2Lぐらいだと言われています。震災に備えるためには1日1人あたり3リットルを目安にして溜めてくださいね、というのが指標なんですが。一年間365日で1tということは、一日当たり2、3リットルですよね。ということは、この人たちは飲む水としてしか水が得られれていない。豊かな人はもしかすると日本人並みに使っているのかもしれないけれど、平均するとこうなる。

水資源を使うということはどういうことかというのを分かってもらいたい。State Variableというのは状態量で、どこにどのくらいの水がたまっているか、ということの推定値です。FLUXというのは、年間どのくらいの量がそこを流れているかということをいう数字です。たとえば海には地球上の水の97%があります。ところがそれは海水なので飲めません。川の水というのは2000km3しかありません。ところが、水資源というのは石油とかと違って、使ってもなくなりません、物質としての水は。飲んでも水は体の中で分解して燃えて、エネルギーとして出てくるわけじゃないですね。工場で使っても、蒸発したとしても水分子は水分子のままですよね。光合成で炭酸浄化作用になっても、大体の水は取り込まれても水のままである。水はなくならない。ところが、肝心なのは、年間どのくらい流れるか、その流れる量なんですね。このところが分かってもらえれば今日の講義はいいと思うんですけど、例えばですね、泉があるとして、そこから水が常に毎分10リットルぐらい湧き出ているとします。それを5人が使うのであれば、絶対足りるんですね。ところが、10人が使うとどうなるか。100人で使うとどうなるか。常に出ていてなくなることはないのだから、絶対に足りなくなることはないだろうと考えるかもしれません。ところがそうではなくて、われわれは使うということでも、常に時間当たりどのくらい必要か、が大事です。毎日毎日ある一定量以上が必要なわけです。ということは、どこにどのくらい溜まっているかじゃなくて、どこをどのくらい流れるかが大事なんです。川の中には、瞬間瞬間に2000km3くらいしか入っていません。ところがそれが年間20回ぐらい入れ替わりますので、40000km3ぐらいが毎日陸から海へ流れている。そのうち10%くらい、3800km3ぐらいを人間社会に取り込んで、また自然に戻して循環させている。

●世界や日本の水資源利用の現状

世界では水資源をどう使っているのか。取水量と消費量に分かれているんですけれど、取水量の2/3は農業用水に使われている。消費量の9割ぐらいは農業用水に使われている。日本人はどのくらいか、ということですが、都会全体で平均すると330リットルなんですね。ところが、家庭内の利用は250リットルぐらいです。何に使われているかというと、風呂・トイレ・炊事・洗濯が大体1/4ずつぐらいで、残りは顔洗ったり、歯磨いたりとかいう水なんですね。ここで2オーダー違うということを覚えてもらいたいんですが、飲み水というのは、2〜3リットルでいいわけですが、われわれが家で使っている、もしくは学校でトイレに行くとか、デパートとか病院とかいろいろなところで使うので、平均すると330リットルになるわけで、大体100倍くらいの量を使っている。よく考えてみると、風呂っていうのは体を洗うわけですね。トイレというのは便器を洗う。炊事っていうのはお皿を洗う。洗濯っていうのは服を洗う。「水を使う」ということは、洗うことなんだ、全部。もっと考えてみると、飲み水は体の中の代謝物を外に排出するために飲んでいるんだ。逆に言うと、いろいろな国のキャンペーンで「水をきれいに使いましょう」と書いてありますけれど、水をきれいに使うということとは水を使っていないことと同じことだ、ということになる。

