環境の世紀VII  [HOME] > [講義録] > 7/14 「最終回ディスカッション」(鬼頭秀一基調講演)

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最終回ディスカッション7月14日
司会:丸山真人教官紹介
パネリスト:鬼頭秀一講義録教官紹介
後藤則行講義録教官紹介
■ 鬼頭 :



鬼頭秀一

 鬼頭です。今丸山先生がきれいにまとめてくれたので全体像がつかめたのではないでしょうか。私が今回講義で担当して強調したことをもう一度復習しようと思います。

1 ローカルな視点の重要性

 今述べられた中で、物質の循環、経済の循環ということを言われていたわけですけども、循環というものをどういうレベルで考えるかが重要なのかなと思います。というのは、物質の循環や経済の循環を考える時に、循環の規模というものが問題になってくると思うんですね。

 一つには、循環というものを地球レベルなどのかなり大きなところで捉えてシミュレーションしていく方法、もう一つは、最後に丸山先生がおっしゃいましたが、ローカルなところで考えていく方法です。これはつまり、ローカルシステムの積み上げによって、全体の永続可能性を追求していくということです。私が授業で少しお話したところが、その辺に関わってくるのかなという感じがします。多分、ローカルシステムを考えるということは、今までの経済的な視点に加えて、我々が環境を考える精神的な視点をもう少し考えた方がいいのではないかということだと思います。ローカルシステムのいい点としては、物質的な視点を考えた時に、いわゆる科学的なシミュレーションということであれば、もちろん大きい系より小さい系の方が取りやすいと思うんです。経済的には、市場経済をどういうふうに捉えるかというのも一つ大きな問題だと思うんですが、経済的にも色々取り上げられたシステムと考えることができると思うんですね。



2 共同体意識

 環境ということを考えた時に、物質的なもの、経済的なものと密接した関係として、我々の精神的な価値という問題を考えていく必要があるのではないかとも思います。

 例えば日本で入り合いという制度があって、薪炭とかを切り出すにしても、かなり厳しい取り決めがありました。これは、タイトなコモンズというか、取り決めの厳しいコモンズ(共有地)を管理して行くというやり方で、世界的に見ると日本の場合は割と厳しいもので、グローバルに考えた時にそれでいいのかという議論はいろいろあるのですが、そういう厳しい取り組みでローカルに管理してきたという事実もある。ローカルな形で管理していくのがなぜ可能なのかというと、ローカルコミュニティーの中で、自分たちが自発的にそういうシステムを維持しようという共同倫理みたいのがあって初めて可能になるわけですね。もちろん一方で、こういう一体な共同体というのは、プライバシーがほとんど誤解されているような感じで、なんとなくそういうのはやだなというのも一方ではあるわけで、だからこそ、我々は都市文明というものに憧れたり、もう少し自由にしたいというのがあったと思うんですが、もちろんそういうふうに我々個として自由に生きたいというのがあるわけです。

 しかし一方で、私達が自分のアイデンティティとか、自分がこの世界に生きていることはどういうことかということを考えると、やはり自然との関わりとか、地域社会での自分の位置とかですね、なんとなくそういう共同の中で初めて得られる部分があって、そういうところが、こういう地域的な規制、要するに、規制なんだけども、我々が自由意志でなんとかできるような形ができればいいと思うんですね。所有の形態にしても、例えば土地で考えると、近代的に言えば私達は土地を所有すれば、所属権まであると考えるわけですね、ですから、産廃業者が土地を買って産廃処分場にする。「俺の土地だから何が悪い」というふうになる。そういう時に公共性をどのように考えるかという問題があるわけですが、所有というものを我々はある意味近代的な考え方以上に解釈してしまう。我々が土地を所有していると、所属権まで含まれるというのではなくて、もう少し公共的なあり方というものも考えなければならないわけです。そういうあり方をお互いローカルな雰囲気の中で認め合えればいいのです、「確かに自分の土地なんだけども、周りのことを考えないで勝手なことはできないなあ」というような感じですね。多分それには、精神的な視点というものが必要になってくるだろうと思います。

 ですから、「システム的思考を実行する基本単位としての地域」と丸山先生は言われましたが、その地域コミュニティを経済的に成り立たせるだけではなくて、我々がある意味文化的に社会的に、お互いにそういうコミュニティを構成するような意識というか、そういう共同体の意識をどうやって作りあげていくかということも考えなければなりません。共同体意識が持てれば、我々がコミュニティの一員として、自発的にリサイクルを習慣づけることも可能だと思います。



3 豊かさ

 そういった場合、精神的な視点ということを、ここでもう一度確認しておきたいと思います。先ほど丸山先生が言われたように、我々の生活レベルを考えた時に、単に環境だからといって低下させるのでは意味がありません。生活の豊かさと言った時に、我々は社会の中で生きているのであって、社会の中での豊かなあり方っていうのはいったい何なんだろうかということを問い直していきたいと思います。完全に孤立した個人として、いわば今日の資本主義のなかで、いろんな物欲を満足させていくというあり方もあるかもしれない。けれども、もう少し人との関わり、自然との関わりということを考えると、そういう関係性の中で、生まれてくるようないろんな豊かさもありますね。そういう豊かさというのは、孤立した個が、近代的な欲望を満足させて行くということとは違うような豊かさだと思うんですね。そういう豊かさは、先ほど言った地域コミュニティにおける精神的なものと関係があるのです。



4 環境的正義

 授業ではenvironmental justice、つまり環境的正義、環境的公正ということを強調しました。environmental justiceは、マイノリティの人たちの持つ環境の権利を守っていこうというものです。一つは、環境を得る権利ですけれども、一方で、例えば先住民の人たちが今まで野生生物を利用してきた権利も文化的な権利として認めるということもあると思いますね。

 これは要するに、生物の利用ということを、あまりにも人間中心か自然中心かというふうに考えすぎると、なんか野生生物を利用するのはいけないみたいに見えますけれども、我々がよりよいシステムを考えた場合でも、ある意味では伝統的に利用してきたあり方というものは、否定されるものじゃないように考えられるわけです。これは一見地球レベルでの持続可能性を考えた時に、野生動物が何種か絶滅に瀕しているのに、という部分はあるかもしれませんが、実はそういう環境持続性という軸だけではなくて、我々が多様な地域でいかに豊かに生きるのか、あるいはマイノリティの人たちがそれなりによりよい環境を選択して行く権利を得たり、社会的にどういうふうにその権利を行使できるのか、ということを考えて、それをきちんと調整していくことが必要だろうと思います。

 そのために、環境持続性というものをあまり強く立てるのではなくて、トップダウンではなくてボトムアップ的な形の合意形成のあり方、決定のあり方というのが重要になってくると思います。そして、これには、さっき言った精神的な視点とか、公正とか、豊かさというようなことが絡みあってくるのではないかなと思います。後からこの辺の議論はでてくると思いますし、先ほど丸山先生が言っておられた地域コミュニティの構築ということを考えたときに、我々がどういうことを考えるべきかということも、私が今日みなさんに言いたいことです。



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