「環境の世紀 未来への布石V」報告書

  

第4回 普遍的な環境倫理は立てられるのか

講師 東京農工大農学部地域生態システム学科  鬼頭 秀一 

 
目次
      1 環境問題・環境倫理との関わり
      2 野生生物との関係
      3 環境倫理の今
      4 環境倫理の枠組みについて
      5 環境倫理における普遍性の問題
      6 講義後のディスカッションより
  

1 環境問題・環境倫理との関わり
 もともとは薬学部で分子生物学を専門にしていたが、科学者の社会的問題に取り組むため科学哲学を専門とするようになった。また大学に入学した1970年頃から公害問題が顕在化してきており、環境問題は当初からの関心事であった。

 日本では環境倫理学はほとんど取り組んでこられず、アメリカの環境倫理学に強い影響を受けることを危惧しアメリカの環境倫理思想を歴史的な視点から批判していく必要があるとの認識から研究を始めた。

  
2 野生生物との関係
〜鳥獣保護法改正に関する記事より抜粋(朝日98.5.5第3面)

   獣害など増加に対応して、環境庁は鳥獣保護法を改正し、従来の狩猟規制から保護・管理へと方針を転換する方向を示した。従来の一元的管理ではなく、ある程度地域にまかせて鳥獣を管理していくという方針には地域が決めていくというてんからは多元的価値を認めるという意味があるが、保護・管理が本当にうまくいくのかは疑問である。ここには「普遍性と多元性」の問題という大きな課題がある。

  
3 環境倫理の今
3.1 人間中心主義を脱して---人間非中心的な環境思想の成立

T リン・ホワイトの提起

キリスト教・ユダヤ教的神学が人間中心主義の源泉であり現在の環境の危機を生んでいるとのホワイトの主張。両者の間に因果関係にあるかは別として、少なくとも少なくともキリスト教・ユダヤ教的神学思想に基づく人間中心主義が、マルクス主義などイデオロギーや自然科学を代表とする西洋・近代文明の土台となっていることは明白である。cf.それに対してパスモアのスチュワードシップという視点からの反論。

U 人間非中心主義的環境倫理思想の成立

「自然の原告適格」「動物解放論」「ディープエコロジー」など様々な形で、人間中心主義を脱却した自然を中心とした環境倫理思想が展開している。

V キャリコットの全体論的環境倫学

 シカを適正管理するためにオオカミを駆除するなどの方法で管理していこうとするやり方の失敗への反省から、レオポルドは森林管理思想からランド・エシックへの理論を構築した。生物の間の関係を全体的に捉え、生態系の健全性を見ていくというのが、その思想の根幹である。

 そのレオポルドのランド・エシックを環境倫理学の中で再評価し、その思想を基盤として全体論的な環境倫理学を主張したのがキャリコットであるが、その思想にはさまざまな問題がある。

 しかし、人間中心主義を単に一転させ、自然・生態系を中心に据えればよいのかというとそうではない。そのことの問題が典型的に現れているのが、地球全体主義の問題である。

W 地球全体主義の問題

 ハーディンの「救命艇の倫理」

 救命艇に50人乗船していて、まだ100人が船外にいる場合、その解決策として以下の3通りが考えられる。  

   キリスト教的理想=完璧な平等主義と完全なカタストロフ

   安全因子を犠牲にして10名乗せる=何らかの基準で10名を選抜する必要 

   誰も乗せない

 ハーディンは誰も乗せずに、安全因子を確保することが解であるとした。しかしこれは、環境に関しての一元的基準を設け、人々を取り締まる警察国家を環境問題解決のモデルとして是認したことを意味する。また国家間の関係に当てはめれば、これは南北問題の現状肯定である。

 いま必要と考えられる普遍的な環境倫理を誰かが打ち立てて、みんなを守らせるということで果たしていいのだろうか。そうした問題が生まれてくるのである。

 加藤尚武

 それに対して加藤尚武は個人の自由(リベラリズム)を確保した上での、地球全体主義を主張したのである。その方策としては、個人の自由確保をしつつ、国家には経済メカニズムによる制裁を加えるという方向を提示した。