で、日本の水資源がじゃあどうかという話ですが、先ほどから言っているとおり、人が飲む水は一日一人当たり2〜3リットルですから年間1km3くらい。日本人が使っている水道水は330リットルですから、年間120m3。農業用水は統計で約500km3。ただし、取水量というのは、利用量よりもかなり大きい。大阪の水は、水系によって違うんですけど3回から6回、琵琶湖の上流で人の使った水を循環させるんですね。農業用水だけでなく、家庭用水も全て循環しているんですね。循環利用されているので、取水量と利用量はかなり違う。工業用水を含めて合計750km3で、大体90km3ぐらいを日本人は飲む水として使っている。「水資源賦存量」という考え方がありますが、降水量は1800mmぐらいですから、1000mlぐらいを年間水資源として使える。なぜ水のことを長さで表すのか。雨の量を長さで表すのは、そのまま貯めていって横に流れない、としたときにそのぐらい溜まる、というのが降水量なんですね。実際には、流れたり、地下に染み込んだりしてるわけです。国土面積が38万km2ですから、あわせて380km3ぐらいが蒸発する分を差っ引いて日本全国で使えるわけです。現在使っているのは、90km3ですから、年間使えるのに約1/4ぐらいを何らかの形で取って使っているということになります。この値というのは、全世界平均が400000km3で3800ですから、10%くらいを使っている。日本で25%、アメリカも30%ぐらい。韓国になると4、50%使える水を使っている。ということは、「脱ダム宣言」とかいうのをアメリカとか日本で言っても、これ以上のダムとかは必要ありませんって言いますけれど、十分貯留施設があるんですね。それに対して、全世界的に10%平均ですから、これから伸びるような国に対してためておく施設がないとどうなるか、ということを考えておく必要はありますね。

もうひとつは水の値段なんですけれども、PETボトルが500mlで150円とすると、1km3あたり30万円。水道料金は小口ユーザーで140円、大学なんかは大口ユーザーなので、皆さんがその辺から飲む水はおうちで飲む水の倍以上するんですが、400円ぐらい。PETボトルの水というのは、水道水の1000倍の値段だということが分かります。ものすごく高いです。逆に言うと、ニーズがあると1000倍の値段でもモノは売れるんだ。水資源というのは、結局安いので、トンあたり数百円ぐらいですね。たとえば、古紙回収というのは、数年前にぜんぜん集まらなくなってしまった。あれは古新聞とか古雑誌を集めて回りますよね。それがキロ当たり5、6円していて、集めて持って行くと儲かっていたのが、キログラムあたり2、3円に下がっちゃって誰も集めなくなっちゃって困った。ところが、キログラムあたり2円でも1tあたり2000円でよね。きれいにして飲めるようになっても古新聞よりもずっと安い。くず鉄とかでもトン当たり5、6千円する。だから、飲む水というのはものすごい安い。安いということで、トラックで運ぶとか、倉庫に保管したりするのにコストがものすごくかかる。普通の経済財と違って、取っておいたり貯蔵したり輸送したりするのが相対的に高くなり、経済的に引き合わない。だから大規模に環境を壊すほどのことでダムとかで貯蔵しない限り、なかなか必要なときに必要な場所に供給できない。たとえば、カナダには水が余っていても、カリフォルニアには送れるかもしれないけど、アフリカには輸出できないということになります。

■3.virtual waterとは何か。

●blue waterとgreen water

農業用水はどのくらい使ってるかというと、生活用水の3〜4倍ですが、国内だけを考えていればいいのか?―答えはNO! 食料の移動が大量の「目に見えない水 virtual required water」(仮想投入水)の移動を引き起こしている。仮想/現実投入水量とは何か、ということですけれど、農業・畜産製品や工業製品を作るときに必要な水をrequired waterとしましょう。これにはblue waterとgreen waterの両者を含みます。昔の水資源工学というのは、blue waterしか考えていませんでした。降った雨から蒸発した分を差し引いて、残りの分を誰にどうやって分けるか。これがblue waterです。灌漑にどのくらいに水をあげるか。というのが問題だった。それに対して、そこに降った雨が、一端土壌に染み込んで、植物の根が吸い込んで、また蒸散させる、というのをgreen waterと呼ぶようになりました。それは昔は水資源とは考えられてなかった。でも、降った雨で育って、できるものがあれば、水資源と考えるの当然ではないか、という訳で、最近はblue waterとgreen waterの両方を含めて水資源と考えるようになった。

国際貿易を考えるとき、二種類の投入水量が考えられます。ひとつは輸出国、生産国において消費された水資源量で、実際に使われた水の量なので、現実投入水量といいます。それに対して、日本で輸入しますよね、外国で作られる食糧を。それを日本で作ったとしたらどのくらいの水資源量が必要だったか、という仮想的な推定値のことを仮想水(virtual required water)といいます。つまり輸出国の投入量が輸入国の仮想水に変わる、ということです。日本はカロリーベースで40%しか自給していません。残りの60%を輸入しているわけです。では、日本はそれだけのvirtual waterを輸入していることになるのか?穀物・肉類・製品価格あたりのvirtual waterはどのくらいか?どの地域からどのくらいのvirtual waterが何として来ているのか?またグローバルなvirtual waterのバランスと循環はどうなっているのか?これまでの1960年くらいからの歴史的な経緯はどうだったか?virtual waterの貿易が水不足を緩和しているのか?利用可能な水資源量を増大させているのかどうか?といったことについて、少し話したいと思います。

●穀物とvirtual water

穀物の水消費原単位ですが、投入された水の量を単位収量と歩留まり率で割ります。一日に必要な量というのは、米は15mm/day、それ以外は4mm/dayで、収量というのは、国や地域、年によってぜんぜん違う。アフリカ、中央アジアといろいろ出ていまして、1960年から2000年まで出ていますが、ヨーロッパとか、オセアニアとかはものすごく収量が高いのに対して、アフリカとかは少ない。フィールドが違いますので、1tの穀物を作るのに必要な水の量は農業先進国の1000tぐらいから、日本とかアフリカとかの場合だと、30倍、40倍ぐらいの水が必要だ、というような計算結果になります。もし日本で作った場合だと、米だと重さあたりで3600倍、大麦・大豆で2500倍、小麦・とうもろこしで2000倍くらいの水資源を使わないと農産物は作れないということになります。主にアメリカから来ている。

●畜産や工業生産とvirtual water

今度は畜産製品だと、普通に考えると、牛育てるのに、牛に水を巻くなぁ、牛の体洗うなぁ、と思うでしょう?それだけではなく、牛が食べる牧草だとか、もしくは飼料を育てるのに使う量もものすごい量なんですね。最終的に家畜が肉に成るのにどのくらいかかるか。牛に関しては、肉牛と乳牛は食べさせるものも違うんですね。牛の場合は重さあたり20000倍ぐらいの水資源が必要。枝肉、つまり骨があると15000倍くらい。豚も同様にキレイに食べられる場合だと5000倍、枝肉だと4000倍。鳥は骨付きだと3000倍、枝肉で4500倍。鶏卵だと3500倍くらいの水資源が重さあたり必要になってくる。

それに対して、工業製品は今みたいなライフサイクルアセスメント的にどこにどのくらい使ったか、というのは考えにくいので、マクロに工業出荷額あたりに考えてみます。たくさん水を使う割りに、軽いものというのが多くなって、一億円の産品を作るのにどのくらいの水が使われているのか。45000tぐらいの水が必要とか、となっています。工業製品に関しては輸出と輸入があって、日本はさすがに輸入の方はさきほど穀物の輸入よりも1オーダーぐらい小さい。

全部足し合わせると、日本の仮想投入水量の総輸入量ですが、国ごとに見ますと、圧倒的にアメリカからたくさんの食糧を輸入し、それを水に換算するとだいたい400億km3ぐらいになる。品目別に見ますと、とうもろこしはだいたい輸入量の7割ぐらいは飼料になりますし、大豆も絞ったあとの絞り粕は牛の飼料になります。つまり、virtual waterというは牛肉として輸入するか、輸入してから牛に食べさせて牛肉とするか、の違いです。まさに、飽食の時代を象徴していますね。僕が小さいとき、すき焼きは食べられませんでしたからね。

●グローバルな水需給の将来推計

年代的な違いをやるにあたって、もう一度real waterとvirtual waterの区別をしておきたいと思います。1tの大豆を作るのに、日本だと2500tぐらいの水が必要になります。それに対して、アメリカは集約的な農業をしているので1700tでできる。ということは、日本では2500t節約された。アメリカでは1700tしか使っていない。グローバルで観ると、800tくらい節約されている。これは経済で言うところの比較優位の法則が現れている。主要穀物に関して、輸入国で作ったらどのくらいの水が必要だったか、というのを考えて、矢印で結ぶと図のようになります。こうして見ていただきますと、中東の辺りは一人当たりの水資源が少ないんですね。そういうところが結局、飲む水の100倍くらい生活用水を使う。さらにその10倍くらい農業生産に必要なんですね。逆にいうと、農業生産を止めたら、ひとりが食べるものの水で、1000人分の飲み水になるわけです。というわけで、自国での食糧生産をあきらめて石油を売って食糧を買っている、あたかも、「oilを売ってwaterを買っている」、というようなことから、中近東の解析によってvirtual waterという概念が生まれたわけです。図を見てみると、お金があるところに食糧、そして水資源が集まってることが分かります。