 しかし、これだけで問題が解決されるわけではない。

 加藤尚武は、環境倫理と生命倫理との関係は個の自由意志を全体的な視点から制限するのか、あるいは、自己決定を拡大させる方向で考えるかという点で、両者は対立するという。しかし多民族国家のアメリカでは自己決定を基調としたインフォームドコンセントが主流になっているのに対して、ヨーロッパなどには、そうした動きとは違う胎児保護の流れがある。出生前診断などで、胎児にダウン症などが見つかった場合、自己決定ということで今までしなくてよかった重い選択を強いられることは、果たしてよいことなのかは疑問である。

 生命倫理も環境倫理も対立的に捉えるのではなく、科学技術の在り方も含めた根本的問題から考えていく必要がある。そのような視点からみると、加藤尚武の問題の捉え方自体に問題があるように思われる。

3.2 環境思想の多様化と転換

 原発事故とエコフェミニズムの展開/リオの地球サミットによって従来の環境思想は大きく変化していく。生物多様性に関して今までにない問題提起(堂本暁子:『生物多様性』岩波書店・同時代ライブラリー227より抜粋記事)がなされ、人間が関わった上での生物多様性が重視されるようになった。先住民のもっていた社会システムや所有の概念を尊重していくことこそが環境破壊を阻止するのではないか。つまり生物多様性は生物だけの問題ではなく、文化の多様性の問題である。従来の普遍的環境倫理に代わり、地域差を顧慮した多様な枠組こそが重要である。また一方で、受益者と受苦者のずれを構造的捉える環境的公正の視点も加わり、先住民の問題は南北問題とも関連づけられるようになる。

 こうして見てくると、時代は多元主義へ傾斜していると言える。しかし、必ずしも多元主義がよいとも言えない。鳥獣保護や河川行政の問題は、論理としては地域の自律性に委ねる方向性となっている。前述の通り、現在の地方行政にそうした管理を任せれば、利害関係を反映した形となりより自然破壊的 な方へ行く可能性が高い。以下、地球環境問題に見られる普遍主義と多元主義のコンフリクトへどう考えていくかを扱う。

  
4 環境倫理の枠組みについて
 加藤尚武の分類を要素として解釈するならば、

   人間−自然関係(自然の生存権)

   人間−人間関係(歴史性:世代間倫理)

   個−全体関係(地球全体主義)

 また一方で、ガタリの三つのエコロジーとも関係しているが井上有一の提示した3つの要素を別軸として用意するなら、

   持続可能性

   社会的公正

   存在の豊かさ

となり、以上の2軸でマトリックスを作るとこうなる。


  Interrelations

elements

 

人間−自然関係
 
 

人間−人間関係
 

個−全体関係

 

 

 

環境持続性

自然の生存権の問題

生命中心主義

生態系中心主義

自然の権利

生命地域主義

生業・技術論

風土論

所有論・流通論

 

世代間の倫理

生命地域主義

生業・技術論

風土論

所有論・流通論

地域全体主義

救命艇の倫理

宇宙船地球号

共有地の悲劇

地方の自律

生命地域主義

共的所有論

 

 

社会的公正

保護区

サンクチュアリ

環境的正義

所有論・流通論(非市場的)

世代間倫理

南北問題

エコフェミニズム

所有論・流通論

 

全体主義による不平等

環境的正義

合意形成

 

 

 

存在の豊かさ

動物の解放/権利

生命圏平等主義

自己実現

(ディープエコロジー)

生命地域主義

風土論

遊び・仕事論

所有論・流通論

 

世代間倫理

生命地域主義

風土論

遊び・仕事論

所有論・流通論

 

全体主義による不平等

自由の制限

生命地域主義

自己実現

共的所有論

 環境思想における普遍性と多元性の問題は、ハーディンや加藤尚武に見られるような政策科学的視点から「普遍性」を要求する「環境倫理」に対してリオ以降に見られる、たとえばヴァンダナ・シヴァの主張のような抵抗の原理としての「環境倫理」の視点から考えていく必要がある。

  
5 環境倫理における普遍性の問題
5.1 空間の軸と時間の軸(多様性とダイナミズム)