2000年におけるvirtual waterの収支なんですけれど、青い方が輸出国、赤い方が輸入国です。日本は当然赤なんですけど、中東から北アフリカにかけて輸入超過になっている。それに対して、フランスとか、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、オーストラリアといった農業国はものすごく輸出国だと分かります。ただし、デンマークは水資源は豊かじゃないけれども食糧を輸出している。自国の資源は少ないのに、水資源をたくさん使った産品を輸出してしまっている、というのは将来的に問題になる可能性はあります。従来型の水資源アセスメントというのはどうかというと、一人当たりの水資源賦存量という考えかたがあります。そうしますと、一人あたり年間どのくらいの水が使えるか。さっき言った、降った雨から蒸発を差っ引いた分に、国土面積をかけて人口で割るわけです。それが一人あたり1000tより少なければ高ストレスと分類されます。1000〜2000tは中ストレス、2000〜5000tは低ストレスと分けて、日本は最後のカテゴリーに入るんですが、それぞれに分類されています。従来型の水資源アセスメントでやっていくと、高ストレスの国の数が10カ国ぐらいであったのが、2000年には20カ国に増えている。これは水の供給量の方は自然の水循環ですから大きくは変化していない。それに対して人口が増えると、一人当たりの水資源が減るので、国の数は減ってるわけです。ところがこれが実際の水が足りないんだということを反映してるのか?というと、豊かな国というのは、実際は水が足りなくても、食糧を輸入することで自国の水資源を使わずにすんでいる。ということは、同じ指標では考えられないので、virtual waterを足して見ましょう。virtual waterを考慮すると、高ストレスの国が激減することがわかる。つまり、国連レベルの水資源アセスメントで渇水レベルが高いというのが従来型でやってきたのですが、実際に困窮してるのかを反映してなくて、virtual waterを組み入れると、かなりの国は実は水資源には困っていない。これをもう少し分類してみます。そうすると2000年に23カ国は一人あたり一年間に1000t以下の水資源しか使えない。その中で一人当たりのGDPが20000$以上、5000〜20000、1000〜5000、1000以下という風にGDPで分けてみます。virtual waterを足してみると何色になるか。元はどの国も赤だったわけです。豊かな国というのは、赤が減ったり、黄緑色になったりで、virtual water貿易で解消している。それに対して、貧しい国には水が足りないままである、ということが分かります。結局、グローバルなvirtual waterの収支はバランスしません。なぜならば、輸出国における実際に使われた量と輸入国で使う量は違う。virtual waterの小さい国からvirtual waterをたくさん使う国に、交易が行われているので、水に関する比較優位が成り立っている。輸出国からの総real water、実際に生産国でどのくらいの水資源が使われたと考えられるか、というのを推定しますと年間680km3という値になります。それに対して輸入国がもし作っていたら、というのが1330km3になりますので、一見見かけ上は450km3が貿易によって増加しているように見えますが、必ずしも水のことしか見てませんので、環境負荷とか、地域のコミュニティ・生産システムとか考慮してないので、これだけで食糧交易を考えるのは間違ってるんですけれども、水の量だけで、交易することによって水資源は節約できる。

●virtual waterの長所

virtual waterの長所としては、現実的な水資源アセスメントができる。つまり、見かけ上、水が足りているか足りていないかではなくて、輸出入でどうか。FAOがvirtual waterの研究を進めているんですけれど、将来人口が60億から90億に増える。そのときにどういう食生活をしていると、どのくらいの水と土地が必要か、ということを推計しなければならないので、virtual waterを知っておく必要がある。あとは、たとえば毎日食べているものを平均的に作るのに一日1000〜1500リットルぐらいの水が使われている。牛丼一杯推定すると2000リットルに相当します。世界の水危機と言われたときに、飲み水が足りないというかもしれないけど、それは日本のように水にアクセス出来る国の贅沢な悩みであって、世界的には、水が足りなくなるとどうなるかというと、飲み水は何とか確保できる。食糧を増産するための水が足りない。つまり、「水危機というのは、のどが乾くのではなく、おなかが減るのだ」ということなんですね。

●virtual waterの短所

それに対して、virtual waterの短所ですが、水の量しか考えていないので、地域の生産コミュニティとか他の生産手段の制限要因、つまり食糧を輸入しても、水資源を節約しないで、ほかの事に使うでもなく、海に単に垂れ流しているのであったら、あんまりvirtual waterを考えても仕方ない。

●まとめ

まとめますと、日本が一人あたり年間に使っている水量は飲む水約1t、家庭用水130t、工業用水110t、農業用水500t。それに対して海外でも農業用水を500tぐらい使っていますので、合計1250tの1/3から2/5ぐらいを日本人は海外からの輸入に頼っている。したがって、日本の水資源を考えるということは、世界の水問題にも目を向ける必要がある。

(科学技術振興事業団のビデオを放映)

■4.おわりに ―科学技術が世界の水問題の解決に貢献できるのか―

世界の水危機に対して、水資源工学とか、われわれがどういうアプローチをしてるかということですけど、信頼の置ける水循環情報を提供していくことにあって、現在の地球モニタリング情報がどうだったか、集中豪雨の予想とか、エルニーニョとかラニーニャとか気候変動を予想する。この辺は純粋に自然科学の問題で、今ビデオで見ていただいた、実際に現場に行ってやるようなことはこの辺のことをやるわけですね。それに対して、どれだけ水が人間にとって現在利用可能で、将来はどうなのかということになると、人間の利用の仕方とか、社会投資とかを考えなければならない。で、さらにこの辺までは研究者の役割で、将来のビジョンに立ってどのような設備を取ればいいのかという選択肢を提示するところまではわれわれの役割だろう。それに対して最後に決めるのは政治家であったり、政治家を選ぶ市民であったりする。最後は市民がやるべきである。今日の話は仮想的な水の観測の実態把握と水資源アセスメントみたいなことをやりました。

さらに、この前エビアンでG8サミットがありましたけど、最初のところで国連ミレニアム宣言で、安全な水にアクセス出来ない人、トイレのない人の人口を半減しようという目標だけが出てますね。でも本当は水っていうと、渇水とか、洪水とかの問題があるわけです。それがなぜ国連の宣言に出てこないのか、というと、今どのくらい水で困っている人がいるか、もしくは、洪水のリスクがある、渇水のリスクがあるところに住んでいる人がどのくらいいて、どのくらい危険かということすら分かっていないので、目標に出来ないんですね。なので、こういうことが出来るようにために、もっとモニタリング、観測をしたり、アセスメントをしたりすることが必要である。  

水文学のイントロダクションとしては、水を利用するのは水で洗うためである。だからきれいにすればまた使える。また水は安い。必要なとき、必要な場所、必要な水質の水しか価値がない。日本は大量の農業・畜産製品の形でvirtual waterを輸入している。水危機というのは、のどが渇いたということではなく、空腹をもたらすんだ。また人口が増えれば一人当たりの利用可能な水が減るので、安い水が減ります。水が足りないということは、物質的としての水が足りないのではなく、安い水が足りないんだということですね。グローバルなvirtual waterの流れにあるとおり、お金のあるところに流れてますよね。ということは、お金があれば買える。いざとなれば海水の淡水化でも作れます。ということで、水需要のほうを何とかするとか、節約農業・社会基盤整備の技術革新をする。水に関する国際会議に行くとよく言われるのは、「『水は低きに流れる』というけれど、水もvirtual waterも低きではなくてお金のあるほうに流れる」。結局、水が足りないで困っているコミュニティがあるとすれば、物質としての水がないのではなくて、安い水がない。とすると、多少高い水でも買えるように地域のコミュニティの経済力・購買力を向上させることが必要である。また、サイエンス側から見ると水文循環の全体を考える必要があるので、観測・モデルとして、総合管理をして―総合的な管理をするのはあくまでも地域の住民と管理者なわけですけれど―それを支援するためのシステムを形成する必要があるんじゃないか、というふうに考えます。

ゼミ第9回
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