 単純な多元主義では、人間−自然関係を固定化してしまい、そこに問題が生じる。静的に見るのではなく、動的に見ていく枠組みが必要となる。

《捕鯨の問題》

 IWCの方針としては、普遍的な原理として捕鯨禁止を提示しながらも、一方でインドネシアのマッコウ鯨漁などの伝統捕鯨を「生存捕鯨」として保護していく方向性を打ち出している。これは地域・多元性の尊重と考えられるが、これにも問題がある。「生存捕鯨」には、伝統的手法で捕鯨をすること、商業流通をさせないことが条件となり、土地の人々の生活を固定化することになる。

5.2 社会的リンク論

 伝統社会のあり方を実体としてではなく、システムとして捉える必要がある。そのために、社会的・経済的リンクと文化的・宗教的リンクという2つのリンクネットワークをシステム論的にとらえるモデルである「社会的リンク論」を考えていく。社会・経済的なリンクと文化・宗教的リンクが乖離した現在は、人間−自然関係は自然の収奪とそれへの反動としての保護という形で表れるのであるが、それらは2つのリンクが切れているから生じる「切り身」の関係とも言える。伝統社会に見られるような、2つのリンクの強い不可分性は、今後の「つながった」社会を構築する条件となる。つまり従来の形の普遍的な環境倫理は成立しないし、多様性の視点は重要である。しかし静的・固定的な多様性は地球環境問題を解決する際の「あるべき姿」を提示できない。そこで、システム論的な意味での普遍的原理と実体としては多様な社会のあり方が今後のぞまれるのではないかと思われる。(「生身」の関係)

5.3 地域社会のあり方

 過疎問題とは、一見して地域の内部の問題のようで資本主義が強く結びついた問題である。地域社会の意志決定は、共時的に行われ環境破壊的になる傾向が強いが、長期的な地域の発展を意識した通時的な意志決定がなされるべきである。

《リゾート開発》

 数年の任期で交代する自治体の長は、短期的地域利益しか考慮しない開発を行う。その端的な例が、リゾート開発で一時的な利益の後にやってくる負担については全く考慮していない。数段階先を見越した地域開発の仕方をできるような地方自治が、多元性確保の大前提とも言える。

《白神問題》

 「原生自然の保護」は世界遺産に代表されるように、自然を普遍的な遺産として、人から遠ざけ守っていこうという発想である。これに対し、入会権など土地の人の利用を視点に入れた保護のあり方が提示されている。これも一つの普遍主義と多元性の問題である。

最後に・・・

《割礼問題》

 文化相対主義と近代の人権思想(特にフェミニズム)が相反する割礼問題などでは、どの様に両者の折り合いをなすか、まだ答えは見いだせていない。国際関係論にせよ、文化人類学にせよ、こうした共通の問題に対し他分野交流をすすめ、答えを見つけていかなくてはならない。またそうした課題を、学生の皆さんに期待する。

  
6 講義後のディスカッションより
Q 日本の自然の権利訴訟について

A ムツゴロウなどを原告にした日本の自然の権利訴訟は、希少動物を守ろうというより、人間の利用を含めた形での人間−自然関係を問題にしている。アメリカの自然の権利訴訟とは一線を画す。この違いを通して、日本人の自然観が分かってくるとも言える。

Q 授業で用いた3×3のマトリックスをどう見ていけばよいのか?

A 一つには、自分が環境問題のどの領域に取り組んでいるかをマッピングできたり、環境思想の様々な論点を整合的に捉える材料となる。現在主張されている環境倫理的な思想がこのマッピングの中でほぼ網羅されると思われるので、それらの思想の関係を比較・検討するための基本的な枠組みを提示していると考えている。そうした項目の関係を整理し、しかも、社会的リンク論のようなより上位の理論的な枠組みで相互を関連づけることが必要で、そのことによって、環境倫理の体系化が可能になると考えている。

Q 環境倫理学における軍隊の扱いはどうなっているのか

A 軍隊が環境破壊的で問題であるのは事実だが、環境倫理学として特殊な概念装置を用意する必要はない。軍隊の扱いは倫理学の問題というより政治の問題であると考える。

  
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